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わたしとあの子の桶狭間  作者: 澤群キョウ
女王様には、女王様の憂鬱

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34/42

乗り込む前に

「ここには誰もいないようだ。ロクェス、西の塔かそれとも地下か」

 ぐるぐると続いた階段が終わり、扉の前で騎士たちは話している。

 千華がどこにいるかではなく、恐らくは、彼らの主がどこに閉じ込められているのかについて。


 イーリオがちらりとふたばの顔を見る。

 一番の目的は、悪の女王と魔物たちをカルティオーネから追放し、人々を解放させることだ。だが今、銀の騎士は少し浮足立っている。この城の本来の主であるはずの王族を救いたい気持ちが強いのかもしれない。冷静で厳格なイーリオにはふさわしくない、焦りがあるようだった。

(いや)

 人質を取られ、目の前で刃を突き付けられれば困ってしまう。人質はいない方がいい。いや、いないなど考えられない。いるのならば、少ない方がいい。

(やだな)

 メダルトが命を失った時のように脱力したりはしないと決めてはいる。

 けれどやっぱり、もう目の前で誰かが無残に散る様など見たくない。

(ラスボスだよ……)

 ラストダンジョン、最後の大きな敵。その前にどれくらい乗り越えなくてはならない壁があるだろう。今度こそ、足を踏ん張って、目を見開いて、全部受け止めて、なにやってんだと敵をぶっ飛ばさなくては、メーロワデイルは救われない。

「気合、入れなおさないと」

 ふたばの呟きに、三人の男たちは慌てて背中をピンと伸ばし、それぞれのタイミングで深く頷いた。

「ふたば、ここから出てまっすぐのところに、城内へ入る扉があります。その奥の階段を下りて右、廊下の奥に王の間があり……、おそらく、ライラックムーンはそこにいるでしょう」

「道案内、頼んでいいかな?」

「勿論。私はふたば、あなたに最後まで付き添います」

 唇をきゅっと結んだ誠実な顔を、ふたばはまじまじと見つめた。恋人にするにはつまらないかもしれないが、結婚するならこんな人。ある同級生が知ったような顔で話していたことがあった。なるほどと勝手に納得するふたばの横で、ロクェスは困惑した表情だ。

「王の間に、誰かいるかな? 千華の他に……、ヒューンルはわからない?」

「うん……、魔物はいると思う。まだちょっと遠いから、ハッキリわかんないけど」

 若くてフレッシュな二体にも聞いてみると、こちらは笑顔でこう答えた。

「人は一人、魔物はいーっぱい!」

「いっぱいかあ」

 しかし、人が一人というのは朗報だった。

「それって、千華だよね」

「うん、ふたばと同じ人だよ」


 メーロワデイルの人間ではない、誰か。ふたばと同じ、遥か遠く、地球からやってきた招かれざる女王様。


「誰もいないなら、チャンスだよ。今行こう……。イーリオは探しに行って。助けたい人がいるんでしょう?」

「ふたば」

「もし私が失敗したら、その時はなんとか逃げて。でも、絶対、なんとかするから。絶対絶対、魔物がここから出ていくようにするから。でもね……、念の為に、イーリオは行って。エランジも」

 もしも失敗したら。

 ロクェスは巻き添えになるかもしれない。ふたばと千華は弾かれて地球に強制送還されたとしても、ヒューンルとロクェスは魔物でいっぱいの部屋に取り残される。


 恐ろしい想像を、首をぶんぶんと振って払う。

(ここから弱気でどうするの)

 マイナスのイメージを心に残したままでは駄目だ。


(メーロワデイルは希望の世界……)

 ふたばはちらりとヒューンルへ目を向けた。

 最近すっかり泣き虫になった相棒の姿。以前よりも元気がないように見えるし、力も弱いという。

 それはもしかしたら、ふたばが弱っているからなのかもしれない。ここまで、泣いて、怯えて、びびって、落ち込んで、戦いを放棄したことすらあった。慎重さも足りず、自分の限界さえわからなくて、それがどうしようもなく情けないと思っている。

(もしかして、引きずられてるのかな)

