魔法少女は背中で語る
目を覚ますとそこは闇の中で、ふたばはまず体に走った痛みに顔をしかめた。
少しずつ闇に慣れていく視界に、ぼんやりと見え始めた光景。
(そうだ)
メーロワデイルで、魔物達の支配から逃れている人々のアジト。騎士ロクェスをはじめとした、彼らの隠れ家にいる。
昨日までは自分で作り上げたゴミの城にいた。諦めと失望で溢れていた場所は居心地が良くて、温かくて、そして、うすら寒かった。
一切の音がしない静寂の中で、ふたばが動く音だけが響く。するすると、腰の後ろについた長いリボンとヒラヒラのスカートがこすれる音がした。地面に足をつけると、ポキっと足の関節が乾いた音を立てる。
あの後。昨日ひたすら自分にあきれ果てた後、眠ってしまっていたらしい。ロクェスとヒューンル、一人と一匹と話をしていた部屋だ。粗末なテーブルと、座ると軋む椅子、椅子代わりの樽が二つ並んだだけの寒々しい会議室。その隅でごろりと、ふたばは眠っていたらしい。
時間はわからない。地面の下に作られた穴の中には、外の光はひとかけらだって届かない。灯りがあってもよさそうだと思ったが、すぐにそんな考えは小さなため息と一緒に外に吐き出されていった。まともな状況ではない。ささやかなあかりひとつですら、この世界では大変な貴重品なのだろう。
しばらくの間ぼうっと立ち尽くし、ふたばは小さく体を震わせた。寒い。吐く息だけが温かく、ふわりと広がっては消えていく。固い床の上で眠ったせいで体が痛み、誰もいない景色に心細さが増していく。
「ヒューンル」
自然と精霊の名を呼んでいた。左右を見渡すが、それらしき影はない。そもそもここに何人いるのか、彼らが普段はどのような生活をしているのか。ふたばは知らない。
このままもう一度眠るべきなのだろうか。しかし、何も敷かれていない床の上に、この寒さの中で何もかけずに眠るなんてできそうになかった。とりあえずそばにあった椅子に座ってみたが、足の下から這い上がってくる冷気で体が震え、昨日の夜散々自分を責めたててきた後悔が再び打ち寄せてきて落ち着かない。ふたばはゆっくりと立ち上がると、壁伝いに部屋からそっと出て、そこに広がる暗がりにため息をついた。
日本のごくノーマルな暮らしの中では、灯りが途絶える状況などほとんどない。大規模な停電に見舞われたとしても、電池で動く物は光る。携帯電話のディスプレイを開けば懐中電灯代わりになるし、それだけで歩きだす勇気をひとかけらくらいはもらえるだろう。
そんなものはここにはない。メーロワデイルにはない。
そう考えたふたばの脳裏に、ふとよぎるものがあった。
軽く痛む右ひじを動かしただけで、ステッキが手の中に現れていた。
(どういう仕組みなんだろ)
昨日も戦闘が終われば自然と消え去っていた「シャインステッキ」を強く握る。
(確か光るよね、これ)
戦いの中で何か技を使うたびに輝きを放つステッキ。その姿を思い浮かべながら光を求めると、ステッキは持ち主の願いに簡単に応じた。
地下にもうけられたアジトが明るく照らし出され、ふたばは改めて辺りを見回した。土の壁が続いている。それはところどころ途切れていて、その中に部屋のような、少し広いスペースがあるようだった。
ステッキを持ったまま進み、部屋の中をのぞくと中に人の姿がちらほらと見える。どうやら皆眠っているらしい。
(見張りとかいないの?)
不用心だ、とふたばは思う。部屋の入り口から中をのぞき、振り返り、昨日も通った階段を上った。ボロボロの木でできた扉を開け、外へ。
音をたてないように扉をゆっくりと閉めていく。外から見ればもう、ただの雑草の生えただけの場所になっている。目印もないし、もう二度と戻れないかもしれなかった。
振り返れば真っ暗な森。見上げれば赤紫色の空に二つ、月のようなものが浮かんでいる。一つは大きく、もう一つは小さく、ふたつ並んだ円が輝いている。
そして森とは反対側、陥落した城があるという方を見ると、相変わらず黒煙が上がっていた。地平線の上に真っ赤に染まった場所があり、そこだけがやけに明るい。なぜ燃えているのか、なにが燃えているのか。ただわかるのは、なんの救いもないということだけだった。燃えて、なくなって、滅びていく。人々は抵抗を許されず、ただひたすら支配を受けるだけ。
その光景は悲しいものとしてふたばの目に映っていた。
メーロワデイルは美しいところ。ヒューンルはそう言った。でも、今はそうではない。命からがら逃げだして、祈り続けるしかない人々。地下の粗末な穴の中でひたすらに耐えている彼らだけが、かろうじて自由な世界。その他の人達はどのように暮らしているのだろう。いつ命を奪われるかわからない毎日の中を、どうやって生きているのだろう。
そんな世界は、地球の上にだってある。ふたばはなんとなくそれを知っていた。
そこと、メーロワデイルは同じだろうか?
