13.別荘での日々
別荘での佐藤麻衣子の1日は規則正しかった。午前中にテニスをし、午後は乗馬。夕食後はおしゃべりの時間だが、普段運動をしなれない麻衣子なので、くたびれて大抵はさっさと寝てしまう。他のメンバーは変則的に過ごしていた。野島優太の兄、東條和臣は留学先からの久しぶりの帰国で大層忙しいらしく、部屋に籠ってパソコンで作業をする日もあったし、出掛けて戻らない夜もあった。彼の親友、西園寺卓哉は基本的には麻衣子と雪乃のテニスの練習に付き合ってくれていたが、午後は出掛けることも多かったし、1日出掛けてテニスのコーチを和臣に任せる日もあった。雪乃は用事があるわけではないが体調次第で、具合が悪くなって部屋で寝ている日もあれば、乗馬に参加したりもした。夕飯は別荘のシェフが腕を振るって屋敷の中にある広いダイニングルームで食べるのが基本だったが、たまにレストランへ出掛けた。麻衣子に合わせてくれているのか、カジュアルなレストランが多く、残念ながら、あのドレスを披露する機会にはまだ恵まれていなかった。
麻衣子にとって、テニスのレッスンはなかなか大変だった。体力的にという意味ではない。身体の弱い雪乃に合わせて、たっぷりと休憩を挿むし、厳しい練習を強いられるわけではない。麻衣子にとっては無理のない運動と言える。筋肉痛はあるにはあったが、三日ほどで消えたし、それも、そもそも乗馬が原因と思われる。大変だったのは、卓哉にからかわれることだった。
和臣と雪乃の二人の甘い雰囲気に中てられているのは麻衣子だけではないようで、鬱憤晴らしとばかり、卓哉は麻衣子を弄り倒すのだ。まず初めには、テニスウェア姿の麻衣子の胸やら足やらを批評した。少し太めの体型を気にして恥ずかしがる彼女に「ムチムチがいかに男心をそそるか」を説いて賞賛した。指導方法はというと、手取り足取りとは良く使う言葉だが、これが文字通りの『手取り足取り』だった。ラケットの持ち方を教える時も、素振りの仕方を教える時も、向かい合わせで見せて説明するよりも身に付きやすいからと、後ろから張り付くように身体を寄せてきて、がっしりと麻衣子の手首やら腕やらを掴むのだ。確かに見るだけより余程体感し易い指導なのだが、どうも恥ずかしがる麻衣子の反応を面白がっているようにしか思えなかった。からかわれていると分かっていても、男性に免疫がなく、ましてや男の魅力をプンプンさせた彼に密着されて、麻衣子は毎回真っ赤になる。そうして卓哉はにやにやし、雪乃と和臣に苦笑されてしまうのだ。せっかくの指導も、緊張して頭が真っ白になる麻衣子に大した効果があるわけがない。
見かねた和臣が「麻衣子さんが困っているぞ」と窘めてくれたが、「親切丁寧な指導をしているだけ」とどこ吹く風だ。フォームが安定しない麻衣子はいつまでもホームランのような打球を上げるので、度々フェンスの外にボールを出してしまう。そんな時は「麻衣子はどんくさいなぁ」と言いながらボールを拾いに行ってくれる。怒鳴られボールを拾いに行かされるなら麻衣子の方も彼に怒って然るべきだが、文句も言わずに取りに行くあたり、親切なんだか、意地悪なんだか、よく分からない卓哉だ。呼び方も「麻衣子ちゃん」から「麻衣子」になって、彼の麻衣子に対する親しみは増してはいるようだし、テニスの上達のためにはセクハラレッスンに慣れるしかなさそうだった。
テニスを教わる麻衣子にとっては「意地悪な卓哉さん」も、観客としてテニスを眺める段になると、「超絶かっこいい卓哉さん」に変わるのだった。雪乃の体力を考えて度々休憩を挿んだが、気温の高い日など、早々にレッスンを終わらせ、卓哉と和臣のプレイの観戦タイムになることがあった。実力伯仲の二人とはいえ、テクニックで魅せる和臣に比べると、卓哉のプレイの方が素人の麻衣子にはわかり易い。特に麻衣子のお気に入りは、サーブだった。鋭い眼差しで相手コートを睨み、静かにトスをあげ、鞭のように身体をしならせ、目にもとまらぬ速さでラケットを振り下ろす。ノータッチエースをとったときの雄叫びなど野獣のごとしで、麻衣子の全身を震わせた。「超絶かっこいい」のである。むしろ、大して上達しない自分になど教えてくれなくていいから、ずっとプレイを見せて欲しいと思ってしまう麻衣子だった。
卓哉に「どんくさい」と言われっぱなしの麻衣子であるので、乗馬もなかなか上達しなかったが、調教師の馬場は叱ることもなかったし、焦らせもしなかった。むしろテニスの愚痴を馬と馬場に聞いて貰うことでストレスを発散しているほどだった。馬には笑われる心配はないし、優しい馬場はにこやかに聞いてくれた。時には和臣や卓哉の子供の頃の失敗話などを内緒で教えてくれて、麻衣子が溜飲を下げることもあった。そして、実は彼女にはもう一つ密かな楽しみがあった。めったに雪乃が参加しない乗馬の時間では、和臣と卓哉の男の会話を耳にすることがあったのだ。テニスの時は雪乃にかかりきりの和臣と彼女には麻衣子と違って遠慮しているらしい卓哉が、気さくに話す事柄は、なかなか興味深かった。例えばこんな会話だ。
