1.運命の出会い
体育館の片隅で真新しいセーラー服の胸元のスカーフを整えながら、佐藤麻衣子は深呼吸を繰り返していた。中学時代のダサかった自分は今日限り忘れよう。天然パーマで色素の薄い髪は校則違反と言われないように三つ編みにしていたが、今は下し、パーマもヘアダイもいらない安上りウェービーヘアだ。ふわふわとして可愛らしいと、我ながら結構気に入っている。ガリ勉のためにどんどん厚くなった眼鏡も入学祝いに買ってもらったコンタクトに変えた。これから壇上で新入生代表挨拶をするのだ。麻衣子にとって念願の高校デビューだった。だがしかし。中学の卒業式とは比べ物にならないほど豪華に生けられた花が飾られたステージ。その横に立って挨拶をする自分はきっとひどく貧相に見えるに違いない。そう思うとさっきから震えが止まらないのだ。
学校法人清光学院は幼稚舎から大学部まである名門校だ。高等部までは男女別々であったのを数年前に統合した折、3ヶ所に散らばっていた校舎はすべて大学の敷地内に集められた。出入り口も校舎もはっきり仕切られて普段の交流はほとんど無いが、幼稚舎に通う幼児達が大学エリアにある植物園へお行儀良く列をなしてトコトコと歩く姿が微笑ましい。人数の割に広いキャンパスはさすがのお金持ち学校だろう。都心にも関わらず駅から離れた丘の上にあって、送り迎えの高級車が列をなす光景は麻衣子の大好きな少女漫画やライトノベルの世界さながらなのだ。『ヒロインになりたい、なれなくてもせめてその世界に入りたい』というのが麻衣子の一番の志望動機だった。お嬢様学校にしてはダサいセーラー服だが、伝統には逆らえないし仕方ないと諦めた。しかし、マンガチックな恋愛は外せない。
良家の子女を集めたこの学院に通うには、基本的に卒業生の紹介と多額の授業料が必要だ。麻衣子の家はそのどちらにも縁がなかったため、中学、高校それぞれで若干名募集する編入試験の内でも僅か1名か2名しかとらない学費免除の奨学生を目指した。中学受験は逃したが、3年間のなりふり構わない猛勉強が実を結び、新入生代表にまでなったのだ。家を出る時には誇らしい気持ちで一杯だったのに、生徒全員を前にした途端、逃げ出したくなってしまった。これから行われる式は、中等部、高等部合同の、入学式兼始業式だ。麻衣子達編入生にとっては入学式だが幼稚舎や初等部から在学している生徒にとっては始業式となる。一クラス毎の人数は中学の時より断然少なくても、中等部と高等部合わせて6学年、3クラスずつが一糸乱れず並ぶ様は壮観で、圧倒されてしまったのだ。ここで失敗しては今までの努力が水の泡だと思うと緊張は高まるばかり。深呼吸も、身体の震えを止めるのにちっとも役に立ってはくれない。
「大丈夫?」
後ろからトントンと肩を叩きながら耳元で小さく囁かれて、身体が大きくはね上がってしまった。
「ゴメンゴメン、驚かせちゃったよね」
振り返ると、真っ黒に日焼けした顔に人懐っこい笑顔を浮かべた少年がこちらを見下ろしている。麻衣子は思わず自分のおかれた状況を忘れてまじまじと見つめてしまった。彼女の卒業した中学ではいかつい体をして「ちわっす」という挨拶のにあう運動部員か、ひょろメガネの文系男子しかいなかったのに、さすが清光学院には、爽やか美少年がいるのか。長身に程よい筋肉を蓄えていて、いかにもスポーツマンといった体型だ。綺麗に整えられたさらさらの髪に、欧米人にもそうそういないと思われる過不足ない鼻筋。長いまつげの奥の大きな瞳はまっすぐに麻衣子を見つめているが、その眼差しは温かく、彼の人柄を表している。漫画の中にだってここまで麻衣子の理想に近い男の子はそうそういないだろう。
『ああ、惜しい!今時風のイケメンには、やっぱり学ランよりブレザーが似合うのに。男女統合の時に制服デザインを変更する話があったらしいけど、卒業生の反対で立ち消えになったって、ホント残念!』
麻衣子の心の中で語られた言葉は音にはならなかったが、普段から考えていることがわかり易いといわれる彼女だ。その顔には大いに残念そうな気持ちが滲んでいた。少年を見上げながら、薄い眉は八の字を描き、若干色素の薄い大きな瞳をあちらこちらに巡らせ、ぷっくりとした唇は結んだまま尖ったり、引っ込んだり忙しい。それに合わせて、白い肌に透けた血色のいいほっぺたが何度か膨らんだ。少し上向いた小ぶりな鼻さえ何やら不服そうに見えてくる。
「緊張するのも無理は無いけど。エスカレーター式のここではほとんどの生徒にとって、今日は始業式でしかないんだ。新入生代表挨拶っていっても、実態は転校生の紹介と変わらないから、リラックスしてね」
少年はそう告げてポンっと麻衣子の腕を叩くと、足早に去っていった。整列している自分のクラスに合流するためだろう。『上級生かな。こんな所にいたんだからきっと生徒会役員とかだよね。ああ、でも部活の代表で表彰されてたとか?またすぐ会えるかな?あんなカッコいい人だから、きっと有名人ですぐに名前とかわかるよね。あの時はありがとうございました、とか言ってお近付きになって、そのうえ彼氏に出来ちゃったら最高!』
