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17.青空

 佐藤麻衣子とそのクラスメート、野島優太と桂木雪乃が優太の異父兄、東條和臣の告白を涙ながらに聞いた夜が明け、朝になっても、雪乃の熱は下がらなかった。和臣も午後に用事が出来たというので、テニスはお休みにして、乗馬を練習することになった。急な変更だったため調教師の馬場が来られず、麻衣子も優太と一緒に和臣に指導して貰った。それにしても、本当に容赦なかった。言われたことをこなすことすらままならない。10日以上も乗っているのに、今まで何をしていたのか。いつもより短い時間にも係わらずくたくただった。和臣のシゴキに慣れているらしい優太は馬を降りながら「今日は麻衣子のお蔭で楽勝」などと賜った。「これが楽勝?!」麻衣子は叫びを抑えられなかった。それに対して和臣は「遠慮したつもりだったが、きつかったか?」と不思議そうだ。なんとも恐ろしい兄弟を顰め顔で睨みながら、麻衣子は思っていた。


『昨日の夜は仲良くしたいって思ってたけど、こんな厳しい人と仲良くなるのは無理!』


 午後になって和臣が出掛ける支度をしている時にひと悶着あった。漸く熱の下がった雪乃が階下に降りてきて、和臣の不在中は「私が麻衣子ちゃんをおもてなしする」と言い出した。また熱がぶり返すことを心配した和臣の説得もきかず、困った彼の苦肉の発案だった。


「僕が車で送るから優太と麻衣子さんで遊びに行っておいで。雪乃は留守番だ。帰る頃には卓哉が戻っているはずだ。僕から迎えを頼んでおく。卓哉に連絡がつかない場合は、タクシーで戻って来い」


 最後は優太に向けて言って、タクシー代と称したかなり多めのお小遣いを彼に託した。雪乃を安静に過ごさせるために、要は別荘を追い出されたのだ。こうして思いがけず、優太と麻衣子が半日高原デートをすることになった。


 嬉しくて乗馬の疲れも吹き飛び、大急ぎで着替えをして和臣の車に集合したのだが、優太の視線が妙に険しい。麻衣子が西園寺卓哉と買い物をした時に買った自分ではなかなか似合っていると思うコーディネートなのだが、どこかおかしかっただろうか。大柄でトロピカルな花柄のサマードレスはセレブっぽくて気に入っているが、少し丈が短かっただろうか。露出が激しい肩のあたりは生成りの短い丈のボレロでさりげなく隠した。ウェッジソールのサンダルはリゾートファッションの定番だし、斜め掛けした小さなポシェットは可愛いがスマホとハンカチ位しか入らず今日使わないとこの先ずっと出番がなさそうなので外せなかった。甘くなり過ぎないようにと考えて、麦わら素材で小ぶりなちょっとマニッシュな帽子を合わせてみた。帽子の組み合わせがおかしいのか。短い時間で慌てたせいで、何か間違ってしまったのか。自分の服装を見直しながら、百面相をして、右に左に小首を傾げる。そうする間に不機嫌そうな表情になっていた優太が渋々と言った様子で口を開いた。


「それ、卓兄が選んだの?」

「アドバイスは貰ったけど、選んだのは自分でだよ。なんかおかしいかな?」

「ふーん」


 結局麻衣子の質問に優太は答えないまま、会話は終わってしまった。優太の服装と釣り合いがとれていないだろうか。無地のカラーTシャツにアロハっぽいシャツを羽織り、踝までの白いスリムパンツにデッキシューズの優太とは、示し合わせていない割に、なかなかいい取り合わせだと思うのだが。また考えだしてしまった麻衣子を、そっと車にエスコートしてくれたのは、和臣の方だった。高級そうなスーツに身を包んだ彼は二人を街に下してそのまま出かける。少し悲しげな雪乃が見送って3人を乗せた車は出発した。


