9.夏休み
野島優太にお茶会事件の話をして以降、相原希美は落ち込んでいた。佐藤麻衣子は、希美が優太に言い過ぎたと反省しているのかと思っていたのだが、彼女は自分のリサーチの方向性が間違っていたことがショックだったのだという。希美はジャーナリスト志望なのだと打ち明けてくれた。雪乃クラスのメンバーの編入生に対する偏見と優太に対する意識について、自分なりにリサーチし、分析したつもりだったのに、悉く違っていて、ショックを受けたというのだ。
「うちのクラスでは編入生に対する蔑視は確かにあるのよ!でも、雪乃クラスのメンバーはあいつらとは違ってた。いいとこのお坊ちゃんお嬢ちゃんの思考はただの金持ちの奴等とは違うのかな。どこで間違っちゃったんだろ?あーーー!野島が余計なことを私に吹き込んだせいとしか思えない!でも、そんなことぐらいで真実を見失うなんて、やっぱり私、ジャーナリストには向いてないのかも……」
怒ったり落ち込んだり忙しい希美だったが、なんだかんだ言って優太とは変わらず仲良くしているように見えたので、心配することはなさそうだった。
桂木雪乃は雪乃クラスの顛末を聞いて、「わたくしがもっと優ちゃんのことを周りに分かって貰う努力をすれば良かったのですね」とひどく落ち込んだが、彼女はその事について深く考えたり、対策を練ったりする余裕は無かった。雪乃と彼女が想ってやまぬ東條和臣とのメールのやり取りは近ごろかなり頻繁で、麻衣子との会話はその話題に終始していたのだ。雪乃は打ち明けた。
「和兄様から、メールではなくて、お電話を頂いたの。わたくしの事を妹としてではなくて、女の子として好きだと言って下さったの」
いつもは青白くさえ見える頬をほんのり赤く染め、少し俯いて目線を逸らしながら、躊躇いがちに言葉を繋ぐ様は麻衣子を悶えさせた。言い切った後、ほおっと溜息をつく所などは色気も感じさせる。和臣の事でも思い出しているに違いない。
『雪乃ちゃん可愛い過ぎ!和臣さん、これを見ないなんて、損してるよ!悶絶ものだもん!』
優太とクラスメートの間にあったわだかまりはすぐには解消されなかったが、改善の兆しは見せていた。雪乃が和臣のことで思い悩むことが少なくなった事も手伝って、教室で雪乃と優太が朗らかに会話をすることが増えたし、醍醐奈津子達お茶会メンバーの助力もあった。
肝心の麻衣子はというと、優太から逃げまわっていた。目が合う度、あの夜のことを思い出してしまって真っ赤になってしまうから、そうするしかないのだ。あまりにも間抜けな自分の失態に、希美や雪乃にも話せずにいる。
『このまま夏休みに突入して、なかったことにしてもらえないかな?』
優太の方はそんな麻衣子を面白そうに眺めていた。VIPルームに通ってきていたのだ、麻衣子の好意には薄々気付いていた。だが、今までそれどころではなかったし、正直、雪乃への想いも燻っていた。しかし、クラスメートとの確執からは解放されつつあるし、麻衣子のクラスでの立場も心配する必要が無くなった。気持ちに余裕が出たからだろうか、麻衣子とのことは、焦らずのんびり考えていけばいいと思っている。あれは『告白』というほどのセリフではないともいえたし、お付き合いするのなら、やっぱり男の方から告白するべきだろうとのちょっと古臭い考えも持っていたのだ。『夏休みはテニス部の合宿や遠征で忙しいけど、合間にどこか出掛けてみるのもいいかもしれないな』などと呑気なことを考えていた。
「そういえば、夏休みはどうするの?」
優太の部活の間、すっかりサロンとなってしまっているテニス部のVIPルームで麻衣子は何気なく聞いた。この頃は山岸透も加わり、雪乃、希美とともに勉強会と化している。人間に興味の薄い透には変に詮索される心配はないし、人数が多い方が優太に対する気恥かしさを隠し易い。麻衣子としてはありがたい状況だった。小耳に挟んだ所では休み中は海外で過ごすクラスメートが多かったが、ここではもう少し現実的なことが聞けるに違いない。
「僕は予備校の夏季講習に参加するんだ。期末やばかったからね。」
「えっ、私も塾なんだけど、山岸どこの講習にいくの?」
透と希美が予備校話に花を咲かせて、盛り上がってしまった。麻衣子は夏の恋のトキメキを期待していたのに、二人とも現実的すぎる。がっかりしている所に雪乃が小さな声で話しかけてきた。
「麻衣子ちゃんは何かご予定はあるの?よかったら、お誘いしたいことがあるのだけど」
「えっ?私お小遣い無いから、雪乃ちゃんとは出掛けられないよ」
「それは心配いらないの。わたくしもお小遣いのいらないご招待なのよ」
