6:面倒な不運はついて回って
6:面倒な不運はついて回って
聖水を求める旅も二日目。そろそろ一般人が立ち入ることのできない領域に入る頃だ。
「――やはり妙ですね」
昼を過ぎ、急に襲いかかってきた小鳥の群れをあっさりと魔法で退けたウラノスが呟く。
「妙って?」
事態が落ち着いたのを確認すると、アリスはポケットからひょっこりと顔を出す。小鳥が執拗に狙ってくるので、ウラノスから隠れているよう命じられていたのだ。
「君と出逢ってから不運続きです」
なかなか馬に乗らないのを不思議そうに見つめているアリスに、ウラノスは素っ気なく答える。
「あたしのせいみたいな言い方しないでよ!」
「そう聞こえたということは、自覚があるんですね」
頬を膨らませてムスッとするも、確かにアリスも違和感を覚えていた。大した出来事ではないが、これまでの道程で起きた異常事態はかなり多い。
「そうじゃないけど……昨日の暴走馬車からはじまり、馬の前を不意に犬が飛び出してくるし、夕食に立ち寄った店では猫に跳びかかられて料理をひっくり返され、今朝は狼に追われたと思ったら鳥の群れ――先生はそーとー動物に嫌われていらっしゃるようですね」
そう言ってやるも、これほど重なれば作為的なものを感じざるを得ない。嫌われているのではなく、仕向けられているかのような不気味さ。
「それこそ、呪いをかけられているがごとく、ですね」
誰が何に呪われているかは問題ではない、誰が呪っているのかが問題なのだ――ウラノスはそう説明するかのような口振りで告げる。
「それって……」
「動物たちの中には魔法をかけられた形跡があるものもいました。この小鳥たちもそうですね。魔法の系統がどれも近いので、使い手はおそらく一人でしょう。――気づかなかったんですか?」
アリスの鈍い反応に、ウラノスが説明して問う。
――き……気づかなかった……。
自分のことで精一杯で考えてもみなかったアリスは、ウラノスの指摘に何も答えることができない。口ごもって俯く。
「やれやれ。状況を分析するくらいのことはすべきですよ、アリス君。王宮で守るべきは王と民なんですから」
「はい……肝に命じておきます」
しゅんとなって頷くアリスに、ウラノスは次の問いを投げる。
「さて、ここまで教えたのですから、さすがに今がどんな状況なのかわかりますよね?」
「へ?」
「鈍いですね。――犯人が私たちをつけてきているのですよ?」
暗い森を抜ける街道。今は人通りがなくひっそりとしている。ウラノスは来た道の先に視線を移した。
「出てきたらいかがです? もう私たち以外に人はいないのですから」
呼びかけに反応はない。
しかし、アリスも何者かの気配を感じ取っていた。
――確かに誰かいる……。
殺意のこもった冷たい視線。右側の奥にある木々の間からそれは向けられている。
「まさか私が気づいていないとは思っていないでしょう? 私からは君の姿が見えているんですよ?」
ウラノスはアリスのいない方のポケットから素早く銅貨を取り出すと、右手奥の茂みに向かって投げつける。勢いがあって、動きに迷いがない。
真っ直ぐ飛んで行く銅貨に対し、瞬時に魔法陣が展開される。結界が作られ、銅貨は甲高い音を立てて弾かれた。
「――さすがは王宮魔導師師範代ですわね」
茂みが揺れて姿を現す小柄な影。黒い頭巾を被り、髑髏の杖を持つ人物には二人とも見覚えがある。通りに出てきた少女は頭巾を後ろに跳ね、自分の顔を陽射しの中に晒した。
「いつから気づいていましたの?」
赤い巻き毛に赤い瞳。そこに立っていたのはアリスをネズミに変えた張本人ロディアだった。
「尾行されていると気づいたのは初めから――そうですね、王宮の門を出たところからいらっしゃいましたよね?」
――って、全く気づかなかったんだけど! つーか、教えてよ!
