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わたしとあの子の桶狭間  作者: 澤群キョウ
女王様には、女王様の憂鬱

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38/42

 魔物が出ていき、金色の騎士も去って、カルティオーネの王の間はがらんと静まり返っていた。

 こんなに広い部屋だっただろうか。いつでも左右に魔物が詰めていた。ここに来てからずっとそうだった。どれだけの数の獣が自分につき従っているのかわかっていなかったと、千華は改めて思う。


 静かだった。

 本当は上等な造りであったであろう絨毯は汚れ、泥だらけになっている。

 自分のすぐそばにある玉座とその周囲だけが輝いていた。積まれた宝石、アクセサリ、金色に輝く椅子。二つ並んでいる。いつも左側に座っていた。もう一脚は捧げ物で埋まって、窓から入る光を受けてチラチラと輝いている。


 突然やってきた、ふたば。

 いつ、どうやってここまでやってきたのか。

 最後に会ったあの日。隠してきた思いをぶつけてしまったあの瞬間よりも、ずっと大人になっていた。それは自分も同じだろうけれど、自分の姿など、この世界に来て以来一度も見ていなかった。ドレスを用意され、宝石を額に、耳に、指に、腕に着けられてきたけれど。

 けれど、鏡をのぞく勇気はひとかけらもなかった。

 どんなに醜い顔が映っているか、直視するのが恐ろしくてたまらなかったからだ。


 両開きの大きな扉は開け放たれている。あそこから、ふたばは行ってしまった。子供染みたピンク色のヒラヒラを真っ黒に染めて、瞳の中にいつだって泳がせていた星の瞬きをすべて消し去って。おぞましい魔物たちを連れて、去ってしまった。

 金色の騎士も、その肩に乗っていた白いフワフワも、ヒューンルも。皆、去って行ってしまった。けれど、千華は動けない。

(なんなの、いきなり)

 気が付いたらふたばが目の前に立っていた。それだけだ。視線を上げたら突然いた。誰もやってこないはずの時間に、いるはずのない「あの子」が自分を見つめていた。

(相変わらずの、能天気で)

 ふたばは千華に告げた。これまでにしてきたすべてと、これからどうすべきかを。良心に則った、人間らしい選択肢。こうしなければならないと、大人が自分たちにこぞって教えてきた「常識的な道」を選べと。


 そのすべてを、拒否してしまった。

(だって)

 無理だったから。千華にとって、世界で最も受け入れられない、「ふたば」の言葉だったから。


 千華は思わず両手で顔を覆った。悲しかった。涙こそ出て来なかったが、体は小刻みに震えていた。あの時散々傷つけたふたばを、また傷つけてしまった。

(どうしたら良かったんだろう)

 体を震わせながら、千華は深く後悔の中に沈んでいく。顔を覆った手の隙間から、うっすらと光が差し込んでいる。それが眩しくてたまらない。かつて人生を最も長く共有してきた大事な大事な友達のようで、とても見ていられない。


「イデウミチカ」


 突然聞こえた声に、千華は慌てて顔を上げた。そこには、明るいキャラメルのような色の髪の青年が立っていた。服はボロボロで、腕や額に巻き付けた布には血が滲んでいる。満身創痍、そう表現したくなるような出で立ちだが、足取りはしっかりとしている。

 左手には弓、右手には矢。男は千華に向け、構える。

「ミータ スデドワー ネー ザッド レイア」

 きりきり、と音がする。弓の弦が引かれ、矢はまっすぐに千華へ向けられている。

「やめてよ……」

 弓の青年の瞳は、怒りの炎に満ちていた。

 千華はこれまでに、何度も同じ色を向けられてきた。この城で働く者たちに、閉じ込められている人々に。

 それらは自分のせいではない。命じていないし、望んでもいない。いつのまにか「そうなっていた」だけだ。魔物達は千華に「勝手に」尽くしてくる。

 それを止める術がない。誰とも言葉が通じない。なにがどうなっているのか、ここが何処なのか、自分がどう扱われているのか、千華には一つだって説明がなかった。ある日突然巻き込まれた戦いの果てに、たどり着いただけ。


 ただ帰る日まで無事に生きていければいいと、思っていただけなのに。


 けれど、やってきた迎えは追い払ってしまった。

 あの精霊だけだったなら、ヒューンルだけならば、受け入れられた。

(まさか、ふたばが来るなんて……)

 いや、来て当然だ。なんと言っても「ふたば」だ。自分を愛し、付きまとい、憧れ、これほど素敵な女の子がいるか、いやいないだろうと周囲に吹聴して回っていた、ふたばだ。彼女が来ないわけがない。来てほしくなかった。会いたくなかった。彼女のいる世界に、いたくなかった。二度と会いたくなかった!


