15.参戦
佐藤麻衣子が東條家の別荘にやってきて、10日近く過ぎた頃、西園寺卓哉が出掛けて戻らない夜があった。彼が午後出掛けることは多かったが、泊まりは今まで無かった。麻衣子は何の用事だろうと気になってしまい、つい妄想を広げてしまった。ガラス工房の一件以来、考えない様にしていたのだが。
『今頃は、卓哉さん好みのセクシービューティと一緒にお楽しみなのかな。いったい何人くらいの女性と付き合ってるのかな。二股とかもしてたりして……卓哉さんとお付き合いする人はきっとそういうのも覚悟しなきゃいけないんだよね。元カノとかに会ったり、修羅場に出くわしたり?』
卓哉の好みや女性関係の事など聞いたことがないのに、勝手に想像を巡らしてしまう。そこに嫉妬心やら、願望やらが入り混じっていることには目を瞑り、さらに妄想は膨らんでいく。遂には麻衣子の頭の中の卓哉はアラブの男性の姿で女性を3人、はべらしていた。頭には白いスカーフのような物を乗せ、その上に黒いロープ(エカール)を乗せている。服装は何故か白いシャツに白いスラックスだ。麻衣子がアラブ男性の服装を良く知らないからかもしれない。女性はそれぞれ金髪、黒髪、茶髪のグラマラス美女で、しなを作って卓哉に擦り寄っている。妄想の中の卓哉が言った。
「麻衣子みたいなお子様を相手にするのも悪くない。俺の第4夫人にしてやろう。いい子にしてれば、他の女と同様に愛してやるから、さ、おいで」
「ぎゃーーーーー!」
卓哉に引き寄せられ、あげくに押し倒される所まで妄想してしまった。モデルだの近衛騎士をイメージしていたはずだったのに、いつの間にやら麻衣子の中で卓哉はハーレム男になってしまっている。卓哉には何とも気の毒な話だが、彼から溢れ出るフェロモンに免疫がなく、その色気にすぐ中てられてしまう彼女には、彼は危険な男なのだ。未知なものは恐ろしい。卓哉によって仄めかされる大人の世界が、麻衣子の不安を掻き立てるのだ。
翌朝、食事に降りていくと、卓哉が寄ってきた。昨夜の妄想の影響で、つい口調が厳しくなってしまう麻衣子だ。
「そろそろ試合やってみたいだろ?麻衣子」
「私と雪乃ちゃんでゲームなんか、出来ませんって」
「出来る、出来る。審判要員を呼んどいたからな。練習相手にもなるぞ」
「なんですか、それ。どーせまた私のことをからかってるんでしょ?騙されませんよ!」
そんな会話をしながら、朝食のテーブルに向かうと、そこには憮然とした表情の麻衣子のクラスメート、野島優太が座っていた。
「ひょえ?優太君?」
「なんか、随分仲いいんだな」
「え?なんで?」
「それはこっちのセリフだよ!なんで君がここにいるわけ?」
「えと、なんでって?ええ?」
なんだか、怒られているようだが、ちっとも状況が掴めない。驚きのあまり、言葉も出てこないが、ついでに夏休み直前の気恥ずかしさも出てこなかったのは、麻衣子にとっては幸いだったといえる。これを機に、優太を見ただけでいちいち赤くなることは無くなったのだから。
皆がテーブルについて朝食が始まったので、会話は有耶無耶になってしまった。いつもの4人の配置は一緒で、優太は男性陣に挟まれて、テーブルの脇の位置、いわゆるお誕生席に座った。食事の間も、なんとなく優太がこちらを睨んでいるような気がする。落ち着かない気分で食事をしていたせいか、ジュースをこぼして、隣に座る卓哉に「麻衣子はそそっかしいよな」と世話を焼かれてしまった。和臣が優太に声を掛け、食事をしながらの男3人の会話が始まった。
「優太、忙しいと言っていたのに、来てくれて嬉しいよ。昨夜卓哉が乗せてきてくれたそうだな。卓哉もありがとう」
「卓兄が説明もなく無理やり来させたんだから、連れてくるぐらいするさ。先輩権限とか言ってさ」