しれっと答えるウラノスに、アリスは苛立ちのこもった視線をちらりと向ける。
「そこまで気づいていながら、どうして撒こうとなさらなかったのです?」
落ち着いた、にこやかな表情でロディアは問う。ウラノスの問いを否定しなかったので、彼が言っていることは事実であるようだ。
「ひと気のないところで話をすべきかと思いまして」
互いに穏やかな表情をしているが、空気はピリピリと張りつめている。魔法を放つ機会を互いに窺っているのだ。
「説教なら間に合っていますわ。わたくしは何も間違ったことはしておりませんもの」
「間違っているか否かは問題ではありません。何故、このようなことをしたのかが問題なのです」
「このようなことって、何のことかしら?」
ロディアは不敵に笑うと、肩につく毛先を後ろに払う。
「さっき襲ってきた小鳥たちや昨日の暴走馬車は君の仕業ですよね? それに、アリス君をネズミに変えたのも」
ウラノスの静かな問い。
それに対しロディアは声を立てて笑う。
「何がおかしい?」
少女の態度に腹が立ったのだろう。ウラノスの声に険が混じる。
「それが彼女の本来の姿ですのよ? 田舎娘にふさわしい姿ではありませんこと?」
「なっ! あなた、よくもそんなことを言えたものねっ!」
さすがに黙ってはいられない。アリスは声を荒げて叫ぶ。
「あぁ、やだやだ。チュウチュウやかましいネズミですこと。それに――ウラノス様には似合いませんわ」
ロディアの瞳がきゅうっと小さくなったかと思うと、彼女の右手が一瞬で腰に移動し何かを掴んで投擲した。
「ちっ!」
魔法ではなく物理攻撃でくるとは予測していなかったらしい。ウラノスは舌打ちをするとアリスをかばって背を向ける。ロディアが投げた小型の剣はアリスのいるポケットを狙っていたのだ。
「先生っ!」
アリスは目の前で起きた出来事に驚き、思わず叫ぶ。投擲された剣が脇腹を掠め、着ていたローブを裂いて朱をにじませていく。ウラノスは片膝をついて、傷口に手を当てた。手袋をはめた指先が赤く濡れる。
――やだ……あたしのせいで先生が怪我をしちゃうなんてっ!
「らしくありませんよ、ウラノス様。彼女の代わりなんていくらでもいるではありませんか」
ロディアの声が冷酷に響く。
「それに、あなた様はネズミがお嫌いだったはず。ネズミが媒介する病で母親を亡くした影響でしたかしら? 無理しなくてもよろしいんですのよ?」
――だから、不機嫌だったの?
アリスは王宮に連れて来られた日のことを思い出す。
ずっと苛立っていた理由がそれだというなら、アリスだって理解できる。彼女にも苦手なものはあるし、嫌なものを前にして落ち着いてはいられないのも頷けるからだ。
――それに。
宿屋で聞いてしまった寝言が脳裏をよぎる。彼が過去の夢を見ていたのは、憎い存在を目の前にして、思い出したくない記憶が呼び起こされてしまったからなのだろう。
――先生は、ネズミなんて見たくなかったのに、あたしをこうして連れてきてくれた。そんな想いを秘めていたにもかかわらず、投げ出さずに接してくれたんだ……フィロさんに押し付けることもできたはずなのに。
胸の奥が疼く。
「私が無理していると? 笑わせないでください」
ウラノスは鼻で小さく笑い、台詞を続ける。
「アリス君はどんな姿になろうとアリス君ですよ。ネズミだろうと他の何かになろうとも、私は彼女を見分けることができます。何故なら、彼女の代わりは存在しないのですから」
傷口に手を当てて治癒魔法をかけようとしているが、痛みがひどくて集中できないらしい。集まりつつある魔力が途中で散ってしまい、魔法が発動しないのだ。
――エマペトラ先生……。
ウラノスの台詞に鼓動が早くなる。そしてアリスはこのまま護られているだけではいけないと感じていた。王宮魔導師を目指すなら、助けたいと思う誰かに手を差し伸べることができなけばいけないはずだから。
アリスはウラノスを助けるために、集中を高める。
「アリスさんに何ができるというのです? あなた様の野望を叶えるのはこのわたくし以外に存在しませんわ!」
じりっという地面を削る音。ロディアは力強く宣言すると、足を一歩踏み出す。
「わたくし、知っていますのよ。あなた様が王位継承権を奪われた血筋の末裔であることをっ! だからこそ、力を示して国に認めさせようとしているのだと!」
――なっ……え?