 けれどそれは、千華がそう思っているだけで。

 ふたばが自分を避けてくれる保障などどこにもなかったはずだ。


(知ってた、……けど)

 自分の切なる願いが、叶ってくれるよう祈ってきた。これまでの三年という日々の間、思い続けてきた。


「ガイレ ニミ ルーリ。……ドガ プリーリア メオル バー」

 青年の声は小さい。穏やかな響きだが、瞳の中に宿る炎は消えていなかった。それどころか、ますます強く熱を帯びているように見える。


 あの矢は、どこを狙っているのだろう。

 胸か、額か。手や足ではない。射抜かれれば間違いなく、命を落とすであろう場所。


「どうしよう」

 不安な気持ちが、唇の端から零れ落ちていく。

 ふたばが現れ、気持ちが大きく乱れていた。どうしたらいいかわからず、戸惑い、自分でもなにを言ったか、断片的にしか覚えていない。


 ただただ「否定した」。それはわかる。「会いたくなかった」だけはかろうじて覚えている。


「どうしろっていうの……」


 震える千華を、男は強く睨んでいた。「許さない」と言われている。そう感じる。彼は躊躇わないだろう。今与えられているこの時間は、懺悔のためのものなのだろうか。


「どうすれば良かったの……」

 ぎぎ、と弓が鳴る。その矢の向けられた方向に、一切のブレはない。 


 人生の終わり。こんなところで、誰もいない場所で、理由もわからずに死ぬのか。そう思った瞬間、やるせない思いが千華の中で溢れた。体の震えが大きくなっていく。歯の根がかみ合わなくなり、カチカチと当たる音が響いてやかましい。


「やだ」


 どうしてさっき、ふたばの言葉に耳を傾けなかったのか。あんなにも感情的になって、三年前のあの日を、散々後悔してきたあの日をどうして再現してしまったのか。深く深く、悔いてきたのに。言うべきではなかった。でも、言わなければ耐えられなかった。心が軋んで、壊れそうになっていた。

 けれど、言ったせいで、壊れてしまった。

 言わなくても、言っても、結果は同じだった。

 そう思う千華の心のうちに、疑問が差し込まれてくる。

(本当に?)

 わからない。もしもこうだったら、もしもああしていたらなんて想像に意味などないのだ。この三年間でわかったのはそれだけ。たった、それだけしかない。

 後悔と苛立ちだけで満たされた時間だった。なんて空虚な、意味のない時間だっただろう。その結果がこれだ。怒りの矢に射抜かれ、憎しみの炎に焼かれて死ぬ。


「いやだ」

「デーデン トッカ!」


 男の手が離れ、矢はまっすぐに飛んだ。

 

 紫色のドレスのど真ん中に向かって。


 思わず目を閉じる。きつく閉じ、体を小さく丸めて、無力な少女になって、千華は体を大きく震わせた。終わり。全部終わりだ。


「ふたば!」


 千華が叫んだ瞬間、音がした。矢が刺さり、肉を裂いた音。不吉な響きはしかし、千華の体からしたものではなかった。痛みもなく、世界には一切の変化がない。

 おそるおそる目を開けて、確かめる。

 恐ろしくてたまらないが、そうするしかないから、仕方なく目を開いていく。


 王の間の床、千華のすぐ前に、白い毛の精霊が落ちていた。

 体に矢を刺した無残な姿。純白の中に赤がじわじわと滲み出している。


「ヒューンル」

「わあ、これは……、痛いわあ……」


 呟き、けほっと咳をして、ヒューンルは軽く身をねじった。それでまた痛みを感じたらしく、可愛らしい顔を歪めて小さく唸る。

「エランジ、ごめん、カッコよかったけどさすがにさあ……。こればっかりはねえ」

「ヒューンル」

 エランジは弓を下ろして精霊のもとへ駆けつけ、険しい表情で自分のつけた傷をじっと見つめた。

 近寄ってきた男に慄き、千華は床に尻をつけたまま、後ろへ下がっていく。

「千華、ねえ、千華、ごめん。ふたばが気になってさ……。それで、ちょっと外を見に行ってたんだ。ふたばは行っちゃったよ。でも僕は、君についてあげていれば良かった。本当にごめんね、千華。一人にして、ごめん」

 小さな手が伸びてくるが、千華には届かない。そばにいるエランジの形相が恐ろしくて、前に出られない。

「ふたばは……、自分が悪いって言ったけど、違うよね。本当は僕が一番悪いよ……。無責任でさ。地球とメーロワデイルじゃ……、色々違うってのに……、それに、ふたばばっかり構って、君を完全に、オマケ扱いして……」