「お前も大概ロリコンだよな」
「失敬な。ロリータ・コンプレックスとは、ペドフィリアのことだろう?僕が精神疾患だというのか?あいにく僕は初等部の頃の雪乃に欲情したことはない」
「いや、精神医学上の話をしてるわけじゃないよ。まぁ、似たようなものだけど」
「雪乃は誕生日も過ぎているから、既に16歳だ。子供だって産める身体だろう。胸だってある」
「脱がせたのか?!」
「下品な想像をするな!テニスウェア姿を見れば分かるだろう!」
「えー、胸とか意識したら、ムラムラしない方が可笑しいだろ。俺だったらさっさと押し倒して…」
「お前はそれをロリコンと呼ぶのか?」
「あっ……」
この時麻衣子は笑い声を漏らさないようにするのに、苦労をした。
一日中雨が予想された日があった。テニスは屋外コートしかないし、乗馬も屋内ではせせこましい。偶にはダブルデートをしようと卓哉が言い出した。近くにあるガラス工房でグラス作り体験ができて、土産も買える。その後はレストランで食事でもして帰ってくればいいし、元気があれば寄り道してもいい。そんなプランだった。
これに興奮したのは雪乃だった。和臣と出掛けたことなどないというのだ。過保護な彼は留学前でも雪乃を連れ出すことを嫌ったし、帰国してからもほとんど一緒の時間を過ごすことなく此処に来ている。デートなどしたことは無いのだ。「この前の買い物だってダブルデートと変わんなかったじゃん」という麻衣子のつっこみは無視され、「お洒落していきましょうね」とウキウキそわそわ、部屋の中は大変なことになった。さんざんクローゼットの中身を取り出した末に、サンドレスにボレロを合わせるという無難な組み合わせに終わった。ブランドものらしいそのドレスはフリルと細かい花柄のついた柔らかい素材のもので、華奢な雪乃に良く似合っていた。だが、彼女は子供っぽくて和臣に釣り合わないかも、と最後まで躊躇していた。
『恋する乙女は大変だな。和臣さんなら、雪乃ちゃんが何を着たって、可愛いってデレデレしそうなのに。まぁ、私は別の意味で何を着たって変わりないんだけどね』
これ以上男性陣を待たせるのは悪いと思って、麻衣子はぞんざいに選んで「これでいいや」とワンピースを着た。紳士な二人が雪乃と麻衣子を迎えて可愛いと褒めるのは当然だったが、「綺麗だ」と言って欲しかったらしい雪乃は微妙な顔をしていた。卓哉が和臣を肘で突いてそれとなく暗示したが、和臣は意図に気付かず、それを見て麻衣子は密かに笑った。
雨の日のリゾートですることは少ないのか、ガラス工房は大層混んでいた。グラス作り体験の予約も一杯で、新規の受け付けは出来ませんと張り出されていた。予約はしていたようだが、ひょっとしたら東條家の名前を使ってゴリ押ししたのではなかろうか。少し罪悪感が芽生えそうになった麻衣子だったが、グラス作り体験はとても楽しかった。卓哉は意外に器用で仕上がりも綺麗だった一方、和臣が不器用さを露呈した。麻衣子はどうやっても自分に似てずんぐりした形になってしまい、自分では満足いかなかったのだが、皆は可愛いと褒めてくれた。雪乃は繊細な、美しい形を生み出し、係りの人をも驚かせた。出来上がった作品は時間をかけて冷ますというので、別荘に送って貰うことにした。
工房には「ガラスの歴史」と称された博物館スペースがあった。一般的な博物館に比べると気軽に楽しめるように展示されていて、手に取ってみたりも出来るようになっている。静かにする必要もなさそうなので、4人でお喋りしながら展示物を眺めた。
「しかし、和臣はホント不器用だよな。何でも出来るように周りに見られているのが不思議でしょうがない」
「和臣さんは努力なさって克服されるからいいのです」
「雪乃、慰めてくれなくていい。不器用なのはよく分かっている」
「ま、お前の努力には俺も頭が下がるけどな。それに俺は外科医志望だから、手先が器用なのは当然だ」
「卓哉さんが外科医って、凄くモテそう」
「ああ、外科医って女にもてるイメージあるらしいけど、実情は忙しくて暇なしだぞ」