「俺はお前が暇になったのは知ってるんだからな!久しぶりに帰国した兄貴に付き合うのは当たり前だ。文句言うな。優太」
「昨日まで合宿だったの、卓兄だって知ってんだろ?やっととれた休暇なのに。それに兄貴は先輩じゃないだろ!」
「卓哉が無理に来させたのか?それは悪かった。」
「え?あ、いや、そんなつもりで言ったわけじゃないんだけど。卓兄が強引だってだけで…」
和臣を責めるつもりはないらしい優太はしょんぼりしかけ、その下を向いた頭を撫でまわして卓哉は声を上げて笑っている。優太が手を払おうとすると、卓哉はふざけてさらにゴシゴシ撫でる。いつもは表情の乏しい和臣にも、雪乃に向けるものとは違う穏やかな微笑みが浮かんでいて、3人の仲の良さが現れていた。雪乃はそれを見ながら目を細め、幸せそうに微笑んでいる。以前の賑やかだった光景を思い出しているのかもしれない。男3人の会話はまだ続いていた。
「優太は何も聞いていないのか?」
「うん。何しに来たのかもよく分かんない状況。ここにはいつまでいるの?」
「予定では後4日程だが、用事があるのなら無理をするなよ。」
「なら大丈夫。最後までいられる。で、何しろって?」
「午前中はテニス、午後は乗馬をしている。お前も参加するといい」
「はぁ?乗馬?俺やったことないよ!」
「大丈夫だって!俺だってここにいる間に覚えたんだ。午後に目一杯やれば、3日もあれば乗れるようになるさ」
それを聴いて、麻衣子は思わず「嘘っ!」と叫んでしまった。その声に皆が注目して、なんとなく発言を促される雰囲気になってしまった。
「あの、3日で乗れるようになるって本当ですか?私もう10日近く乗っているのに、まだ遠乗りは駄目って調教師の馬場さんに言われてて……」
「麻衣子はどんくさいからしょうがない」
「大丈夫だ、心配ない。馬場から麻衣子さんは上達していると報告を受けている。この滞在の間に遠乗りが出来るだろう。優太は僕が面倒をみるから、貴女は今まで通りで構わない」
「え?俺、兄貴にしごかれるの?ヤダよ!いつも容赦ないんだもん」
「俺はテニスなら見てやれるけど乗馬は無理だ。諦めろ、優太」
「そんなぁ!」
優太が文字通り天を仰いで朝食の談笑は締めくくられた。
『なんだか、3兄弟って感じ。和臣さんが長男で、卓哉さんが次男、優太君は三男。へへっ。なんか末っ子優太君、可愛いかも!』
麻衣子は昨日までの朝食に比べて、ずっと和やかになっていることがとても嬉しかった。そういえば、今までになく食事が美味しかった気がする。お洒落で気取った外国のリゾートホテルが麻衣子にも馴染みのある日本のホテルになった感じだ。皆の会話も弾んだし、優太1人が加わっただけで、どうしてこんなにも違うのか。雪乃が優太は来ないと思って気落ちしたのも無理はない。
優太とテニスをするのは初めてだ。卓哉の文字通り『手取り足取り』の指導のお蔭で、結構上達したと思うし、少し位は褒めてくれるだろうかなどと期待も膨らんでいた麻衣子だったが、着替えの時に、はたと気づいた。
『しまった!すっかり忘れてた!この不細工なウェア姿を優太君に見られちゃうんだ。どうしよう?』
10日間続けた運動のお蔭で、受験で目一杯緩んでいたお肉は引き締まってはきていたが、食事やおやつも美味しくかつ贅沢にいただいている。実は体重は増えていた。自分の姿を鏡に映して見れば、やっぱり、太って見える。ここで逃げ出そうにも自力で帰れるわけもなく、とぼとぼとコートには向かったものの、フェンスの入口で立ち止まってしまった。中では既に優太と和臣が軽く打ち合っていた。雪乃はパラソルの下に座ってそれをにこにこと眺めている。入る勇気が出ない。後ろから卓哉が来て声を掛けた。
「どうした、麻衣子」
「や、あの。ほら、へたくそなプレイを見せるのが恥ずかしいなって」