ロディアの話を聞いて、アリスの集中が途切れる。
頬に汗を流しながら、ウラノスは口の端を上げて笑んだ。
「――よく調べましたね」
「呪術師の基本ですわ」
当然だと言わんばかりの口調でロディアは返す。
呪術は過去の因縁を利用して発動させる。効率的に成功させるためには、呪う相手の情報が欠かせない。つまり、ロディアは魔導師であるまえに、そういう身辺調査を得意としているのである。
「確かに私の家は、遡れば現クリスタロス陛下の先祖と同じくしております」
苦しげに息を吐き出し、ウラノスは続ける。
「エマペトラ家から王位継承権がなくなったのは祖父の代。戦争による財政難を契機に王族の縮小を求められたため、遠縁の血筋から切り捨てられたと聞いております」
――もし、その出来事がなかったら、彼は王子様だったってこと?
淡々とウラノスの口から語られる彼の背景。アリスは驚いたが、集中力を切らせるわけにはいかない。彼が自分の生い立ちに関わる話をしているのが時間稼ぎであるのは察していた。だから、なおさらこの魔法は成功させなくてはいけない。
「私が王宮魔導師採用試験を受けた理由が、少しでも王族に近付きたい気持ちがあったからであることは認めましょう」
「ほら、わたくしが予想した通りではありませんか」
得意気な顔をしているロディアに、ウラノスは続ける。
「……ですが、私はそんな個人的な気持ちだけでこの職に就いたわけではありません。私はただ、この国の人間を護りたいだけ。王位などなくても国民を護れると証明したいだけ。そのためには国の後ろ盾が必要です。だから私は上を目指す――そういうことなんですよ」
苦痛で顔が歪む。アリスはウラノスのために紡いだ魔力をそこでやっと解放した。
「――大地と海の使者よ、この者を癒す力を分け与えたまえ」
アリスの苦手な治癒魔法。彼女がそれを発動させるためには予備動作や魔法陣が必要不可欠で、今のネズミの姿ではいずれも満足には使えない。だが、真剣な気持ちが伝わったのだろう。小さいながらも魔法式で作られた光の円陣が展開し、ウラノスの傷口を微弱な光が照らした。裂けた皮膚がゆっくりと合わさっていく。
――他の人がやるよりも効果は薄いかもしれないけど、やらないよりはマシなはず。
期待していたよりも魔法の継続時間が短かったのを見てアリスは落ち込む。
そんな彼女の頭をウラノスはそっと指先で撫でた。声には出ていなかったが、その仕草だけで感謝の気持ちが伝わってくる。
「――ロディア君は自分の力を国に使って欲しいから王宮魔導師になりたいと言いましたね」
ウラノスはアリスの顔を見ずに立ち上がり、ロディアに向き合う。
「えぇ、そうよ。わたくしの力を効率よく使うことができるのは国家以外にありえないと思いますもの」
「しかしそれは君自身が自分の力を誇示したいからにすぎません」
指摘されて、ロディアの顔に不機嫌な色が濃く表れる。
「アリス君の答えはこうでした。――誤った力の使い方をしないために王宮魔導師になりたい、と」
――覚えてくれていたんだ……。
王宮魔導師採用試験の面接のとき、ウラノスの問いにアリスは飾ることも偽ることもせず、ありのままの気持ちをぶつけた。他の受験者たちが志しの高さをつらつらと述べて主張する中、一人だけ個人的な理由を告げたのには恥ずかしさはあったが、それでも伝えておきたいことを言えたのは誇りに思っている。だから、悪目立ちで印象に残っていたのだとしても素直に嬉しい。
「よく、そんな心構えで王宮魔導師採用試験の最終選考に残ったものですわね」
ふん、と鼻で笑うロディア。彼女がそう言いたくなる気持ちはアリスにも少しだけわかる。
フィロに勧められ、魔法の勉強を続けるために試験を受けたのは事実だ。とはいえ、一般的には王宮魔導師は王国に所属する機関であり、私学のためではなく、国に尽くすために存在している。心構えがなっていないという指摘であれば、真っ当な意見だろう。
――先生はどう返すのだろう。
ウラノスの性格や言動の傾向から考えると、ロディアに同調してもおかしくはないはずだ。アリスは不安な気持ちを抱えて耳を澄ます。
彼は続ける。
「だからこそ残ったのだと思いますよ」
はっきりとそう告げたのが聞こえた。
