ガチで戦う五秒前
結局ふたばはエランジの後をついてプロレラロルの渓谷を進んでいた。
もう誰かが犠牲になるところを見たくなくて、ロクェスに黙って出てきた。それなのにエランジと一緒に進むなんて、矛盾しているのではないか?
大地を蹴りながら、考える。
ロクェスは精霊の力を失ってなお、人々にとって「金の騎士」だった。高名な戦士であり、少年たちが憧れ、皆が心の支えにする存在だ。
(……でも)
だからロクェスは置いてきて、エランジと共に行くのか?
(そうじゃない)
精霊の力がない男ならば、命を落としてもダメージが少ない?
心にふっと浮かぶこんな考えに、ふたばは慌てて首を振る。
緑色の瞳の中に見たからだ。
(メーロワデイルの人たちにとって……)
精霊の力は「特別」だ。力を与えられた騎士たちに向けられる眼差しは熱い。選ばれる素質を、魔物と対等に渡り合える力を持っている。少年たちは憧れ、少女たちは恋をする。その力を持たない者は、持ちたいと願う――。
短かかったメダルトとの時間。彼の中にも確実に「精霊に選ばれた者への憧憬」があったとふたばは思う。イーリオという男に未来を託し、協力をしようと決め、そのようにした。そしてふたばの苦境を、自らの命を捨ててまで救ってくれた。
同じものをエランジの中に感じている。
戦うのならば、より大きな目的のために。世界の危機を救う戦士と共にありたい。そんな願いを持っているのではないかとふたばは思う。
子供たちを救うために進んだ細い細い道を、再び進む。ふたばの身のこなしが軽くなったからか、先を行くエランジのスピードは以前よりもずっと早くなっていた。黙ってその後に続き、あっという間にもうあの丘の上。
丸一日進み続けて、メーロワデイルは夜だった。小高い丘の上には二つの月が輝いている。赤紫がかった空にまばゆい白がぽっかりと浮かび、見下ろせばそこには海のように広大な闇。前方にうっすらと見えるのは森だろうか、ざわざわと揺れているが、灯りの類はどこにも見つからない。
「ふたば、少し休もう」
エランジの声に頷き、ふたばは振り返ると仲間の背中を追った。しばらく進むとでこぼこと地面が隆起した場所に出て、二人は小さな洞穴の中で腰を下ろした。
(そういえば、何歳なんだろ)
改めて考えてみると、本当になにも知らない。エランジに限らず、ロクェスもイーリオもメダルトも、誰の詳細も知らないまま突っ走ってきた。必要な情報ではなかったし、のんびり話している暇もなかった。
(二人きりか)
妙に照れくさいのはなぜだろう? スタートした時にはニティカがいてくれたし、彼女が失われた後にはジャンドとリムラの兄妹が居てくれた。「異性と二人きり」なんて状況は、そういえば、これまでの人生になかったかもしれないもので……。
額をぽりぽりと掻くふたばに、エランジは荷物の中から出した毛布を手渡してきた。
「交代で見張りをする。ふたばは先に休んでくれ」
おそらくロクェスと同じくらいに大真面目であろう青年から、なんらかのアクションがある可能性はほぼゼロだろう。この予感になんとなく残念な気分になりつつ、ふたばは目を閉じた。
次の日も二人で進む。
崖を降り、惨劇のあった小屋を通り過ぎ、草原を抜け、プロレラロルからポーラリンドへ。
エランジの足は速かった。襲撃のあった時に怪我をしていたようだったが、深くはなかったらしい。地理にも明るいようで、迷うそぶりをまったく見せない。そして、無駄口を一切叩かない。休憩の時以外はずっと早足で進んでいる。ふたばも軽くなった体でそれについていく。
再び森の中へ入り、木漏れ日を浴びながら進んでいくうちに、ふたばはふと気が付いた。
(無口だな……)
エランジではなく、ヒューンルだ。エランジとの相性がよくないからなのか、ロクェスほどからかい甲斐がないからなのか。とにかく、ヒューンルも口を開かなかった。頼めば気前よくステップを踏みながら水を出してくれるし、いつでもふたばの肩にひっついている。気落ちした様子などは特に見られないが、彼らしからぬ口数の少なさだ。
とはいえ、それについて、重大な問題だとふたばは考えていなかった。
