第二十七話 ハオの決意
私も後ろから覗き込む。慌てて。
だって、結婚!? 結婚よ、空の子供が! 魔物の王と!
わぁ、本当に契約書に、結婚しろって書いてある…妻になれって…。
「あんた、頭が沸いてるんじゃないの?」
「っていうか、タチの悪い冗談じゃろ」
「判った、今日エイプリルフールなのよ!」
「至って真面目なんだが」
……真顔で、そう言われても。
ジャオファのきょとんとしているような、至って真剣な顔にも見える表情に、頭痛がする。
ハオもパイロンも同じ感覚を持ったみたいだ、蟀谷を抑えていたり、眉間を抑えている。
「都合の悪いこと……よね、これって」
「もらい手のない愚姉を持つ弟としては、どう言えばいいのか……。……というか、姉が実父と結婚……末恐ろしい」
「あんたは一言余計で嫌いなのよ、ねぇ、夕子ちゃんこれって…」
ハオがパイロンに呆れながら、私へ問いかけてきたので、私は率直に思いついた事柄を告げてみる。
「罠よ」
「罠?」
「空を倒させて、結婚した後で、空の権力を握ろうとしてるのよ」
「……それなら、納得がいくのう」
パイロンが扇で自分を扇いで、落ち着かせようと、冷静になろうと努める。
ハオはハオで何事か黙り込んで考えているし…あ、頭を抱えた。
「ジャオファ」
「何だ。ハートマーク付きで呼んで良いぞ、我が妻よ」
冗談を真顔で言うのはやめてくれないかな、と私とハオの心境が一緒になったと思う。
「あたしは、生憎この世界に闇を訪れさせるわけにはいかないし、あんたの嫁にもなれない」
「……何故だ?」
ハオがあっさりと詫びれもなく告げると、ジャオファは半目になって、目つきを鋭くする。
なんというか、底が知れない目だ。パイロンの催眠がかった目つきに似ている。あの目つきをもっと凶悪にしたもの。流石親子。
だけどハオは動じないで、相手の気持ちに真剣に答える。
「あたしはね、月を倒したら、月になるの。それが、月の子の役目よ。あたしにしか出来ない」
「……月になると?」
ジャオファは馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに、鼻で嗤おうとしていたが、ハオの真剣な表情に言葉を失っている。
一瞬真顔になってから、忌々しそうに空を見つめて、もう一度ハオを見やる。
「ええ、月になって、人々を優しく照らすわ」
「光が必要なら、オレがなる。オレは太陽の子でもある。お前さんは結婚して子供を産め」
「パイ。あんたじゃ無理よ、力がきっと足りないわ。だって、あんたは“雲の子”だもの。それに、あんたの親は、あいつでしょ? 言いたくないけど、こんなこと。でも……――太陽じゃない、あんたは。雲とあいつの子なのよ」
「ッ――こんな時ばかり姉の顔をするな、お前さんは……」
「パイ、年長者の言うことは聞きなさい」
たしなめるような言い方で、ぴしゃりとパイロンに言葉をぶつけるハオ。
パイロンは何か言いたげに口を開くが……すぐに閉じる。
シェイへ向ける兄弟愛を、ハオには感じていたけれど、こういう光景を見ていると二人の間にもちゃんと兄弟愛を感ぜられて私は嬉しくなった。
ぐっと言葉を飲み込むパイロン。
パイロンを見るなり、それでいいのよ、とハオは頷く。
「というわけで、あんたとは結婚出来ないの、契約は無理ね。此処からお出し」
「……闇だけの世界にならないのか、残念だ。だが、興味を持った。僕は益々その闇が欲しい。深く醜い闇を持つ月、僕の伴侶に相応しい。あんな、色んな物体食ってる奴なんかより、お前の方が、伴侶に相応しい」
色んな物体って……雲へ水蒸気の他に、公害の煙や人工物の何かを吸収しているから?
面白い言い方だけど、笑っちゃいけない。
それにさっきから闇、闇って言うけれど、何のこと?
