4.目撃
球技大会当日は雲一つない青空だった。佐藤麻衣子はソフトボールに参加の予定だ。どのみち得意なスポーツなどないのだから何に出ようと構わなかったが、日焼けの危険が高いため、本当は一番出たくない種目だった。毎回人数が集まりにくい割に熱烈に希望する人がでるやっかいな競技のため、男女混合が許されている。案の定どうしてもやりたいとごねた男子のために、人数合わせに協力させられたのだ。同じく人数合わせに付き合った野島優太とチームが一緒になったのはいいが、醜態をさらしてしまう恐れも大いにある。波乱の予感を感じながらも準備を怠るわけにはいかない。念入りに日焼け対策を施すために校舎の陰の人気のない場所を選んだつもりだったが、先客がいたらしい。ひそひそ囁き合う声が聞こえた。『こんなとこで逢引?凄いシーン観れちゃう?』と思った麻衣子はつい聞き耳を立ててしまった。
「今日は絶対暑くなるって。見学なんてやめて保健室で寝てろよ」
「見ているだけですもの。辛くなったらちゃんと涼しいところに移動します」
「ソフトボールなんてどうでもいいじゃん」
「テニスの大会だっていつも見に行かせてはくれないでしょう?」
「お前がいつも無理ばっかするからだろうが。いいから言うこと聞けって」
「わたくしだってたまには優ちゃんの勇姿をみたいの!」
「あんまり我儘いうと兄貴にいいつけるぞ!」
見てしまった。野島優太と桂木雪乃ではないか。教室ではあんなによそよそしい二人なのに、なんて親しげな会話だろう。言葉では争ってはいるが、二人の親密さは想像以上だ。カレカノと言われたって驚かない。優太にどなられた雪乃はビクリと固まって、大きな瞳から大粒の涙をポロポロこぼした。それに慌てた優太は彼女の肩を抱き寄せ、心配そうに顔を覗き込みながら慰めようと必死だ。「馬鹿だな。冗談だよ。こんなこと位でいいつけたりしないって。泣くな。な?」と、言葉を尽くしている。麻衣子にみせる優しさとは違う。あれはただの親切心でしかない。雪乃に注がれる彼の視線には溢れるほどの愛情が込められていた。
優太は雪乃の説得を諦めたらしかった。グラウンド脇に現れた雪乃は少しまぶたを腫らしていたが、よくよく見なければ気づかれない程度だったし、実際気づいた人間がいた様子もなかった。だが、その日の陽射しは予想を超えていて、1回表が終わった時点で、外野で突っ立っていただけの麻衣子の背中にも汗が流れるほどだった。先生方が「水分と休憩を多めにとるように」と生徒全体に注意喚起している間、優太はチームを離れて雪乃の所へ向かった。保健室に行くよう告げたのだろう。さすがの暑さに納得したのか、あっさり受け入れた雪乃は、クラスメート数人に付き添われながらグラウンドを後にした。名残惜しそうに何度も振り向きながらとぼとぼと歩く様にいつもの輝かしさは微塵もない。その哀れな姿が麻衣子の胸を締め付けて、駆け寄って雪乃を抱きしめてあげたくなってしまった。優太を見遣れば、思った通り、切なげに雪乃の後姿を目線で追っていた。
『ああ、なんだか、二人の気持ちが手に取るようにわかるよ。野島君はきっとこんな風に雪乃さんを愛おしく思っているんだね。まるでナイトとお姫様だ!くーっ、切ない!』
結局、試合は張り切り過ぎた男子メンバーが捻挫をした為、人数不足から途中棄権となってしまった。優太の雄姿も麻衣子の失態もない、あっけなさすぎる幕引きだった。全体としては熱中症で気分が悪くなった生徒が二人ほど出たが、大事には至らなかったようだ。総合優勝は1年ながら我儘と元気が一杯の1年B組がさらった。表彰式でB組女子たちが大いに盛り上がっていたのをみれば、黄色い声援を受けた男子が張り切らざるを得なかったのだろうとわかる。優勝トロフィーを受け取った希美の顔は憮然としていたけれど。
試合途中でお役御免となったため比較的体力を残して大会を終えた麻衣子は、いつも行くハンバーガーショップに親友、相原希美を誘った。愚痴を聞いてもらえるのかと思って疲れた体に鞭打って付き合った希美だったが、残念ながら今回は話を聞かされる番らしい。麻衣子は熱弁していた。
「周りの期待に応えようと頑張る雪乃さんは、野島君の前でしか弱い自分をみせられないの。そして彼女を懸命に支えようとする野島君。野島君は雪乃さんのナイトなの!嫉妬にかられた悪役クラスメート達は野島君を苛めることで二人の仲を裂こうとしてる。優しい彼女が野島君の為に心を痛めるから、野島君は学校では距離を置くしかなかったのね。ハッピーエンドの為には苛めを止めさせなきゃ!」
「はぁ、なんだかどっかで読んだマンガみたいな展開だね」
熱く語られる幼馴染カップルのストーリーだが、どこまでが目撃情報で、どこからが妄想なのか、最早麻衣子自身にもわかっていない。希美は呆れてため息しかでなかった。
「別に私がヒロインでなくたって、ラブラブな二人を見てればきっと幸せな気分を味わえると思うの。これからは精一杯二人を応援するんだ!」
「どうしてそうなるのよ!」
クラス委員の仕事だけでも大変だったのに、自分のバスケチームが無駄に決勝まで残ったあげく優勝を逃したせいで希美は疲れ果てていた。その上この麻衣子の決意宣言である。体だけでなく心までぼろぼろだ。いろいろ言ってやりたいことはあるが、今は叱りつける元気も残っていない。こんなに疲れ果ててしまって、無事家までたどり着けるだろうか。今日ばかりは親友の突き抜けた無邪気さが恨めしい希美だった。
