20.パーティ
麻衣子は結婚式の新郎新婦のように金屏風の前で和臣と雪乃がお客を出迎えるシーンを想像していたのだが、ホームパーティにそんなものはないらしい。来賓挨拶も乾杯も特にはなかった。しかし、それにしては豪勢だ。あちらこちらに華やかで値段も高そうな花が飾られ、お祝いの蘭の鉢植えなども並ぶ。高価なシャンパンやワインが惜しげもなく次々と栓を抜かれ、立ち並ぶ揃いのクリスタルグラスに注がれている。テーブルの上の料理は贅沢な食材をふんだんに使っていて、何から食べたものか目移りする。女性達は昼の装いをイブニングドレスに改め、彼女達の肌を飾る宝石がシャンデリアの光を受けて眩いばかり。地味な装いを好みそうな醍醐奈津子でさえ、目の覚めるような真っ赤なドレスだ。まあ、彼女の場合は、母、奈津生の趣味を押し付けられた可能性はあるが。男性陣は濃紺のスーツの優太の父親を除いて黒のタキシードに黒い蝶ネクタイだった。
そんな煌びやかな中でも、メインカップルである和臣と雪乃は他を圧倒する美しさだった。疲れさせないためだろう、雪乃は背もたれと肘掛のある椅子に座り、その横に和臣が添うように立っている。オフホワイトのドレスは花嫁を思わせた。胸元と両腕を立体的なレースで覆い、サテン地のスカートはシンプルなプリンセスラインで、パニエで膨らましてある。座っているため分かりにくいが、ちょこんと白い靴先だけが覗いているのをみると、踝程の長さだろうか。いつもはさらさらと靡く黒髪を纏め上げて小さなティアラを飾っているが、その他に身に着けている装飾品は左手薬指の指輪だけだ。少し離れた場所にいた麻衣子からも大きなピンク色の宝石が輝いて見えた。和臣も主役を意識したのか、黒のタキシードにシルバーの蝶ネクタイとお揃いのカマーバンドを合わせている。髪を撫でつけ、スラリと立ち、貴公子然とした雰囲気にさらに磨きがかかっている。今日は二日酔いに加えて準備に大忙しだったという話だが、そんな気配は微塵も感じさせず、穏やかな眼差しで雪乃を見守っている。入れ代わり立ち代わり寄ってくる人の相手をする二人の様子は、まるで王侯貴族のように優雅だ。ともあれ、服装よりも何よりも、その笑顔が輝いていた。
麻衣子が遠巻きに二人を眺めていて、笑ってしまったのは、和臣の父、東條貴臣と、その父、東條忠臣だった。二人は和臣にまさにそっくりだった。到着するや、冷え冷えとした空気を周囲に撒き散らし、辺りの人間を威圧するかのごとく鋭い視線を投げかける。こんな人達と過ごしたら、麻衣子など、緊張しすぎてげっそり痩せてしまうのではないかと思われた。親子の挨拶もよそよそしいにも程があった。「久しいな」「はい、お変わりなく」「うむ」で終りだ。短すぎる。ところが、雪乃の傍では途端に空気が変わるのだ。やれくたびれてはいないか、飲み物をもってこい、食事は済んだのか、と世話を焼きたがる。あまりの鬱陶しさにいつもは表情を崩さない和臣が憮然としているのがわかった。
『なにあれ!3代揃って溺愛じゃん!雪乃ちゃん、逆ハーレム?!』
奈津生の言っていた「東條の男共」とはこれだったのだと麻衣子は知った。
なんとなく気後れして雪乃達の所へ行けない麻衣子と優太が壁際でデザートを食べていた所に二日酔いからようやく復活したらしい卓哉が近付いてきた。筋肉のついた彼の身体には、黒いタキシードが大層映える。蝶ネクタイの代わりにアスコットタイを結んで着崩しているのもお洒落だった。彼は年上と思われる女性を連れていた。黒のパンツスーツを着ている。中のブラウスはドレッシーな物を合わせているので、女性らしさを失ってはいないが、他の女性が皆ドレスなので、ある意味で目立っていた。髪はピタリと引っつめて、ゴムとピンで留めていて、セレブファッションというよりはビジネスファッションに見える。『今度こそ、お付き合いしてる人かな?奈津生さんといい、年上好き?』と麻衣子は思ったが、そんな事を尋ねる勇気はない。卓哉が口を開いた。
「紹介させてくれ。俺の姉だ」
「え?お姉さん?!」
話を聞いて麻衣子も優太も驚いた。西園寺家の経営する総合病院の分院がこの別荘の近くにあって、姉はそこで内科医をしているのだ。成績の振るわない卓哉が家族から長期にここで遊ぶことを許可されたのは姉に勉強を見てもらうことが条件だったらしい。時々出掛けて別荘にいなかったのは、勉強をしに行っていたからだったのだ。意外だと驚く二人に、姉が冷ややかに言った。
「医者というのは、人の命を預かるのです。生半可な気持ちでなるものではありません。卓哉も人様からは遊んでいるように見られがちですが、やることはやっているのですよ」