とうとうカルティオーネの城が近づいている。
旅の終わり。
成功か失敗か、千華を、魔物の群れをどうにかできるか否かは関係なく、ふたばのメーロワデイルでの日々はそろそろ終わりだった。
問題が解決されれば、千華と共にヒューンルとの繋がりを断つ。
そうでなかったとしても、最悪よりはマシな状況にするために、やはりヒューンルと二人の繋がりは切れる。
なんとかうまくやりたい。千華と真正面から対峙し今行われているあらゆる悪行を止めなければならない。
ポーラリンドの青い森を、二人は駆け抜けていく。南北に短いポーラリンドを三日で抜けて、ふたばはカルティオーネの地に足を踏み入れていた。草原に埋め尽くされた穏やかな緑色の光景。草が風に吹かれて揺れ、木々が時折ざわめく、のんびりとした景色。遥か前方、視界の右側には尖った山が連なる光景が見えた。
そして正面。まだ遠いが、城が建っている。立派な、白い王城。左右には細長い塔が二つ、そびえたっている。
「カルティオーネ」
思わず口をついて出た単語。千華が、魔物の女王がいるところ。
「エランジ、あそこが、カルティオーネの城だよね?」
「ああ」
なんのロマンスもアクシデントも起こさなかった誠実な顔が、こくんと頷く。
さて、どうすべきか。魔物が大量にいれば、当然エランジを連れて行くのは危険だ。しかし置いていっていいものだろうか。ここにきて、自分が本当に考えなしに動いてきたのだと、ふたばは深く後悔し始めていた。
(どうしよ)
ここまでの道を一人で戻れ、とは言いづらい。
彼の武器は弓であり、城の中での戦いには恐らく向いていない。
(どうするつもりだったのかな?)
ふたばはエランジの顔をちらりと見たが、彼の意見は語られることはなかった。
「ふたば、まだあと一日はかかる。幸いにもここまで戦いはなかったが、ここから先は避けられないだろう」
「うん」
「行くぞ」
あっさりと進みだすエランジの背を、ふたばは慌てて追った。結局いい考えは浮かばず、解決もないままに進んでしまっている。これでいいのか、このまま進んでいいのか、ふたばにはわからない。
矢筒を背負った青年の後姿に、迷いはない。
(きっと、……死ぬ覚悟ができてるんだ)
考えてみれば、皆そうだった。メダルトはなんのためらいもなく剣を引いたし、ロクェスもきっと、誰かのために自分を犠牲にできる男だろうと思える。ジャンドと出会った時、もしもリムラが見つからなかったらと話をされて、あの少年は悲しげではあったもののすぐに頷いた。彼らは迷わない。死ぬかもしれないと怯えて物陰に隠れているよりも、戦場で雄々しく散る道を選ぶのだ。
(大地の門だ)
勇敢な魂は選ばれ、新しい命を得る。彼らは輝ける魂の持ち主に力を与え、世界を救う手伝いをする。ふたばが行ったように、もしかしたら大地の門へ足を踏み入れて、勇者たちが生まれ変わる様を目にした人たちがいるのかもしれなかった。
この世界で、臆病者、卑怯者たちはどのような運命を辿るのか、それはわからない。けれど、精霊の力を得た勇者たちは人々に憧れられ、尊敬されている。絶大な信頼を得て、彼らは最前線へ身を投じて戦う。
それこそがきっと、メーロワデイルで最も良い生き方なのだろう。彼らは戦いへ身を投じることを厭わない。だからこそすべての精霊たちが命を奪われ、勇者たちの力も失われてしまった。
けれど今、再び光は差している。ここではない、異なる世界からやってきた唯一の希望が、咲き誇る悪の華を手折るべく、走っている。
(私は、最後のチャンスだ)
金と銀の騎士が復活し、そこから生まれた希望が注がれてまた新しい精霊が生まれるかもしれない。けれど、いけない。そんな期待に身を預けていてはいけない。これは自分がやり遂げなくてはいけないことだ。散々挫けて、落ち込んで、失敗してきた。これ以上の悲しみも、悔しさも、自身へ感じる情けなさも必要ない。やって、やり遂げて、待っている家族のもとへ帰るのだ。怖れていた過去とまっすぐに向かい合って、体と同じように生まれ変わらなくてはいけない。
(そういや、地球に戻ってもこの体型、維持されるのかな?)