荷物もいらない、身一つでいいのだという。希美も誘おうと思っていたが、用事があるのでは仕方ない。是非行きたいのだけれど、一人では行かれないから付き合って欲しいといわれてしまったら、断るわけにもいかない。
『タダと言われて断るわけにはいかないよね!』
優太には留学中の異父兄、東條和臣から、夏休みの予定を尋ねるメールが来た。「間もなく帰国するか
ら、優太と雪乃と一緒に過ごしたいので、予定を知りたい」というのだ。以前はさんざん雪乃の事を尋ねるメールを送ってきていたくせに、この所ぱったり連絡がないと思っていたら、突然帰ってくるという。母は「いよいよ雪乃ちゃんとの婚約を決めたのではないか」とはしゃいでいるが、冗談じゃない。ラブラブカップルの間に入るなどごめんだし、婚約となれば、雪乃への未練などもきれいさっぱり忘れなければいけないだろう。
『一緒に過ごしてどうする?それならいっそ佐藤さんや透を誘って海にでも行ってやる!』
淡い想いを抱きながら、三年半近く傍で過ごしたが、もうそろそろお役御免になってもいいだろう。いい加減新しい世界に踏み出したいし、今の自分にはそれが出来る気がしている。和臣には「忙しいからそれどころじゃない。勝手にやってろ」と返信した。まさかこの返信を激しく後悔することになるとは思いもよらなかった。
夏休みに入ってから雪乃から「お出掛け」の詳細メールを貰って、麻衣子はおろおろしてしまった。なんと2週間の予定だという。『2週間もタダでご招待ってどういうこと?』と慌てて電話をしてしまった。雪乃はすぐに電話に出てくれた。
「和兄様のご帰国にあわせて高原にある別荘にご招待いただいたの。二人きりで行くわけにはいかないから、お友達を誘っておいでって……。優ちゃんは来られないので、代わりに和兄様のお友達がいらっしゃるの。それでは駄目かしら?」
なるほど。優太が来ないのは未だ恥ずかしさが消えない麻衣子には却って好都合だが、問題はそこではない。和臣がスポンサーなら、雪乃は遠慮はいらないだろうが、だからといって麻衣子まで甘えていいものか。躊躇っていると雪乃の悲鳴のような声が聞こえた。
「麻衣子ちゃんのご都合がつかなければ、予定を早めてもいいし、切り上げても構わないの。例え、たった1日でもいいから、和兄様とご一緒したくて!」
もともと麻衣子に予定など一切ないが、都合がつかなければ雪乃まで旅行を取りやめると言われてしまえば、友達の恋の為に一肌脱がなければならないだろう。大義名分を得たと思って、この際和臣に甘えてしまうことにした。
夏休みも半ばを過ぎて、いよいよ旅行の準備をしようと思って、まず、着ていく服に丸1日悩んでしまった。身一つでいいといわれても、裸で行くわけにはいかない。旅行なのだしカジュアルの方がいいのだと一張羅のワンピースすらない自分をごまかした。洗面セットくらいは必要だろうし、パジャマや着替えなど、なんだかんだ詰め込んだ。当日は大荷物を抱えて雪乃との待ち合わせ場所に向かうことになってしまった。
待ち合わせは麻衣子の最寄り駅のロータリーだ。こちらから出向かなくてもいいのかと気を遣ってみたが、「ご招待なのだからお家までお迎えに行くのが当然」といわれた。リムジンとかで家に来られて近所の噂になっても困ると思って、家の前の道路が狭くて停められないからと嘘の言い訳をして、駅のロータリーにしてもらったのだ。リムジンではなかったが、これはこれで凄いと思わせる車が停まっていた。シルバーグレーのスポーツカー。エンブレムは他のメーカーの物と区別がつかないけれど後ろに書いてあるアルファベットを読めば麻衣子にも分かる。『これはあれですね!有名なドイツの高級スポーツカーですね!』やはり家の前にしなくて正解だった。意外なことに、運転席から出てきたのは和臣ではなかった。いつだったか、優太とテニスで打ち合っていた、西園寺卓哉だ。確かにその人なのだが、印象がまるで違うことに麻衣子は目を瞠った。
『何この人?モデル?外国の雑誌に出てくるモデルさんみたい!』
真っ白いシャツの袖をたくし上げ、鮮やかな水色のハーフパンツをはいているだけなのに、このお洒落感はどこからくるのか。ポケットに手を入れて、立っている姿は、ファッション雑誌から飛び出してきたかと思わせる程、様になっている。テニスウェアを着ていた時は、つい筋肉質な身体に目が行ってしまっていたらしい。顔だって、彫りの深い濃いめのイケメンだ。
はじめまして、と言おうとして初めてではないし、なんと挨拶しようかと考え込んでしまった。
『あれ、そうか、この間は直接名前を聞いてなかったよね。ネットで調べたから私が名前を知ってるだけだ!あの人は私の名前を知ってるのかな?そういうのが分かんない場合はなんて挨拶すればいいの?二度目ましてじゃおかしいし…』