 契約の相手である自分の落ち込みが、ヒューンルの足を引っ張り、絶望の沼に引きずり込んでいるのかもしれない。あれだけポジティブに、言いたい放題だったのに。


「ヒューンル」

 自分の横でふわふわと浮く精霊に声をかけ、ふたばはその小さな手を取った。

「なあに、ふたば」

「私、頑張る。あと、ここだけだもん。あとひと踏ん張りで全部終わるから」

「どうしたの急に」

「私のせいで、こんな姿にしちゃってごめんね。私がもっともっと強かったら、もっと賢かったらこんな風にならなかった。嫌な役目を全部引き受けさせちゃって、ごめんね」

「それは、ふたばだって同じじゃない」

「ううん、ヒューンル。迷惑かけたね、本当に。わがまま言わずに、私が一人でもやれていれば良かった。地球に出張してきたやつらを全部やっつけて、ついでにメーロワデイルも助けてあげられたら良かった。もっとちゃんとした形でこっちに来て、魔物をやっつける戦士になれたら良かったのに」

「ふたば……」

「でも、ありがとう。私、ヒューンルに選んでもらって良かった。もしもコーラルシャインになっていなかったとしても、私はいつか千華にあの日と同じことを言われたと思うんだ。だって、……私はなんにもわかってなかったから。親友だ親友だって言いながら、千華の気持ちを一つだってわかってなかったから。もしも私がヒューンルと出会ってなかったら、今でもあの部屋で一人ぼっちでいたかもしれない。ずっとぶくぶくに太ったままで、世界を恨みながら、外に出るのが怖くて怯えてたかもしれないから。だから、ありがとう、ヒューンル」


 精霊の小さな口がへの字に曲がる。

 無事に残った左の目からはぽろぽろと涙が溢れて床に落ちていった。

「うん」

「笑って、ヒューンル。もっと失礼なセリフ言っていいよ。その方が元気出るから」

「だってもう、ケチつけるところがないよ。正統派ヒロインのビジュアルになっちゃってさ……。出会った頃よりもスタイルよくなってるじゃない、ふたばったら……」

 

 十四歳から十七歳へ。

 「もしも肥満への道を歩まなかったら」というIFの姿は、コーラルシャインになったあの日よりも大人びたものに進化している。十七歳でこの衣装は、普通だったらアウトかもしれないが。


「よく似合ってる。ふたばの好きな、アニメの主人公みたいだよ」

「ありがと」


 握った手から、伝わっていく。


 はげあがった精霊の頭に突然、ぽわんと毛が生える。


「あ、すごい! 毛が生えたよ!」

「え?」

 ヒューンルの短い手は頭頂部に届かない。ふわふわになった個所を撫でると、感覚が伝わったらしく、精霊はプンスカと怒り出した。

「もしかして頭のてっぺんだけ? ちょっと、カッコ悪いよ!」

「なに言ってんの、可愛いよ!」

 ふたばが大きく笑うと、ますますヒューンルの毛が増えていった。

「わあ、すごい、すごい」

「え? あ、おお、お腹に、お腹に毛が!?」

 

(すごい)

 大地の門で聞いた通り。希望、感謝、喜びが、精霊に力を与える。

(満たされた気持ちって、これか)


 やがて、ヒューンルはふわっふわの愛らしい姿を取り戻した。

「なにこれぇ……。嘘でしょ? すごくない? ねえ、ふたば!」

 精霊はおそるおそる、新しく生えてきたしっぽに手をやり、そして、色褪せた眼帯に手を伸ばし。

「目が! 目がぁあああ!」

 愛らしい瞳まで元通りになり、当然、ヒューンルは取り乱している。大声で叫ぶその口を、イーリオが慌てて塞いだ。

「嬉しいのはわかるが、騒ぎ過ぎだ」

「もがああ、もがあ!!」


 しばらくしてから精霊はようやく落ち着きを取り戻し、塔の一階には静寂が戻った。



 これで、準備は整った。


 元通りの姿に戻ったヒューンルとふたばが並ぶ。そして金と銀の騎士、エランジへ改めて向き直った。

「ロクェス、イーリオ、来てくれてありがとう。エランジも、一緒に来てくれてありがとう。勝手な真似して本当にごめん。その分、ここで頑張る」

 三人の男は黙って頷いている。

「これでお別れだよね。うまくいっても、失敗しても、私と千華は元の世界へ戻る。この世界がどうなるのか、この先がわからないのは少し……寂しいっていうか、心配なところもあるけど、でも、精霊たちがまた生まれて、金の騎士と銀の騎士がいるんだから、大丈夫だって私は信じてる」