「……ハオの何処に闇があるの?」
「気づかないか? ユウコ。月の子には、何か後ろめたいことがあるようだ。それがずっと自分を苦しめてる。お前の存在にも苦しめられてる。雲の子の存在にも苦しめられてる」
「私とパイロンに……?」
私とジャオファが話し合っている間、ハオは、小さく「やめて」と震えた声を出した。
ジャオファを睨み付けると、ジャオファは嬉々として語る。
「平たく言うとだな、太陽の子への死が自分の所為で、もっと早くにお前らの存在に気づけたらと後悔しながらも、何故此処まで兄弟仲を乱すと……」
「ジャオファ! それ以上言うと、殺すよ!」
「お前に僕は殺せない。傷一つ負えないだろ? さっきから攻撃しているのに」
「……それでも、牙を。殺そうと努力するさ」
「……闇に捕らわれかけているのに、そういう気の強いところが、気に入ってるんだ」
ジャオファは少しだけ柔らかい笑みを見せた。その笑みに、私はぼうっとした。パイロンが声をかけてくれなかったら、私が捕らわれていただろう。
「今、私、ぼーっとして……」
「ジャオファは魅了の術を持ってると聞いたことがある。それにやられたんじゃろう。なるべく奴の目は見るな。ハオ、ハオ?」
「あたしは大丈夫よ。……ねぇ、だから、さ。とりあえず、嫁は無理なんだから、此処から出しなさいよ」
「契約書にサインだ」
「出せ」
「契約書」
「無理だと言っただろ」
「無理じゃない。月だから伴侶になれない? 常識なんて、魔物には通じないぞ」
「……都合の良いことを」
「そろそろ逃亡の資金も尽きてきてるだろ。そろそろ空に行って倒したいだろ。ユウコを空に連れて行きたいだろ?」
黙り込む私達。沈黙は、何の抵抗にもならない。
ジャオファは判っているからこそ、言葉を紡ぎ続ける。
「僕の魔力も力も強いのは、もう判っただろ? 見ただろ? 自分で実感しただろ? ……契約書に嘘は無い。其処に書いてあるとおり、ユウコを空まで連れて行き、お前の望むままに力を貸してやる」
「もう一つ追加よ」
凛とした声で、真っ直ぐとジャオファを刮目して、ハオは言葉を発する。
「ヒノ・ユウコとその子孫に強い使い魔を与えること」
「――使い魔?」
「聞いたこと無い? 条件無しに使役される魔物よ、使い魔は」
使い魔は永遠の服従となる存在で、奴隷のようなものだと聞いたことがある。
それだけに強い魔力や、絆、良い提案が必要なのだけれど……。
「成る程、それなら、ユウコが地上に居ても、簡単に死ぬことはないな。人間思いだ。それは、太陽の子への手向けか?」
「五月蠅い黙れ。……それを約束して契約してくれるなら、サインするわ」
ジャオファは少しの間、考える素振りをしてから、ふむ、と唸った。
「使い魔の暗黙の条件を知ってるか?」
「暗黙の条件?」
「自分より魔力が高くないと使役されん。ユウコの魔力なら、中級魔物しか使役できん」
「それを何とかするのが、あんたの仕事よ」
「まぁ、命じてみる。僕は魔王だから、な。契約書にサインするか?」
「ペンを貸して」
「ハオ!」
まだ何か言いたいことがあるのか、パイロンが呼び止める。
でも先ほど勧めたのは自分だしで、パイロンは今は駄々をこねてる子供みたいな態度だった。
そうなっちゃうのも判る、私だってできればそうなりたい。
……でも、兄弟の貴方が我慢しているのに、私が何か言えることなんてない。
「パイ、そりゃね、あたしだって、自分でも馬鹿? ……って思うけど、これしか、もう手はない。いい加減、決着をつけたいじゃないの」
「……せっかちめ。だから、愚姉だというんだ、馬鹿姉者!」
「何よ、あんたなんか、さっきから怯えてる癖に! 怖いんでしょ!? さっさとあいつから離れたいんでしょ!?」
「……!! オレの所為にする気か?!」
「まぁ、それもあるけど違うわ」
パイロンは、私を前に押しやり「何か言え!」と無言で威圧してきた。
言いたい言葉、今全て言うタイミングだと。
「…――ハオ、私の為なの? 私のために? ……気遣わないでいい、大丈夫よ、私なら」
「でも、空飛べないじゃない。高すぎて届かないじゃない。もう……魔物に頼るしかないかもしれないじゃない、手は」
「……ハオ」
「あたしね、あんたのこと少し嫌いだった。あんたさえ居なければ、シェイはMASKに捕らわれることは無くて、シェイもあたし達兄弟の異様さに気づかなかったでしょうね。…でも、あんたと会わなかったら、シェイは……そう思うと、あたし、あんたにとんでもない恩を受けたんじゃないだろうかって、考えちゃうのよね。恩は返したいじゃない。それに、今は、あたし、あんたのこと嫌いじゃない。……ずっと、シェイとあんたのことを考えていたの。あたしは、もしかして、あんたとシェイに恩を返すためにこの世界を旅している? そう考えたら、一緒に連れてるパイロンが可哀想になっちゃった」
「……ハオ」
いつもは強いはずの瞳が、揺らいだ。涙だろうか、そう考える間もなく、瞳は強さを取り戻し、ハオは拳を作って、握りしめ、力を増した。
私はそれを見て、ハオに鳥籠の檻の隙間から手を伸ばした。




