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3.桂木雪乃

 佐藤麻衣子は戸惑っていた。たとえ実を結ばない絵空事だったとしても彼女の気持ちを楽しくさせてくれる妄想が、こと桂木雪乃に関しては、さっぱり浮かばなかったのだ。かろうじて思いついたのは、『野島優太をいじめる悪役令嬢』と『野島優太が好きな女の子』というキャラ設定だったが、どちらにしても、麻衣子にとっていい人とは言い難い。従って、妄想することは早々に放棄してしまったのだが、結論から言うと、『桂木雪乃は天使』だった。


 あの気まずい別れの日から2日後、本人にとっては1か月半の病気療養の後、雪乃が登校してきた。中間試験が目前だったため、学院の空気は何となくどんよりしていたのだが、その日の朝だけは、いつもは整然としている登校時の光景がやけに華やいで見えた。


「ごきげんよう、雪乃様。もうお加減はよろしいの?」

「ごきげんよう、真理恵様。お陰様ですっかり良くなりましたの」


「おはようございます。雪乃先輩。お会いできなくて寂しかったです」

「おはよう。萌ちゃん。お見舞いのお花をありがとう」


「おはよう。雪乃さん。元気になって良かったね」

「三条先輩、ありがとうございます」


「おはよう。桂木さん。無理をせず、大事になさいね」

「おはようございます、高橋先生。ご心配おかけしました」


 誰もが雪乃の復帰を祝って声を掛けたがっているように見えた。そして、その一人一人に品の良い笑顔を振り撒き、丁寧に言葉を返しながらも立ち止まることなく優雅に歩いていく。華奢な体ながら、その存在感は圧倒的で、まさにお姫様だ。雪乃が振り向く度にさらさらと靡く黒髪はつややかで、光り輝いている。真っ白な肌は、病み上がりのせいなのか、お世辞にも血色がいいとは言えなかったが、陶磁器のようにすべすべしているし、目も鼻も口も理想的な形と配置で仕上げられている。


『雛人形か博多人形みたいな子だな。そういえば、以前美術館で見た日本画にあんな美人がいた気がするけど、よく覚えてないや。漫画のキャラなら覚えてるんだけどな』


 たまたま麻衣子は彼女の登校してくる様子を2階にある自分の教室の前の廊下で窓越しに遠巻きに眺めていた。会ったこともないのだから、それが雪乃であるとは知る筈も無い。それでも『あんなに注目される人、入学してから初めて見たけど、芸能人か何かかな』と思う程には今まで見たことのある登校時の風景とは違っていた。その人が何人ものクラスメートに囲まれながら教室に入ってきて、漸くこの生徒が休んでいたクラスメート、桂木雪乃のようだと分かった。


 雪乃は教室の端から、ぐるりと周囲を見渡した。麻衣子に目を留めると、まっすぐに席までやってきて、極上の笑顔を向けながら言った。


「初めまして、佐藤麻衣子さん。わたくし、桂木雪乃と申しますの。健康上の理由から長らく休んでおりましたが、今日からご一緒させいただきます。よろしくお願いいたしますね」


『え?何で私が佐藤麻衣子だってわかるの?初めてなのに。あ、そうか、高校の編入生は私だけなんだっけ。でも、全員の顔って知ってるものなの?それに私の名前は、いつ、誰から聞いたんだろ?』


 考え込んでまた百面相を繰り返すばかりの麻衣子だ。それにしても美人がこちらをまっすぐに見つめながら微笑むことがこんなに威力のあることとは知らなかった。雪乃と名乗った生徒は目を合わせたままで、動かない。麻衣子の返事を待っているらしい。挨拶の言葉も出てこない麻衣子だったが、目を瞬かせながらこくこくと頷いて、かろうじて彼女の言葉を理解したことだけは伝えた。それを返事とみなし満足したらしい雪乃は、もう一度にっこりとほほ笑むと、自分の席に戻っていった。


 何が起きたのか、よく分からなかったのは麻衣子だけだったのだろうか。この一瞬から、入学以来ちっとも馴染んでいなかったクラスメートの態度が激変したのだ。鈍感な麻衣子だから初めは気が付かなかった。だが、クラスメート達は、自然に麻衣子に話しかけるようになった。あんなによそよそしかったのに、「そんなことあったかしら?」とでもいいそうなくらい以前の態度はきれいさっぱり消えてなくなっている。授業の準備などのクラス委員の仕事にも積極的に協力してくれるようになった。なぜか。よくよく考えても、雪乃とのあの邂逅以外に変化を齎すようなものはなかった。