 後部座席に優太と二人乗ったが、初めて乗る和臣の車の乗り心地は最高だった。革張りでゆったりと座れる後部座席の真ん中に大きなひじ掛けがついている。『なんだか座ってるだけで、贅沢してる感じ。これは社長さん気分になれる車だね!』というのが麻衣子の感想だった。車内のBGMは麻衣子の聞いたことのない曲だが、クラシックということだけ分かった。音響も素晴らしい。初日の卓哉との会話を思い出してしまい、ついニヤニヤして、優太の機嫌をさらに悪くしたのだった。


 街に着くなり、お洒落なオープン・カフェに入り、ジュースを飲みながら、優太から尋問を受けた。つまり、卓哉とはどこに行ったのか、何をしたのか、と根掘り葉掘り聞かれたのだ。『大好きな先輩だからって、そこまで真似しようとしなくても』と思わないでもなかったが、隠し事をしようとすると挙動不審になってしまう麻衣子なので、正直に答えた。「美術館は車じゃないと行けないし、同じ店に行くのはシャクだし」などと小声で呟く優太を待つ間、何気なく通りを眺めていたら、ゴージャス美人と卓哉に良く似た伊達男のカップルが見えた。男は女の腰に手を回し、親密そうだ。二人ともサングラスをかけているので、顔はよく分からない。しかし、男の方のシルエットは大層卓哉に似ていた。気になって、二人の方向を指さしながら、優太に尋ねた。


「ねぇ、あそこにいるカップルの男の方、卓哉さんに似てない?」

「卓兄なんて知るかよ!」


 なぜか、怒られてしまった。きょとんとする麻衣子を余所に、さっさとジュースの会計を済ませに行った優太はもたもたする麻衣子の腕を掴んで半ば無理やり立たせ、店を出た。すたすたと先を行く優太に、わけのわからない麻衣子は戸惑うばかりだった。


『なんで怒ってるの?せっかくのデートなのに、私、優太君を怒らせちゃったの?』


 しかし、怒っていると思ったのは麻衣子の勘違いだったのか。優太は彼女をロープ―ウェイ乗り場に連れてきて、チケットを2枚買うとその1枚を麻衣子に差出し、にっこりと笑って言った。


「ここのロープウェイを上がった所に短いけどハイキングコースがある。兄貴に何度か連れてってもらったことがあるけど、いい景色が見れるんだ。麻衣子にも見せたい。行くだろ?」

「うん!」


 景色への期待より、優太がいつもの笑顔を見せてくれたことで自分も笑顔になる麻衣子だった。


 ロープウェイを登り切って駅を降りるとすぐに展望台があった。観光客がたくさんいて、土産物屋も賑わっている、いかにも観光地だった。二人は少しだけその景色を眺めたが、優太はその喧噪の反対側、人影が疎らな方へ麻衣子を連れて行った。ひっそりと半分木の枝に隠れた看板に『遊歩道1.5㎞(往復3㎞)』の文字が見えた。その下の地図を見ると、一本道で、同じ道を戻ってくるようになっているらしかった。


「ガイドブックには載ってないから人は少ないけど、自然がいっぱいで、いいとこなんだ」


 本当に観光客はいなかった。その遊歩道は舗装すらされておらず自然のままに限りなく近い。傾斜の少ない場所をうまく選んでいるらしく、無理のない散歩を楽しめた。ごくたまにすれ違うのが地元の人らしき年配の男女や小さな子供を連れた若い夫婦だったりするのも納得がいく。この近くには本格的なハイキングコースは他にいくつもあるのだから、若者はそちらを選ぶのだろう。だが、のんびり、ゆったりと歩くだけのことで自然の中に自身が溶けていくような新鮮な感覚を麻衣子に齎してくれた。


