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わたしとあの子の桶狭間  作者: 澤群キョウ
女王様には、女王様の憂鬱

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喧嘩の落とし前

 空気がざわりと動いた。

 それまでただ見ていただけの魔物達に明らかに変化があったからだ。ただの壁ではなくなり、命令さえ下ればすぐに愚かな侵入者を討つ準備が済んでいた。すべての瞳がギラつき、それぞれの手には獲物が構えられている。

 ロクェスも、腰の剣に手をやる。


 背中でその気配を感じたが、ふたばは動かなかった。両手を強く握りしめて、まっすぐに立って千華を見つめ続けている。


「嫌いなのは知ってる。私がどれだけ面倒で、腹立たしくて、千華をイラつかせてきたか、この三年間ずっと考えてきた。全部想像に過ぎないけど、私が千華を傷つけてきたのは、よくわかってる!」

 千華が立ち上がる。組んでいた足を降ろして、するりとドレスを揺らして、ふたばのすぐ前に、歯を食いしばって立っている。

「だけど、それはそれ、これはこれだよ、千華。どうしてここに来たのかわからなくても、私が嫌いでも構わない。でも、メーロワデイルをこんな世界にし続けるのはもう許されない!」

「正義の味方ごっこ、まだやってるの?」

「ごっこじゃなくて、私は正義の味方だから」


 三年ぶりに会う千華と、真正面から向かい合って立つ。

 すらりとしてスタイルが良く、背も高い千華。そう思って来たが、三年の月日でその差は埋まったらしい。二人の背の高さはほとんど同じ。ドレスに隠された千華の手足は相変わらず細く長いが、今のふたばは同じように美しく立っている。


「できないとか、わからないとか、聞きたくない。千華、今すぐ魔物をどこかへやって。ここのだけじゃないよ。あちこちで大勢の人達を閉じ込めてこき使ったり、勝手な理由で傷つけたりしてるやつらも全部!」

「……やれたとしても、あんたの命令なんて聞かない!」

 ふたばが怒鳴り、千華も吠える。

 顔を突き合わせるようにして、お互いの顔を睨み合う。

「命令じゃない、これは、人としてやるべき、『当たり前』だよ」


 すぐ前にいる。これまで散々愛し、散々怯えてきた、世界でたった一人の「千華」が。


「ふたば、もしかしたら千華は今、魔物の王様なのかもしれない」


 睨みあう二人の間に、突然割って入ったのはヒューンルの声だった。肩の上から飛んで二人の間の狭い隙間へ無理矢理入ってきて、ふたばと千華は互いに一歩下がる。

「ヒューンル、今、なんて言った?」

「千華は魔物の王なんだよ。ねえ千華、もしかして……、いや、一人で魔物を倒したね?」

「知らない、そんなの、した覚えない!」

「嘘はいいよ、やめよう千華。今の状態を君だって望んでいる訳じゃないんでしょう? さっき言ったじゃないか。どうして来たのかわからない、なにが起きているのかも知らないって」

 ぴょこぴょこと手を動かして問うヒューンルに、千華は口を噤んでしまう。

「あの日って言ったよね。なにかあったんだよね? ね……うむーん!?」

 精霊は突如、手で首の辺りを抑えてのけぞり、床へとぽとりと落ちた。

「ヒューンル!?」

「ふわ、ふわわ……、ふわわわわわ!?」

 ふたばは慌てたが、ヒューンルは白い毛を思いっきり輝かせると、びゅーんと天井目掛けて飛び、ぐるんぐるんと王の間中を旋回して三周した。そして、ふたばと千華の間へと戻ってきて「ひゃっほー!」と叫んだ。

「ヒューンル?」

「いいえ、僕はブランニュー・ヒューンルでーす! 超っ絶っに、漲ってるうー! どうしよう、なんか今すごいみたいなんですけどー!?」


 余りにも急激な展開に、千華も小さく「なんなの」とつぶやいている。


 あっけにとられる三人の前で、精霊ヒューンルはくるりと素早く一周すると、千華に向かって思いっきり指を突きつけてこう叫んだ。

「見えちゃった! 千華、君はたった一人で、やってきた魔物と戦ったんだね! あれだけもうやらない、ふたばなんか知ったこっちゃないって言っておきながら! とんだツンデレさんだぁ!」

 体が元通りになっただけではなく、どうやら激しくパワーアップを果たしたらしい精霊が、キャッキャキャッキャと騒いでいる。それは楽しい光景だったが、余りにも緊張感を欠いてもいる。

「黙りなさい」

「黙ってたらいつまでも言わない気でしょ? そうは問屋が卸さないよ! 僕がぜーんぶ解決しちゃうもんね。ふたば、千華は、君が落ち込んで出て来なくなった後、僕が頼んだことをちゃんとやってくれてたんだ。ふたばが元気になるまで、魔物と戦ってくれないかって頼んだんだよ、僕は」

