ズタボロだけど、心は錦
ほんの少しだけ哀愁を滲ませたかと思いきや、ヒューンルはすぐにふたばに向かってニヤリと笑ってみせた。
「って訳だからー、ロクェスとニティカを連れて行こうね」
「ニティカ?」
聞き慣れない名を口に出して、ふたばはその名が、一緒に行きたいと名乗り出た少女の物であろうことに気が付いた。
「自己紹介くらい先にするべきなんじゃないの?」
「ふたばだってしてないじゃないか」
元魔法少女の眉間に、ぎゅっと皺が寄る。皺の隣に肉がでこぼこと盛り上がった様子に、精霊はまたケタケタと笑った。指を差して堂々と嘲笑してくるヒューンルに対して、そろそろ怒りもわかなくなってくる頃合いだ。
「とにかく戻ろうよ。夜中に歩き回るのは危ないから」
「魔物って、夜に動くの?」
「別に。暗くて、足元とかが危ないでしょ?」
単純な理由だったが、納得させられてふたばは来た道を戻った。小さな精霊が隠れ家の入り口を開け、再び中へ降りていく。
隠れている人々に起きる様子はなく、中は静まり返っている。
粗末な家具、汚れた衣服、漂う異臭。ふたばは改めてこの世界の窮状に思いを馳せながら、暗がりの中、ステッキをぶらぶらと揺らした。
「それいいね。油とか使わなくていいから助かるだろうなあ。ここに置いていけたらみんなちょっとだけ楽になるのにー」
「油って?」
「ここ、地面の下にあるでしょ? だから暗いんだあ。だけど物資が足りないから、節約節約。夜はもう寝るしかないの。ホントにギリギリなんだよふたば。僕たちは絶対に一か月で千華のところに辿り着いて、魔物をどこか遠い森とか谷とか、そういうところにひっこませなきゃいけないんだ」
「そんなに……上手くいくと思う?」
「可能性は限りなく低いよね! パーセントで言ったら、十もないかもしれない。そのくらい切羽詰まった状況なんだ。本当に、ふたばには申し訳ないんだけども!」
てへっと首を斜めに傾げるヒューンルに、ふたばは心底呆れた。そこまで分の悪い戦いに勝手に人を巻き込んでおいて、この態度とは。
「ホントだよねえ、ふたば。だけど君が唯一の希望で、唯一の可能性なんだ。今はこんなブタみたいになっちゃって正直、僕はぶたばって心の中で呼んでたりするんだけど、君は本当にいい戦士だったから。明るくて前向きで、正義の戦士にふさわしい輝く魂を持っていたから!」
前半部分のあんまりな言葉の数々のせいで、素直に嬉しさを表現できなくて、ふたばは唸る。
憧れていた魔法少女になった。
ずっと憧れていた「彼女たち」はいつもまっすぐで、悪を許さず、家族や友情のために戦っていた。どんな強敵が現れても、敗北しそうになっても諦めず、力を合わせて必ず勝利し続けていく。
自分もそうなろうと、ふたばは思っていた。強く、美しく、誇り高く。決して逃げない。そう誓いを立てて、実践していた。
(最後は尻尾を巻いて逃げたんだけど……)
思ってもみなかった親友、いや、親友だと思っていた相手の本音。傷ついて、悲しみに暮れて、切なさに身を埋めて、世界で一番自分が不幸だと思い込んで――。
「まあ、仕方ないさ。あそこまで言われて平気な女の子、あんまりいないと思うよ」
短い手をふたばの肩に乗せ、精霊が小さく頷く。
「引きこもっちゃった挙句、こんなブックブクに太っちゃう子も少数派だとは思うけどね」
よくもまあ、余計な口をと思いつつ、ふたばは呟く。
「言わない方がいいことって、たくさんあると思うんだけど」
「うん、そうだよねえ。でも僕はそういうの無理なんだ。ごめんね、そういう設定だからさ」
こんな会話を交わしていた二人の耳に、物音が聞こえてきた。振り返ると男が立っている。やつれ、疲れた様子の男はふたばとヒューンルの姿を認めると小さく顔をしかめ、すぐに来た方向へと去って行ってしまった。
「何あれ」
「元気がないんだよ。お腹空いているから、太ってる人をみたら辛いんじゃないかな」
小さく舌打ちをして睨んでも、馬鹿正直な精霊は素知らぬ顔だ。
やがて闇の中から足音がし始め、騎士ロクェスが姿を現した。
「起きていたのですね。少しは休めたでしょうか?」
他人を気遣っている場合だろうか。目の下の隈は濃く、昨日受けた傷が痛むのか、眉間に力が入ったような表情だった。
「まあね」
「改めて今日出発したいと思っているのですが……」
騎士が途切れさせた言葉の続きを、ふたばは軽く息を吐いてから繋げた。
「ヒューンルから話は聞いた。だから、大体の事情はわかった。私も」
ここでもう一度、息を吸い、細く長く吐き出し、目を閉じて。
浮かんでくる様々な顔。家族、慶太、千華、友達、先生……、そして、ヒューンル。
浮かび上がってくる様々な光景。遠くに見える黒煙。平和な日本の、なんの変哲もない街角。暗い森の中に蠢く影、三年間過ごしてきた、ゴミだらけの部屋。
「行くって、決めた」
内側からじわりと上がって来た涙をこらえ、代わりに決意を吐き出す。
言った。言ってやった。言ったからには行かねばならない。死ぬかもしれない。二度と帰れないかもしれない。けれど、ここまで逃げて逃げて、まだ逃げるのか? いや、それはできない。それだけは許されない。甘え続けてきた日々を終わりにしなくていけない。
「千華を懲らしめるんでしょ? 私にしかできないんなら、行く」
カッコいい決め台詞のはずが、声が震えていた。
しかしそれをヒューンルもロクェスも笑うことなく、真剣な表情で聞いている。
どうして涙声になってしまっているのか、ふたばにはわからなかった。自分の中に芽生えた決意がまだ揺れていて、実ははっきりしていないからなのか。本当は行きたくないからなのか。怖いからなのか。なにが怖いのか。死んでしまうかもしれないから? 得体の知れない異世界で戦わなくてはいけないから? それとも、千華に会うのが――?
