12.買い物
乗馬を終えて屋敷に戻ると、頬を膨らませて可愛らしくむくれた雪乃が待っていた。余程除け者扱いが悔しかったようだ。和臣に宥めすかされ、漸く機嫌を直した。次は買い物だ。着替えて集合したのだが、麻衣子はやはり服を買ってくるべきだったと痛感した。
卓哉はカジュアルなチェック柄のシャツにニットのネクタイを合わせた上にカーディガンを来ている。絶妙なカジュアルさ加減だった。和臣は白地のボタンダウンのシャツに薄地のブルーのジャケットを羽織っている。チェック柄のグレーのスラックスの折り目がピシリと決まって、カジュアルにもかかわらず高級感が漂う。黒光りする革靴のつま先が覗くのも、セレブな雰囲気をいっそう高めているのだろう。雪乃はクラシカルな水色の花柄で、長めの丈のワンピースに共布のボレロを着ている。身体にぴたりと沿っているラインを見ると、オーダーメイドかもしれなかった。それに比べ、麻衣子は量販店で買った上下そろえても5千円したかどうかのチュニックと7分丈パンツだ。「まぁ、麻衣子ちゃん、似合っているわ。わたくし、一度そういうファッションに挑戦してみたいのだけれど、勇気が無くて」と雪乃に邪気なく言われ、「ははは」と顔を引き攣らせて笑った。卓哉がにやにやとその会話を聞いていたが、睨むだけにしておいた。和臣の方は冷ややかな視線に当たったら怖いので見ずに済ませた。
2台の車に分乗し、昨日麻衣子が卓哉と遊んだ街に向かった。4人は周囲の視線を集めていた。車が駐車スペースに止まっただけで、女性達がそわそわ、男性達も興味津々にこちらを見る。卓哉のスポーツカーが目立っているせいなのか。和臣の車も同じマークの車は数あれど、見る人がみればハイクラスな車だとわかるのか。しかも極上の男達が運転席から現れ、助手席から降りる女性をスマートにエスコートして歩きだすのだ。どんなセレブかと注目されているようだった。麻衣子は『私だけは見ないで!』と訴えたくなったし、それが出来ないのであれば、早く店に入って欲しいと思っていた。けれど、彼女以外の3人はそんな視線には慣れているのか、ゆっくり、優雅に歩くのだった。
和臣と卓哉の行きつけらしいテニスショップは、リゾートでテニスを楽しむ人も多いのだろう、そこそこ混雑していた。ここでも彼等は人目を引いた。しかし、店員が和臣に気付くと慌てて奥まで入って行き、間もなく年配の責任者らしき男性が出てきて満面に笑みを浮かべて言った。
「東條様、ようこそいらっしゃいました。ご連絡を頂けましたら、お伺いいたしましたものを。本日はどういったものをお探しで?」
「女性用を二人分、揃えて欲しい。店ごと持って来て貰うわけにはいくまい?」
真顔で和臣が答えた言葉に麻衣子は仰天した。どうやら、普段はここまで足を運ばず、必要なものを届けさせているようだ。冗談ともそうでないとも聞こえる和臣のセリフだったが、商魂たくましいと思われる男性はこれ以上ないといった喜びようで、皆を奥に案内した。
「こちらにお席をご用意いたしましたので、ごゆっくりお選びください」
彼は揉み手こそしてはいなかったが、麻衣子にアラブ人の格好の王室の御用商人が髭をさすり、揉み手をする姿を想像させた。周囲が注目する中、奥に通されていくのは、気恥ずかしかったものの、優越感に浸れていいものだった。とはいえ、きょろきょろと周りを見回したのは麻衣子だけで、他の3人はここでも動じる様子はない。
最新で最高級とおぼしきラケットやら、シューズを買ってもらい、さて、ウェアを選ぶ段になったのだが、テニスウェアというのは随分露出が激しいらしい。足を出すのは仕方のない事としても、物によっては肩や背中すら見えるではないか。これでは水着と変わらない。
「こんなの恥ずかしくって着られませんって。私はジャージでいいです」