 高所にあるせいかそれほど木々は大きくないが、強い日差しを遮り、ひんやりとした空気が肌に心地良い。遊歩道の脇には、まだ川と呼ぶには相応しくないような清流がながれて木漏れ日に煌めき、見逃してしまいそうな程小さな花が顔を覗かせている。少し開けた場所に小さな池があった。ここが終点のようだった。その池を見渡せる木陰にベンチがあったので、そこに二人並んで座った。空は雲一つないほどに晴れ渡り、池の水は澄み、波ひとつない水面が木々を映していた。


「いいお天気だね。空が凄く青いよ」

「ああ。気持ちいいな」


 それきり会話は続かなかった。けれど、気詰まりではない。同じ清々しい空気を吸い、同じ青空と澄んだ水面を眺め、それだけで満たされた。昨夜星空を見上げて話をした時もそうだったが、優太と並ぶことは麻衣子にとって、心安らぐことのようだった。ふと、雪乃が言っていた「並び立つ」という言葉がよみがえった。雪乃の言っていた、ガラスの向こうの世界、遮られることのない二人の距離とは、案外こんな何気ないことなのかもしれない。


『ガラスを破って近付いた先には、テニスや勉強を頑張る優太君を支えてあげるとか、なんか、凄く頑張らなきゃいけないことが待ってるのかと思ってた。そういうこともあるんだろうけど、そればかりじゃないのかも。だって、ただ、一緒に並んでるだけで、こんなに幸せだ』


 隣に座る優太は今何を考えているだろう。彼にも自分と同じことを感じて欲しい気がした。横顔を見ようとして目を向けると、優太も麻衣子を見ていた。


「俺さ、ここに来た話を雪乃にうっかりして、泣かせちゃったことがあったんだ。兄貴がそれを宥めすかすのを見ながら、いつか連れて来てやろうって思った事を思い出したよ」

「……雪乃さんの事、好きだったんだよね?」

「ん。でも、もういいんだ。代わりに麻衣子と来れて良かったなって、今思ってたとこ。……麻衣子は?卓兄と来たかった?」

「何で卓哉さん?あの人がここに来るって、あんまり想像できないよ」

「そっか」


 また会話は途切れ、二人景色を眺めた。空は相変わらず抜けるように青く、水面はその色を受けて深い青を湛えている。静かに優太が麻衣子に向き直り、麻衣子の手を取った。


「さっきの土産物屋で、なんでもいいからお揃いのストラップを買おう。それを麻衣子のスマホに付けて欲しいんだ」

「へ?」

「卓兄に買ってもらったストラップは外して欲しい。他の男に買って貰ったものを身に付けないで」


 ドキン、と心臓が音を立てたかと思う程、麻衣子の胸が高鳴った。優太は麻衣子の顔を見詰めた。眉は目一杯持ち上がり、大きな瞳はこれ以上大きくなれないだろう程に見開かれている。ぷっくりした唇は少しすぼまって力が入っているせいで、ふっくらしとたほっぺたが余計に膨らんで見える。上向いた小ぶりな鼻は、今にもぴくぴくと動き出しそうに緊張している。初めて会った時から、ハムスターみたいで可愛いな、と思っていた。真顔のままで告白したかったけど、麻衣子の顔をじっと見てしまったら、自分は微笑まずにはいられないのだ。思わず破顔して告げた。


「佐藤麻衣子さん。好きです。俺と付き合って下さい」


 ひねりも、工夫も、何もない、けれど優太には精一杯の素直な言葉だった。麻衣子は少しして、その大きな瞳から大粒の涙をポロポロとこぼし始めた。それは止まることを知らず、ひっく、ひっくとしゃくり上げ、ついには声を出してワンワン泣き出した。優太はすっかり慌てふためいた。宥めようと麻衣子の手を握っていた両手を持ち上げてはみたが、涙を拭えばいいのか、抱き寄せればいいものか、途方に暮れた。雪乃の泣き顔にも苦労させられたが、これはそれ所じゃない。おろおろと持ち上げた両の掌を揺らすばかりで、口を開けたまま言葉も出ない。やがて自力で少しだけ持ち直した麻衣子が、切れ切れの言葉で告げた。


