指先ボルト ~ありふれた日常~
人口密度の高い体育館。俺はそこで校長の話を半分、いや三分の一だけ聞いていた。どうにも頭がぼんやりとしている。周りの生徒も同じようなもので、隣に座っている奴(男子)は居眠り直前まで行っている。
校長は、これからこの清明高校の生徒として自覚を持って― と話している。どこかで聞いたことのある言葉だ。
そのせいか時間経過を遅く感じる。
式の始まりからどれくらい経ったのか、と左前にある時計を見ると、残念ながらまだ十分と少ししか経っていなかった。
その時計が止まっているかのように思えたが、目を離した瞬間に長針が音を立てて動いた。校長の話も終わった。
司会進行役の学年主任の号令で席を立った。礼の後はそれぞれの教室へ戻る。
まだ緊張感があるせいか、列が乱れることはない。特に話もしない。
この集団は悪くいえば囚人だ。学校という枠に捕らわれているのだから、ある意味間違いではない。とか、わざと重く考えながら、前を行く生徒の背を追った。
教室に入り、それぞれに割り当てられた席につく。一度座っている分、混乱はない。全員が椅子に落ち着いてきた頃、ようやく雑談が始まった。囚人ではなくなる。
俺も誰かと話そうと思い、周りを見た。
前も左右もそれぞれに話し相手を見つけている。あとは後ろだ。振り向くと、そいつのほうから声をかけてきた。
「松本だっけ? これからよろしく」
そいつは横も縦も大きく、体育会系的な雰囲気を出していた。笑顔で手を差し出してくる。俺はそれに少し引きながら返した。
「深山だよ。松本は前の席の奴」
「そうか。俺は守山」
冷たく訂正したが、守山は普通に握手を求めてきた。
初対面の男子高校生同士が握手。これは何かおかしい。こういっては何だが守山は少し変な奴なのかもしれない。
が、ここで拒否をすれば最初から人間関係に亀裂が入る。俺は苦笑いをしながら手を出した。
「よろしく」
指に触れた途端、小さな電流が走った。それと一緒に守山の思っていることも流れてきた。
“こいつ明らかに引いてる。けど嫌な奴じゃなさそうだ”
意外性のない言葉。これは幻聴でも勝手な想像でもない。
中学二年生のときに雷に打たれかけて以来、こんな現象が起きる。指先同士が触れたとき限定で。
そんな機会はそう頻繁にあるものじゃない。だから忘れていた。封印していたともいえる。
あれから一年以上が経つが、この妙な現象は消えていないらしい。日常生活に支障はないが、何か嫌なものがある。最初がこれで大丈夫かと思っていると、守山が、どうかしたか? と声をかけてきた。
「いや、何でもない」
手を引っ込めてはぐらかした。これではホモみたいだ。さすがに勘違いされることはないだろうが、動揺は消えない。訝しげな顔をしている守山を前に、平静を装って話を続けた。
「ところで、守山はどこ中だった?」
「南陽。ま……深山は?」
まだ名字を覚えられてないらしい。が、そこは指摘をせずに答える。
「北陽。まあ大体この辺の公立だよな。部活は?」
「してなかった。ずっと近くの柔道場通い」
返ってきたのは、見た目からも頷ける答えだった。答えた後、深山は? と、質問を返した。
「野球部。でも、高校では入る気ない」
「強過ぎるからか?」
「いや、厳しそうだから」
誰でもが言いそうな答えを返す。実際にそれが理由だ。
清明高校は、甲子園こそ出たことはないが、地方大会ではそこそこの成績を出している。練習は本格的かつ厳しい。と、聞いている。
中学時代は打って走ってを繰り返す日々で、引退前にはどこかもう飽きていた。高校ではゆったりとした朝と自由な放課後を堪能したい。
守山との会話から離れて先のことを考えていたが、守山は追ってきた。
「いま、女子のほう見てただろ」
柔道をやっていたというだけあって硬派な見た目をしているが、思春期特有の目を持っているらしい。俺はからかうような言葉に冷たく返した。
「見てない」
が、全く気にしていないというわけでもない。
俺の斜め前にいる集団の中で一人だけ浮いているように見えた女子がいる。どこかの漫画にでも出てきそうな、細身で艶のある長髪をした子。
外れて見えたのは、そんな生徒イコール、という思い込みのせいだろう。彼女はしっかりと会話に入っている。少なくとも傍目から見れば。
仲が良く見えても、裏に何があるかは分からない。というのが女子だ。あの集団はこれからどうなるのだろうと思っていると、守山に肩を一発叩かれた。痛い。
「やっぱり気にしてるな」
「気のせいだ」
全力で否定したが、守山は逆に乗ってきた。いや見てた、と言い張る。
「ただ見てただけだ。何も考えてない」
「怪しいな」
疑っていた。しつこい、と、言い返すと、やっぱりか、と、笑った。
席替えをするまではこの守山に付き合わなければならないのかと思うと気が滅入る。それでも悪いことばかりではないだろうと、半ば無理矢理に考えた。
五月になると高校生活にも慣れ、佐田・有元の二人といることが増えた。細かくいえば、俺と佐田がいるところに、たまに有元が絡んでくるという感じだ。もちろんそういうときばかりではない。