 千華の瞳には怒りの炎が浮かんでいる。

「頼みに行ったら、するわけないでしょ! って冷たくあしらわれたんだけど。でも、ちゃんとやってくれたんだ! それで」

 色の白い腕が伸びて、ヒューンルの首を思いっきり掴む。

「おげええええ!」

「ちょっと、千華、やめて。ヒューンルも調子に乗り過ぎだよ」

 怒りの気に満ちた千華は、腕に力を込めたままヒューンルを離さなかった。ふたばは慌ててもう一度千華にやめるように言ったが、やはり離す気配はない。

 結局無理矢理、ロクェスと二人がかりで千華の手を引きはがしてようやく、精霊は救われた。ヒューンルは苦しげに咳込み、最後におえっと汚らしい声をあげて、肩をすくめてやれやれと呟いている。

「乱暴だよ、千華。ヒューンルとは久しぶりの再会だってのに……、ひどくない?」

 こんな苦情はさらりと流し、ふたばは改めて千華に向き直ると、問いを投げかけた。

「魔物を倒したって本当なの?」

 返事はない。顔を腹立たしげに歪めたまま、千華は黙っている。


「ふたば」

 けほんと咳払いをしたヒューンルに、鋭い視線が向けられた。また余計なおしゃべりをするつもりか。はっきりと怒りの浮かんだその瞳に少し怯んだものの、お調子者の精霊は結局、口を閉ざしはなかった。

「千華は、たった一人で魔物に立ち向かって、そして、倒したんだ。地球にやってきた魔物を、……それも、かなりの強いヤツを倒したんだね」

「まさか、魔物の王を?」

 ロクェスが驚いて声を上げる。

(千華) 

 ふたばも同様に、衝撃の中にいる。自分が勝手にリタイアした後、たった一人で、魔物の王を倒した。運命に耐えている。そう精霊の王が表現した千華の「今の境遇」に繋がる糸が、目の前にぶら下がっていた。

「そう……か。それで、千華、君は、メーロワデイルに来たんだね。君が、新しい王になったから」


 言葉が止まる。

 ヒューンルはふたば同様パワーアップを果たし、漲る力で千華の過去を見通したらしいが、その衝撃への心構えはできていなかったらしい。新しく知った「真実」は、言った本人にもショックだったらしく、精霊は力なくふたばの肩へ降りてくると、手を胸にあてた姿勢のまま黙り込んでしまった。


(魔物の王になって、メーロワデイルに来て……)

 それで、なにも知らないまま過ごしてきて、なぜこんな状況になってしまうのか。

 ふたばにはわからない。千華にもわからないという。


 しょぼくれる精霊の頭に手をやり、ふわふわの毛を撫でていく。

(……私がウザかったら、ヒューンルだって好きにはなれないか)

 今は関係ないこんな確認をしつつ、ふたばは王座に座る千華を見つめた。


 怒りと焦りが同居しているような、落ち着きのない様子。また右手の爪を噛んでいる。千華は反論もせず、周りに控える配下に何の命令も出さず、ただ苛々と足を震わせているだけ。

(どうしてなんだろう?)

 物悲しい気分になっていく。運命に耐えている。確かに千華は、ずっと耐えてきたのだろう。望まなかった戦いをし、望まなかった異世界へ呼ばれ、望まなかった王座に、たった一人で座り続けてきたわけで――。


「千華、千華、帰ろう。早く家に帰ろう。お願いだから、魔物をどこかへやって。千華の命令なら聞くんでしょう?」

 もしも、本当に千華が、「なにも知らない」のなら。

 ただひたすらに運命のいたずらに翻弄され続けていただけだとしたら?


 ふたばは思わず、ロクェスの方を振り返った。

 彼は見たと言っていたはずだ。千華がカルティオーネの城へ来た時、魔物の王としてやってきたのだと。

 金の騎士はじっと動かない。厳しい眼差しを千華に向け、剣をぶらんと下げた姿勢のまま立っている。


「ねえ、千華」

 ふたばはまた一歩、前へと出た。千華の前へ行き、両膝をついて座り、下を向いた顔を覗き込む。

 揺れていると感じていた。千華の心はきっと動くと。

(だって、これで解決だもの)

 メーロワデイルに起きた悲劇、積み上げられた多大な犠牲、人々を包んだ不幸。それらは取り返せない。けれど――。


「どうやって、帰るっていうの……」

 震える唇から聞こえてきた声に、ふたばは即座に反応した。

「ヒューンルとの繋がりを切るんだよ。全部済んでから、そうしてもらえれば帰れるの」

「違う……、違う、違う、違う!」

 明るく答えるふたばを、否定の嵐が襲う。

「違う、違う……、そうじゃない! あんたは本当に、どうしてそんななのよ、ふたば! 違う! 三年も……、三年もよ!?」

「なにが?」

 上げられた手があっという間に振り下ろされて、ふたばの左頬を打つ。

 たまらずひっくり返ったふたばへ、ロクェスが駆け寄って支える。

「三年も、どこへ行っていたのかわかんなかった女がふらっと帰って、どうなると思ってんのよ!?」

 立ち上がり、怒りの炎を背負って、千華は叫ぶ。

「その間になにがあったか、どう説明するのよ。ここじゃない異世界に行って、魔王やってましたとか、言える訳ないでしょ?」

「そんな」


 ――くだらない!