小さな疑問に、ふたばはふっと笑う。笑いながら、草原を駆けていく。エランジの背を追っていく。彼はふたばよりも弱いが、後ろ姿の頼もしさが少女の足を動かしていた。
(絶対、死なせないんだ)
体が軽い。体が軽くなって、直接の打撃力などは減ったとは思う。だがあの頃よりも、心の中に満ち溢れている。体中にエネルギーが流れ、足の指、髪の先まで巡っている。精霊の世界でパワーをわけた時に感じた幸福感。わけてくれと望まれ、実際に与えてきたはずなのに、あげた分よりもずっと多くの力をもらったとふたばは感じていた。
これ以上の不幸はもういらない。自分を必要としてくれた人たちのために、進んで行くしかない。後悔も「可哀想なわたし」も全部後回しにして、一刻も早く千華のもとへ――。
揺れる草の向こうに、城が近づいてくる。高い城壁に囲まれている。城の手前には町がある。
その手前が、黒で埋め尽くされていた。いや、近づくにつれ黒ではなくなっていった。色とりどり、黒、青、紫、緑、茶色。時には明るい色もちらちらと瞬くその塊は、魔物の群れだった。
数が少ないなどとなぜ言えたのだろう。城下町の前、街をぐるりと囲む塀の前をビッシリと埋め尽くす悪鬼の群れに、エランジが立ち止まる。距離はまだある。しかし、すべての目がやってきた二人と一匹の客人へ向けられていた。
立ち止まった背中に軽くぶつかって、よろけながらふたばも足を止める。
どうしたらいいのだろう。まさかここで、こんなにも手厚く歓迎されるとは思ってもみなかった。いつの間に現れたのだろう。ここからがカルティオーネだと思ったあの時、最後の国へ足を踏み入れた時にはまだいなかったであろう大軍勢。
「道理でここまで出なかったはずだよ」
冗談めかして言ってみるが、足は小刻みに震えていた。
さすがラスボス、さすが最終ミッション。一筋縄ではいかない、最後の最後の高い壁。
「お城への抜け道とかないかな?」
ふたばの呟きに、エランジは首を振る。
(やっぱロクェスを置いて来るべきじゃなかったのかな)
それとも一人で大暴れしながら進めば、道は開けるだろうか?
「エランジ、ここに居て。私、行くから」
「危険すぎる」
では、どうすべきか? 悩んだ時間はほんの数秒、すぐに結論が出た。
魔物達が一斉に動きだし、まっすぐに向かってくる。たった二人と一匹の、小さな小さな反乱分子を叩き潰そうと、吠えながら、手にした武器を振り回しながら、空を飛び、大地を駆けて迫ってきていた。
身を隠す場所などない。既に姿は捕捉されている。逃げられない、絶体絶命の状況。
エランジはすぐさま弓を構え、空を舞う一体を見事に撃ち落としたが、魔物たちは怯まなかった。落ちた仲間をめちゃくちゃに踏みつけ、まっすぐに進む。大地が揺れて、巨大な波がふたばたちを飲み込もうとしていた。じっとしていては塵になるだけ。ふたばも決める。ふたばも構える。シャインステッキを右手の中に呼び出し、握る。
(大丈夫、大丈夫、大丈夫)
誰よりも強い、地球からやってきた戦士なんだから。
ステッキの先に集めた光で、はめ込まれた石が輝く。斜め後ろに構えたステッキから放たれる輝きが、視界を白く染めていく。
「千華ぁっ!」
きっと、あの城から見ているに違いない。この声も、聞こえているに違いない。
(来たよ)
目的地はもう目の前。
目いっぱい溜めた光をそのまま前へ突き出して、ふたばは気合の雄叫びをあげながら走り出した。




