独白
「私ね、ふたばが大好きだったよ」
家族や警察の追及を受け、時には答え、時にははぐらかしてようやくここへたどり着いた。
ベッドの隣はすぐソファで、狭苦しいスペースに座ったまま、千華は呟くように告白を始めた。
「初めて会ったのは、幼稚園の時だったよね。まだ覚えてるよ。他の同じクラスの子はみんなもうぼんやりしちゃってて、今会ってもわからないかもしれない程度。でも、ふたばははっきり覚えてる。他のみんなもそうなんじゃないかな……。だって、すごいインパクトだった」
入園式の時、緊張しながら椅子に座っていた。初めての集団生活。会場には不安で泣いている子、母親にしがみついて黙っている子が何人もいる。
その中で、千華はかなり「落ち着いた」部類の子だった。大人しく言われた通りに椅子に座り、後ろにいる母親を時折振り返っては確認し、これから始まる新しい生活の最初のセレモニーの開始を待っていた。
何度目だったか、母親を振り返ってそこにいるのを確認してから前へ向きを戻すと、その子が立っていた。
肩までの髪を二つにわけて結んで、ピンク色のリボンがついたピンで前髪を留めていて、元気そうなとびっきりの笑顔の見知らぬ女の子。
「わあ、ねえ、お人形さんみたい! わあ、わあ、かわいい!」
千華の顔に限りなく自分の顔を近づけて、うっとりしながら大声で騒いでいる。
「わたしふたば!」
うしろから、ふたばの母親が苦笑交じりに現れて、千華にこう詫びる。
「ごめんなさいね、あなたがとっても可愛いから、お友達になりたいんだって。この子はふたばっていうの。あなたは?」
優しげな微笑みに、千華はしゃんと背を伸ばしてこう答えた。
「いでうみちか、です」
「ちかちゃんね。ふたば、ちかちゃんだって。同じクラスだよ、良かったね」
「うん!」
ふたばは笑顔で千華の隣の椅子に勝手に腰かけて、更に、手を握ってきた。
少し汗ばんだ熱い手の感触が、右手の中に蘇ってくる。
「あの日から、ずっと一緒だった。ふたばは信じられないくらい、私にずーっとついてきたよね。幼稚園でも、小学校にあがってからも……。友達だ、親友だっていって、なにからなにまで一緒にやろうとしてきた。興味ないくせにピアノを始めようとしたり、同じ委員会に入れなかったっていつまでも拗ねたりして」
小さな声の合間に、機械の音が挟まれていた。ピッ、ピッ、ピッ。点滴がゆっくりと一滴ずつ落ちて、管を通ってふたばの中に吸い込まれていく。
「いつでも私についてまわって、褒めてきたよね。テストだって勝手に覗き込んできて。千華は何点だって騒いで、本当に恥ずかしかった。満点じゃなかったら、調子が悪かったんだねっていちいち言ってきて」
勉強にはあまり興味がないらしく、ふたばが百点を取っているところはほとんど見なかった。
私は全然できないのに、千華はいつでも百点!
綺麗なだけじゃなくて、頭までいいなんて。ふたばが隣で騒いで、千華はあきれ顔でため息をつく。毎日、それの繰り返し。放課後になれば互いの家に遊びに行って、お菓子をもらって、いつまでもくだらないあれこれを話し続けて……。
「私が持っているものはなんだって褒めてくれた。それが、クラスの誰かも持っているものだったとしても、さすが千華、似合うとか、素敵だとか……。ふたばはいつでも、そんなことばっかり」
それを受け入れていられたのは、せいぜい小学校の前半まで。出会ってから何度も誕生日を迎え、進級して、二人は大人に近づいていく。背も伸びて、次々に新しい知識を身に着けていく。挑戦してみたいことができて、それらはすべて、「誰かと一緒」というわけにはいかなくなっていく。
「私はふたばを一番の友達だって思ってた。クラスが違ってても、休み時間にはいつでも隣にいた。他の子と話していてもお構いなしで、あんたはいつだって、私の親友の千華はすごいでしょう? って、そればっかり。それが、息苦しくなって、たまらなかった」
涙がこぼれていく。
これまでにも、何度も同じ理由で泣いた。友達といるのに辛いのは何故なのか、自分が冷たい人間なんじゃないかと思えて、悲しかった。ふたばの誘いを断って、なんとか避けようとした日々もあった。けれど、ふたばはまったく気が付かない。避けられているなんて、思いつきもしなかったのだろう。
避けても逃げても追ってくるふたばに、何度か、自分の思いを伝えたりもした。
「ふたば、大したことじゃないよ」
「同じものを持ってる子は、いっぱいいるよ」
しかし、「やんわり」なんてやり方が通じる相手ではなく、当然のように、返ってくるのは千華を褒め称える言葉ばかりだ。
「私はね、ふたば、本当に、ふたばが好きだったの。いつだってそばにいて、いつだって褒めてくれて、いつだって認めてくれる人だったから。お母さんに叱られて落ち込んでいたら、すぐに気がついて隣に来てさ……、千華、何かあったの? 元気がないよねって。それだけで元気になれたんだ。なにがあっても、ふたばがいてくれたら大丈夫だって思ってた」
強張る体から、息を吐き出していく。目を閉じて、出てきた涙を拭って、また、続ける。