女子ほど明確にグループが分かれているわけではなく、基本的には誰とでも話す。それは中学生の頃から変わらない。
いまは二時限目が終わったところで、皆それぞれに教室を出る準備をしている。
次、午前中最後の授業は化学だ。この科目は聞くだけではない分、少しはやる気が出る。文系の生徒には憂鬱だろうが、理系である俺はそんな気持ちとは無縁だ。
佐田と有元も理系だ。二人とは二年になっても同じクラスになりそうな気がする。などとかなり先(と見せかけて案外早かったりする)のことを思いつつ、流れに乗って教室の外へ出る。
そこへ当然のように佐田がきた。有元はというと、教室内の前方で担任(中年に差しかかった男)から何か頼まれごとを受けていた。
担任は何かと日直にものを頼むことが多い。そうやってコミュニケーションを取ろうとしているのだろうが、生徒からすれば迷惑な話だ。
俺が日直のときもそうなるだろうな、と、少し憂鬱に思いながら、捕まってしまった有元には、先行くぞ、と、残して教室を出た。
佐田と何となくお笑い芸人の話をしながら、だらだらと階段を上がる。俺たちの教室は一階、化学室は隣の棟の二階だ。そこへ最短で行くには二階の渡り廊下を通るのが一番良い。大雨でもない限りは、皆そこを使う。
その渡り廊下に差しかかったところで、佐田がいきなり自分のペンケースを投げてきた。俺はそれが落ちる寸前にキャッチした。そして、リリース。急な振りだったが、野球部の頃の感覚が薄く残っていた。
返してそれで終わりだと思っていたが、佐田はまた同じように投げ返してきた。何がしたいのか分からない。
「要らねぇよ」
と、俺は投げ返した。
「じゃ、何が要るんだよ」
受け取った佐田は、行動以上にわけの分からないことを言う。が、そこが佐田の面白いところだ。俺はそれに冗談を返した。
「ケータイ」
言うと、本当に投げてきた。速度のあるそれを何とかキャッチした。そして、下中央のボタンを長押しする。佐田は校則に従い電源を切っていた。
「な、本当に要ったのかよ」
「投げるほうが悪いんだろ」
文句を言う佐田に適当な返しをしながら中身を見る。どんなアプリをダウンロードしているのか。まずはそれを見る。が、返せ、と言われ、素直に返した。特に興味があったわけではない。手に触れないように返すと、佐田はその電源を切った。
「深山のも見せろよ」
「何で?」
「見たから」
それでおあいこだという。
気は進まないが、見られて困るようなものはない。分かった、と、答えながらケータイを渡す。
と、佐田は何故か見もせずに前方に投げた。わけが分からない。何してんだ、と、怒りを向けたが、何も答えなかった。
勢いよくケータイ(俺のはスマホじゃない)が飛んだ先には一人の女子生徒がいた。艶のある長髪。田渕だった。そのまま腕にぶつかるのではないか、と思ったが、田渕は態勢を崩すことなく綺麗に受け取った。
運動神経が良いことは知っていたが、反射神経の良さまでは知らなかった。意外にやる。
凄い、と称賛したいところだが、田渕は無表情だった。これでは何も言えない。怒っているのかどうかも分からないが、とりあえず俺は佐田を放っておいて、ケータイを返して貰いに行った。
「悪い。助かった」
「別に」
田渕は答えて、青いケースのそれを返した。手が触れる。まずい、と思った瞬間にはもう伝わってきていた。
“楽しそうで良いわね”
皮肉か単純な羨望か。どちらにも聞こえた。どちらかといえば羨望だ。けど、それは置いておき、謝った。
「ごめんな」
心から言ったが、田渕はそれに何も返さなかった。背を向け、足早に化学室に消えていった。
「愛想ない女子って、嫌われやすいよな」
呆然と見ていると、佐田が呟いた。
田渕は嫌われてはいないと思う。が、俺は反論しなかった。田渕の内心の言葉の意味を、分かるわけもないのに考える。そうしていると、横から、おい、と声がかかった。
「聞いてるか?」
「何だよ」
ぞんざいに返すと、佐田は顔をしかめた。
「まさか、気になり始めたとかじゃないよな」
「知るか」
好きだとかそういうことではなく、別な意味で気になり始めていた。田渕は一人でいることが多い。ときに日野(女子)と話しているが、入学式の日に思った、そんな生徒イコール、のイコールになってしまっている。
田渕が望んでそうなったのなら構わないが。内心を聞いたせいで、変に引っかかる。
本当に高校生活が楽しくないのかもしれない。などと勝手なことを思う。
このままでは思考の深みにはまってしまう。あの言葉は聞かなかったことにしようと半ば無理やりに気がかりを抑え込んだ。
化学室に入り、班の席に行く。佐田は隣の班だ。有元は、と周囲を見てみると、どこを通って来たのか俺たちより先に席についていた。班の誰とも話すことなくぼんやりとしている。
俺もぼんやりとしたい気分だった。が、それをすれば授業中には寝てしまうだろう。苦手な授業ではなくても、それは避けたいところだ。さぼれば後で何を言われるか分からない。