 言葉が途切れていく。

 明るく陽気で、いつもイライラさせられていた。白いふわふわは勿論、愛らしい姿だったが、ふたばのように好きにはなれなかった。


「今更、なによ」

 出てくるのはせいぜい、こんな言葉だけだ。ふいに口をついて出たセリフに、エランジが強い視線を向けてくる。

 びくりと身をすくませた千華に、ヒューンルはふっと笑ってこう返事をした。

「本当だね。僕がもうちょっと、落ち着きのあるタイプだったら良かったのに。……でもなあ、残念だけどそういうタイプは、精霊にはいないんだよね。僕たちは浮かれて騒いで、みんなを愉快な気分にさせたいとか、そういう気持ちばっかりで動いてるんだ……」

 不愉快だったでしょ、と精霊は呟く。

 その通り、ずっとずっと、嫌だった。ヒューンルが選んだのはふたば。それが、辛かった。それまでの人生で溜め込んできた、自分を揺らす不安の素がまた増えて、耐えられなかった。


「ヒューンル!」

 新たな声に、千華はまた体をすくませた。顔を上げたくない。でも、見ないでいるのはもっと怖い。

 ゆっくりと視線をあげた先には、銀色に輝く鎧。黒い髪から、少し大きな耳が飛び出している。エランジと呼ばれた弓の使い手よりももっと厳しい瞳が倒れて落ちている精霊を捕らえ、そして、千華へと向けられる。

「イデウミチカ」

 ふざけているのかと思うほどの豪華さだった。白く眩く輝いている鎧姿に、あっけにとられてしまう。金色もないなと思ったが、こちらもない。二人は恐らくセットなのだろうとも思う。そんなくだらない思いでほんの少しだけ逃げてみたが、千華の意識はすぐにまた現実に捕えられた。

「メダルト、ロクェスを呼んでくれ。ヒューンル、しっかりしろ。ニティカが来れば傷は癒える」

「うん、うん……、だよね。いいね、癒しの力ってチョー便利」

「黙っていろ。無駄に体力を使うんじゃない」

 白い精霊はとうとう黙って目を閉じた。黒いギザギザ耳の精霊が降りてすぐそばに立ち、ヒューンルの頭をちょんちょんと撫でていく。


 銀色の騎士は振り返ると、すぐ後ろに立っていたエランジを殴りつけた。強烈な一撃に、青年は扉の近くまで吹っ飛んで倒れてしまう。

「エランジ、このままではお前は大地の門へたどり着けない。お前の気持ちはよくわかる。これまでを思えば当然だと、私も思う。だが、憎しみをそのままぶつけては駄目だ。フーペニッタを受けるために必要なものは……、その先にあるのだ」

 よろよろと起き上がったエランジは、悲しげに目を伏せたままうなだれている。

 そして銀の騎士は、千華にその鋭い視線を向けた。

「なにが起きたか、おおよそはわかっている。ニティカが報せてきた。私も、ロクェスも、この世界のすべてがお前を憎んでいる。だが……」

 カツン、と足音が響く。

 銀色の騎士が厳しい表情のまま近づいてきて、千華は震えた。

「ふたばは言った。お前を責めるなと。だから我々は、イデウミチカを裁かない」

 手には長い槍。これまた、銀色に輝いていて眩しい。なぜそこまで光輝く素材を使わなければいけないのか、理解不能なほどに煌めいている。


「だがお前のせいで、ふたばは彼女が望まぬ道へと進んだ。私は、お前を許さない」


 イーリオの手から、槍が放り出される。かわりに、腰に提げた短剣が抜かれ、鎧の輝きを受けて光を放った。


「ちょっと、イーリオさん!?」

 ヒューンルが慌てた様子で叫ぶ。矢を胸に刺したまま手をバタバタと振り、痛ぁいと叫んでのたうち回っている。


「覚悟はいいか」


 今日二度目になる問いに、千華は答えられない。

(なによこれ)

 ただ、震えながら涙を流すだけ。人生の終わりに情けなさを全開にして、千華はただの十代の少女らしく、怯え続けている。


 何故、何故、何故。

 どこで間違えたのだろう。ふたばとの日々が、頭の中を駆け巡っていく。出会ったあの日、瞳を輝かせて声をかけてきた、無邪気な女の子。いつだって元気で、不道徳なものを許さなかった。誰かがいじめられていれば助け、喧嘩があれば止め、困っている人がいれば手伝い、笑顔を振りまき、愛されていたふたば。


「ふたば!」


 思わずその名を呼んでしまう。呼べば来てくれそうな気がして。誰よりも、両親や教師なんかよりも、自分を救ってくれる絶対的な存在である、大事な「ともだち」の名を。

 けれど、彼女は行ってしまった。自分が行かせてしまった。後悔など、何の役にも立たない。ただ、心の中を冷たくするだけでしかなくて――。


「これは報いだ、悪の女王!」


 剣が、うずくまった千華の背に振り下ろされる。


 ズバリと響く音。苦しげなヒューンルの叫び。


 悲鳴をあげることすらできない。



 浮かんでくるふたばの笑顔と、自分を呼ぶ明るい声の中に溺れながら、千華は、世界が真っ暗になっていくさまを茫然と見つめた。

 

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