11.セレブな楽しみ
麻衣子は、雪乃とのおしゃべりにすっかり夢中で忘れていたが、今は和臣と卓哉の試合前のトレーニングの時間を待っていたのだと思い出した。彼らはいい加減待ちくたびれているのではなかろうか。麻衣子の焦りを知ってか知らずか、雪乃は慌てることもなく、ゆっくりとコートまで案内してくれた。屋敷からさほど歩くこともなく、木立の中、フェンスに囲まれてテニスコートがあった。コートサイドに到着すると、和臣と卓哉は既に汗だくでウェアを着替えている所だった。そろそろ試合を始めようという、いいタイミングだったようだ。雪乃のために陽射しを遮る大きなパラソルが据えられ、ベンチの脇のクーラーボックスには飲み物もたくさん用意されている。雪乃はさっそく和臣にタオルを差し出したりと、かいがいしく世話を始めたが、麻衣子の方は、プライベートコートとはいえ外で堂々と着替える二人にどんな顔を向ければいいやら、困ってしまった。それをにやにやと見て卓哉がからかうように言った。
「明日からは麻衣子ちゃんと雪乃ちゃんもテニスをするんだからね。良くお手本を観とくんだよ」
「いやいや、私テニスしたことないし、ラケットも持ってないし、出来るわけないです」
「雪乃ちゃんも初めてだし、ゆっくり教えるから問題ないって。道具は後で買い物に行くから買い揃えればいい。和臣の財布でじゃんじゃん買えるぞ!コーチのレベルは最高だし、いいラケットにいいシューズだとへたくその言い訳できないからな。頑張れよ!」
「ええー!そんなぁ!」
二人の会話を聞いていたらしい和臣が、麻衣子が叫んだのを機に寄ってきた。彼の鋭い眼差しには、相変わらず慣れない。何を言われてしまうのか不安を隠せず、首をひっこめ、身体を小さくしてしまう麻衣子だった。麻衣子には睨んでいるようにしか見えない眼差しで彼は尋ねた。
「麻衣子さんにテニスをして頂くというのはこちらの提案で、貴女には拒否する権利がある。我々とテニスをするのは嫌ですか?」
「あっ、いえ、大丈夫ですぅ!」
和臣に睨まれた麻衣子が「否」を言えるわけがなかった。例え彼にとっては睨んだつもりなどさらさらない、ただの普段通りの態度だったとしても。
『私、運動苦手なのに!なんかさっぱり分からない内に、どんどん強引に引き摺られていってない?そりゃあ、高原でテニスなんて、いかにもセレブのお楽しみってイメージで憧れのシチュエーションだけどさ。まぁ、「旅の恥はかき捨て」って、おじいちゃんが言ってたし、雪乃ちゃんは私がへたくそだったとしても笑うような子じゃないからいいか……』
やけくそ気味に麻衣子がパラソルの下のベンチに座りに行くと、先に座っていた雪乃がにこにこと彼女を出迎えた。雪乃もテニスをするとは聞いていなかったようだ。コートに戻った和臣と卓哉が軽く打ち合いを始めるのを観ながら、大興奮で麻衣子に話し掛ける。
「わたくしもご一緒できるなんて、夢のようだわ!いつも眺めるばかりで、それが当たり前のことだと思っていたの。本当に麻衣子ちゃんのお蔭ね」
「いや、私なんにもしてないし」
「いいえ!メールをするようにと教えて下さったお蔭ですもの。本当にありがとう。あの時の会話がなければ今日のこの日はなかったの」
確かに和臣とメールのやり取りを始めて、二人の関係は急速に変わったと聞いてはいる。とはいえ、感謝を重ねられると気恥ずかしくなってしまう。「ほら、試合始まるよ」と、照れをごまかした。