運命的な出会いの先のストーリーを妄想していた麻衣子にはこの後の挨拶の記憶はない。式を司会していた先生に「お疲れ様」と言われた時に、特に不審な様子もなかったから、なんとかそつなく済ませたのだろう。でもそんなことは今となっては些細なことだ。それよりも大きな失敗にうちひしがれていた。冷静になってから思い起こすと、去り際の彼は眉をしかめ、口をへの字に曲げていたのだ。麻衣子のあまりにも不躾な視線に気を悪くしたのか、はたまた返事もしない無礼な態度に怒ったのだろうか。
『恋愛フラグへし折っちゃったかも!』
本当の所は、妄想する麻衣子の百面相があまりにも可笑しくて吹き出しそうになるのを必死に堪えていただけなのだが、知らぬが仏だ。運命と呼ぶには少々間の抜けた出会いだった。
直後、少年との再会の時はあっさりと訪れた。式を終え、教室でホームルームの始まりを待っていた時のことだ。『三年間の努力を無駄にしないためにも出会いの機会を逃してなるものか!』との決意の元、クラスメート男子を物色すべく見回していると、先ほどの彼を見つけた。同じクラスだったのだ。広い教室にはゆったりと机が並べられているが、その一番後ろに深く腰掛け、腕を組んで座っている。一瞬、別人かと思ってしまった。あたりを見渡す視線は鋭く、まるで教室を監視しているかのようだ。先ほど浮かべた人懐っこそうな笑顔は見る影もない。目があったような気がしたが、すぐに担任が教室に入ってきてしまい、麻衣子よりも後ろの位置にいた彼をそれ以上見ることは叶わなかった。
高等部1年A組の編入生は麻衣子たった一人。担任の高梨は自席に立たせた麻衣子に簡単な自己紹介をさせた後、当然の事のようにクラス委員に指名した。『転校生がいきなりクラス委員って、ありえないでしょ!そんな話聞いてないし!』と戸惑ったが、奨学生の義務かと思って受け入れた。ホームルームを終えると、例の彼が気まずそうな顔で麻衣子の席に寄ってきた。その視線は先程より柔らかくなっていて、麻衣子は胸をなでおろした。
「さっきはゴメン。俺、野島優太。生徒会の書記をやってるんであそこにいたんだ。君の事は事前に聞いてたから同じクラスのよしみで声掛けてみたけど、迷惑だったかな?」
「そんなことないです!こっちこそパニクってたから失礼な態度になっちゃってたかも。ごめんなさい!」
麻衣子の心の声は『あなたのことを残念な人だと思ったのではなく、制服が残念だっただけなんです!』と必死に叫んでいた。出会いの場での落ち度を挽回しようと何度も頭を下げたせいで、クラスメートの視線を集めてしまった。優太のことしか見えていない麻衣子は気付いていないが、皆興味深げにこちらを眺めている。途中編入の生徒はいい意味でも悪い意味でも目立つことが多いのだ。お行儀のよろしい良家の子女は表立って口にはしないが。今だって見ているだけで、誰も声をかけてはこない。教室の空気は冷ややかだ。この時優太は『どうせ奴等は内心で俺達を馬鹿にしてるのさ』と苦々しく思っていた。自分の言いたいことだけ伝えたら、さっさと席に戻った方が、麻衣子の為にもいいだろうと考え、早口で告げた。
「困った事とかあったら遠慮なく聞いて。俺も中等部からの編入だからそれなりだけど、誰に聞けばいいかのアドバイスくらいは出来ると思うし」
「ありがとうございます!え、えっと…、あの……」
優太はそそくさと席に戻ろうとしていたが、麻衣子の方はあっさり会話を終わらせてしまうのが惜しくてつい言葉を繋いでしまった。好みの顔をもう少し眺めていたいだけだったのだが、何か質問でもして場を繋がなければ、挽回どころかさっきの二の舞だ。次の言葉が出てこないことを訝しんだ優太が聞いた。
「何か?」
「さっきクラス委員に指名されたみたいなんですけど、あれって、成績順とかで決まるんですか?」
「え?!」
麻衣子としてはとりあえず少し気になった程度の事を尋ねただけだが、優太にとってはぎょっとする質問だった。クラス中の生徒のクスクス笑う声が聞こえた気がして心の内で天を仰いだ。
「そういうんじゃないんだ。編入生はクラス委員会とか生徒会活動とかをする人がほとんどだから、高梨先生が君もやるもんだと思い込んでるだけじゃないかな。嫌なら断ってもいいんだよ。俺から言ってあげようか?」
「その…嫌ってわけではないんですけど」
「なら、やるといいと思う。委員会には編入生が多くて友達も作り易いし、校内の情報もいろいろ貰えるから、お勧めだよ。生徒会として俺も協力するし」
「そういうことなら、やってみます!」
『やっぱり生徒会の役員だったのか。一年生ながら凄い!きっと成績もいいんだろうな。運動神経抜群で、成績優秀って、漫画のヒーローじゃん。来年は俺生徒会長やるつもりなんだけど、麻衣子、副会長やらないか、なんて言ってくれたりして。キャー!どうしよう?私がヒロイン?』
親切な優太の言葉に、思い込みだけを根拠にした妄想を果てしなく広げ、麻衣子の気分はすっかり舞い上がっていた。事情が明らかになるにつれて、いかに自分の発言が恥ずかしいものだったかを知ることになる。