説教で貴重な休憩時間を失うのはご免だ。広田先生(男)は一度話し出すと長いから、と思っていると、その先生が準備室から出て来た。きょうは珍しく余計な話をせず、すぐに授業を始めた。
俺はそれに集中しようとしたものの、思考は勝手に授業前のことに戻っていた。頭から離れない。
おそらくは田渕が斜め前の机、つまり視界に入る位置にいるのが原因だろう。実験でもあれば気が紛れるのだが、残念なことにきょうはそれがない。
なら、教室を移動する必要はなかったのではないかと思う。が、移動していなければ田渕の内心の言葉を知ることもなかった。
それなら無意味な移動も悪くない。と、何故か急に前向きな考えが浮かんだ。
変だ。それはおそらく内心を聞いた瞬間から。
田渕を気にし過ぎている。これは多分席を移動したところで変わらない。
ならどうすれば頭から離れるのか。それが数分で分かるなら苦労はしない。などと、頬杖をつきながら考えていると、先生が白板の図と文字を端から消し始めた。
しまった、と思ったときには、もう白板は白一色になっていた。
俺は手元のルーズリーフにはまだ黒板に書かれた半分しか写していない。
後で誰かに見せてもらうしかない。諦めてシャーペンを机に置いた。そのとき、先生がこちらを見た。
「深山、何ぼんやりしてる。ちゃんと聞いてるか?」
重みのある声を投げてきた。厳つい顔で。元々そんな顔をしているが、怒ると更に険しくなる。俺は返事だけは、はっきりと返した。
「聞いてます」
その一言で、全員の視線がこちらに集まった。その中にもちろん田渕も入っている。相変わらずの無表情だった。
その田渕を含め、周りからはただの怠惰に見えただろう。先生はそれ以上言わず、授業を進めた。
そこから三十分ほどで授業が終了した。あれから全く板書をしていないが、先生には何も言われなかった。
授業を止めたくなかったのだろうが、終わったいまでも声をかけてこない。授業中に注意をされた生徒は大抵呼び出されているので、これはかなり珍しいことだ。
何かあったのだろうかと不可思議に思う。が、こちらに問題が降りかかるわけでないので、気にしないことにした。
教室に帰る準備をする。と、そこへ隣に座っていた殿山が声をかけてきた。
「ずっと一班を見てたけど、恋煩いでもした?」
「見てたのは認めるけど、それは違う」
「明らかにある一人を見てたよね」
婉曲に言う。
真面目に授業を受けながら、こちらの様子も見ていたらしい。器用な奴だ。俺はそれを少し羨ましく思いながら、言葉を返した。
「……認めるよ。ただ、疾しいことは何も思ってない」
「疾しいって言葉はちょっと違うと思うけど」
真面目な突っ込みだった。ずっともやもやと考えていたせいか、まともに返す気になれない。そうだな、と流し、話を変えた。
「それは置いといて、ノート貸してくれないか? さっきの授業のはほとんど書いてない」
「放課後までに返すなら」
ということは、休憩時間のどこかを潰してしまうことになる。頷くわけはないだろうけど、と思いながらも、頼む。
「明日の朝じゃ駄目か?」
「駄目。復習するから」
「別に必要ないだろ」
反論したが、必要あると返ってきた。理解度とは関係なくやらなければ気が済まないらしい。殿山が真面目なことは知っているが、ここまでとは思っていなかった。ある、と真顔で答えた
「分かったよ。放課後には返す」
俺はコピーしたいと思いながらも、諦めた。
殿山からノートを受け取り、その流れで、並んで教室へ戻る。
話すことがないと、どこか気まずい。沈黙はあまり好きじゃない。俺は少し考え、口の堅いこいつなら大丈夫だろうと、話を切り出した。
「あのさ、田渕なんだけど見ててどう思う?」
自分で言っておきながら、何か恥ずかしい。俺はいま変な顔をしているだろうが、殿山は全く顔色を変えなかった。
「話す機会がないから分からないけど、何考えてるか分からないタイプだね。そっちは見ててどう思った?」
「何も思わない。ただ、いや、ここに来る途中何故か寂しそうに見えたから」
「何で?」
「さあ」
俺は即返した。まさかここで、声が伝わってきたからだとは言えない。分からない、とだけ答える。
「重症だね」
呆れたように言ったが、俺は何も返さなかった。何が重症かは訊くまでもなく分かっている。周りが騒がしい中、俺は黙って足を進める。殿山は変わらず隣にいたが、教室に入るまで特に話すことはなかった。
昼休み。有元たちと弁当を食べた後、殿山のノートを開いた。
これからその後半部分を書き写す。本当は有元たちと体育館でバスケをすることになっていたのだが泣く泣く教室に残った。
書き写しを後回しに出来なかったのは、持ち主である殿山が止めたからだ。たまたま近くにいたせいで、逃げられなかった。
その真面目過ぎる殿山は、他にすることがないのか隣まで来ている。これでは書きにくい。俺は、誰かこいつを呼びにでも来ないかと思いながら、本人を軽く睨んだ。
「何で見てるんだ? 必要ないだろ」
