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18.酔い

 半日デートを楽しんだ佐藤麻衣子と野島優太は、彼らを迎えに来てくれた西園寺卓哉とその連れの女性、醍醐奈津生と、揃って卓哉の運転するスポーツカーで東條家の別荘に向かった。4人が別荘に到着した時には、出掛けている東條和臣はまだ戻っておらず、桂木雪乃と別荘の使用人が出迎えた。雪乃は奈津生とは旧知の仲らしく、少し驚きながらも、「お久しぶりです、奈津生様。ようこそお出で下さいました」と歓迎した。来ると聞いてはいなかったようだ。奈津生は勝手知ったる様子でピンヒールをかつかつ鳴らしながら屋敷の中に入って行った。皆それに付き従うようにしてリビングに進む。


「お酒はカルヴァドスをいただくわ。シャンパンとワインはもうたくさん!雪乃さん、何か音楽を掛けて頂戴。卓哉、和臣が帰って来るまで付き合いなさい」

「はい、はい、奈津生様」


 奈津生の言葉を受けて使用人はバーコーナーに入って準備を始め、雪乃はオーディオ機器の操作をし、卓哉は彼女をエスコートして、広いスペースへと導いた。奈津生は既に酔っているのか、いきなり卓哉と二人、身体を思いきり密着させてムーディーな音楽に合わせて踊り出した。麻衣子も優太も付いていけず、茫然自失だ。


『みたい、じゃなくて本物だった!あれはまさに鞭を持って男をヒールで踏んづける女王様だよ!ヤダ、私そっち系の漫画とか詳しくないんだけど、どういう展開が待ってるの?』


 ダンス音楽のための音響操作を終えた雪乃が戻ってきて言った。


「奈津生様がいらっしゃる時はいつもこんな調子なの。あまり気になさらないでね。今日のお話を伺ってもいいかしら?」


 気にするなと言われても、ちらちら見てしまう。リビングのソファに3人で座って話を始めたものの、麻衣子も優太も気もそぞろだ。雪乃の「まぁ、あの遊歩道に二人だけでいらっしゃるなんてずるいわ」などという苦情も気にしている暇もない。こんな状況では麻衣子としても雪乃に優太と付き合うことにした事を報告したくなかったので、後にしようと決めた。それにしても奈津生のあまりの傍若無人さに驚いて、つい彼女の素性が気になってしまう。麻衣子がそれを尋ねようとしたとき和臣が帰ってきて、会話は途切れてしまった。


 和臣が戻ってきた事に気付いた雪乃はゆっくりとした彼女らしい優雅な動作で彼を出迎えに行こうとしていた。和臣の方も真っ先に雪乃に目を遣り、にこりと微笑みかけていた。麻衣子も優太も恋人同士の挨拶がされるものと思っていたその時だった。雪乃の脇をすり抜けた奈津生が和臣に抱きついた。


「遅かったじゃないの、和臣!待ちかねたわ!」

「ああ、奈津生様、お待たせしてしまって、申し訳ありません」

「ほんとよ!さ、踊りましょう!」


 麻衣子も優太も、卓哉さえもが呆れてそれを眺めていた。雪乃は立ち竦み、その顔はすぐにも泣きそうだ。和臣もそれに気付いたのか、奈津生に引き摺られるように歩きながら、肩越しに雪乃を見遣っていた。眉を下げ、申し訳なさそうな顔だ。奈津生は他の人間などには構わずさっさと和臣と踊り出した。卓哉と踊った時以上に密着しているような気がする。二人の囁き交わす会話の中身が雪乃でなくても気になってしまう。


「やっとお役御免だ。奈津生様お気に入りの和臣がいれば俺は用無しだからね。雪乃ちゃん、気を悪くしないでやって。今日は奈津生様、いつも以上に上機嫌なんだよ」


 そう言いながら、卓哉が麻衣子達のいた場所までやってきて、ソファに座った。声をかけられた雪乃はといえば、顔を歪めて卓哉を睨んだ。泣く直前の子供の様なその顔には彼女の心情がこぼれ出ていた。いつもお嬢様然として穏やかな彼女には珍しいことだが、麻衣子はVIPルームで見たことがあった。あの時も、その甘えともいえる感情を向けた相手は卓哉だった。麻衣子は思った。


