2.親友
佐藤麻衣子の高校デビューは、始まりこそ大興奮で妄想炸裂だったが、彼女の期待した漫画やライトノベルばりのドキドキの高校生活はそう簡単には手に入らない。入学式で出会った野島優太のようなスポーツマンタイプはクラスには他にいなかった。いかにも神経質そうな見た目の男の子ばかりで、会話に聞き耳をたてても麻衣子には理解できない小難しいことを話している。麻衣子のような庶民には関心がないのか、話しかけてくるどころか、ほぼ無視だ。
『転校生って、新しい恋の始まりのお約束かと思ってたけど、あの人たちは恋愛には興味がないのかな?それともお坊ちゃま達は小さい頃からの婚約者とかがいて、お相手を探す必要がない?』
麻衣子に興味がなさそうなのは女子生徒も同様だった。分からないことを質問すれば答えてはくれるが、会話は続かない。時には冷ややかな視線すら感じる。他のクラスメート同士では仲良くおしゃべりしているのだから、これはひょっとしたら苛めってやつなのだろうか。別に意地悪されたりといった実害はないが、疎外感に戸惑ってしまう。優太も同様の扱いを受けているように見えた。彼は中等部からの編入といっていたけれど、編入生はみんなこのような扱いを受けるのだろうか。とりあえず気安く挨拶を交わせる生徒は優太しかいない。他の生徒の会話も静かなものだし、中学時代の騒がしさが恋しくなってしまう。あの頃に戻れたとしたら、とつい妄想した。
『ま、タイムスリップして中学時代に戻っちゃったら、三つ編みメガネのガリ勉女で、やっぱりクラスメートにほっぽかれてるけどね。あれ?タイムスリップって、そんな話だったっけ?んー、まあいいや。どうせタイムスリップなんて、出来ないんだから』
ゴールデンウイークが明けてもクラスに馴染めた気のしない麻衣子だったが、委員会ではあっという間に親友と呼べる友達ができた。「委員会では友達が作り易いから」と言っていた優太のアドバイスは的確だったといえる。高等部1年B組のクラス委員の相原希美。少し釣り目の、きつめの印象の美人だ。細身のレンズのメガネが良く似合っていて、『コンタクトにしないでメガネをしていて欲しいな』と、麻衣子は勝手に思っている。短めのおかっぱ頭は黒く、真っ直ぐで、口の悪い彼女は自嘲気味に「ヘルメット」と呼んでいる。それはあんまりだとフォローしようとして、「ワカメちゃん」と言ったら「刈り上げてはいない!」と怒られてしまった。かわいいのに。背は女子にしては高めだが、運動はしていないからか細身で、小柄でぽっちゃり気味の麻衣子と並ぶと体型の違いが際立ってしまう。中学時代はがり勉でならしたものの本来は夢見がちでのんびり屋の麻衣子と外見に違わぬ性格で口調も辛辣な希美。クラスは違っても休み時間には年中一緒にいる二人は学院の中ですぐに凸凹コンビとして認知された。
二人は時々駅前のハンバーガーショップに寄り道をする。そこでジュース一杯でとことんおしゃべりをするのが奨学生の二人の唯一といっていいレジャーなのだ。庶民の憩いの場では学院の生徒に出くわす心配もなく、遠慮もいらない。学院内では例えカフェテリア(希美は「学食」と呼ぶ)であっても皆静かに会話するので、興奮するとつい声が大きくなる二人は白い目で見られてしまう。「図書館じゃあるまいし」と、どこ吹く風の希美は、麻衣子がおどおどと周囲を気にする様子を堪らなく可愛いと考えている。かえってそれが見たくて話を煽る位だ。だが、人に聞かれたくない話はそうはいかない。そういう時にハンバーガーショップなのだ。まして今日の話題は野島優太の事であるので、なおさらだ。今週2度目の来店で、既に定位置になりつつある2階席の隅に場所をとった。
希美は優太と同じ中等部からの編入で、彼のこともよく知っていた。人の感情に敏い彼女は、わかり易すぎる麻衣子の態度から優太への好意をすぐに感づいて、二人の仲を取り持ってやろうかと思っている。クラスメートと馴染めずにいるのは希美も同様で、麻衣子と過ごす時間は彼女にとって貴重な息抜きの時間だ。優太に関する情報の提供者でもある自分は、たとえ恋愛経験皆無であっても、偉そうにレクチャーしたり、麻衣子を多少からかったとしても許されるだろう、と考えていた。
「麻衣子はラッキーだったわね。野島優太の情報なら私も結構持ってるから、知ってることは教えてあげる。」
「嬉しい!さすが希美ちゃん!」
希美の少し意地悪な気分にちっとも気づかない麻衣子は大喜びで、何から聞き出そうかと興奮しきりだ。
「あのね、テニス部だってことは分かったんだけど、中学の時とか、活躍してたのかな?」
「ああ、奴の唯一カッコいいとこよね。テニスしてるとこ」
「へ?唯一って??」
「中等部3年のときに全国大会でベスト8に入ってるわよ。まぁ、本人はベスト8くらいじゃテニスでは食べてはいけないから、大した意味はないって言ってたけど」