『桂木さんは一体どんな魔法を使ったの?っていうか、そもそもあの人は魔法使いなの?そっか、魔法が使えてあんなに可愛いんだから、きっと天使ちゃんだ!』


 それまで教室にいなかった雪乃が、教室に現れるなりたちまちにしてクラスメート全員の麻衣子に対する態度を変えてしまうなど、麻衣子には魔法としか思えなかった。シンデレラを一瞬でお姫様に変えた魔法使いしか思いつかない。しかし、麻衣子のこだわりからすると、あの容姿は可愛らし過ぎて『魔法使い』と呼ぶのは相応しくないと思われた。それで天使なのだが、麻衣子なりにようやくたどり着いた結論とはいえ、いささか可笑しな発想であっただろう。まあ、天使が魔法を使うのかどうかなどという問題は、彼女の知ったことではない。『妖精』という単語は思いつかなかったのだ。ともかく、麻衣子には『桂木雪乃は人形のような姿をした魔法を使う天使ちゃん』と認識された。


 雪乃自身に対しては好感をもったものの、優太との関係については不明のままだった。優太はクラスのお祝いムードには染まらず、冷静な態度に終始していて、親切な彼がクラスメートの復帰を喜んでいるように見えないのが却って奇妙だ。麻衣子の知る限り、教室で優太が雪乃に話しかけることはなかった。けれども優太がしばしば雪乃を見つめているのは間違いない。休み時間になると、後ろの席の優太を気にしてつい見てしまうのだが、前は良く目があってにっこり笑いかけられて慌てた。しかし、この頃は雪乃を眺める優太を見つけてしまうのだ。誰にでもにこやかに接する雪乃も優太には歩み寄る様子がない。二人の距離はどうみても不自然だった。とりあえず試験が終わるまでは勉強に専念しなければ。親友の相原希美に相談しようと思いながらも、先送りにすることを決めた。だが、もやもやした気持ちのままで試験勉強など、はかどる筈もなかった。


 中間試験のことを清光学院では中間考査と呼ぶらしい。その中間考査はなんとか無事に終わった。心配していた麻衣子の成績だが、どの教科も平均程度で、よくもなく、悪くもないといったところか。捗らなかった試験勉強の割には検討した、と自分を褒めてやってもいいのではないだろうか。それでも入学前は上位に入れると思っていたのだから、希美から話を聞いていなかったらさぞかしショックだっただろう。親友に感謝しなければ。希美が貶していた優太の成績は学年15位。張り出された順位は20位までだったが、それを眺めて顔を顰めていたから、いつもはもっと上位なのかもしれない。それでも、いつもの4人の中では唯一のランク入りだ。麻衣子からしたら、充分高い順位に思える。それよりも驚かされたのは雪乃だ。ずっと休んでいたにも関わらず、ダントツの1位。周りからの賞賛を受けて、「ごめんなさい。入院中暇を持て余してがり勉してしまったの。主治医の先生に教えていただいてしまって、反則だったかしら」と困惑顔であやまっている姿が嫌味にならなかったのは美人故の特典かもしれない。


 麻衣子の中学では中間試験の後の球技大会では皆試験勉強の鬱憤を晴らすべく張り切ったものだったが、清光学院の生徒はあまり興奮したようには見受けられない。出場種目は比較的自由に決められるのだが、自由故に団体競技の人数合わせは面倒だった。消極的な方向に偏ってしまっている皆の希望をどう摺合せたものか悩んでいたら、病み上がりのため見学に決まっていた雪乃が相談にのってくれた。麻衣子曰く『雪乃さんの魔法』のおかげで皆の譲歩も引き出すことができて、係の先生に名簿も提出できた。さあ、いよいよ試験前からの悩みである『疑惑!優太と雪乃の関係』に向き合おう、と決心をしたのだが。待ち合わせ場所の駅前のハンバーガーショップでは、希美からクラスの女子の我儘に対する愚痴を延々聞かされていた。ファーストフード店の美味しくもないジュースは最早氷と水だけとなっている。それでも他にすることもないのでズズズとお行儀悪く音をさせながら、親友の話が終わる時をいつとも知れず待っていた。