「……ないね。特にすることがなかったから何となく来たんだけど」言いながら、静かに俺の席から離れた。「図書館にでも行ってくる」
廊下に向かうその背はどこか寂しそうだった。本当に。これでは追い出したようで後味が悪い。俺は席に座ったまま止めた。
「ちょっとストップ。相談がある」
「何?」
殿山は少し嫌な顔をしながらも、振り向いた。止めたのは反射的にだったが、相談したいことがあるのは事実だ。そのまま勢いで言う。
「俺に人の思っていることが分かる力がある、って言ったら信じるか?」
突飛な話だが、殿山は全く顔色を変えなかった。
「信じない。もし本当にそうだったら、何で見てるのか、とか聞かないよね」
論理的なことを言う。確かに、ただ分かるというならその通りだ。
「相手の指先に触れたその瞬間にだけ、ということなら?」
「それも簡単には」
訝しげな顔をした。茶化しはしない。
あまり重く考えられては困るが、妄言だと周りに広められるよりは良い。俺は教室全体を一目見たうえで話を進めた。
「信じられないと思うけど、真面目に聞いてくれ。中学のとき……」
「ストップ」殿山は俺を手で制した。「その前にノートは?」
「……まだ」
「それを写し終わったら話を聞いても良いよ」
上から目線だった。写しをさせてもらっている以上、仕方がない。それをさっさと終わらせることにした。
内容を頭に入れることもなく作業をし、十分ほどで書き終えた。ノートを返す。殿山はそれを受け取りながら、早速話を進めた。
「それで、何の話?」
「聞いてなかったのか? 指先に触れたら分かるって話。どう思う?」
「作り話にしか聞こえない。でも一応聞くよ。中学のときに何だとかって言ってたね」
こいつはこいつなりに好奇心があるのだろう。いつでも話せというように、俺の隣の席(日野が使っている)にもたれた。
「そう。雷に撃たれかけたのがきっかけだ」
「それで?」
冷静に乗ってくる。
俺は当時の部活風景を思い出しながら話を進めた。
中学二年生の夏、野球部の部活動に急な夕立に襲われた。三分前までの炎天とは真逆の大雨。そのときはランニングを終え、練習試合の準備をしているところだった。
部員の多くが荷物を置いた軒下に避難したが、焦っていた俺ともう一人、何となくついてきた後輩が木の下に残されるような形になった。
雷が近くなり、ついには頭上の木に落ちた。慌ててそこを離れたが間に合わず、バッドを通じてほんの少し感電した。(木製バッドだったにも関わらず)
それ以降、問題の現象が出るようになった、とここまで一気に話した。
指先限定だと分かったのは当時中途半端に付き合っていた彼女と手を繋いだときに、バシバシと伝わってきたからだった。が、それについては話さない。奥底に沈めた過去は置いておき、提案をした。
「ということだ。実際やってみるか?」
「いや、遠慮しとくよ。大体、僕のいまの内心ならその静電気がなくても分かるよね」
殿山はその場から離れこそしないものの、嫌そうな顔をする。なら、誰で試すのか。周りを見たが、有元と佐田は体育館から戻っていない。
信じてもらうには実演するのが一番早いのだが、出来る相手がいないのなら仕方がない。化学の授業前のことを全部話すことにした。
田渕が寂しそうに見えたのはそこからきたのだろう、という推測も含めて。
殿山はそれをただ聞き、終わったところで呆れたような顔をした。
「それで何? 田渕さんと仲良くなりたいとでも?」
「そういうわけじゃない。ただ、その……男女関係なく、寂しそうな奴は放っておけなくてだな」
俺は焦りながら答えた。
「要するに恋愛感情は抜きにして、気になり出したってことだね」
「……多分」
分析的な言葉に怯みながら答えた。
と、そこへ日野が教室に戻ってきた。一人だ。誰とも話すことなくこちらに来る。
殿山もそれに気付き、日野の席から背を放した。
俺はもう昼休みの終わりかと思い、黒板上の時計を見たが、終わりまではまだ十分ほどあった。日野は自分の席に座りながら、声をかけてきた。
「珍しい組み合わせだね」
「ノート借りてたんだ」
「それ一緒にいる理由にはならないけど」
俺の答えに、呆れたように返した。あっさりとしているようで案外理屈っぽい。何も答えずにいると、日野はそのまま続けた。
「まあ別に何でも良いけどね。何の話してたの?」
「……雷と静電気の話」
俺は答えに困り、苦し紛れに返した。
「何それ?」
「指先に触れたら、その瞬間に相手が思っていることが分かるらしい」
その疑問には殿山が真面目な顔で答えた。
「誰が?」
「深山が」
「嘘」
「本当に」
日野は(当然だが)信じていないようだった。何を言っているのかという目でこちらを見ている。俺はそれから逃れたいと思いながら返した。
「……本当に」
「それで田渕さんが何思ってるか分かって、悩みだしたらしい」
殿山が捕捉した。クラス内での日野のポジションを分かって行ったのなら、心底憎い。
日野は特に誰とつるむこともなく教室内を駆け回っており、孤立しがちな田渕にも隔てなどなしに声をかけている。つまり自然に生徒同士を繋ぐような役割を担っている。