「それって十分凄いと思うんだけど…それより唯一って……」
「だってあのテニス馬鹿はこの学院の生徒が大抵こなすことをほとんどできないんだよ」
「例えば?」
「楽器とか出来ないし、音楽以外の芸術の素養もゼロ。スポーツだってみんな数種類こなすのに奴はテニス一辺倒。テーブルマナーもなってないし、社交ダンスの時間なんて最悪だったよ」
「ええっ?私どれも出来ないんだけど!それにあのクラスメート達が運動出来るとは思わなかったよ」
「ハイソな人には体調管理も大事なんだとさ。お付き合いもあるしね。でも、奨学生には学力以外は誰も期待してないよ。私もあんたもそう。でも、野島の奴は違うから」
優太も奨学生だとばかり思っていた麻衣子は彼の家庭について知っていることがあるなら教えて欲しかったのだが、「奴は違う」と言った時に希美の顔に影が差したようにみえて、そこを突っ込んで聞くことは出来なかった。情けない顔になってしまい、気落ちしたことが希美にすっかりばれていた。
「でも、成績はいいんでしょ?生徒会役員やってるくらいだし」
「何言ってんの?この学院では生徒会とか委員会は成績の悪い生徒がやるもんなんだよ?」
「嘘っ?!」
「ああ、あんたはそこら辺まだ知らないのか……」
希美は麻衣子の知らなかった学院の常識について教えてくれた。奨学生の優秀な成績で進学実績を伸ばし、学校の名を上げるという私立学校によくある戦略はこの学院では通用しないという。そもそも清光学院で生え抜きの生徒たちはそんな奨学生に頼らなくても、東大でも海外の名門大学でも行けるらしい。良家の子女は基本家庭での教育が行き届いており、総じて学力も高いのだ。成績が良いと思われがちな奨学生ですら彼らには届かない。その為、救済措置として委員会活動や生徒会活動で内申点を与え、漸く彼らは肩を並べることができる。特に、成績を保たないと学院にいられなくなる奨学生には切実な問題で、必然的に生徒会活動に関わらずには済まなくなる。そもそも生徒会や委員会の仕事は雑用がほとんどで、習い事や家の都合で忙しいお坊ちゃまお嬢ちゃまにそんなことをしている暇はないのではないか、というのは希美の個人的見解だ。
「じゃあ、皇帝とも呼ばれる憧れの生徒会長様っていうシチュエーションはないの?ドS鬼畜メガネの副会長は?生徒会権限でヒロインをいじめる悪役を懲らしめることは出来ないの?」
「麻衣子、あんた、漫画とラノベに毒されすぎ!」
希美は息が苦しくなるほどに腹を抱えて笑った後、しょんぼりした麻衣子を見て良心が咎めたのか、珍しく優しい声で付け加えた。
「わたしの中等部編入と入れ違いに高等部を卒業した先輩に麻衣子が憧れてる生徒会長みたいに素敵な人がいたらしいけどね。その人でも生徒会長ではなかったらしいよ。残念ながら私の知る限りでは麻衣子の夢見ているような王子様はこの学院にはいないよ」
希美は、意地悪をして嘘をついたことを少し後悔していた。素直で無邪気な麻衣子がみせる反応が新鮮で、からかうのが楽しくてついた小さな嘘だった。実は野島優太は編入生としては、それほど成績は悪くない。むしろ持ち上がり組と対等に渡り合える、数少ない編入生だ。ただちょっと麻衣子が優太を理想化し過ぎている事を茶化してやりたかっただけなのだ。とはいえ、クラスでの疎外感から捻くれてしまったのか、『まぁ、いずれ定期テストで順位が張り出されれば分かることだから、訂正するほどではないよね』と思ってしまう程には、素直になれない彼女であった。希美は優太のちょっとした事情を知っており、同情しないこともなかったので、この無邪気な親友が、彼の心を癒してくれればいいな、と期待したのだった。
清光学院の高等部は3クラスあるが、クラス委員の最後の一人、1年C組の代表は中等部編入の山岸透という奨学生だ。実は優太の親友である。希美とも親しくしており、学院の愚痴を零し合う数少ない同志の一人だ。これまで勉強ばかりしてきたらしく、優太と反対に色白、がりがりで、メガネをかけている。これで性格が悪ければ麻衣子が言うところの鬼畜メガネの副会長の候補者だが、獣医をめざしているという彼は文字通り虫も殺せない人間だ。いつも困ったような微笑みを浮かべていて、頼りない印象さえある。