『なんだかんだいっても、卓哉さんって女性の気持ちをよくわかってくれるものね。素直になれる気持ち、私もわかるな』


 結局、席を離れたものの目的を果たせずにソファに戻ってきた雪乃は、和臣と奈津生が踊る姿を恨めしそうに見つめていた。そして、彼女を知る誰もが驚くだろう言葉を呟いた。


「あの方は嫌いです。和臣さんをいつも独り占めしてしまうのだもの……」

「そう言うなよ。今夜は嬉しくて酔ってるんだ。許してやって」

「あの人は、いつも、わたくしを除け者にするの。わたくしは子供だって、そう言われているようで嫌……」


 雪乃の声はだんだん小さくなり、二人を見つめていた視線もどんどん下がり、ついに俯いたまま黙り込んでしまった。泣いているようだった。少し離れた位置に座っていた卓哉が雪乃の隣に場所を移し、彼女が膝に乗せて震えんばかりに握りしめていた両手を大きな掌でトントンと優しく叩いた。『分かっているよ、辛いね』という慰めの仕種だったろう。麻衣子の耳に優太のため息と彼の小さな囁きが聞こえた。


「この頃は見なくなってたけど、雪乃はよくあんな顔してたよ。兄貴に置いて行かれるといつも。そっか、兄貴が傍にいなかったから見なくなっただけなんだな。あいつ、ホント泣き虫で甘ったれだからな」


『雪乃ちゃんって、大人と子供を行ったり来たりしてるみたい。クラスではお姉さんみたいで大人、卓哉さんの前では小さい女の子、私の前にいる時がきっと素の雪乃ちゃんなんだろうな。和臣さんの前ではどうなのかな?全部だったりして?自分の前で無理しないで、自然で居てくれるって、嬉しいよね。お互いにさ。私と優太君の関係みたいに?きゃっ!』


 アンバランスな雪乃を切なく、愛おしく思いながらも、デートの余韻に浸る麻衣子だった。優太は隣で、「あー、また妄想してる」と呟いていた。


「くたびれたわ!ダンスはおしまい!」


 ダンスは飽きたらしい奈津生は酔っ払いらしくどさっとソファに身体を投げ出して座った。すかさず彼女が最初にオーダーした「カルヴァドス」なるお酒がブランデーグラスで供された。それには礼も示さず、次なるオーダーを和臣に告げる。


「ねぇ、和臣、あなたのピアノを聴かせて頂戴?」

「ピアノですか?暫く練習していないので、奈津生様にお聞かせするには力不足かと」

「そんなことは構わなくてよ。あなたのピアノが聴きたいの」


 ゆっくりとソファに寄ってきていた和臣は、卓哉とは反対側の雪乃の隣に座った。彼女の顔を自らの両手で包んで上向かせ、親指で涙を拭い、甘く囁いた。


「久しぶりのピアノが心細いな。だが、雪乃が一緒なら弾けそうだ。ご機嫌を直して手伝ってくれるか?」

「まったく!相変わらず甘やかして!そんなことでは連れて行けないわよ!」


 奈津生の叫びと共に酔っ払いの御託が始まった。甘ったれた女とそれを甘やかす男どもは我慢がならない。このご時世、女だってビジネスに参加しなければ、世界に後れをとるのだ。能力のある人材だっているのに、活かしきれていないのはけしからん。実際、奈津生はジュエリーデザイナーでバリバリ仕事をしている。欧米の女達と互角に渡り合ってそれなりに評価を得ているのだ。


「女だって男を振り回すくらいでなければ、やっていけないの!雪乃さん、和臣と一緒になるのでしょ?いつまでも守ってもらっているようでは、足を引っ張ることになりかねないじゃない!わたくしの和臣をさらっていくのだから、しっかりして頂戴!」


 特に東條の男共は女をなんだと思っているのか。閉じ込めて可愛がっていればいいというものではないだろう。命を削ってまで子供を産ませるのは忍びないなど、女の幸せを全然分かっていない。


「愛に死ねたら本望じゃないの!」


 そう叫ぶと、奈津生はテーブルに伏して大声で泣き出してしまった。酔っ払いの話とはいえ、何がなんだかよく分からない。経済の話題のはずだったのに、愛に死ぬってどういうことだろう。麻衣子は優太と顔を見合わせてしまった。和臣が説明してくれた。