『絶対モテるに違いない』と麻衣子は思っている。この工房に来てからも、何度「あの人たちカッコいい」という女の子の声が耳に入ったことか。男女でいるにも係わらず、「どこから来たんですかぁ?」と聞いてきた強者もいた。今だって周囲の視線を感じる。今日の卓哉は白いTシャツと白いスリムパンツの上に薄手のベージュのジャケットを羽織っている。袖を捲っている為に覗き見える逞しい腕がセクシーだ。ベルトと靴をジャケットより濃い色で締めているのがポイントか。相変わらずのモデル仕様だ。和臣は小さなロゴマークのついた半袖の無地のポロシャツにベージュのチノパンを合わせただけだ。それなのに、なぜかセレブ感が半端ないのは、オーダーメイドの飴色の靴のせいか。こちらはイギリス紳士風といえる。和臣は人を寄せ付けない雰囲気があるので話し掛けられることはないが、卓哉は今までにも何度も声を掛けられている。それが、ちょっと悔しくなった麻衣子は意地悪なことを考えてしまった。
『ひょっとして卓哉さん、器用な所を自慢したくてここに皆を連れてきたのかも?和臣さんがここに通って練習して、「どうだ、うまいだろう!」て、ギャフンと言わせてやれば面白いのに』
作業部屋が暑すぎたためか、興奮し過ぎて疲れたのか、雪乃が気分を悪くしたので工房の中庭に面したカフェで休むことにした。混んでいたので少し待って、別々のテーブルに分かれて座った。それぞれのテーブルには室内側に二人掛けの作り付けの椅子が、中庭を背にした窓側には藤椅子が二つあった。先に席についていた雪乃と和臣は二人掛けの方に並んで腰かけていた。中庭が良く見えるようにというよりは、雪乃を休ませるためだろう。雪乃は和臣にすっかり身体を預けて座っている。頭を和臣の肩に乗せ、目を瞑り、顔色は青ざめて、息苦しそうだ。和臣は雪乃の肩に腕を回して抱き寄せ、彼女が膝に乗せた手を摩っている。
『大丈夫なのかな。やっぱり別荘でゆっくりしてた方が良かったんじゃないのかな』
麻衣子は卓哉と向かい合わせに座って、工房作のガラスの器に入ったジュースを飲むともなしに、中庭にしとしとと降る雨を眺めていた。籐椅子に腰かけていた卓哉が身を乗り出し、囁き声で話し掛けた。
「あの二人、あの寄り添い方はもうキス位は済ませてるよな。女の子同士、そんな話はしないの?」
「もう、雪乃ちゃん具合悪いのに、不謹慎ですよ!それにキスくらい、お付き合いしてたら普通するでしょ?」
「勘違いするなよ。お子様のする奴じゃなくて大人のキスのことだぞ。和臣の留学前、雪乃ちゃんは小学生だったわけだし、小学生相手にそれはないだろ?ここに来てからだと思うんだけどなぁ」
「知りませんよ!」
「麻衣子には俺が教えてやるからな。」
「はぁ?冗談ばっかり。いい加減にして下さい!」
「んー、案外本気。和臣を見ていたら、1つずつ教えていくのも楽しそうだなって思えてきた」
「嘘?!」
「麻衣子、俺がお前を大人にしてやるよ」
最後は腰に来る甘くセクシーな声で囁かれてしまった。麻衣子は撃沈だ。卓哉は早々に自分のコーヒーと麻衣子のジュースまで飲み干して、腰の立たない彼女を土産コーナーに引き摺って行った。彼は、麻衣子の腕を掴んだまま、商品の置かれた棚を物色しだした。そこで小さなリスのガラス細工を1つつまみ上げると、目尻を下げてニカっと笑い、黙ってレジを済ませ、それを彼女に押し付けた。
「これは麻衣子だからな、持っておけ」
訳も分からず、麻衣子はそのガラス細工と卓哉の顔を交互に見ながら、目をパチパチと瞬かせた。どうやら、卓哉はリスを麻衣子に重ねていて、これをプレゼントしてくれたようだ。よく分からないが、可愛らしいリスにほだされて、麻衣子は素直に受け取ることにした。小首をかしげながらも「ありがとうございます」と告げると卓哉は満足そうに笑って言った。
「雪乃ちゃんは和臣に任せておけば大丈夫。絶対無理はさせないから。俺だって医学生だ。いざとなれば役に立つんだぞ。麻衣子は気にせず楽しんでいればいい」
その後、和臣と雪乃に合流して、まっすぐ別荘に戻ることになったのだが、雪乃が何度も申し訳なさそうに麻衣子に謝るのを見て、このプレゼントの意味を知った。
『ああ、そうか。卓哉さんは雪乃ちゃんの具合を気にして私まで元気を無くしてたから、気を遣ってくれたんだ。あのままだったら、皆のムードが沈んじゃってたかもしれない。それじゃあ、雪乃ちゃんだって余計に気にすることになるよね。ただのおふざけじゃ無かったんだ。自慢したくてここに連れてきたなんて思ってごめんなさい!』
卓哉の気配りにはキュンとしてしまった麻衣子だったが、彼の余計な言葉のせいで雪乃と和臣の密着加減が気になり始めてしまった。つい、『恋人同士のお付き合い』についての妄想に囚われて顔を赤くし、卓哉の訳知り気な視線に気付かれたのではないかと焦ってしまう。このままでは優太に告白まがいのことを言ってしまった休み前と同じ事になると焦り出した麻衣子だったが、その夜のうちにその状況は変化を迎えた。




