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わたしとあの子の桶狭間  作者: 澤群キョウ
女王様には、女王様の憂鬱

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走り抜けたその先は

 呼ばれた理由はただ一つ。千華を懲らしめて、メーロワデイルを再び希望に溢れた世界に戻すためだ。それが出来るのは世界で一人。遠山ふたば、かつて精霊に力を与えられた、地球の少女だけだから。


 勇んでここまで来たけれど――。


 突然現れたふたばにその理由を聞いて、犯した非道を反省してくれるものだと思っていた。いますぐ、魔物達を遠くへやりましょう。そして、元いた世界へ戻りましょう。そんな展開が待っていると、心のどこかで思っていた。


 千華がひどくわかりやすい単純な悪役に成り果てていたら良かったのに。大量の魔物をけしかけてくるようなラスボスになっていて、ふたばがそれに立ち向かい、倒した瞬間に本来の彼女が取り戻される。ごめんなさい、ふたば。私、どうかしてた。あの時なにかが入って来たの。あれから自分が自分ではなくなっていた……。冷たい手が、ふたばの指を握る。ふたばはそれを受け入れ、握り返してこう言うのだ。いいの、千華。あなたは悪くない。一緒に帰ろう。もう大丈夫だよ、もう、大丈夫――。


 そんな「お約束」はひとつもなかった。現実はもっと複雑で、異常で、異様だった。

 どうやってこの世界に来たのかわからない。魔物達に命令した覚えもない。ただただ、勝手にこうなっていた。あんたと一緒に帰るなんてまっぴらごめん、ましてやいうことを聞くなんて、死んでも嫌!

 

(笑うしかないじゃない)

 右手に力を込めて、ステッキをゆっくりと頭上に掲げ、光を集めていく。

「どうする気? 私を殺すつもりなの?」

 女王様は顔色をすっかり青くして、目の前に立つかつての親友に怯えている。


 自分の顔が今どんな表情をしているのか、ふたばにはわからなかった。


(しょうがない)


 このままでは、最悪の結末を迎えることになってしまう。

 ふたばと千華は、どこでなにをしていたかわからない行方不明と引きこもりとして地球へ帰る。なんの結果も出さないまま、世界(メーロワデイル)を滅茶苦茶にしたまま、戻ってまた冷戦を続けていく。街を去って二度と顔を合わせないくらいはできるだろうが――。


(駄目でしょ、そんなの)


 許されるわけがない。許されないし、どうしようもない。

 このままメーロワデイルから弾かれて、ただ帰るなんて。

 史上最悪のエンディング。

 世界を救うために来たのに、なんの解決もせずにただ帰るだけのヒロインなんて。


「ふたば!」

 千華が叫ぶ。ひきつった顔を蒼く染めている。


 それに、ふたばは微笑みを浮かべて答えた。


「千華、千華、私は、千華が好きだったよ。今もそう。世界で一番大好きな友達だから。初めて会ったあの日から、ずっとずっと憧れてた。あんな風に終わってしまってからも、嫌いになんてならなかったよ。千華は悪くない。なにも悪くない。私が全然、わかってなかったから」

 ヒューンルの叫びは、ふたばの耳に届かない。

「世界で一番大好きだってあんなに言ってたのに、ね。本当にごめん。もっともっと私がわかってあげられていたら、遠い世界に飛ばされて長い間苦しんでいたって早くに気が付いていたら良かったのに。私は、一人ぼっちになったような気分で、ずーっと可哀想な自分に酔ってたんだ。もっと早く立ち上がれたはずなのに。もっと、もっと、たくさんのことができたはずなのに」

 

 頭上の光が、怪しげな色に変わっていく。まばゆい白ではなくて、絶望の黒に。

「情けないよね」

 ふたばの肩に乗っていたヒューンルが慌てた様子で、金の騎士の下へ飛んでいく。


「私が全部悪い。メーロワデイルをこんな風にしたのは私。千華を追い詰めたのも私。ロクェス、千華は悪くない。悪いのは、全部私だから、だから、この後なにがあっても千華を責めないで」


 頭上の黒い光がゆっくりと、ふたばの体を包んでいく。

 目の前では千華がへなへなと座り込んで、あっけにとられた顔でふたばを見つめている。


 千華から抜かれた毒気が、ふたばの頭上に集まった光を染め上げていた。

(絶望だ)

 満たされた気持ち、希望が、精霊たちに力を与えるのならば。

(魔物の王に必要なものは……)

 その逆だ。千華の命を奪うまでもない。この身を、断たれた希望でいっぱいにすればいい。


 黒い空気に侵されながら、ふたばは気が付いていた。

 千華は魔物の王を倒したから、新しく王位についたわけではない。メーロワデイルの魔物は倒されると光に包まれ、元の世界へと戻される。千華はそれに巻き込まれただけだ。


 したくもない戦いに巻き込まれて、倒したら見知らぬ世界に居た。言葉も通じず、魔物達に囲まれていれば、絶望も募るだろう。こうして「悪の女王」が生まれた、――そうに違いない。