「けど、ね、同じくらい辛かった。だって、私はふたばの理想で居続けなきゃいけなかったから。成績が良くって、運動ができて、先生から信頼されていて、いつだって綺麗な千華でいなきゃいけなかった。ちょっとでも手を抜いた途端、具合が悪いのかとか、嫌なことがあったのかとか……」
やめようと決めていたのに。また、ため息が出てきてしまう。
けれど、言わなければならない。
眠り続けるふたばに、思いを伝えなければいけない。
それが、金の騎士との約束だから。
これから先の人生を歩いて行くために、必要だから。
「ふたばは私をまるで神様みたいに扱ってきた。だから私は、ふたばの神様でいなきゃいけなかった。私はそれに疲れちゃったの。私だって、だらけるし、できないことがいっぱいあった。中学を受験しようって必死に勉強してる人たちにかなうわけもない。それで良かったはずなのに、なんでだろうね。なんだか必死になっちゃって。ふたばの最高の親友の千華でいようって、力んでばっかりで、息が出来なくなってたんだ」
不器用だったと思う。期待と重圧、愛情と憎悪。バランスが取れなくなって、息が詰まった。
体が変わり、心も変わる。そんな時期に差し掛かっていたのもあるだろう。今ならわかる。けれど、その時はわからなかった。
親友だったはずなのに、一緒にいるのが辛い。
期待に応えたい。でも、そんな目で見ないでほしい。
「しかも、魔法少女なんかになっちゃってさ……。ホントに、ふたばはすごいよね。あの時は驚いたよ。あんなに非現実的な夢が叶っちゃうのもすごいし、中学生にもなって喜んで引き受けちゃうのもすごいと思ってた。なんでかわからないけど、私まで……ね」
ヒューンルの愛らしい姿。最後には矢が刺さって、血を滲ませながら苦しんでいた。
彼はいつだってふたばについて回り、ふたばの力を褒め続けていた。その姿が、「彼」に重なる。
「あの時、もっと強く断れば良かった。どうしてだろうね、心の中では散々馬鹿にして、冷めた目で見てたのに。どうして断り切れなかったんだろう? 私も案外、お人よしなのかな」
明るいピンク色の太陽。それに付き従う、紫色の月になった。
「一緒に戦って、なんだかんだ敵を倒して。正義の味方ごっこ、たまにはちょっとくらいは楽しいと思ってた。だけどあの日、雨の日に、私は本当に死んじゃうんじゃないかと思った。爪で足を切り裂かれて、本当に痛かった。ぎりぎりのところで避けたけど、運が良かっただけ。雨が降ってたから、あの虎みたいなのが軽く足をすべらせたから。あとちょっとで死んでしまうところだった。ふたばの趣味に、断り切れないからって理由だけで付き合って、それで死んじゃうなんて……、ありえないでしょ?」
あの時、切れてしまった。
これまでの気持ち。冷たい感情を堰き止めていた堤防が崩れて、恐ろしい勢いで流れ出してきた。けれど、必死に抑えた。ふたばの無邪気な笑顔に、すべてぶつけるなんて、できなかったから。
「でも、わかってもらえなかったね。初めてあんな冷たい態度を取ったって思ってた。あれで引くと思ってたんだよ。ああ、千華は思ってたような完璧な人じゃなかったんだって、失望してもらえるって。次の日からは、ちょっと距離を開けてくると思ってたの。でも、そうじゃなかったね。私が考えていた以上に、ふたばは私が好きで……。本当に、苦しくて、たまんなかったよ……」
窓にかかったカーテンは、半分だけ閉められている。外に見える景色は殺風景で、駐車場しか見えない。通院か、それとも見舞いに来ているのか。車はひっきりなしに出入りを繰り返している。
「ふたばには、たくさん友達がいたよね。私がいれば傍にくっついてきたけれど、誰かが困っていれば一番に助けに行って、悲しげな人がいれば励まして。みんな、ふたばが大好きだった。いつでもやかましくて、走り廻ってるふたばに元気づけられた。ふたばは本当に太陽だった。私は月だったかもしれないけれど、でもやっぱり、周りにある星の一つでしかなかった。ちょっと大きいだけで、他の星たちと同じ。自分では輝けない」
また、ふうと息が漏れる。喉が渇いて、そばに置いていたペットボトルを取り、お茶を流し込んでまた一息。
「私は一人だった。ふたばがいなかったら、私は一人ぼっち。冷たくって、ふたばが褒めてくるのをいいことに、調子に乗ってる女王様なんだって」
めちゃめちゃになっていた机と椅子。ずぶ濡れの教科書。
ふたばをいじめた罰なのだと、誰かが言った。誰が言ったのかはわからない。彼女の名を、はっきりと覚えていない。
「私の世界は、ふたばで出来てたんだね。だから、ふたばを切り捨てちゃったら、なにもなかったの。私には……、なんにもなかったんだ」
世界のすべてだった。だから、取り戻すべきだった。
けれど、こんなにも孤独になってしまったのは、ふたばのせいでもあった。
ふたばを失くし、これからどうしていくか。たった一人でも、誰になんと言われても、ふたばが泣いていたとしても、それでも、進んで行けるのか?