「でも、一生帰らないなんて、できないでしょう!」

 あまりにもくだらない、身勝手で子供染みているつまらない言い訳だ。そう、目の前で歯噛みする魔王様にぶつけてやろうとしたその瞬間、耳に突然声が飛び込んできた。

「あっ!」

 それが誰のものなのか、ふたばには一瞬わからなかった。ロクェスでもない、千華でもない、少女のような声。振り返ってその主がわかる。

「どうした、ニティカ」

 ロクェスの問いに、白い精霊は短い手で口を押さえ、首をぶんぶんと振っている。

 頭の後ろの方に稲妻が落ちたような、そんな感覚が走り抜けていった。

「なにかあったの? イーリオたちに」

 精霊はぷるぷると震えている。彼らは嘘をつけない。だから、答えずに済む唯一の方法は――。

「千華!」

 なにもないのに声をあげるわけがない。ニティカとメダルトは、同じ時に生まれた双子のような存在だ。今この世界にたった三匹しかいない大切な仲間に危機が訪れているのなら、感じていないわけがない。

「ヒューンル、イーリオたちになにがあったの?」

「大丈夫だよ、まだ、やられてない」

 明るく答える相棒の声。しかし、瞳は揺れている。

(まだ、って)

 戦いになっているに違いない。イーリオはまだいい。でも、一緒にいるエランジは?

「千華、千華! お願い! 今すぐ魔物達をなんとかして! これ以上、この世界の人達を傷つけさせないで!」

 苛立ちの塊になってしまったかのような千華に、ふたばはすがる。


 願いは一つ。これ以上、メーロワデイルで血が流れなされないこと。

 最上の結末は、招かれざる客である自分たちが責任を取って、もとの世界へ帰っていくというもの。


 焦るふたばの腕を引きはがしながら、千華が叫ぶ。

「できないって言ってるでしょ! そんなの知らない、私の知ったことじゃない! 私は命令なんてした覚えがないんだから!」

「じゃあ、今からしてよ! この城から出て、みんなみんな、元の住処に戻るように命令してよ!」

「うるさい!」


 あの時と同じ絶叫。

 教室で、ふたばのそれまでの人生を引き裂いた冷たい声が、王の間中に響き渡っていく。


「私は、望んでここに来たわけじゃない……! 望んで戦ったわけでもない。あの時、仕方なくやったの。もう戦いなんてこりごりだったのに、仕方なかったから戦った! なんとか勝ったと思ったら、いきなり光に包まれて、気が付いたらこの世界にいたのよ……!」

 肩で息をしながら、千華は低い声で話している。瞳には赤い炎。ふたばへの怒りを燃やしながら、女王は独白を続けていく。

「だけど、私の願いは一つ叶った。私の望みは、ふたば、あんたのいない世界よ! あんたの姿をもう二度と見たくないって、そう思ってた! その願いだけは叶ってる!」

「そんなの」

「この世界がどうなろうと関係ない! 私は、私は……ふたば、あんたさえいなければそれでいいの!」


 目の前が暗くなっていく。


 メーロワデイルを救えない。

 まっすぐに生きている、勇敢な戦士を助けられない。


 彼らは命を失っても、また、精霊として帰ってくるだろう。


(そんなの望んでない)


 勇者の帰還を喜ぶ者は多い。精霊はまた新しい戦士を生む、希望の種になる。


(そうじゃない、今、必要なのは)


 イーリオとエランジ、二人の無事だ。新しい命を得たメダルトが、再び命を散らさなくていい、平和な世界にしたいのに。


「千華、全然わかってないよ」

 

 ふたばは目を閉じ、息を吐いた。

 決めなければいけない。覚悟を。

 取るものを決めて、もう一方は諦めて。


「ヒューンルとの繋がりが切れたら、私たちは一緒に帰らなきゃいけない。千華は、私のいない世界になんか行けない」


 そして、ふっと笑う。

「そんなのどうでもいいか。メーロワデイルを助けるのが先だよ。私たちのつまらない喧嘩で、大勢を苦しめちゃってるんだから」

「知らない、知らないそんなこと!」

「うん、わかった。どんなに頼んでも、千華は絶対に聞き入れてくれない」


 もう、これしか道はない。

 右手のステッキをきゅっと握りなおし、ふたばは清々しい表情を千華に向けると、こう告げた。


「私が今から、魔物の王になるよ。千華、……覚悟して」

 

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