 どれ程苦痛な状況だろうかと、ふたばは思う。それにようやく終止符が打たれる日が来たはずなのに、千華にあるのは怒りだけだ。やってきたふたばは、世界で一番会いたくない、憎い相手。偉そうに魔物をなんとかしろ、酷いことをしてきたと責めてきて、どれ程腹立たしいだろう。たまらなく嫌いだった相手の一番嫌な部分、幼い頃からあこがれ続けている「正しい正義のあり方」に則って、偉そうに説教をしてくるなんて。

 

「ふたば、ふたば! やめて下さい!」

 ロクェスの叫びが聞こえてきて、ようやくふたばは振り返った。既に全身が黒い靄に包まれている。それはふわりと広がって、コーラルシャインの衣装をも黒く染め始めていた。ピンクと白だったはずのスカートも、あちこちにつけられていた愛らしい形の石も、漆黒に色を変えていく。


「仕方ない。私が全部悪いんだから」


 完全な否定だ。自分を待っていたもの。この状況ならば、ふたばの登場を少しくらい喜んでもいいはずなのに。千華は、まだ、否定する。ふたばと同じ世界に居たくないという。

 戦いに巻き込んだのは自分(ふたば)。どんなに拒否しても、勝手に親友面をして、彼女の生活のありとあらゆる場面に入り込んでいた、迷惑の塊。


 すべての悲劇は自分(ふたば)が招いたものだ。


 メーロワデイルに滅びの運命を歩ませたのは――。


「魔王に一番、相応しいよね」


 肘まで覆う長い手袋がすっかり黒く染まって、ふたばは大きく頷いた。

 王座の前でへたりこんでいる千華、苦しげに顔を歪めるロクェス、目から涙をこぼしている精霊たちの顔を順番に見てから、右手に持った禍々しい形の杖を振り上げて叫ぶ。


「メーロワデイル中の魔物に告げる!」

 

 王の間に居た魔物たちが、一斉にふたばに顔を向ける。

 左右を見渡してそれを確認し、新しい女王は力強く一歩、足を踏み出して叫んだ。


「私に続け!」



 

 ふたばが王城から出ると、城の前には大量の魔物が集っていた。

 エランジと二人で見た大群の生き残りだろう。彼らは左右に別れて、王に道を作っている。


 悪役らしいデザインに形を変えたシャインステッキをふたばが振り上げると、まっ黒い虹が空にかかった。


 虹の橋に右足を乗せ、ふたばは進む。ゆっくりと踏み出して登り、振り返ってカルティオーネの城を見つめる。

 後ろには続々と魔物達がついて来ていた。邪悪な姿をしているが、今は借りてきた猫のようにおとなしい。新しい女王様の言う通り、黒い、絶望で出来た橋を渡っている。

(虹のふもとには、幸せが埋まっているんだっけ?)

 だとしたら、それはこれから埋められるのだろう。ふたばはふっと笑うと走り出した。右腕を突き上げ、叫びながら駆ける。もう振り返れない。騎士たちの姿を見たら揺らいでしまう。世界からこの絶望を駆逐しなくてはならない。この決意が揺らいでは、意味がない。


 駆け抜けるふたばを、魔物たちが追う。

 突き上げたふたばの右腕から、黒い橋が東へ、西へ伸びていった。キューゼラノの鉱山へ、ママスレートの平原へ。魔王がかけた橋を渡って、各地からメーロワデイル中の魔物が集まっていた。この世界で最も深い絶望を抱いた新しい女王の命令通りに、後をついて走っていく。


 空を覆う、翼の魔物たち。その陰で大地も黒く染まった。世界中の不幸を全部集めて、ふたばが向かっていたのはプロレラロルの渓谷だった。リパリーガントを抜けた時にヒューンルが語っていた、ロルロ河の流れる深い谷へ。


(死んじゃうかなあ)

 先頭をきって走るふたばの心は、なぜかひどく穏やかだった。

(そんな正義の味方も、たまにはいるよね)

 ここまでの道、短くて濃厚な、一か月弱。揺れに揺れて、戸惑い、何度も心を入れ替えながら、必死になって歩んできた道を思う。


(駄目な魔法少女だったな)


 大好きな友達を傷つけて、裏切られて、悲しんで。

 引きこもって、ぶくぶくに太って、悪態をついて。

 これじゃ駄目だと奮い立って、失敗して、また落ち込んで。

 何度も何度も立ち上がっては、目の前で出た犠牲にショックを受けて。

 やっと辿り着いた、最終目的地。だけど結局、そこでもうまくやれなかった。


(なんて言えば良かったんだろう)

 本当はきっと、もっといいやり方があったはずだ。ふたばは思う。後悔しながら、自分を包む黒い霧を濃くしていく。

 ハッピーエンドが待っていると思っていた。千華が自分を迎え入れてくれると勝手に信じていた。ロクェスとイーリオに笑顔で見送られると思っていた。七色の光に包まれて、目に涙なんかを浮かべながら去るものだと思っていた。これで世界は救われましたと感謝されながら、カッコいい騎士たちが遠のいていく光景を見るものだと思っていたのに。

(仕方ない)

 イーリオとエランジは無事だっただろうか?