「奈津生様は義母の親友だからね。父と義母のことだよ」

「ええっ?!」


 麻衣子と優太の驚く声が重なった。


 和臣によれば、醍醐奈津子の母である奈津生は和臣の義母、雪江の親友で、身体の弱い彼女を心配する

あまりに外で和臣を作った父、貴臣に腹をたてているのだ。それでも雪江は日に日に父に似てくる和臣を愛したし、和臣も彼女を慕った。死の間際、和臣をよろしくと言った親友の気持ちを汲んで奈津生はずっと和臣に目を掛け、彼の幸せを願ってきたのだという。


『醍醐さんのお母さん?お姉さんじゃなくて?嘘!女王様じゃなくて、美魔女だったんだ!』


 麻衣子の驚きを余所に、奈津生の暴走は続く。ピタリと泣き止んだかと思うと、むっくり起き出し、また新たに命令する。腕を大きく振り回しながら何かを指さす動作をしている。


「アレはどうしたの!アレは!卓哉、早く持ってきなさいな!」

「や、まずいでしょ、奈津生様。和臣にだって段取りってものがあるんだから」

「何を言っているのよ。急がされて、苦労して仕上げたのですからね!ほら、出して来なさいな!」


 言い募る奈津生に卓哉も和臣も困惑気味だ。だが、酔っ払いには逆らえないと思ったのか、和臣が立ち上がる。「持ってくる」「いいのか?」と小声で会話した後、卓哉に向けて力強く頷いた和臣はリビングを出ていった。奈津生はまた泣き出している。今度は叫んではおらず、切なそうな表情だ。


「見届けるんだから。あの娘の代わりに……」


 麻衣子と優太は驚いておろおろと3人の動作や会話に視線を彷徨わせていたが、雪乃はというと、微動だにしていなかった。彼女は混乱していた。情けないことに泣いてしまい、和臣がピアノに付き合ってくれと言った所までは理解した。だが、奈津生は何と言ったか。「連れて行けない」「一緒になる」とは、どういうことだろう。何をさしているのか。理解できない。不安だ。和臣に聞かなければ。雪乃がそこまで思案を巡らせたとき、その和臣がリビングに戻ってきた。


 和臣はその手に、真っ白なレースに覆われた小さなケースを持っていた。それを持ってソファに座る雪乃の前で両膝をついて跪いた。ケースの蓋を開け、雪乃に差し出す。雪乃は目を見開いた。


「この滞在中に、雪乃が僕を和臣さんと呼べるようになったら、ご褒美をあげると言ったね。これがそうだよ。義母の形見の指輪を奈津生さんがデザインし直して下さった。今はまだ約束だけだが、これを雪乃に受け取って欲しい。」


 全員が息を呑んで和臣の次の言葉を待った。雪乃は既に泣いている。彼は祈るように問う。


「雪乃。僕と結婚してくれる?」

「はい」


 震える声で、しかし雪乃はしっかりと返事をした。答えを予期していたからなのか、皆が見守る中、和臣は淡々とケースから指輪をとり出し、雪乃の左薬指にはめた。そして、静かに雪乃を抱きしめ、諭すように告げた。


「無理に大人になろうと焦らなくていい。そのままの雪乃を愛しているよ。一緒に幸せになろう」


 抱きしめられながら、雪乃もまた静かに頷いた。

 皆が感動の余韻を楽しもうとする中、泣いているとばかり思われていた奈津生がまたもや騒ぎ出した。酔っ払いは訳が分からない。


「ピアノよ!ピアノ!和臣、弾きなさいな!」


 それからはまさに祝宴だった。楽器を持ち出してきた雪乃がヴァイオリンを弾き、和臣が伴奏した。

「久しぶりだから、許してくれ」と言い訳していた和臣だったが、素人の麻衣子の耳にはCDかとまごうばかりの素晴らしさだった。陽気さを取り戻した奈津生がウィンナワルツをリクエストし、卓哉を誘って踊り出す。優太と麻衣子までも借り出されたが、相原希美が言っていたように優太の社交ダンスは上手くはなかったので、二人のダンスは笑いを誘った。卓哉が「麻衣子、俺がダンスを教えてやる」と言い出し、優太と揉み合いになった。浮かれた気分に流されたのか、優太が卓哉に「卓兄は今後、麻衣子と呼ぶな。彼氏として許すわけにはいかない」と宣言したものだから、そこからまた大騒ぎだ。優太は卓哉にさんざん叩かれ、からかわれ、麻衣子は雪乃に抱きつかれた。


 皆が幸せな気分のまま夜は更けて行った。誰もが、プロポーズの余韻に酔っていたのだった。

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