ヒューンルの頼みを断った、三日後。
迷える千華の前に突然現れた魔物。襲われているのは、ふたばの幼馴染の慶太だ。ふたばにとってだけではなく、千華にとってもまた大切なひとだった。ひっそりと心を寄せていた相手だ。ふたばがどう思っていたかはわからなかったが、彼はまだ、ふたばのものではないと思っていた。
突然現れた異形の獣に驚く彼のもとへ、走る。
けれど、千華に気が付いた慶太の表情は厳しかった。
お前は、ふたばを酷い目に遭わせた奴じゃないか――。
なにも言わなかったけれど、わかってしまった。慶太の中にある、自分への軽蔑が。
彼の心は決して自分には向かない。
ふたばには大勢の友達がいる。優しい家族がいて、幼馴染がいる。自分がいなくても、なんの問題もないのだ。優しい誰かが常に寄り添って、傷を癒してくれるだろう。
ふたばを傷つけた自分は、みんなの敵だ。
苦しくて苦しくて、もがきながら、でも、戦った。魔法少女のセオリー通り、襲われた人を隔離して、魔物と一対一で向かい合った。
絶対に勝たなくては、と思った。力を振り絞った。ふたばがいなくても、自分一人でも立っていけると思いたかった。必死になって、そして、勝った。できた。自分もやれた。ふたばよりも弱いのに、凶悪な魔物を倒した。
けれど。
太陽のない場所では、月は輝くことができない。
メインヒロインのいない戦いは、誰も見ていない。
力を与えた精霊ですらも、いない。
だから、魔物を元の世界へ連れ帰る光に巻き込まれても、誰も気が付かなかった。
「私は……、どうすれば良かったのかな。全部、後悔ばっかりだよ。気が付いたら全然知らないところにいたの。魔物の死骸がすぐそばに落ちててね。空の色も、周りの景色も、全然見たことがなくて。あてがないまま歩いていたら、魔物が寄ってきた。戦おうにも、もう体力が残ってなかった。死んじゃうかと思ったら、全然襲われたりしなくて。むしろ、ただ黙ってついてくるだけ。どうしたらいいのかわからなかった。そのうち、歩いて行った先で出会った人が、悲鳴をあげて」
その後は、思い出したくもない。
やってきた鎧に身を固めた男たちは全員、次々と屠られていく。
千華は、魔女になってしまった。あやしげな衣装をまとい、魔物を引き連れた女王に。
魔物は次々に集まってくる。それに対抗しようと、人々も結集する。
「どうしてなんだろうね。私は……、ただ、あんなところで死にたくないって思っただけだったのに。なんとか帰る方法が見つかるまで、無事にいられたらいいと思っていただけだったのに」
言葉の意味はわからなくても、すべてが怨嗟なのはわかっていた。
毎日毎日聞こえてくる、恨みつらみ。憎悪を向けられて、苦しんだ。
「全部、ふたばのせいだなって、思った。だって、ふたばがいなければ、あんなことには、……ならなかったでしょう?」
散々育ててきた憎しみは、もう、破裂してしまって残っていない。
強い気持ちがなければ、生きていけなかったから。それで踏ん張って、あの地で生きていた。
破裂した後に残ったのは、心細いばっかりのただの十七歳の本音だけ。
本当は、会いたかった。
全部許してほしかった。
世界はふたばで出来ていた。
絶対来てくれると、信じていた。
「いっぱい考えたよ、ふたばのこと。最初からやり直せたらって何度も思った。でも、全部ふたばのせいだとも思ってた。出会わなければ良かったのにって。もっともっとふたばが、私を嫌いになってくれていたらって思ってた。もっと嫌いになるようにしてくれば良かったって。だけど、だけどね、でも……、私は結局、ふたばが、大好きだったんだ」
たくさんのものをもらってきたから。
あの日、笑顔で声をかけてくれた女の子との出会いは、千華にとって最高の宝物だったから。
自分を褒め称えてくるふたばの方が、誰よりも可愛くて、誰よりも愛されていて、誰よりも必要とされていたから。
そんな彼女に愛されている幸せ。その光栄、その喜びで、生きていたとようやく気が付いた。
「ふたば、目を覚まして。やり直させて。まだ、私を好きでいて」
虫のいい話だと、ふたばは笑うだろうか。
三年もの間ずっと、引きこもっていたと言う。
もうあの頃の無邪気な彼女は、何処にもいないかもしれない。
でも、それでも。
「ごめんね、ふたば。ごめんね。私の弱さを全部引き受けさせちゃって、本当にごめん」
体が震えるまま、涙を流したままで千華はふたばの手を取り、強く握って願う。
イーリオに切られた髪が、肩の上でふわりと揺れた。
「私を、許して」