「君は田舎者だと馬鹿にしていたようですが、アリス君には血筋も後ろ盾もありません。定住する魔導師のいない西側の土地の出身ですから、私らと比べると魔法に馴染みはなかったはず。それでも彼女は魔法を使えている。おそらくそのことで、迫害を受けたこともありましょう。南部と違って西部は水の精霊の加護を受けている実感を得にくい土地ですから、魔導師自体が気味悪く思われている節もありますしね。君には想像できますか?」
ウラノスの説明を聞きながら、アリスは胸の奥がもやもやするのを感じる。西側の情勢をよく知っている理由が、彼が一度は視察に来ているからにしか思えない。過去に顔を合わせている可能性があることに、アリスは今さら気づく。
「っ……!!」
返す言葉が浮かばないらしいロディアに、ウラノスはなおも台詞を続ける。
「ロディア君が魔導師の家系として有名なグラナティス家の長子であることは存じております。高名な魔導師の下で、たくさん努力をしてきただろうことも想像できます。期待に応えなくてはという気持ちも理解しているつもりですよ。でも、君が学んだ環境はアリス君と比べれば、ずい分と恵まれていたはずだ。違いませんよね?」
ウラノスの問いにロディアは答えない。不愉快そうに睨んでいるだけだ。
「そして、彼女の得意とする魔法は攻撃魔法。特に火炎系の。一度見せていただきましたが、あの火力を出せる魔導師はなかなかいませんよ。その強すぎる力を制御する意味も込めて試験を受けたというのですから、私は高く評価しますね。その一生懸命さは、私にはないものです。ですから、彼女の才能を私が育てたいと思った」
――ど……どこからどこまでが本音?
そう言われて悪い気はしないし照れくさいが、ウラノスがどこまで自分の思いを素直に出しているのかアリスは疑ってしまう。彼が少々ひねくれ者で照れ屋であるということはこの旅を通じて理解できたが、まだまだわからないところはたくさんある。
――それに、どうして今ここでそんなことを明かすの?
「ふん。どうせ育ちませんわ。返せば危険な力ではありませんか。そんなものを王宮の中に入れること自体、国を危うくさせますわ」
沈黙を続けていたロディアだったが、小さく鼻を鳴らして笑う。
――国を危うく……。
ロディアの反論に、アリスはなるほどと頷いた。自分が未熟であることを認識しているアリスには、彼女の台詞は重い。
「万が一のことが起きるような事態になったときは、私が命に代えても止めますよ。その危険に怯えることよりも、アリス君にはもっと魔法を覚えてもらってきちんと制御できるようになってもらった方がいい。王宮なら資料も施設も一番充実していますから」
その台詞を言い終えると同時に急速展開する魔法陣。ロディアの足元に広がる闇の円陣は暗い触手を伸ばしはじめる。
「こ……この魔法陣はまさか」
事態に気づいて対抗魔法の詠唱をはじめるロディア。彼女の顔に焦りが浮かび、額から汗が流れ落ちる。
「そんなわけでロディア君。私はアリス君以外の人間を自分の弟子に迎えるつもりはないのです。反省の足らない君には、アリス君がどれだけ苦労したのかを味わってもらうことにしましょうか。――時間稼ぎに付き合ってくださり、ありがとうございました」
ウラノスがいつから魔法を仕込んでいたのかはわからない。しかし、彼はにこやかな表情を浮かべてロディアに手を伸ばすと、魔法陣がその効力を発揮した。
「そんなっ……」
ロディアの対抗魔法は間に合わなかったようだ。悔しげに歯を鳴らしながら、彼女の身体は闇に飲まれていく。
「――何をしたんですか? エマペトラ先生」
ロディアの身体は闇に触れた部分から小さくなっていく。
「君にかけられた呪いと同じことをしただけですよ。ただ、きちんと反省するまで呪いは解けませんし、魔力も封じさせていただきましたが」
やがて闇が晴れ、姿を現したのは一匹のガマガエルだった。
「よくもよくも……ウラノス様! この恨み、そして屈辱、一生忘れませんわ!」
「恨み続ける限りはその呪いは解けませんよ? ちゃんと反省しなさい。――そして次の試験に備えなさい。君の才能だって私は高く評価しているのですから、間違った使い方をしてこれ以上失望させないでください。また会える日を楽しみにしております」
言って、ウラノスはロディアに背を向け歩き出す。彼の背後に向かってロディアは何か叫んでいたようだが、よく聞き取れなかった。