(……全部だ)
(全部怖い)
体の芯がガクガクと揺れて、腹と腿の肉がぶるぶると震えていた。
(このみっともないからだでいるのも嫌だ)
あの迎えの日に、改めて見せつけられた現実も。
(怖い!)
けれど、行かなくてはいけない。
こんな醜い姿で、人生の終わりを迎えたくない。
だけど、怖くて堪らない。
心と体をシンクロさせられなくて、ふたばの体はまた、ぶるぶると震えた。
「ブワーッハッハ!」
しかし、哀しい決意をする少女に浴びせられたのは、こんな笑い声で。
「ふたば! ふたばっ!」
お肉が、お肉がぶるんと揺れてるよおー、と、薄暗い地下の秘密基地の壁に、ヒューンルの笑い声が当たって跳ね返り、響く。
「キャーキャッキャッキャ!」
余程おかしかったのか、これまでよりもグレードの高い馬鹿笑いをあげながら、精霊はとうとう床に落ちて転げまわり始めてしまった。
それでもふたばはまだ悲しみの中にいたが、騎士ロクェスには異変が起きていた。
響き渡る、狂ったような笑い声。笑い過ぎてとうとう呼吸困難に陥りかけている精霊の姿に耐えられなくなったようで、大真面目な顔から一転、盛大にぶうっと噴きだしてしまい――。
「ぐぐっ」
ロクェスは耐えた。年頃の乙女に対してその容姿を笑うような真似をしてはならないという紳士的な思想のもと。
「なんなのよ、こっちは必死だってのに!」
苦しさ、悲しみが心の中いっぱいに溢れ、爆発し、一気に色が変わっていく。
悔しくてたまらなかったはずなのに、なぜか代わりに浮き出してきたのは目の前の一人と一匹が感じているのと同じ「滑稽さ」だった。
「……ふっ」
(何してんだろ)
異世界に拉致されて、笑われている。
(こんな格好で)
趣味の悪いフリフリの上、弾ける寸前としか思えないパッツンパッツン。
(笑うしかないじゃん)
最早コントとしか思えないような今の状況は、なにもかもが滅茶苦茶だ。
容赦なく笑ってくる精霊、必死で堪えて今や顔色が蒼くなってしまっている騎士、悲壮な覚悟を決めて、死地へと赴こうとしている肉襦袢装備の元・魔法少女。
「あははは」
涙をだらだら流しながら、ふたばは笑った。
あの日以来、久しく口から出てこなかった笑い声。泣きながらだけれど、それでも、出せた。
「あは、あはあは!」
鼻を啜りあげながら、ぶっとい腕で涙をぬぐいながら、大きな声ですべて、吹き飛ばしていく。
心の中にずっと淀んでいた昏い気持ちが少しずつ、うっすらと、霧が晴れるかの如くなくなっていくのを感じていた。
それはとても爽快で、たまらなく幸せな「からっぽ」だった。
「大丈夫ですか、コーラルシャイン」
一足先に落ち着いていたロクェスが差し出してきたのは、白いハンカチだった。なにもかもがボロボロの、薄汚れたこの世界の中では違和感を感じるほどの清潔な白を自分の涙で濡らし、最後には鼻までかんで、ふたばは礼を言う。
「ありがと」
「ロクェス、良かったの? それ使っちゃって」
ヒューンルの言葉にふたばは慌てて騎士へと顔を向けたが、ロクェスは薄く微笑んだだけだった。
「いいのです。心を決めて下さったのでしょう? すっかり戦士の顔になって」
地味だが誠実そうな顔のロクェスは、優しげに目を細めている。
「これ程頼もしいことはありません」
その表情に少し照れながら、ふたばは改めて涙を拭くと、力強く頷いた。
「もう帰れないなら、やるしかないよ」
今の自分のみっともなさを思う。
失う物などない。いや、むしろ、失ったものを取り戻せるチャンスをもらったのだから、それに感謝すべきだ。
「もう怖くない」
思う存分笑い飛ばしてもらって、自分も一緒になって笑って、心の中に大量に積まれていた重たい石がみんななくなって。
これから新しく、詰め込んでいけばいい。
勇気も、自信も、努力も、勝利も。それに、友情も。
「行こう、ヒューンル」
「オッケーぶたば!」
「豚って言うな!」
ロクェスが荷物を用意し、差し出してくる。
ずっしりと重いそれを背負って、ふたばは再び、メーロワデイルの大地に立った。