リアル リアリティ
カムフラージュされたアジトの入口には三人と一匹の影があった。
「ニティカ、傷の具合はどうだ」
「大丈夫です」
ロクェス同様顔色は少し冴えない。昨日の魔物と戦った時に負ったのは、かすり傷と言っていいような軽微なものではなかったはずだ。
「昨日も言ったが、自分で動けなくなった者を連れて行く余裕はない」
戦いで傷を負ったのは騎士も同じだ。その言葉はまるで、自分に言い聞かせているようにも聞こえる。
「わかっています。でも、ただあの地下で息を潜めているだけなんて嫌です」
「いいだろう」
ロクェスは深く頷き、少女と一緒に一歩前へ出るとふたばに小さく礼をした。
「コーラルシャイン、この少女はニティカといいます。実践経験は乏しいものの、戦士として鍛錬を重ねてきました」
騎士の言葉にニティカも慌ててペコリと頭を下げている。
「コーラルシャイン、私もこの旅に同行したいのです。お許しを頂けるでしょうか?」
会うなりふとっちょ呼ばわりしてきた昨日とはうってかわって神妙な態度だ。それはきっと、昨日の魔物との戦いの結果が及ぼしたものなのだろう。
「いいよ。現地の人がいた方がいいんでしょう? 人数が少なすぎてもきっと無理が来るだろうし」
よく考えてみれば、男と無礼な精霊との三人旅なんて、年頃の少女には厳しすぎるメンバー構成ではないかとふたばは思う。
ニティカの服装は他の面々と同様、薄汚れている。元は青かったのだろうか、くすんだ空のような色の服の上に、傷がたくさん入った軽い鎧のようなものを身に着けている。
(ファンタジーだなあ)
自分に着せられた衣装との差について少し悩みながら、ふたばはニティカをじっと見つめた。
同じ年頃の少女。千華との正面衝突があってから、少し恐れを抱いている存在。
しかし、ニティカの顔はとても地味で、ロクェス同様誠実そうな雰囲気があった。茶色い瞳に浮かぶ色はどこか素朴な印象で、後ろで一つに束ねられた髪もおとなしい。
「私はふたば。よろしく、ニティカ」
「ふたば?」
「名前だよ。コーラルシャインはなんだろ、あー、あれ? なんだろう? コーラルシャインって名乗ってたけどあれって? 芸名?」
とぼける精霊に、ふたばは当然怒り心頭だ。
「あんたが『今日から君はコーラルシャインだよ!』って言ったんじゃないの!」
「ごっめん、地球のいわゆる『魔法少女』ってそういう芸名みたいなのがついてるじゃない? だから僕もついノリで通り名的なものを……、ああそうか、通り名でいいんだね。ニティカ、この子は本当はふたばって名前なんだよ。コーラルシャインは、変身した時の……、あれ? こっちでは変身不要なんだよなあ。じゃあ、メーロワデイルの名前がコーラルシャインなのかな?」
「もう、なんでもいいよ。とにかく本当の名前はふたば。普段はこんな格好してなくて、もっと普通なんだけど」
「はあ」
ニティカの表情は渋い。意味がわからない。そんなオーラをぷんぷんとさせながら、なんとか理解しようと真剣に考えてくれているようだ。
「ふたばって呼んで。その方が落ち着くし」
「でも、世界を救う戦士様をそんなに気安く呼ぶのは」
「そんな大層なものじゃないし」
そう、まだ、世界を救っていない。魔物を二匹、ぶっ飛ばしただけだ。
「ロクェスさんも、ふたばって呼んで。その方が短いし」
「そう希望されるのであれば、わかりました。私のこともロクェスとお呼び下さい。改めてよろしくお願いします、ふたば」
挨拶を済ませると、三人と一匹は歩き始めた。
メーロワデイルの大地は、地球の土と同じように見える。しばらく眼前に続く荒涼とした景色を見つめ、ふたばはそんなことを考えていた。木や草、土のカラーリングは地球のそれと近い。詳しい成分だとか、例えば光合成をしているのかどうかについてはわからない。そういえば、夜が来て今、朝が訪れたようではあるが、太陽があるのか。それはいわゆる太陽なのか。見た目に地球と明らかに違うのは空の色くらいだった。
「ここって、どこにあるの?」
ざくざくと足音を立てて進みながら、ふたばは呟くようにヒューンルへこうたずねた。
「どこって?」
「地球の中とか、どこかにこの世界が隠れているの?」
「それは違うね、全然違う。地球とはちょっとズレたところにあるんだ。地球には魔法なんかないし、メーロワデイルにいる魔物みたいなものはいないでしょう?」
夢の無い返答だな、と思いつつ、歩き続ける。
「なんて説明したらいいのかなあ。そうだねえ、ここに、地球があるじゃない?」
ヒューンルは短い手で小さな円を空に描いた。すると緑色の光が軌跡を残し、宙に浮く。
「で、メーロワデイルはここにあるわけ」
更にその隣にもう一つ、緑色の円が描かれて並ぶ。