「お…ね…がい…ま…す」


 優太は思わず彷徨わせていた両手を青空に向けて突き上げ、「やった!」と叫んでから、その両腕で思い切り麻衣子を抱きしめた。「ありがとう!すっげー、嬉しい!」という声を耳元で聞きながら、ぎゅうぎゅうと締め付けられて、幸せな悲鳴を上げる麻衣子だった。彼女を抱きしめたまま優太が打ち明けた。


「雪乃のことは好きだったけど、俺、兄貴には妬いたことなかった。最初から諦めてたのかもしれない。でも、卓兄が君を麻衣子って呼ぶのは許せないんだ。やきもちやきでごめん」


 抱きしめられたまま、麻衣子は首をふるふると横に振った。別荘のベンチでは彼女に勘違いさせてしまったが、今度こそやきもちの理由は麻衣子に伝わった。胸が熱くなる優太だった。


 帰り道は手を繋いで歩いた。遊歩道が終わってしまわない様に、ゆっくり、ゆっくり、今この時を噛みしめながら。ロープウェイに乗る前に、約束通り、土産物屋でストラップを揃いで買ったが、それは、観光地によくあるとぼけたマスコットのついた物だ。その場でお互いに付け合いっこをした。優太は卓哉が買ったストラップをわざと少し乱暴に麻衣子のポッシェットに突っ込んだ。二人で目を合わせ、思い切り笑った。自分達にはこの方がずっと似合いだ。気取ったビーズのストラップなどいらない。


 その後二人は卓哉が教えてくれたレストランのハンバーガーを食べた。優太がどうしても食べたがったのだ。なにがなんでも卓哉との思い出を上書きしたいらしかった。優太は「滅茶苦茶うまくて悔しい」といいながらも美味しそうに食べていたが、麻衣子は実は味はよく分からなかった。今の麻衣子には何より優太の笑顔がご馳走だった。


『卓哉さんと食べた時にこれで夏休みが終わってもいいなんて思った私って、なんてバカだったんだろう。あそこで終わってたら、こんな幸せな夏休みはなかったんだから!』


 食事をしている間に優太のスマホに卓哉からメールが来た。近くにいるらしいので、何度かやり取りをして、待ち合わせの場所に向かったのだが、卓哉のスポーツカーには、ゴージャス美女が乗っていた。やはりカフェから見えたカップルは卓哉達だったのだ。


 卓哉よりも年上に見えるその美女は、醍醐奈津生と名乗った。名前から、どうやらクラスメートの醍醐奈津子の親戚だろうと思われたが、ごつい印象の奈津子とは似ても似つかなかった。長い睫に真っ黒なマスカラをたっぷり付けてはいるものの、すべすべした肌は薄化粧のようだった。切れ長の目に少し尖った鼻。真っ赤に口紅を塗った口は下唇がぽってりとして官能的だ。背は低いがスタイルは抜群で、身体にフィットした深紅のワンピースドレスを身に纏い、麻衣子が見たこともない高さのピンヒールを履きこなしている。黒髪は見事に結い上げられ、豪華な真珠の髪飾りで仕上げられている。うなじから広く開いた背中のラインがひどくセクシーだ。あの醍醐家のイングリッシュガーデンの薔薇が似合いそうな人だった。この出で立ちは、どこかのパーティにでも行ってきたのだろうか、あるいはこれから行くのだろうかと思わせた。しかし、名前以外何も分からないその美女は一緒に東條の別荘に向かうらしかった。


『卓哉さんとお付き合いしてる人なのかな。なんか、アカデミー賞の授賞式とかで出てきそうな人だよね。あ、ちょっと女王様って感じもする!鞭とかもって、お仕置きするヤツだ。卓哉さんってひょっとしてM?』


 麻衣子の妄想を掻き立てるタイプの人だった。


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