そんな人間に話が伝われば、妙な噂が広がりかねない。故意に広げなくてもだ。
いまの俺にとっては爆弾だ。しかし、まだ火はついていない。日野は、俺に疑問を向けてきた。
「何で茜音? 確かにあの子分かりにくいけど、それで何で悩むわけ?」
「いや、悩んでるってわけじゃなくて……というか、名前で呼んでんだな」
「話逸らさない」
気付いたことを挙げると怒られた。そこまで言うものだろうかと思う。そして返しに困る。黙っていると、日野は呆れたような顔をした。
「茜音に言いたいことがあるなら、呼んでくるけど」
「いや、それは」
慌てて断った。いま対面しても何も話せない。
「ああ、放課後のほうが良っか」
「それもしなくて良い。話があったら自分で声かけるから」
「そう? 呼び止めとかないと、すぐどこかに消えるけど」
「良いよ。大丈夫」
半ば追い払うようにあしらった。日野は少し不機嫌な顔をしたが、村上(女子)に声をかけられ、席を離れた。どうやら、村上の連れである辰倉(こっちも女子)が隣のクラスの男子に告白したらしい。
勝気な辰倉に押された相手はどんな奴だろうか。まず目立たないタイプではないだろう、と勝手に考える。と、同時に日野が離れたことにほっとした。村上に内心で礼を言いつつ、殿山に一応の礼を言った。
「ノート助かった。でも、喋り過ぎだ」
「何でそこを繋げるのか分からないけど、勝手に言ったのは悪かった」飄々と言い、ちらりと日野たちを見た。「でも、日野さんは話を広げるようなことはしないと思うよ」
「しないだろうけどな。雑談の中で少しでも出たら、それに誰かが乗るだろう」
「それは考え過ぎだ」
殿山が気楽に言ったところで、予鈴がなった。
次の授業は英語だ。先生が二人(一人はアメリカ人講師)入ってきて全員が自分の席についたが、田渕だけは戻ってきていなかった。
行方不明なら、日野は呼んでくるとは言わなかっただろう。どこに行ったのかと思っていると、先生(日本人のほう)がそれを、何故か英語で三崎(田渕の隣に座る女子)に訊いた。
「えっと……分かりません」
英語で言われたせいか、戸惑い気味に答えた(日本語で)。急に訊かれれば無理もない。そして実際に知らないようだった。
そのうちに他の生徒も右端中央の空席を気にし始めた。
が、その質問をした先生は特に問題視をせず、授業始めますよ、と今度は日本語で言った。担任ではないせいか、干渉はしない。
俺は先生が話し始める前にと、日野に小声で訊いた。
「どこにいるか知ってんだろ?」
「知ってても言わない」
間を空けずに突っぱねた。
公衆の面前だけではなく、俺個人にも言う気がないらしい。気になりはするが、しつこく訊くほどのことでもない。それ以上は話さず真面目に授業を受けた。
その授業が終わった数分後、田渕が教室に姿を現した。生徒数人が彼女を非難するような目で見ていたが、本人は何食わぬ顔をしていた。
自分の席に着き、時計を見ている。
それを何となく見ていると、有元が俺の席まで来た。
「何ぼけっとしてるんだ?」
「眠い」
全く違うのにそう返し、突っ込みが来る前に話を進めた。
「そういえば、あれから花壇見たか?」
「花壇って?」
「忘れたのかよ。お前が言い出してやったことだろ」
その惚けには呆れる。
やったこと、とは、校舎の壁沿いにある花壇に無断で花の種をまき散らしたことだ。
その種はみどりの週間だからという理由で何故かクラス全員に一袋ずつ配られた。それぞれが貰った三袋(花の種類は全て同じ)全部を適当に振りかけのように。そこには何か植えてあったのかもしれないが、表面上には分からなかった。
やろうと言い出したのは有元だった。と思う。俺はそのときただ見ていた。種の入った紙製の袋は佐田に奪われた。
そのときのことを思い返しながら、話を続ける。
「あの花壇の管理、誰がやってんだろうな」
「園芸部あたりだろ。うちのクラスは多分いないだろうけど」
有元は軽い口調で憶測を並べた。
こいつは日頃から、“多分”や“おそらく”を多用する。つまりあまり当てにならない。俺はいつもどおりの有元に一応突っ込んだ。
「多分って何だ? 知らないなら半端なこと言うなよ」
「真面目だねえ。別に良いだろ。真面目キャラやめれば?」
変えろというが、それは聞き入れられない。
その前にキャラクターを考えて動いてはない。が、それを言うと有元はつまらないというような顔をした。
が、懲りずに話を進める。
クラスの誰が何キャラか、などと言い始めた。仕方なくそれに付き合う。
守山は典型的な体育会系キャラ。殿山は枠外キャラ(嫌っているわけではなく、俯瞰主義という意味で)だという。
女子については何も言わない。関心がないのだろう。それなら、というわけじゃないが、もうその話はやめてほしい。聞くうちに飽きてきた。
有元の話す内容を聞き流し始めたとき、チャイムが鳴った。いつもなら憂鬱に感じる音だが、今回ばかりは助かった。
俺は有元が去った後、机の中から古文の教科書ルーズリーフを引っ張り出した。