「えー?普通だろ?それに、俺たち以外見ないんだし、構わないじゃないか」
「それが問題なんですってば!」
「あれ?意識してくれるんだ。お兄さん嬉しいなぁ」
「卓哉さん!からかわないで下さい!」
「大丈夫だよ、きっと似合うって」
「嘘言わないで下さいよ。私、ぽっちゃりなの、ちゃんと自覚してるんですから」
「別に麻衣子ちゃんはぽっちゃりじゃないよ。グラマラスなんだ」
「一緒の事ですぅ!」
騒がしい麻衣子と卓哉のやりとりを余所に、雪乃と和臣は「とても似合うよ」などと甘い雰囲気を目一杯醸し出している。和臣の言葉に頬染めている雪乃に助けを求めることは出来そうになかったので、結局少し強引な卓哉のチョイスに引きずられた。麻衣子はテニスの方は無様な自分をさらけ出す覚悟をして、『そうだ、まだ乗馬服があったじゃない』と、気を取り直すことにした。
「申し訳ないが、ここで僕と雪乃は失礼する。卓哉、後は宜しく」
このまま一緒に次の店に行くのかと思いきや、和臣と雪乃は先に帰ると言い出した。2台の車できた理由はこれだったようだ。雪乃の体調はまだ悪いのかもしれない。あるいは、和臣に家の仕事とやらがあるのかもしれない。いずれにしろ二人は別荘に帰っていき、卓哉と二人で乗馬用具店に向かうことにした。乗馬服はテニスウェアと違い露出のない渋い服だが、少しぽっちゃりの麻衣子には似合っているとはいい難く、余計太って見える気がした。思わず鏡の前で顔をしかめたところを、また卓哉に笑われた。乗馬服と用具という安くない、というよりかなり高額な買い物を済ませ、これでおしまいかと思いきや、「次に行くよ」というのだ。
「もうお仕舞なんじゃないんですか?全部買いましたよ?」
「まだだよ。麻衣子ちゃんのドレスを買ってないじゃない」
「はぁ?ドレスぅ?」
「レストランに食事に行くにも困るだろう?あの二人に長いこと付き合わされるんだから、それくらい買ってもらわなきゃ。どんな所を予約してるか聞いてないから、いろいろ買おうね」
「そんな、いくらかかるかわかりませんよ!」
「この街で東條のツケがきかない店はないよ」
「ええー?そんなんでいいんですかぁ?」
「いいの、いいの!」
そこからの買い物は豪快で、夏らしいサマードレスやら、カジュアルなパンツにタンクトップまで、こんなにあって全部着られるのだろうか、と思わせるほど買い込んだ。靴も帽子もアクセサリーも、買ってもらうこちらがくたびれてしまう程だ。さすがスポーツマン、体力のある卓哉は疲れた顔一つみせず笑顔で付き合ってくれた。案外和臣の財布で買い物をすることを楽しんでいたのかもしれない。途中靴屋で馴染みらしい歳をとった男性店員に、「今日は随分と可愛らしい方をお連れですね」と冷やかされたときすら、悪びれることなく「だろう?マイフェアレディのヒギンズ教授の気分さ」と上機嫌だった。残念ながら、麻衣子はマイフェアレディを知らなかった。むしろあちこちの店で女性客や女性店員の目を集めてしまう卓哉の横にいることに嫌気がさしてきていた。最初の浮かれた気分はすっかり消えて、鬱陶しささえ感じる。
『よく漫画の主人公って、周りの女の子達から、妬まれる場面があるけど、こんなに落ち着かないものなんだね。こんなのまで体験しなくっても良かったよ!』
買い物の最後に、ウェディングドレスをショーウィンドーに飾る店にやってきた。
「いくらなんでも、こんなドレスいらないですって!」
「高原の別荘街のレストランを侮っちゃいけないよ。あの和臣なら、雪乃ちゃんをフレンチのフルコースに連れて行くかもしれないじゃないか」
「そんなとこお邪魔したら悪いじゃないですか。お二人でどうぞって言えば、行かなくて済みます」
「なんだ、麻衣子ちゃんは俺がフレンチのタダ飯を食うチャンスを阻止しようっての?」
「そんなこと言わないでぇ!」