「うちのクラスってさ、成り上がりの金持ちの娘がやけに多いんだよね!あいつら、人の都合なんてちっとも考えないからさ、あれはヤダ、これもヤダって、ホント、我儘なんだから。麻衣子はいいよね、雪乃クラスだもの。そんな揉め事、雪乃クラスには縁がないでしょ?」


 4人で話していた時の気まずい空気から、希美が雪乃のことを嫌っているのかと思い込んでいた麻衣子は希美の口から出た雪乃の名前に思わず反応してしまった。


「雪乃クラスって何?」

「雪乃さんと仲のいいお嬢ちゃんお坊ちゃんが皆してクラス分けのとき学校に要望を出すらしくて、A組のメンバーが固定化してんだけど、それを他のクラスの子達がそう呼んでんのよ」

「批判されてるってこと?」

「どっちかっていうと入れなくて悔しくて言ってるんじゃない?だって家柄のいい子達はほとんど雪乃クラスだし。雪乃さん、体が弱いから、面倒のないクラスに入れときたいっていう学校側の都合もあるんだろうけど」


 希美は雪乃を嫌っているわけではないらしい。彼女の登校初日の『魔法』でクラスメートの態度が激変したことを話して希美の意見を聞くことにした。


「私も雪乃クラスのメンバーのことはよく知らないけど、皆、大人しいじゃん?喧嘩もしないけど、基本周りのことにも無関心でさ。それが雪乃さんのカリスマでまとまりっていうか、方向性が決まるんじゃないかな。彼女、親切でいい子だから」

「でも、親切でいい子っていえば、野島君だってそうだよ?カリスマもあると思うんだけどなぁ。なんであんなに扱いが違うんだろ」

「そりゃあ野島は編入生だから一緒にはならないでしょ」


 希美がいうには清光学院には階級があるのだという。最上級が幼稚舎からのメンバー。麻衣子達の学年では全員雪乃クラスにいる、経済力、家柄共に申し分ないお坊ちゃまお嬢ちゃま達で、成績上位者は大抵このランクの生徒だ。2番目に初等部からのメンバー。お金持ちや社会的地位のある家の子供達だが中にはB組女子のように俗っぽい人たちも混じっているらしい。3番目が中等部、高等部それぞれで編入してくる編入生。苛烈な受験戦争をくぐり抜けてこなければならないため、習い事や高額な塾に通わせるのも厭わない教育熱心な家庭の子が多い。学院の社会貢献を目的として募集される奨学生は各学年に2,3人程度で経済的には最下層だが、編入生の中では学力が高いためそれなりに認められている。そのため通常は編入生として一括りと見做されるらしい。3つの階層の家庭環境の差は埋めようがなく、交流はほとんどない。希美曰く「あいつら私たちのこと馬鹿にしてる」らしい。『やっぱりそうなのか、庶民の私は馬鹿にされていたのか』と納得してしまった。


「その馬鹿にしてる編入生がテニスが上手いからって雪乃クラスに入っているうえ、雪乃さんと仲がいいから妬んでるのよ」


 思いもよらない方向から『疑惑!優太と雪乃の関係』の核心に近づいてしまい、麻衣子は息を呑んで希美の次の言葉を待った。


「あの二人幼馴染なんだ。私も何度か二人が一緒の所に居合わせたことがあるけど、ほんとは凄く仲が良いんだよ。それまで雪乃クラスのせいでなんか彼女のこと嫌だなって思ってたけど、優太がクラスで浮いてること気にしてあげてさ、いい子だった。苛めがひどくなんないように学校では距離を置いてるみたい。こないだ試験範囲の件で気まずくなった時あったじゃん。あれって、編入生の麻衣子が雪乃さんに近づいたら麻衣子も苛められるかもって、あいつなりに気を遣ったんだと思うんだよね」


 麻衣子はこんなにあっさり、疑問が解決するとは思っていなかったので、力が抜けてしまった。とはいえ、どこか違和感が拭えなかったのも事実だ。何かが違う。あるいは、何かが足りない。優太の人懐っこい笑顔と「苛め」という言葉が頭の中をぐるぐる廻り、めまいをおこしそうだった。


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