『女の子とデートしてるとばかり思ってて、ごめんなさい!』
麻衣子は思わず心の中で謝った。卓哉はちょっと和臣に似た雰囲気を持つ姉が苦手とみえて、彼女が話の輪から離れていくとほっとしたような様子で、いつもの軽口をたたき始めた。
「どうだ、優太。俺の選んだ麻衣子のドレス。エロ可愛くて、最高だろ?」
「麻衣子って呼ぶなって言ったはずだけど」
「お前にそんなことを決める権限はない。麻衣子はどんくさいが、可愛いからな。俺も和臣を見習って、ロリコン趣味、目指そうかと思ってる」
「卓兄!冗談やめろよ!」
「いやいや、前にも麻衣子に言ったけど、結構本気なんだって。な?麻衣子?」
「ぎゃっ!」
『やっぱりロリコンだって思うよね』などと麻衣子が考えていた時、卓哉が彼女の腕を組んで引き寄せようとしたので、不意を突かれた形でよろけてしまった。そこに反対側から優太に腕を引っ張られ、さらにぐらついた。高いヒールのせいで体勢を立て直すことが出来ず、転びかけた所を卓哉に抱きかかえられた。さらにその腕を優太が外そうとして、揉み合いになったその時、奈津生が現れた。ワンショルダーの黒のイブニングドレス姿の彼女は今日もセクシーゴージャスだ。
「あなた、二人の男を手玉にとって、やるわね」
「そんなんじゃありません!」
卓哉が奈津生に挨拶する間に優太が麻衣子を引き寄せたものだから、麻衣子はまたよろけてしまい、「高いヒールなんか履くからだ」と不機嫌な優太に怒られた。「優太は分かってないなぁ」との卓哉の言葉はおそらく買い物の時に言っていた「よろけた女を支える男の役得」とやらを指しているのだろう。
「ねぇ、麻衣子さん、わたくしのデザインした指輪、見て下さった?」
「あの、遠くからは見ました。大きなピンクの宝石ですよね」
「まぁ!近くでご覧にならなければ!博物館に収められてもおかしくないお品なのよ!」
「それってなんか、物凄く高そうですね」
「高いなんてものじゃありません!あれを預かっている間、どれほどわたくしが緊張していた事か!お蔭でほっとして、昨夜はすっかり酔ってしまったわ!」
「え、酔ってた理由って、それだったんですか?」
酔いの理由はすっかり醜態を晒してしまった彼女の照れ隠しであったが、そこで奈津生の宝石談義が一頻り続いた。なんでも、彼女がジュエリーデザイナーを志した切掛けにもなった、博物館級の価値のある素晴らしいピンク・ダイヤモンドなのだとか。東條家に伝わるその指輪を和臣の花嫁に渡すこと望んでいた雪江は貴臣と奈津生に「花嫁さんに似合う指輪にして差し上げて」と託したのだという。雪江が亡くなって以来、銀行の貸金庫に預けられていたのを、和臣と貴臣の依頼を受けて奈津生が加工し直したのだという。麻衣子は、つい、その指輪が博物館のガラスケースに入っているのを想像した。ガラスケースに入った宝石とは和臣にとっては雪乃を意味するものだったはずだ。『ガラス越しの輝きなんかじゃ足りないんだ。手に触れられない宝石なんて、無いも同然なんだ』二人の気持ちを思って、つい口に出していた。
「宝石は、ガラスケースに入ってるより指輪にしてはめた方がきれいですよね」
「あら、あなた、わかってらっしゃるじゃない」
奈津生が破顔した。雪乃を挑発することで発破をかけてきたこの人なら、きっと、ガラスケースに入っている宝石の意味がわかっている。打ち破らなくてはいけないガラスの器の意味が。愛に死ねたら本望と言った奈津生が、どんな恋をしたのか、ちょっと知りたくなった麻衣子だった。その時卓哉がちょうどいい質問をしたので、どきっとしてしまった。
「そういえば、今日はご主人はいらしていないのですか?奈津生様」
「あんな人はパーティにはいらないの!貴臣様のような素敵な殿方ならいざしらず、狸を連れてくる位なら、卓哉とおしゃべりしている方がずっといいわ!若くて美しい男性をはべらせるのが女の若さの秘訣なのよ!」
うろたえて話す奈津生の頬がほんのり赤かったのは、なぜだろう。麻衣子の妄想は掻き立てられる。その百面相をみながら、優太も卓哉も微笑んでいたが、麻衣子が気づくはずもなかった。
『奈津生さんの旦那さんって、勝手に卓哉さんみたいな人を想像してたんだけど、奈津子さんに似てるんだよね。見た目は狸なのかな。それとも中身が狸?まさに『お館様』?でも、赤くなってたのは、ひょっとして「貴臣様」のせい?だとしたら、貴臣さんに憧れてたとか?そういえば、和臣さんはお気に入りだって言ってたし。わぁ、雪江さんと三角関係だったってこと?』