いや、違う。
メーロワデイルを暗い雲に包んでいるのは、自分の相棒だった千華だ。自分のわがままで一緒に戦うようになった、正義の味方だったはずのライラックムーン。
自分が立ち上がって戦えば、この世界は救われるかもしれない。
救われれば、元の世界に戻れるかもしれない。
久しぶりに母や慶太の笑顔を見られるかもしれない。
三年分の「心配かけてごめんね」を伝えられるかもしれない。
その思いは、久しぶりにふたばの中に湧きだしてきた光だった。
異世界からやってきた精霊が選んだ、正義の心を持つ少女にふさわしい希望がじわりじわりと湧いてきて、体を包んでいく。
気が付くと、ふたばはまた涙を流していた。
涙をあふれるままにして、右手の中にあるステッキを強く握りしめ、足を一歩、踏み出していく。
膝上まで覆った白いブーツで大地を踏みしめ、前へ。
じゃりじゃりと土をえぐりながら、冷たい空気に肌を震わせながら。
「ちょーっと! ふたばーっ!」
悲壮な決意を胸に新たな一歩を踏み出した戦士を止めたのはもちろん、彼女に力を与えた精霊だった。暗闇の中をふらふらと飛びながらやってきたヒューンルは、慌てた様子でふたばの前に立って短い両手をブンブン振っている。
「どこ行くの、こんな時間に一人っきりで」
風が吹いて、森をざわざわと揺らした。遠くから獣の遠吠えのようなものが響いてくる。
「目が覚めたから……」
「いや、どう見ても一人で戦いに出ちゃいます的な背中をしていたよ? 背中で語っちゃう的なアレで伝わってきたよ。決意の固さみたいのが滲んじゃってたよね、背脂と一緒にさあ!」
ケタケタと笑う精霊に歯をむき出しにして、ふたばは思いっきり顔を歪めている。
「カッコいいけど、道とか場所とか全然わかんないんじゃない? 行ったはいいけど行き倒れじゃ困るんだよ。そんなんじゃ誰も救われない、最悪のバッドエンドになっちゃうよおー」
悔しいが、精霊の言う通りだった。ふたばが知っているのは、黒煙をあげているナントカ王国の城は三日前に陥落したことくらいで、他に異世界の知識などない。
「僕も一緒に行くからね。一人じゃちょっと、さすがに無理すぎるよ。安心して用も足せない生活、一か月も続けたくないでしょう?」
言われてみればトイレが存在するかどうかも怪しい世界観に、ふたばは改めて小さく身を震わせた。着の身着のままでフラフラと出歩き、夜露で湿った草の上で毎晩寝るのか。想像するだにうすら寒い状況に、乾いた笑いがこみあげてくる。
「あんたといればなんとかなるの?」
「最低限は保障するよ。なんてったって、僕は魔法が使えるんだからね」
魔法、という言葉に反応して、ふたばは自身の手を見つめた。強く握っているステッキ。そこから繰り出されるアレコレも、魔法なのではないか――。
「ふたばのはアレだよ、戦闘に特化してるんだ。敵をぶっ飛ばしたり燃やしたり、もしくはバリアーを張ったりとかだよね。僕たち精霊はそういうのは使えなくて、補助的なものばっかりだよ。水を出すとか、物を動かすとか、汚れたものをキレイにしちゃうとか。あ、心まではキレイにはできないよ。物理的に清掃する的な、キレイにするって意味ね!」
便利でしょう、と毛のなくなった胸を突出し、ヒューンルは威張り散らしている。
「じゃあ、私とあんただけで行こう。ロクェスとあの、女の子? あの二人、別に強いわけじゃないみたいだし」
歩いていてすぐに出会うような適当な相手にすら苦戦し、勝利する可能性がかけらも感じられない。騎士だの、訓練しただのとは言っていても、魔物にまるで敵わないのならば、出歩かない方がいいのではないか。
ふたばはそう思ったが、精霊は渋い顔だ。
「んー、それはちょっと困るかな」
ヒューンルは手を組み、斜めに首を傾げている。かつて、それはとても愛らしい姿だった。見覚えのあるポーズだったが、今はその思い出のせいで余計に物悲しさを感じさせられる。
「あそこの食糧はもう限界なんだよね。だから、出て行ける人がいるなら出て行った方がいいんだ。それにね、ふたば、君が戦いを続けていって魔物を蹴散らしたとしても、歓迎されるとは限らない。この世界の人間じゃないってわかったら、ましてやライラックムーンと同じ場所から来た、同じ力を持ってるって知られたらどうなるかわからない。だから、メーロワデイルの、出来れば出自のハッキリしている人が一緒にいた方がいいんだ」
一人でうんうんと頷きながら語るヒューンルの言葉が、ふたばの胸に突き刺さる。
「どうなるかわからないって……」
「最初はわからなかったんだよ、ふたば。魔物が急に人間を襲い始めた理由が。もちろん、長い間ずっと、魔物は人を襲う存在だった。だけど突然、急に集団で効率よく街を襲い始めたんだ。それはもしかしたら、神話の中にある邪悪な魔物の神様みたいなものが復活したのかとか、みんなそんな風に考えてた。精霊がみんな殺されて、お城まで乗っ取られて、随分時間が経ってからようやくわかったんだ。それが、異世界から来たたった一人の少女の仕業なんだって。千華は魔物達を束ねる女神なんだよ、ふたば。地球からやってきた侵略者なんだ。メーロワデイルの人々は、千華以外の地球人を知らない。精霊の中で唯一命を奪われなかった僕も、彼女の手下だって思われた」
毛をむしられるわ、殴られるわで散々だったよ、とヒューンルは肩をすくめている。
「僕が助かったのは、かつて精霊に力を与えられた人たちが助けてくれたからだ。精霊たちが死んで力は失われたけれど、長い時を一緒に過ごした彼らがかばってくれたから。千華の力を取り上げたら魔物の統制が取れなくなって危険だろうって、そう考えてくれたのも彼ら」
「もしかして、ロクェスもそうなの?」
ふたばの質問に、精霊は深く頷き、珍しく落ち着いた声でこう答えた。
「そうだよ、彼は本当に強くて、格好いい騎士だったんだ。彼さえいれば国は安泰だって言われるほど、それはそれは素晴らしい騎士だったんだよ……」