「何言ってる、自信を持てよ。10日間もこの俺様が手取り足取り教えたんだ。ほら、こうやって!」
「ぎゃっ!卓哉さん、セクハラ!」
ふざけた卓哉が麻衣子に後ろから覆いかぶさるようにして、麻衣子の両手首をつかみ、素振りを指導するときのように腕を操ろうとしたものだから、体がひどく密着した。練習中はもう慣れてしまって気にしないが、コートの外でこれは恥ずかしい。真っ赤になって揉み合ったところに、一旦打ち合いを止めた優太と和臣が寄ってきてしまった。
「凄く楽しそうだね、佐藤さん」
そう、優太に冷ややかに告げられ、麻衣子は愕然とした。そうだった。優太に下の名前で呼ばれたことなどなかった。でも、今そう呼ばれるのは違和感があるし、ひどく突き放されたように感じる。だが、麻衣子は友達のくせにここに来ることを彼に知らせなかった。夏休み前に気まずかった為とはいえ、考えてみれば随分と図々しい振る舞いだ。優太は、彼の大切なテリトリーに自分のいないときに入ってきて大きな顔をしている麻衣子に腹を立てたかもしれない。勝手なことをして、と責められている気もしてきた。麻衣子の気分は目に見えて沈んでいく。もう泣きそうだ。
『そうか。優太君に近い人たちと仲良くなって浮かれちゃってたけど、私と優太君の距離って、こんなに離れていたんだ。そうだよね、「佐藤さん」だもんね』
ふうっ、と音を立てて和臣がため息をついた。珍しいことだ。
「優太、今のは卓哉がいけないとわかるだろう?麻衣子さんに当たってどうする。僕達は先にやっておくから、少し麻衣子さんと話してから改めてコートに来なさい」
和臣の言葉の意味は麻衣子にはわからなかったが、他の皆は理解したようだった。卓哉と優太は酷くバツの悪そうなしかめ顔をしている。優太と麻衣子を残して3人がコートに入って行くのを見届けた後、いつもテニスの後に昼食を摂る木立の中のベンチへと優太に誘われた。
テーブルを挟んで、向かい合わせに座る。今日は少し風があるのか、木々のざわめきがいつもよりうるさい気がした。いや、うるさいのは麻衣子の鼓動か。優太が何を告げようとしているのか、裁判の判決を待つ被告の気分だ。しばらく押し黙っていた彼が小さな声で口火を切った。
「ごめん。俺、八つ当たりした」
「え?」
「昨日やっとテニス部の合宿が終わってさ、短い休みが取れたんだけど。疲れて家に帰ったら、卓兄が東條の別荘に行くぞって言って、無理やり連れて来られたんだ」
「うん。朝ご飯のとき言ってたよね。大変だったね」
そこで優太は意外そうに眼を瞠ったので、どうしたのかなと麻衣子は小首を傾げた。
「気遣ってくれるんだ。ありがと」
「卓哉さんって強引なところあるから、なんか想像つくよ」
その言葉に優太はまた黙りこんでしまう。少し視線を泳がせた後、下を向いて眉を寄せ、目を瞑り、結んだ口元を引き絞る。心配になって、麻衣子が顔を覗き込みかけた時、すっと顔を上げ麻衣子に視線を合わせた。何かを決意したようだった。
「俺、合宿終わって休みになったら、君や透を誘って、プールにでも行こうって考えてた。本当は海にでも行きたかったけど、お金も時間も都合つかないし、プールなら行けるだろう、そう思ってた。それなのに、無理やりここに連れて来られて、ムシャクシャした。しかも、なぜか君がここにいて、凄く楽しそうで、可愛いウェア着て仲良くテニスなんかしてさ!」
そこまで一気に語って、優太は一つ深呼吸をした。そして先ほどとは違い、目線を逸らしながら、幾分弱々しい声で言った。
「ホント、ごめん。俺やきもち焼いてたみたいだ。なんか、俺の知らない間に君と卓兄が仲良くなってたのが、凄く嫌だったんだ」
「へ?」
『やきもち?私にやきもちって、優太君が私の事好きってこと?え?いつ恋愛フラグ立ったの?』