二人の試合は静かに始まった。コートを取り囲むのは風に揺れる木々のわずかなざわめきと鳥の囀りのみ。ましてや、今回はセルフジャッジだ。審判のコールもない。試合の展開はわかりにくいが、テニスをよく知る雪乃が要所要所を解説してくれるので、不便は感じなかった。和臣の異父弟、野島優太と卓哉のプレイをみた時のことを思い出しながら見始めたのだが、練習と試合ではここまで違うものだろうか。あるいは実力差なのか。やはり高校生の優太に卓哉が手加減していたのだろう。瞬く間に場所を変えるボールと二人の動きを見逃すまいと、麻衣子は息を呑み、ひたすらに目で追った。
高等部時代に大会からは引退したという二人だが、雪乃によれば現役時代は「パワーの西園寺」と「テクニックの東條」で通っていたらしい。二人のプレイスタイルはかなり違っていたが、実力は拮抗していて、時々確認の為に雪乃に試合の進捗を教えて貰ったが、シーソーゲームであるようだった。力で押す卓哉の攻撃を耐える和臣が僅かな隙をついて反撃する。共にスピードも技も素晴らしい。ホームページをみた麻衣子の記憶によれば、大会実績は中学時代が最高だったが、その後もお互いに研鑽し合っていたのか。もしかしたら、テニス以外が忙しくて大会に出る暇がなかっただけかもしれない。素人ながらそんなことを考えてしまう程、麻衣子の目に二人のプレイは素晴らしく見えた。
『二人は中学時代のダブルスパートナーなんだよねぇ。男の友情っていいな』
旅行を楽しみにしながらも無理の出来ない雪乃のために初日の予定を変更せざるを得なかった和臣。それを知って、卓哉は麻衣子に一日付き合うことを申し出たのだろう。まさにダブルスパートナーの息の合った連携プレイだ。そういえばVIPルームで卓哉と初めて会った時も雪乃を気遣って相手をし、優太に引き渡していた。和臣の不在を親友としてフォローしていたに違いない。
『あれ?でも、私と1日デートまでする必要があったかな。時間を変更して夜に到着すれば、充分だよね。私だったら、そもそもこんな長い旅行に友達の為に付き合ったりしないって。VIPルームで雪乃ちゃんといた時は和臣さんの代わり。今回は来られなくなった優太君の代わり。たとえ頼まれていたにしたって、和臣さんの為にここまでするなんて、凄すぎない?卓哉さんって、とことん尽くしちゃうタイプ?』
二人の間には長く太い絆があるのは間違いない。が、少々麻衣子の妄想は脱線しかけていた。
『え?まさか、卓哉さんの好きな人が和臣さんだったとかいう、衝撃の展開はないよね?』
シーソーゲームの決着は和臣の勝利に終わった。試合後、二人は固い握手をかわしたが、そのどちらにも、輝くばかりの笑顔があった。雪乃が和臣にタオルを手渡して出迎えるのを真似て、麻衣子は卓哉を出迎えたが、「勝利の女神が傍にいて和臣が負けるわけもないよな」と呟いた卓哉に悔しさは微塵もなかった。久しぶりに全力で戦った親友とのプレイに満足したのだろう、その笑顔には清々しさだけがあった。
『男の友情って、なんか凄く熱い!これでBLに目覚めちゃったらどうしよう?』
相変わらず漫画とラノベに毒されている麻衣子だった。
昼食は木立の中のテーブルに用意されていた。テーブルを挟んで向かい合わせに背もたれのない二人掛けのベンチが備え付けられている。そこに朝食の時と同じ配置に座り、色とりどりのサンドイッチをつまみながら、高原の空気を満喫した。麻衣子の感想には相変わらずな漫画チックなこだわりがあった。
『ピクニック気分まで味わえるなんて凄い!でも、ピクニックとサンドイッチには付き物の「あーん」って食べさせるシーンがないのは物足りないよね。雪乃ちゃんといるときの和臣さんなら、やりそうなのに。やっぱりセレブはお行儀の悪いことはしないのかな?萌えが足りないよ!』
昼寝を強要された雪乃はひどく残念がったが、体調を心配する和臣は否やを言わせなかった。乗馬といってもどうせ雪乃のお昼寝に合わせた時間つぶしだろうと麻衣子は考えていたのだが、どうして、乗馬は本格的なものであった。