翌日からさっそく幼馴染カップルを応援することを決めた麻衣子は、優太に加え、雪乃の観察も始めた。優太と雪乃が二人でいる所を見てしまったあとでは、クラスメートと過ごす雪乃も、仲良し4人組で過ごす優太もよそよそしい態度にしか見えなくなった。とりわけ雪乃には、親しい友達がいる様子がない。いつも誰かしらに囲まれてにこやかにしているが、優太といた時のように甘えたり我儘を言ったりすることは決してない。むしろ周りの人間の我儘を引き出して面倒をみてあげるお姉さんのような存在だ。球技大会の種目決めの『魔法』ごときは雪乃にとって日常茶飯事なのだろう。希美は優太が苛めにあっていると言っていたけれど、それが具体的にどんなものなのか見えてこない。クラスの中でなにがどうおかしいのか、よく分からないから何も始められない。希美の言っていたようなクラスメートの嫉妬の気配も感じられなかった。ただ、距離をおいて雪乃を見守っている優太は本物のナイトのようで、麻衣子曰く、『きゅんきゅんするシチュエーション』だ。
『お姉さんみたいな雪乃さんより野島君に甘えてる雪乃さんのほうがずっとずっと可愛いよ。二人の幸せの為に何かしたい!まずは、もっと情報が欲しいな。雪乃さんのことは初等部からのお友達と知り合いにならなきゃわかんないし、そういえば野島君の部活のことも何も知らない。いろいろリサーチしなくっちゃ!』
何しろ気安く話せる友達はたったの3人しかいないのだ。優太本人に聞くわけにもいかない。学院での自分の交友関係の狭さに今更ながら気付かされた麻衣子だった。雪乃が登校しだしてから雑談くらいは出来るようになったものの、手のひらを反すように態度の変わったクラスメートに対しては麻衣子の方が警戒心を消せなかった。2か月たっても仲良くなることが出来ないのだから、初等部からの生徒と友達になることはさっさと先送りにして、テニス部のことを調べることにした。希美は球技大会疲れで休んでいたので、優太の親友、山岸透に教えて貰ったのだが、テニス部は大学と合同練習していて、コートは高等部エリアにはなかったのだ。どおりで練習風景を見ないはずだ。見学したいというと、透が道案内を買って出てくれた。
さすがのお金持ち学校。何面も並ぶテニスコートは驚きの広さだった。その迫力に圧倒されて、透が一緒でなければ逃げ出していたかもしれない。「中等部の3年間に優太に用があって何度か来たことがあるだけで、僕も来るの久しぶりだけど、多分こっち」と言いながら透は高等部がいるだろう場所へ麻衣子を導いてくれた。
テニスはお金持ちの子女に人気のスポーツだと思っていたが、部活で熱心にやるほど夢中になる人は少ないのか、中等部高等部をあわせても10人にも満たない侘しさだった。しかも肝心の優太がいない。透のクラスメートだという男子選手に聞いたところ、優太はいつも大学生と練習しているのだという。来た道を戻りながら、「ごめんね、佐藤さん。僕も知らなかったよ」と例によって困った顔で透が謝ってくれたが、親友とみなされている透でさえそんなものかと思うと、麻衣子は優太の孤独を思わずにはいられなかった。
ようやく見つけた優太は、大学生らしい選手と打ち合っていた。相手選手は、大柄ながら動きは獰猛な肉食獣のようにしなやかだ。力強いストロークで強力なボールを優太のコートに打ち込んでいる。クラスメートの中では逞しいと思っていた優太が華奢に見える。優太の方は、必死に打ち返しながら、チャンスを逃さず攻めていく。スピードが持ち味のタイプのプレイヤーなのだろう。強烈なストロークの応酬に息を呑んだ。初めて生で見る本格的なテニスだった。力を込めた時に発する声、振り抜いたラケットが風を切る音、コートに擦れるシューズの軋む音、ボールが立てるもの以外にも様々な音が聞こえたが、汗が飛び散る音さえ聞こえてきそうなほど、周囲は静まっていた。見回してみれば、他の部員達も動きを止めて二人のプレイに見入っている。希美は優太にとってテニスは「奴の唯一カッコいいとこ」といっていたが、そんなレベルではない。『こんなの、誰が見たってカッコいいと思うに決まってる。感動ものじゃん!』リサーチ目的など忘れ、透と二人、棒立ちで見つめていたが、テニスウェアに交じった制服は目立つ。二人に目をとめた部員の中に透を覚えていた者がいて、声を掛けてきた。
「君、優太の友達だったよね。山岸君だっけ。見学なら、VIPルームに案内するよ?」
なんとコート脇に見学用のVIPルームがあるという。コーヒーなどを飲みながら優雅に見学できるのだとか。見渡したところ、ナイター設備はあるが観客席はないし、大きな大会を開催するように作ったコートではなさそうだ。にもかかわらずそんな設備があるなんて、なんと贅沢な練習場か。
「さっき雪乃ちゃんも来たところだよ。優太の友達なら同級生だよね。話し相手がいて、丁度良かったね?」
『げげっ』という心の声が口から出かけたのをなんとか飲み込んだ麻衣子だった。透には今日の目的は話していない。希美なら目で訴えれば分かってくれたかもしれないが、人間には興味の薄い透では駄目だ。「佐藤さんはお姫様とは同じクラスだもんね」などといいながら、さっさと大学生の後に従ってしまった。それを追いかける麻衣子は荷馬車に曳かれる子牛の気分だった。