麻衣子はお得意の百面相をしながら悩んでいたが、彼女の戸惑いを察したらしい西園寺はにっこりほほ笑んで自分から名乗った。
「おはよう。西園寺卓哉といいます。佐藤麻衣子ちゃんだよね?今日からしばらく宜しく!陽射しが熱いし、とりあえず乗って!」
「はっはいっ!」
西園寺に助手席に乗せられてしまった。麻衣子の荷物を後部座席に放り込み、麻衣子の為にドアを開け、シートベルトを締めるのを手伝ってくれて、それら全てがとてもスムーズだ。麻衣子がどう言おうか悩んでしまった挨拶も、いとも簡単にこなしてしまった。西園寺は『大人だなぁ』と感心してしまう。雪乃が一緒に乗ってきているとばかり思っていたが、車には二人きりだった。
「和臣が急に家の仕事で借り出されちゃってね、少し遅れるっていうんだ。君のことは一度会ってて顔も知ってるから俺が乗っけていくよって勝手に決めちゃった。ごめんね。安全運転するから許して?」
「あの、雪乃ちゃんは和臣さんと来るんですか?」
「うん。和臣の車の方がゆったり乗れるし。それに、ほら、恋人同士のドライブを邪魔しちゃ悪いじゃない?」
「あはは!そうですね」
「大丈夫、安心して。夜までには合流できるよ。こっちはこっちで楽しもう」
気が付けば雪乃から予定が変更になったことを謝るメールが来ていた。家を出る時に慌てていたせいで気が付かなかっただけだった。怒る気にはならなかったし、西園寺は気さくで一緒にいて気疲れしないし、別荘までの道のりもなんとか過ごせるだろう。彼は車のエンジンをかけながら、まずは車に積んだ様々なジャンルのCDから、麻衣子の聴きたいものを選ばせてくれた。
「あれ?西園寺さんでもアニソンとか聞くんですか?ラベルにアニソンメドレーって書いてある」
「何言ってるの、麻衣子ちゃん、俺は和臣とは違うよ。クラシックなんて聞いたら、寝ちゃうって。運転中にそんなの聴かせないでくれよ。眠くなって危ないからね!」
「じゃあ、このアニソンメドレー聞いていいですか?何が入ってるか書いてないですけど」
「それはね、他のと違って、俺のお気に入りの曲を入れたオリジナルなの。自分で編集したんだ」
「わー、楽しみです!」
「どうしよう?趣味悪いとか言われたら、ショックで立ち直れないかもしれない」
「まさか!あはは!」
「あ、それと西園寺さんはNGね。この旅行で和臣のやつ、雪乃ちゃんに『和兄様』呼びを卒業させて、『和臣さん』とかって呼ばせたいらしいんだ。そのためには俺も『卓兄様』じゃだめだろ?だからそれにつきあって、下の名前で『卓哉さん』とでも呼んでくれる?」
「えっと、はい、卓哉さん」
学院行事や医学部の面白い話を聞かせて笑わせてくれたし、麻衣子の話も聞き出してくれる。こちらが言い出さなくてもタイミング良くトイレ休憩をはさんで、ジュースやアイスをさりげなく買っておいてくれる。麻衣子はいつの間にか心からドライブを楽しんでいた。
『なにこれ!素敵なお兄様とのドライブデート?なんか和臣さんのお仕事に感謝しなくちゃいけないかも?』
昼食を挟んで高原の街についてからは、雪乃達が来るまで時間つぶしをしようと、小さな美術館などを巡り、ちょっとおしゃれな雑貨屋の店先をひやかす。麻衣子が思わず「可愛い!」と叫んで手に取ってしまった可愛いビーズのスマホ用ストラップをさらっと取り上げて、「雪乃ちゃんには内緒ね」とウィンクしながら買ってくれた。麻衣子が『これ、私の初デートの記念の品になるんだね。一生モノの宝物だね』と思って目が潤んでしまったのは雪乃だけでなく、卓哉にも内緒だ。
夕食には、この街の名物で美味しいからとカジュアルなハンバーガーショップに案内され、勧められるままに注文したら、ビックリするほど分厚い肉が挟まったハンバーガーが出てきた。それを、お互いに目を合わせ、大きな口を開けて「いち、にの、さん!」でかぶりついた。二人揃って大笑いだ。味も今まで食べたことなかったほどにジューシーで美味しかった。
麻衣子にとって、最高の1日だった。もっとも、途中、トイレなどの際に卓哉を一人で待たせていると彼は何度も女性に声を掛けられていたし、一度などは一緒にいた時に女性から声を掛けられた。兄妹だと思われたらしい。そんなデート気分をぶち壊すがっかりハプニングはあったものの、皆が声を掛けたくなるいい男といるのだからそれも当然だし、自慢しておけばいいのだ、と思い直した。卓哉との1日は、まさしく麻衣子が夢見ていたデートだったのだ。
ああ、幸せ!こんなデートを体験できるなんて、このまま夏休みが終わっちゃっても私泣かない!もう!卓哉さん、最高!』