近くの乗馬クラブか何かに行くのかと思いきや、厩舎は東條家の敷地の中にあった。しかもウッドデッキから見えたあの見渡す限りの林を抜けて馬で駆けることが出来るのだという。敷地の中だからそこまで行くのに資格や許可の必要もないし、この旅行の終わり頃には連れて行って貰えるらしい。なんという贅沢か。初めは専門家に習った方が悪い癖がつかなくていいというので、麻衣子だけ調教師に教えて貰う手筈になっていて、和臣と卓哉は暫く慣らした後、「二人で乗ってくる」と颯爽と馬に乗って行ってしまった。見られていない方が麻衣子も緊張しなくて済んで有難い。厩舎の責任者であるという調教師は随分と歳をとった馬場という名のおじいちゃんだ。馬の世話をする厩務員達にも慕われているようで、皆に親しげに声を掛けたり掛けられたりしていた。彼は麻衣子にものんびりとした調子で言ってくれた。
「坊ちゃん達にも私が教えたんですよ。すぐ乗れるようになりますから、焦らず、練習しましょうね」
若くてカッコいい調教師でなくて良かったかもしれない。老齢で人の良さそうなこの人なら、みっともない所を見せたく無いと構えることもないし、ゆっくり無理なく教えてくれそうだ。『馬場にいる馬場さんって、おやじギャグみたいな名前だけど覚えやすいよね!』とこっそり笑ったが。用具を貸して貰って、簡単な説明を受けた後、さっそく乗ってみた。思ったよりも馬の背は高くて少し怖かったし、馬が一歩進む度にお尻が当たって痛い。馬は麻衣子のいう事を聞くというよりは『馬場に付き合って乗せてやっている』と言わんばかりの態度だ。初回の騎乗は正直に言って散々だった。すっかり気落ちした麻衣子は早々に馬を降りて、和臣と卓哉が戻ってくるのを待つ事にしたのだが、馬場に厩舎に来るように誘われた。
「乗馬が上手くなるための秘訣は馬と仲良くなることですよ」
そう言われ、馬場に教わりながら馬の世話を手伝ったのだ。蹄の内側に詰まった泥を落としてやったり、ブラシをかけて毛並みを整えてやったり、マッサージをしてやったり。小柄な麻衣子は大きな馬の体に縋りつくようにして馬に触れた。その間、馬場がのんびりとした口調で馬の事、屋敷の事、和臣等ここに縁のある人達の昔話などを聞かせてくれた。落ち込んでいた麻衣子も少しずつ癒されて、楽しくなってくる。そうすると世話をされる馬もうっとりと気持ちよさそうにするのだ。馬術競技の大会に貸し出すこともあるという馬達は皆艶やかな毛並みの素晴らしい姿をしている。それを眺め、触れているだけで、麻衣子までうっとりした気分になってしまった。
『なにこれ、楽しい。馬が犬や猫と変わんない位可愛い。ううん、それ以上かも!獣医志望の山岸君は夏期講習なんて止めて、ここに来るべきだったよ!』
つまり、麻衣子には乗馬というよりは馬と「馬場さん」との触れ合いが最高に楽しかったのだ。和臣が馬場を紹介してくれた時にさらっと言った言葉を信じて甘えてしまってもいいだろうか。
「気に入ったなら、買い物の時に乗馬の装備も買い揃えると良い。体に合ったものの方が上達も早い」
やがて、遠乗りを堪能したらしい和臣と卓哉が戻ってきた。堂々と馬を操る二人の姿は、騎士のように雄々しく見える。麻衣子は自分で馬を操る姿が想像できなかったので、お姫様のように騎士に抱かれて馬に乗る自分の姿を妄想した。それだけでにやにやしてしまい、それに呆れたらしい馬がブヒヒと啼いた。
『和臣さんが、氷の王子と噂される王太子で、卓哉さんがその乳兄弟の近衛騎士とか、似合いそう!雪乃ちゃんはお姫さまで、私はひょんなことで知り合った町娘?なら、私のお相手は卓哉さんかな?うへへっ…妄想だけなら許されるよね!』