希美を通じて透と知り合った麻衣子には、優太に近づくためという下心は否定できないが、そこは奨学生仲間、すぐに打ち解けた。むしろ、恋愛感情が邪魔をしないせいで気楽に話せる分優太よりも親しくなってしまった感がある。だとしても、透と親しくしていると自然と優太と一緒になる機会は増えるのだから有難いことだ。今も高校生には豪華すぎるのではと思える図書館の談話スペースで、一緒に中間試験の範囲の確認しているところだ。一人ひとり仕切られている勉強スペースには静かに勉強をする生徒がちらほらいたが、ここにいるのは4人だけだった。ガラス張りの広いスペースに、大きな丸いテーブルを囲んで、それぞれに椅子が4つずつ置かれたセットが10個近くあるだろうか。なんとも贅沢な空間のど真ん中で、ハンバーガーショップで過ごす時のように周りを気にせず駄弁っている。だが、試験範囲よりも麻衣子が気になっているのは奨学生に求められる成績のことだ。事前の説明では成績の振るわない生徒には奨学生担当の先生から注意があると言われている。退学になった前例はないそうだが、「油断はできないぞ」と脅された。麻衣子としては気が気じゃない。
「ねぇ、希美ちゃん、奨学生はどれくらい成績とらなきゃいけないの?」
「そうね、私達はクラス委員もやってるわけだし、真ん中へんをキープしとけば学校辞めさせられることにはならないかな。ノルマがあると辛いよね、野島と違って!」
「なんか俺だけ除け者みたいな言い方すんなよ。相原」
「奨学生じゃない奴は、学院を辞めさせられることないんだし、除外されて当然よ」
「え?優太って、奨学生じゃなかったの?」
「透、お前本当に俺に興味ないな。飼育小屋のウサギの体調は誰より知ってるくせに」
「山岸は野島だけじゃなくて、人間に興味がないのよ!」
初めての定期試験に、麻衣子は緊張しまくっていた。希美から奨学生の成績は振るわないという話を聞かされて以来、自分の実力を信じられない。今のところなんとか小テストでは平均点程度は取れているが、定期試験となれば話は別だろう。出来れば、「この4人で勉強会でもしませんか」と提案したいところなのだが、麻衣子は言い出しあぐねていた。優太のことを好きな気持ちを透に気付かれるのも嫌だ。そもそも優太を意識してしまうとつい黙りがちになって、存在感が薄れる傾向にあるのだ。そんな時、しばしば透は麻衣子を取り残して、以前そうだったように三人で話し出してしまう。動物相手には最大限の気配りを発揮する彼だが、人間相手では興味が削がれてうっかり不用意な発言をしてしまうのかもしれない。
「そういえば、お姫様はまだ戻ってこないの?中間に間に合わないと進級やばいんじゃないの?」
以前希美が王子様はいないと言っていたけれど、お姫様がいるという話も聞いたことがなかったから、麻衣子は思わず『どういうこと?』と希美に目線で問いかけた。いかにも気まずそうな顔をした希美だったが、自ら説明をする気はないのか、唇はきゅっと結んだまま開かなかった。優太はそれを一瞥し、ため息を漏らした後、麻衣子に向かって話しかけた。
「佐藤さんは知ってると思うけど、うちのクラスに4月からずっと休んでる子がいるよね」
「ああ、桂木雪乃さんだっけ?」
「そう。透が言うお姫様ってのはその桂木雪乃のことで、彼女、しばらく入院してたんだけど…」
ここで漸く余計なことを言ってしまったことに気付いた透はいつもの困った顔をさらに歪ませて希美に向かって唇だけで『ごめん』と告げた。希美も声にはしないで『バカ!』と返した。優太の次の言葉は透の質問への返答だった。
「昨日退院したんだ。中間試験には多分出てこられるよ」
長期に休んでいる桂木雪乃のことはクラス委員として気になっていたものの、担任も含め、クラス中の誰もその話題に触れなかったため、不登校か何かなのだと思っていた。皆当たり前のこととして受け入れているように感じられたし、自分の通っていた中学にそういうクラスメートがいたこともあって、深く考えたことはなかった。『それにしても、昨日の退院をさっそく知ってるなんて、野島君て情報早いんだな。さすが生徒会!』と思っただけだった。妄想は得意なのに、詮索は苦手な、素直すぎる麻衣子だ。
「そっか、入院してたんだ。なら、試験範囲のこととか、クラス委員として、教えてあげたほうがいいよね」
「いや、それは俺の役目だから、佐藤さんは何もしないで!」
強い口調でそう言われ、麻衣子は思わず小さく飛び上がり、縮こまってしまった。親切で温かい人柄の優太が初めて使った厳しい口調で、さすがに鈍い麻衣子でも何か事情があるのだとわかってしまう。希美と透もすっかり黙り込んでいる。いったい桂木雪乃とは、優太にとってどういう存在なのか、問い詰めたいけれど、知り合ったばかりの自分にはその資格がないのかもしれない。
結局、気まずい雰囲気を引きずったまま、場はお開きとなった。編入組の4人なので駅までは歩いて一緒に帰る。楽しいはずの道のりが今日は苦しい。別れ際、透に「ごめんね」と言われたが、何に対する謝罪なのか尋ねる気にはならず、睨むだけにしておいた。ただでさえ試験のことで憂鬱なのに、なんだか泣きたい気分だ。『ああ、勉強会のこと、言い出せなかったなぁ。あのタイミングであんな話題持ち出した山岸君がいけないんだからね!』と、透が悪いことなんてないと分かっていながらも、心の中で、つい八つ当たりをしてしまった。