パーティはいつとはなしに、終わっていた。忙しいビジネスマン達は短い滞在で瞬く間に帰って行ったし、年配の女性は疲れて先に客間で休んだものもあった。希美と透は明日の全国模試を受けるのだと言って帰って行った。和臣が手配した車に乗って帰ったので、電車とお金の心配はいらないだろう。醍醐親子も麻衣子に「是非遊びに来なさい」と言いながら帰った。つい了承してしまったが、良かっただろうか。すっかり馴染になった別荘の使用人たちが片づけに追われる横で、麻衣子は庭に向かった大きな窓ガラス越しに空を見上げていた。明るい室内からではちっとも綺麗な星空は望めなかった。後ろから雪乃の声が聞こえた。
「ねぇ、麻衣子ちゃん、夜空を眺めるのなら、お外にでましょう?」
「夜風が冷たいから、外は駄目なんじゃないの?」
「今日くらいいいの。怒られても構うものですか」
雪乃はふふふ、と笑って麻衣子をウッドデッキに連れ出した。
「もっと二人で夜更かししてお喋りしたいって思っていたのに、叶わなかったわ。悔しい」
「そっか、明日で帰んなきゃいけないんだよね。なんか、実感ないな」
「ご一緒してくださって、本当にありがとう。お陰様でとっても楽しかったわ」
「こちらこそ。お世話になりました」
わざとふざけて向かい合わせになって深くお辞儀をして一頻り笑った後、手摺に凭れて並んで星空を見上げながら話した。
「麻衣子ちゃんがいなかったら、言い付けを破ってお外に出ることは無かったわ」
「私のせいで、悪い子になっちゃったんだね」
「そうよ、とっても素敵な悪い子になったの」
雪乃の声は震えていた。泣いているのだ。それからは、もう言葉にならなかった。麻衣子は言葉に出来なかった雪乃の気持ちをわかっている気がした。今、彼女は今までを振り返り、そしてこれからに思いを馳せているだろう。そっと肩を寄せた。パーティで伝えたくて伝えそびれた言葉だけを口にした。
「おめでとう、雪乃ちゃん。良かったね」
雪乃は頷きだけで返した。しばらくそのまま寄り添って星を眺めていたが、心配性の和臣が毛布を持って出てきて、それに優太も付いてきていた。毛布ごと雪乃を抱きしめた和臣が苦しげに告げた。
「言い付けを守らない雪乃がいい。外に出る勇気を持った雪乃が。だが無理はしないという約束だけは守って欲しい」
麻衣子と優太は目を合わせてから、そこを離れた。恋人たちの邪魔をしてはいけないと思ったからだったが、それと同時に二人になりたかったのだ。優太がここに来た日と同じようにランタンを持ってピクニックテーブルに来ていた。ベンチに並んで腰かけた時、麻衣子がクシュンとくしゃみをしたので、優太が自分の上着を脱いで照れながら彼女の肩に掛けてくれた。そして彼はそのまま彼女の肩を抱き寄せ、こてんと頭を合わせた。
「雪乃ちゃん、綺麗だったね」
「そうか?俺は麻衣子しか見てなかった」
「やだ、照れちゃうよ!卓哉さんみたいなこと言わないで」
「卓兄の名前だすなよな。麻衣子のこと、エロ可愛いとか本気だとかいいやがって、むかつく……」
「いつもの冗談だよ。笑い飛ばしとけばいいのに」
「どうだか!……けど、まぁ、振り回されるのは、悔しいな」
麻衣子は『やきもちを焼いてくれるのは私の事を好きだってことだよね』という言葉は口にしなかったが、顔がにやつくのを抑えられなかった。彼女が卓哉の名前を出すなり、機嫌を悪くし、そんな自分自身に不服な優太。照れたり、怒ったり、笑ったり、わかり易い表情をみせる優太なら、麻衣子にも『好きでいて貰える自信』が持てる気がした。
「それにしても、兄貴はなんであんなに急いで婚約したのかな。そのままの雪乃でいい、って言うんなら、雪乃が大人になるまで待っていてやればいいと思うんだけどな」
「雪乃ちゃんが大人になりたがってたのは二人の関係に不安があったからでしょ?安心させてあげたかったってことじゃないの?」
「そんなもんか。……なぁ、俺達はのんびりやろうな」
「うん。私達らしくね」
「まずは第1歩な」
そういって、優太が顔を寄せ、麻衣子の唇に自分のそれを重ねた。そっと、触れるだけのキスだった。その後二人は、互いに初めて会った時のような顔で見つめ合っていた。優太の人懐っこい笑顔と、驚いた麻衣子の百面相。だが、その胸に抱いている思いはあの時とは違っている。少しずつ大人になろう。焦らずとも、寄り添って並ぶ二人の間には隔てるガラスはない。優太は、いつまでも恥ずかしがって百面相を続ける麻衣子を、照れ隠しのためにわざと少し乱暴に抱きしめた。互いの熱を分け合う二人に満天の星が降り注いでいた。