『衝撃の告白か?』と麻衣子は固まった。優太は「あーっ!俺、カッコ悪すぎる!」と叫びながら、頭を両手で掻き毟っている。だが、次の言葉で我に返った。
「テニス上手くて大人でさ。イケメンだし、金持ちだし。憧れちゃうよな。佐藤さんが卓兄を好きになるのも無理ないよ」
「ああ、そういうことか!やきもちっていうから、勘違いしちゃったじゃない!別に卓哉さんは私の事好きじゃないよ?卓也さんが好きなのは和臣さんなんだから、優太君がやきもち焼くべきなのはお兄さんなんじゃないの?」
「え?!それってどういう意味?」
「いや、だから、憧れの卓哉さんが私を可愛がってるのが嫌だったんでしょ?そんなの、親友の和臣さんのためにやってるに決まってるじゃん。大丈夫だよ、わざわざ連れて来てくれる位なんだから、優太君、充分可愛がって貰ってるってば。あーびっくりした」
今度は優太が驚く番だった。一瞬口をぽかんと開けて呆けた顔になった後、爆笑した。
「やっぱり君っておもしろいよね。滅茶苦茶笑わせてくれる。最高!」
なぜ笑われているのか、わからない麻衣子だったが、優太が楽しいならまあいいか、と思うことにした。思い切り笑った後、優太は卓哉との関係について教えてくれた。気さくな卓哉とは生真面目な和臣と比べて余程気安いのだが、学院では部活の先輩後輩のけじめをつけるために、お互い馴れ馴れしくしないと決めている。ただ、加減が難しく不自然になりがちで、どうも芝居がかった態度になるのが難点だ。テニスに関してはとても尊敬しているし、明るくて面倒見がいい性格も素晴らしいと思っている。だが、困ったことに、彼はいつも優太を全力でからかうのだ。さっきのおふざけも優太をからかう為にわざとして見せたに違いないし、自分も含めて皆それを分かっていた。だから、和臣は謝ってこいという意味のことを言ったのだ。
「優太君も私と一緒なんだね!私もいっつも卓哉さんにからかわれてるんだよ。同志だ!」
「そっか、あはは!」
その後はクラスメートらしく気さくにおしゃべりしながらコートに戻った。真っ先に卓哉が寄ってきて、何度も麻衣子に謝ってくれた。「優太をからかうために巻き込んで麻衣子を傷つけたことに反省している。男として、女の子を泣かせるなど、俺の主義に反する」と力説した。そこに和臣がやってきて、付け足した。
「卓哉は、僕が勉強をみてやっていたせいで、以前から鬱憤を優太にむける所がある。今回の滞在日程は卓哉が立てたものだが、そもそも優太の部活の予定も組み込まれていたようだ。僕も知らずに計画に加担してしまった。申し訳ない。卓哉の悪企みにつき合わせて悪かったね、麻衣子さん」
「そんな理由だったの?!」
麻衣子も優太も子供じみた理由に呆れた。昔のことを暴露されて卓哉が気を悪くするかと思いきや、和臣に「そういえば国家試験の準備は大丈夫か?」と問われて情けない表情をみせている。どうやら、卓哉はいまだに和臣に頭が上がらないようだ。
それでも、二人の友情が素晴らしいことには変わりない。人を楽しませようという精神に溢れた男、卓哉の計画は素晴らしかった。一人増えたことで、審判要員が出来、男女混合ダブルスが試合形式で楽しめるようになったし、指導に専念していた男性陣も打ち合う相手をローテーションで変えながら、プレイを楽しめた。卓哉が優太に麻衣子のテニスウェアについて「どうだ、エロ可愛いだろ。俺が選んだんだぞ。ムチムチでそそられるだろ?」と言ったのは麻衣子にとっては余計だったが、その日のコートは滞在中で一番の笑顔に溢れていた。
『なんだか凄く楽しくなってきた。お嬢様扱いされるのは気持ちいいけど、やってて疲れるし、やっぱりわいわい騒ぐ方が気取った付き合いより性に合ってるよ。優太君が来てくれたお蔭だよね!』
優太が来てくれたことを心から感謝する麻衣子だった。