「この二つの世界に通路みたいなものとか、繋がりはないんだ。瞬間移動とか、ワープとかそういうので行かないとダメなんだよ。次元が違うっていう表現したら、なんとなーく理解できるかな?」
わかるような、わからないような。位置関係についての理解はとりあえず諦めて、ふたばは更に質問をした。
「ここの木とか土とか、人とかは地球と同じなの?」
「ちょっと違うかな。でも、かなり近いと思うよ。人は大体同じだね」
「日本語話してるみたいだけど」
「はは、違うよふたば。ロクェスもニティカも、メーロワデイルの言葉で話してる。ここは褒めて欲しいポイントなんだけど、精霊の周囲には特別なフィールドができて、その中にいる人たちの言語の壁はなくなるんだよ。勝手に適当な日本語に自動翻訳されてるみたいな感じ? すっごく便利でしょう!」
えっへんえっへんと胸を反らし、ヒューンルは体をふたばの顔に押しつけてくる。
「そうなんだ」
それを右手で押しやりながら、意外な裏事情があったことにふたばは素直に驚いた。
そして、あの時一人で行かなくて良かった、としみじみ思う。日常生活だけではなく、言語にまで不自由するところだったとは。
「便利でしょう、ヒューンルちゃんったら便利でしょう!」
「はいはい、便利だね」
「もうちょっと気持ちをこめて褒めてくれないかな、ふたば」
「ヒューンル、しつこいぞ」
ふたばの顔にひたすら腹を押し付ける精霊を、騎士が軽くはたいて落とす。
「今、我々はリパリーガントへ向かっています。リパリーガントを通らなければ、どの国へも行くことはできません」
少し早足で進みながら、ふたばは黙ったまま、ロクェスの声に耳を傾けた。
「リパリーガントは先日城が落ちたばかりで、危険な状態だと思われます。魔物が大量に流入してきて、まだたくさん残っているでしょう。我々はそこを、目立たないように素早く抜けていく必要があるのです」
落ちたばかりの城、負けたばかりの国。
そんな状態の場所を、ふたばはしらない。乏しい人生経験と安全な教室の中で受けた授業の中から、「戦争」についての知識を引っ張り出してきて、イメージしていく。
やはり、光景は浮かんでこない。戦争を題材にした映画なんかを、いくつかは観た。しかしこの世界には戦闘機はないだろうし、銃だの爆弾だのがあるのかどうかはわからない。大体、戦う相手は「魔物」だ。
人が大勢倒れているだろうか。
地面に血が溢れているのだろうか。
考えて、ふたばは足を震わせた。歩く速度が落ち、視線も地面へと沈みこんでいく。
憧れていた魔法少女たちは華麗に戦っていたが、それは画面の中、二次元の、アニメーションの話だ。リアルではない、残酷なものは描かれない世界のフィクションでしかない。
かつて魔物と戦っていた時。
自分と千華が倒した魔物は、地面に伏すなり光に包まれて消えていった。しかし、魔物の爪や牙に引裂かれた人はどうだろう? 同じように、光に包まれて消えるだろうか。メーロワデイルでは、残酷な光景が広がらないようになっているのだろうか。
そんなはずがない。
馬鹿らしい想像にまた身を震わせ、ふたばは愕然としていた。とんでもない安請け合いをしてしまったのではないか。そんな後悔が、背中をそっと滑り落ちていく。
やるしかないとは思う。追い詰められた状況なのだから。けれど、目の前にこれから広がろうとしている大変な世界の光景を受け止められるだろうか?
家の中でずっとうずくまっている間に、パソコンのモニターを通して世界中のあれやこれやを見ていた。けれど、モニター越しに匂いはしない。今、そこらじゅうに漂っているような、土や草、汗の香りは届いては来ない。
ぎゅっ、ぎゅっと地面を踏みしめて歩いている。その感覚ですら、本当に久しぶりのものだった。ブーツの裏に土を踏んだ感触が伝わってくる。柔らかくて、冷たい。転がる小石、時々地面を覆っている柔らかい草。長く伸びたものが、ブーツとスカートの間で少しだけ露出している肌をくすぐる。チクチクと皮膚を刺す感覚は不快で、足にはむず痒さが残る。
(リアルだあー)
平らに見える地面はゆるやかにのぼったり下ったりしていて、久々に動かした膝が悲鳴を上げ始めている。息は切れているし、額に手をやると、腕にはめた手袋がじっとりと濡れた。
表面も内部もじっとりと湿った手袋をはずし、ため息をつく。
(疲れた)
地面にへたりこんでしまいたい。心が折れかけた少女の目の前に、ベージュの影がひらりと現れてすかさずこう喚く。
「うわ、ふたば超汗だく! もしかしてもう膝にキテる? ねえねえ、大丈夫? 若いのに、ねえ、大丈夫ー?」
的確に内心を当ててきたヒューンルの頭をステッキで思い切り一発叩いて、ふたばは歯を食いしばると、弱音を吐くのは後にまわした。