 ニティカが叫んだ理由は、そういえばハッキリわかってはいなかった。もしかしたらとんだ早とちりをしていたのかもしれない。

(でも、仕方ない)

 けれど、遅かれ早かれそうなっていただろう。千華が応じない。ふたばの願いを聞くなんて、死んでもお断りだっただろう。


「これでいいんだ!」

 もっともっと遠いと思っていた、プロレラロルの渓谷が近づいている。上空を、背後を、魔物が埋め尽くしていた。これで、メーロワデイルから悪夢は消える。再び希望に溢れた世界が取り戻される。壊れた城を元通りにして、家を建てなおして、家族はまたひとところに集って暮らせるようになる。地下に潜んでいた者は、地上へ出て、もう暗闇に怯えなくていい。襲われるかもしれないと、不安に思わなくていい。


 ヒューンルの言っていた「美しい世界」が取り戻されて、大地の門の奥、精霊たちの世界にも花が咲き乱れるだろう。


「ニティカ」

 ごめんね。

「メダルト」

 ありがとう。


 犠牲になった二人を思いながら、虹の端に辿り着く。

 

 上から見ると、それはそれは深い谷だった。ごうごうと水の流れる音がする。高い山から流れてきた河は流れが速く、水量も多いようだ。


 ふたばは足を止めて振り返った。

 まっ黒い橋はここで終わっている。ここが、虹の終わり。この下に世界中の絶望を埋める。それが、この虹のふもとに埋められる「至福」だ。


 息が切れていた。走り続けてきたから。どれくらいの時間だっただろう。わからない。空は黒で覆われていて、まだ昼間のような気もするし、夜のような気もする。視界がぼやけていて、なにも見えない。魔物たちは静かに、王の命令を待っている。

「行こっか」

 ふたばが呟くと魔物たちは橋から次々に飛び降りていった。大きいものも小さいものも、王の命令通り、深い深い谷へと落ちていく。翼を持つ者はそれをたたんで、まっすぐに。言葉も、躊躇いも、悲しみもないまま、身を投げ続けていった。

 

 黒い橋の上に残っているのは、ふたばとあと少しの魔物だけになっている。


 ついさっきまで見えていなかった空。見上げれば紫色に染まっていて、仲良く二つの月が並んで浮かんでいた。

 やってきた時も夜だった。心を決めようと誓った時も夜だった。何度も見た、メーロワデイルの月。心に浮かびあがってきたのは、両親の顔。帰りたい、けれど、揺れる。魔王の心に突き刺さって、抜けない言葉。――あんたと同じ世界に、居たくない。


 足が震えた。


 メーロワデイルは「存在しない世界」だ。地球に戻ればそうなる。行き来する術はない。誰かに話しても、鼻で笑われるだけだろう。けれど、ふたばにとっては違う。現実を見据え、心を入れ換え、尊いことを教えてくれた聖なる場所だ。

 そこをどれだけ傷つけてしまったか。考えると胸が痛んだ。


 希望に満ち溢れていたはずだったのに。

 どうしてこうなってしまったのだろう?

 心の中を絶望で満たして、千華の代わりに魔王になった。魔物はすべて谷底へ落とした。

 それでいいと思っていた。

 思っていたのに、心が震えている。

 この先に、自分に用意された道が見えない。


(この後は?)


 まっ黒い橋が消える。

 足場を失って、ふたばは落ちていった。深い深い谷の底へまっすぐに。


 混乱している。

 このまま落ちるのが、正しいのかどうか。ふたばにはわからない。

 そう考えて、ふっと笑う。だって、もう、どうしようもない。


(最後まで、迷い過ぎだよ)


 ちっとも一貫していない自分の心。必死になってどちらが正しい方向か、探り続けてきた。

 いつだってその場の勢いだけで、底が浅い。そんな反省も今更過ぎるが、こうも思う。


 でも、一生懸命やった。


 迷い迷って辿り着いた終点が、近づいてくる。

 

(最後に泳いだの、いつだったっけ)


 目を閉じてその時を待つふたばの視界に、きらりと光の粒が輝く。


「ふたばー! ふたばっ、ありがとう、ありがとう! 僕たちは皆、ふたばに感謝しているから、忘れないから! ふたば、僕は……」



 届いたのは精霊の声。

 そこに来ているのか、それとも、自分の願望が生み出した幻聴か。


 わからなかったが、ふたばは最後にふっと微笑んで、暗闇の中にまっすぐに落ちていった。

 

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