 できる限り前向きに、負の要素を入れないように言葉を繋げていく。そうしているうちに、ふたばは気が付いた。


(こんなことばっかり言ってたなあ)


 幼かった頃。いや、千華に否定されるあの日まで、ふたばはひたすらにポジティブだった。他人を褒め契り、認めまくっていた。

 すごく可愛い、キレイ、カッコいい、思ってたのとは違うけどこれも素敵、もう一回やってみよう、明日またやればいい、次は、絶対できる、――大好き。


 自分がヒューンルに選ばれた理由が、よくわかる。

 メーロワデイルに必要なものは「肯定」だ。

 ニティカが失われた時のロクェスも、リムラを探していた時のジャンドも、子供たちを救いに行った時のメダルトとエランジも。イーリオは自分を試したが、それも「信じるため」だったはずだ。多くの命が失われても迎えてくれたし、無事に戻って来たふたばをすぐに認めてくれた。


(今の私は、どうだろう?)

 千華に投げつけられた言葉は辛辣だった。

 一言一句をはっきりと覚えている。


 決めつけて、勝手に作り上げて、支配しようとするのはもうやめてよ。


 そう言われた。


 千華が好きだった。好きで好きで、たまらなかった。

 初めて出会った時に受けた衝撃。

 ピンクや赤ばかりが溢れる時代に、一人だけ綺麗な紫色を纏っていた千華。

 あんなに素敵な女の子が他にいるのか。上品なフリルをつけた襟元から伸びた長い首筋。サラサラの長い髪、落ち着いた眼差し、ピンと伸びた姿勢の良さ、よく通る、はきはきとした知的なしゃべり。

 初恋はいつかと聞かれたら、千華が相手だと答えてもいいかもしれない。幼稚園の入園式の日に出会った綺麗な女の子。その日から千華は、ふたばの「特別(スペシャル)」になった。


 誰かが千華にちょっかいを出せば、間に割って入った。

 男の子が千華をいじめようとすれば、止めに入った。

 いつだって千華のそばにいて、その美しさを、賢さを褒め称え、憧れ、崇拝し続けてきた。


 それがいかに面倒くさくて、うざったくてたまらないものだったか。

 十四にもなって、ようやく気が付いたのだ。あの三年間で何度も何度も台詞を反芻し続けて、やっと、自分のしてきた仕打ちについて、理解をした。


(千華)


 ふたばの世界を壊した加害者であり、ふたばに世界を乱され続けてきた被害者でもある、彼女。


(それでも)


 それでも、最初は大事な友達だったはずだ。他にあれほど「隣にいたい」と思わせる存在とは出会っていない。彼氏だとか恋人だとか、魅力的な異性とはまた違う、特別な存在だ。その気持ちは今もなお、ふたばの中にこっそりとしまわれている。

 それにとうとう、気が付いていた。


(今、どうしてる?)


 すぐ下の階にいる。


 メーロワデイルにきてからの三週間と少しだけの、濃密な時間。

 殻にこもってひたすら時間を消費しただけの三年間よりもずっと、長く、尊く、重い。


(私を、待ってる)


 あの日途切れた二人の絆。乱暴にナイフで切り付けられ、ほどけて千切れて、ばらばらになってしまった。

 また結びなおすのか、それとも――。


「行かなきゃ」

 ふう、と息を吐き出す。目の前に立つ三人の大真面目な男たちに向かって、ふたばは微笑みを浮かべるとこう告げた。

「私は必ず、メーロワデイルを元通りの美しい場所にする」

 ロクェスも、イーリオも、エランジも。皆、深く頷いて答えた。

「ありがとう、ふたば」

 銀の騎士の差し出してきた手を掴み、ふたばは強く握った。

 それを済ませるとイーリオはロクェスの前に立ち、おでこをくっつけて頬を撫でまわし始めた。

(見慣れないな、これ)

 半笑いのふたばをよそに、騎士たちは互いに声をかけあっている。

「ロクェス、必ず生きて戻るように」

「わかっている。イーリオ、どうかあのお方を頼む」

 それが済んで、振り返る。目の前には扉があった。細長い塔を出て、城の中へと続く道がそこにある。


 長いようで短い、ここまでの、メーロワデイルの旅路。

 最初の地下の秘密基地に潜む面々、洞窟で騎士たちを送り出した勇敢な人々の顔が心に浮かぶ。


 とうとう、最終ステージへ続く、第一歩を踏み出す時間がやってきた。

 

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