午後の授業と休憩時間は特にこれといって変わったことがなかったので割愛する。
ようやく放課後を迎えたとあって、教室内は解放感にあふれていた。が、 俺はその空気に乗れない。色々と考えたせいで疲れていた。
教室移動のときと同じようにノロノロと帰る準備をしている間に、有元と佐田はさっさと部活に行ってしまった。俺は自分が言い出した花壇のことが、古文の授業中チラチラと気になっていたが(止めれば良かったと少し反省していた)、有元は微塵も気にしていないようだった。佐田に至っては覚えてもいないかもしれない。二人とも子どもだ。
帰りに寄ってみるかと思いながら、廊下に出ると、ドアから数歩離れたところで田渕と辰倉が何やら話し込んでいた。
どうやら辰倉は振られたらしい。振った男子はその理由に田渕を挙げたという。
そんな理由で辰倉は田渕にあたっているようだった。一方的だ。入学当時、二人は仲良さげに話していた。と思う。それなら酷い変わりようだ。何となく二人の様子を見ていると、辰倉に気付かれた。
「何?」
「いや、やけに真剣に話してるなと思って」
俺は少し怯みながらも答えた。目に見えて棘々としている。振られた後では仕方がないのかもしれないが、それにしても尖り過ぎている。深くは関わらないほうが良いだろう。邪魔して悪かった、と謝った。
見なかったことにして(出来ないが)去るに限る。
離れようとしたところに、辰倉は、もう良い、と、田渕に言い残して階段へと去って行った。不機嫌だ。
田渕はというと、難しい顔をして立ち尽くしていた。
放っておくべきかと思ったが、話すチャンスだ。きょう抱えた疑問は、後になればなるほど言えなくなるだろう。辰倉の姿が完全に消えたのを確認してから、声をかけた。
「田渕も大変だな」
「何が?」
そう答えた田渕は、真顔に戻っていた。
「何って……」
こちらから声をかけたものの、どうにも話し辛い。この態度だから田渕は孤立するのだろう(厳密にいえばしていないが)。俺はそんなことを思いながらも、話を引き出した。
「そういえば、英語の時間どこにいたんだ? 日野は分かってたみたいだけど、答えなかった」
「……この校舎の花壇に。気付いたら授業時間になってたから戻らなかった」
答えたくなかったのか、口調は重かった。
丸々さぼったら後が大変だとは思わなかったのだろうか。殿山も言っていたとおり、何を考えているのか分からない。しかし、その困惑よりも、偶然に対する驚きのほうが勝っていた。
「いつも花壇の世話してんのか?」
「気が向いたら」
勢いで訊くと、静かに答えた。この言い方では個人でやっているように聞こえるが、田渕なら勝手なことはしないだろう。それなら、と思い、更に訊いた。
「園芸部?」
「そう」
頷いた。有元はいないだろうと言っていたが、ここにいた。これなら見知らぬ誰かに言う事態にはならずに済んだ。まずは確認をする。
「入口から見て右中央のやつ、何も植えてないように見えるけど、何か植えてる?」
「植えてないけど」
それが何? と警戒気味に訊いた。
「実は俺ら……有元と佐田がこの前の配られた花の種をまき散らしたんだ。遊び半分で。俺もその場にいたけど止めなかった」
そこまで言い反応を見たが、田渕はただ聞いていた。何か言ってほしい。が、それは無理なお願いだったようだ。話の先を続けた。
「何も植えてないなら、土ごとひっくり返してくれ」
自分でやれば良いものを、気付けば頼んでいた。が、田渕は全く嫌な顔をしなかった。
「良いけど、ただばらまいただけなら、花は育たないから」
分かりにくい話し方をする。何か試されているような気分だ。俺は少し考えた後、返した。
「つまり、放っておけば良いと?」
「そう」
答えてそのまま去ろうとする。が、話はまだ終わっていない。本当に聞きたいことを聞けていない。ちょっと待った、と止める。そして、思い切って訊いた。
「いまのこの学校生活楽しいか?」
田渕はその言葉で振り向いた。
「別に何とも思ってないけど……何?」
「えっと。楽しいことは楽しいけど、ときどき空しくなるから。田渕はどうなのかなと思って詰まり気味に言ったそれに、田渕は何も答えなかった。 困っているのだろう。
俺もどうすれば良いのか分からない。少し考えて、ポケットからケータイを取り出した。
「あのときキャッチしてくれて助かったよ。おかげで壊れずに済んだ」
いきなり言ったせいか、田渕はまだ反応に困っていた。が、俺はそれに構わず話を続けた。
「俺にそれ渡したとき、楽しそうだって思っただろ」
「……分かったの?」
「そういう力があるから」
「超能力?」
冗談混じりに言うと、田渕は乗ってきた。先ほどまでとは違い、表情に色がついた。良くも悪くも興味を持ったらしい。俺はそんな顔もするのかと意外に思いながら、本日二度目の説明をした(当然、中学時の彼女の話は省いて)。
その間、田渕は口を挟まず聞いていた。
「私も雷に打たれかけてみようかな」
突拍子もないことを言う。
「危ないからやめとけ」