ドレスショップの前でひとしきり揉めたものの、結局は卓哉に折れてしまう押しに弱い麻衣子だった。山のようなキラキラしたドレスを前に麻衣子は途方に暮れたが、卓哉は慣れた調子で店員と相談しながらあっという間に数着のドレスを選んだ。麻衣子だって女の子だ。素敵なドレスを見ればときめくし、着てみたい。だが、これは。
「肩や背中が出るのは恥ずかし過ぎる!」
「テニスウェアよりゃ大人しい。今更恥ずかしがることないって」
「ふわふわしたドレスは、太った私が着たら、真ん丸になっちゃいます」
「ドレスなんてどれもフリフリふわふわしてるし、体型が見えないから誰が着ても一緒だ」
「不細工な私に似合うドレスなんてないです!」
「知らないのか?ドレスってのは、男のために着るんだぞ」
「へ?」
「女の子は鏡の前でしか見ないけど、男はずっと楽しむ。それに、連れ歩く女の子は男のステータスだからな。見得だって大事なのさ。ほら、俺の為だと思って着てごらん」
丸め込まれた感が満載だったが、鏡に映った自分の姿を見て驚いた。卓哉が選んでくれたものはどれも麻衣子に似合っているのだ。店員の「お似合いですわ」というセールストークも満更嘘ではないかもしれないと自惚れたくなる程に。その中でも、卓哉も店員も1番いいと押してくれた優しいクリーム色のドレスに決めた。結局一番露出の多いドレスになった。
光沢とハリのあるタフタのベアトップのミニ丈ワンピースで、胸のすぐ下に脇から寄せて同色のサテンのリボンが大きく結ばれている。高目の切り替えから裾に伸びるスカートはAラインで、すっきりシャープなデザインだが、一枚だけオーガンジーが重ねてあり、柔らかい雰囲気を演出している。気にしていたお腹まわりも気にならない。卓哉の余計なひと言も最早気にならなかった。
「これならフレンチのフルコースも大丈夫だろ?お腹がポッコリ出ても隠れる」
その後はスムーズだった。ドレスと同色で透ける素材のストール、胸元を飾るイミテーションジュエリーのネックレス、ビーズの散りばめられたシルバーの小さなバック。最後の靴だけは高いピンヒールに不安があったが、卓哉のいう「よろけた女の子を支える男の役得」を奪ってはいけないらしいので、迷いを捨てた。全てを身につけて鏡に映した麻衣子は見違えるように綺麗になっていた。その同じ鏡に、腕組みしながら見守ってくれている卓哉が映っていた。ニヤニヤ笑いではなく、温かい笑顔を浮かべている。それが本当に嬉しくて、麻衣子も笑顔で返そうとしたのだが、危うく涙がこぼれそうになり、なんだかおかしな顔になってしまった。いつも麻衣子の思いに気付いてくれる卓哉はやはりこの時も彼女の気持ちを分かってくれたようで、ウンウンと満足そうに頷いて見せた。
狭いスポーツカーの車内に溢れんばかりに荷物を載せて別荘に戻る道すがら、今日一日を思い返し、しみじみと幸せを噛みしめていた麻衣子に、卓哉が爆弾を落とした。
「さぁ、これで心おきなくテニスに打ち込めるな。この旅行の最後にはペアを組んで和臣・雪乃ペアを倒すんだからな。負けたらペナルティが待ってる。ひょっとすると今日の支払いが回ってくるかもしれないぞ。明日からビシバシ鍛えるから覚悟しとけ!」
「ぎゃあっ!」
どこまでも麻衣子をからかう卓哉であった。
別荘に戻ると、具合が悪くなったらしい雪乃は既に休んでおり、心配されたレストランの件は先送りとなった。麻衣子は、雪乃のいない場所でみせる無表情な和臣を見る事にはまだまだ免疫が足りなかった。3人の食事は息が詰まり、緊張でせっかくの屋敷のシェフの料理も味がわからないほどだ。卓哉が麻衣子の代わりに和臣の相手をしてくれなければ、逃げ出していたかもしれなかった。
『素敵な1日の終わりにこんな試練が待っていたなんて、人生って甘くないんだね!雪乃ちゃん、早く良くなってね!』