俺はとりあえず止めた。こうして話していると、田渕がその辺りにいる女子と同じ(ちょっと変わっているけど)に見えてきた。感情に少し偏りがあるだけだ。
これなら引っかかっていることを気兼ねなく訊ける。そう思い始めたところでこちらに向かってくる生徒に気付いた。村上だった。誰かを待たせでもしているのか早歩きだ。
何となくその様子見ていると、村上は立ち止まり、俺ではなく田渕を見た。
「茜音さんモテモテだね」
言うだけ言い、教室内に消えた。皮肉っぽい一言だった。先ほどのことを辰倉から聞いたのかもしれない。肩入れした相手の敵は敵。というのは言い過ぎかもしれないが、そんな態度だった。グループ行動が基本の女子は何かとややこしい。
「……大変だな」
「別に。あれは勝手に言ってるだけだから」
意図せずに漏れ出た言葉に、田渕は少しながら冷たく答えた。村上に聞こえていたらどうするのかと冷や冷やする。が、言った当人は何ら気にしていなかった。それより、と、話を先に進める。
「さっきの話。プランターのことだけど」
「何?」
「気にしなくて良いから」
そう言われると逆に気にしてしまう。そして、さり気なく花壇ではないと訂正されたことは恥ずかしい。
戸惑っている間に、田渕は階段へ向かい始めた。プランターのある校舎裏に行くのか、それとも帰るのか。どちらでも、というより何にしても靴箱まで行くことには変わりない。どうせ俺もそこまでは同じだ。追って声をかけた。
「いや、いまから片付けるよ。気になるから」
隣に行くと、田渕は、一人で? と訝しげに訊いた。
「そう」
俺は答えて階段に向かう。が、田渕は、私も、とそれについてきた。別段断る理由もない。俺は反射的に、分かった、と返した。
靴を履き替えて、一旦グラウンド前に出る。と、そこには体操服姿の守山がいた。
手に野球ボールを持っているが、守山は野球部員ではない。
人手が足りず駆り出されたのかもしれないと思ったが、そういうわけでもないらしい。部員は守山に構うことなく外周を走っている。
状況がよく分からない。俺は考えることをやめて、空を見上げた。
どんよりと曇っている。
が、誰もそれを気にかけていない。多分俺が過剰なのだろう。野球部×曇天で何となく雷の日のことを思い出した。が、それをすぐに打ち消して、目の前を見る。
守山はさっきから動いていない。何をやっているのだろうと思いながらも無視。しようと思ったが目が合った。ので、仕方なく訊いた。
「何してるんだ?」
「マネージャーの代わりを頼まれた」
守山はボールを真上に投げながら答えた。野球部の様子には目もくれない。
「いまはすることないのか?」
「ない」きっぱりと答え、俺に近付いてきた。「そっちはデートか?」
「なわけないだろ。ただ……」
言ったものの、先が続かない。田渕の反応も気になる。結局は投げた。
「惚けたこと言うな」
言い捨てて先を急ぐ。が、どこ行くんだ? と止められた。
「校舎の裏」答えて振り返った。「マネージャー仕事、さぼってて良いのか?」
「良いよ、形だけだから」
当たり前のように言った。
なら何故こいつに頼んだのだろうと思うが、知りたいというほどではない。
スルーして先に行ってしまった田渕を追う。が、守山はついてきた。
「それで、校舎裏で何をするって?」
ただ単に訊いただけだろうが、何か如何わしい意味に聞こえる。しかし、俺はそんなことを考えているわけではない。説明するのが面倒なので、片付け、とだけ答えた。
「何の?」
しつこい。野球部に戻ってほしい。が、そう言ったところで、引きはしないだろう。面倒だと思いながらも、事情を話す。それを聞いた守山は呆れをみせた。
「お前も変なことするんだな。高校生のすることか?」
「それはあの二人に言ってくれ」
俺も悪いが、メインはそっちだ。話を一方的に打ち切った。が、守山は続けた。
「人のせいにするなよ」
「いや、実際やったのは……」
俺じゃないから、と言おうとしたが途中でやめた。いくら本当のことを言っても、この状況では言い訳にしかならないし、そうとしか聞こえない。
大したことではないのに、気付けば真面目に考えていた。俺は有元の言った通りで真面目キャラなのかもしれない。などと思っていると、守山が、やったのは? と追い打ちをかけるように言葉を投げてきた。
「……二人だ」
「認めないのか」
守山は、俺の答えに見損なったというような顔をしていた。オーバーだ。
頷かないと解放されそうにない。俺は内心でため息をついた。
「分かったよ、認める。これから片付けに行くから、もうその話は終わりで」
答えて足を進めた。
守山はそれで黙ったが、グラウンドには戻らなかった。もう放っておくことにして、広場全体を見た。
全体を囲うようにプランターが並んでいる。茶色の少しばかり強いタイプのものだ。八個ほどあるうち、花が植えられているのは半数ほど。種を適当に蒔き入れたところは、田渕の言った通りで何も植わっていない
彼女はすぐ近く、チューリップが数本並ぶプランター前にいた。紫と赤。夕方であるせいか花が閉じかけている。
ただそれを見ていた。何がしたいのか分からない。とりあえず問題のプランターのことは置いておき、質問を投げた。
「これ、全部面倒みてんのか?」
「……そう」
「他の部員は?」
「いるけど、ほとんど私に任せきり」田渕は無感情に答え、チューリップの前にしゃがみこんだ。「一人の方が楽で良いから、それで釣り合いは取れてる」
「なら良いけど」
釣り合い、という言葉は何か違う気がしたが、そこは指摘しない。黙っていると、守山が後ろから、片付け手伝うよ、と、声をかけてきた。
「良いよ。それより野球部に戻れ」
自分の仕事をしろ、と、返すと不満げな顔をした。全くグラウンドに戻ろうとしない。俺は拗ねている守山には構わず、田渕に訊いた。
「放っておいたら育たないって言ってたけど、結局どうすれば良いんだ?」
「どうしても片付けたいなら、そこのビニールの袋の中。でも、片付けないで次の春まで放っておいても良い」
選んでくれというように答えた。結局どうするのが最善なのか分からない。
「作業するから、判断は任せて良いか?」
「……なら、ビニールに」
「分かった」
頷くと、田渕はどこからか園芸用のスコップを二つ持ってきた。オレンジのよくあるやつを両手に。無表情な田渕に、守山が突っ込んだ。
「それより持ち上げて一気に入れるほうが早いんじゃないか?」
「それでもスコップは要るだろう」
プランターに残った土を片付けるのに必要だ。
そう思って言ったのだが、守山には変に田渕へ肩入れしているように聞こえたらしい。怒り出した。
捻くれている。俺はそれに呆れながら、お前そっち持てよ、と手伝いを命じた。
「何だその言い方。さっきは戻れって言ったくせに」
すると、守山は更に怒った。
これでは簡単に片付くものも片付かない。
「じゃあ戻れ」
投げるように言うと、一気に空気が悪くなった。田渕は黙ったまま花を見ている。
誰かが間に入らなければ、この状況は変わらない。
他人事のように思いながら、簡単にヒートしてしまった自分に少し腹を立てていた。守山に対する怒りはそれより少し上。
などと考え、少し冷静になってきた頃、バラバラと雨が降り始めた。
冷たくも痛くもないが、良い気はしない。田渕に、戻ろう、と声をかけた。
言うだけ言って、数メートル先の渡り廊下を目指す。
それに守山がついてきた。ただそれだけだが、大柄な奴に追われるのは何か怖いものがある。ついてくるなよ、と言葉を投げる。
「行く方向はそっちしかない」
その通りで、ここ校舎裏は袋小路になっている。
「野球部に戻れよ。俺は帰る」
「分かったよ。わけの分からん奴だな」守山はしつこいとばかりに返した。「で、田渕さんは? 来てないけど」
俺はその言葉で気付いた。
確かにいない。まだ立ち尽くしているのだろうか。仕方なく来た道を戻る。守山は面倒なのかついて来ない。
校舎裏に戻ると、案の定、先ほどの場所から動いていなかった。
「何やってんだ?」
「雷でも落ちないかと思って」
俺には目を向けずに答えた。
「あれ、冗談で言ったんじゃなかったのか? とにかく雨の当たらないところに……」
と、言っている間に雨が激しくなってきた。田渕が言ったせいではないだろうが、雷まで鳴り始めた。音が遠いので落ちることはないだろうが、嫌な感じがする。
気付けば田渕の左手を取って動き出していた。が、何も伝わって来ない。多分、静電気が起きていないからだ。渡り廊下に着くと同時に、田渕が軽く手を引いた。
「あの、手」
恥ずかしげに言う。普通の女子らしい反応だ。
「ごめん」
俺は謝りながら、慌てて離した。
その後ろ、渡り廊下を三年生らしき女子(スリッパの頭の色で判断した)三人組が通り過ぎた。
傘持ってないのに、などと言っている。俺も持っていないが、雨はもうすぐ止むだろう。そんな気がする。
何となく上を見ていると、田渕が、それで、と話を切り出した。
「さっきは何考えてるか分かったの?」
「全然。静電気が起きないと分からない」
身も蓋もない答えを返したが、田渕は何故か乗ってきた。
「つまり、晴れていれば良いってこと?」
「さあ」
俺はそれを避けた。
それが隠し事をしているように聞こえたらしい。田渕は、勿体ぶらないで、と引っ張るように言った。
「何でそんなに興味を持つわけ?」
「……そういう話が好きだから」
取って付けたような答えだったが、本当にそうであるらしい。真顔に戻っていた。
きょう一日で、田渕が面白そうな奴だと分かった。これからも近くにいれば面白いかもしれない。ただ、そうすれば周りからは確実に注目されるだろう。それは嬉しくない。
が、遠慮した高校生活を送る気はないこの学校での生活はまだ始まったばかりだ。これから何がどうなるのか、不安もあるがそれは二割程度だ。
どう思われても良いから、田渕とは友人に。と、口にすれば少しばかり恥ずかしいことを思う。関心を持ったのは、多分俺にも田渕と同じような面があるからだろう。佐田たちといることが多いとはいえ、完全に気を許す相手はいないといって良い。
そんなことを考えている横で、田渕は、今度は虹がみたいと言い出した。