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わたしとあの子の桶狭間  作者: 澤群キョウ
女王様には、女王様の憂鬱

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30/42

この世界を構築しているもの

 濃霧に阻まれ、周囲の様子はよく見えない。

 ふたばの前にあるのはただ、ゴツゴツとした表皮の大樹だけだ。枝を何本も力なく垂れさせている様は柳に少し似ている。そう思っていたので、上からふわりと白くて丸いものが落ちてきて、ふたばは心底驚いた。

「ひゃあん!」

 思わず声を上げて倒れ、尻餅をつく。

 爆音を奏でだした心臓の音を聞きながら目で正体を追うと、それはゆらゆら、ふらふらと揺れながら、ゆっくりゆっくり落ちてきた。

(あれ)

 白く細い毛で覆われているような、愛らしさを感じる「それ」。頬ずりしたくなるような様子に、呼吸が落ち着いていく。正体はわからないが、怨念、無念の類ではないように見える。


 白いふわふわは長い時間をかけてようやく、暗い地面にぺたりと落ちた。

 ちらりと輝き、そして、吸い込まれ消えていく。

(なんだろ……?)

 白い何かが消え去って、ふたばはゆっくりと立ち上がると、また周囲を見渡した。相変わらずよく見えない。ただあるのは、枯れてしまった木と静寂だけ。


 そっと手を伸ばして、表皮に添える。

 冷たかった。手袋越しに感じるのは乾きばかりだ。この木は、死んでいる。そう思わされるばかりの巨木に触れている指の先から、寂しさが体の中へしみ込んでくるようだった。


 ぽろぽろと涙の粒をこぼしながら、ふたばはなぜか、目の前の枯れ木に抱き付いていた。

(なんて悲しそうなんだろう)

 木はなにも語らない。けれど、なにも「感じない」ものだろうか? 

 こんな場所で一人ぼっちで、この木はどれだけ寂しいだろう。センチメンタルで、妙に少女趣味的な思考だと思う。花や木に共感した覚えなど、今までにないはずなのに。そう思うのに、ふたばの涙は止まらなかった。


(ああ、そうか)

 抱きしめているうちに、わかってくる。

(私と同じなんだ)

 かつて、傷ついて閉じこもっていた自分と重ね合わせている。

 一人ぼっちで、誰にも気が付かれずに、寂しさの中で溺れている。

(大丈夫だよ)

 もう、一人じゃない。

「一緒にいるよ」


「いいえ、いつまでもここに留まっていてはいけません」


 耳元に突如届いた声に、ふたばは慌てた。木から離れ、声の主の姿を探すが、視界の中には誰もいない。

 ゆっくり後ろへ下がり、少し悩んでからふたばは木の周囲をぐるりと回った。ざり、と地面を踏む音だけしかない、霧の中。


「誰かいるの?」

「ええ、います。ふたば、あなたの目の前に」

 足を止め、ふたばは見上げる。

(もしかして、この木?)

「ここは精霊の国。ようこそ、ふたば」

 はっきりと声が響いてきて、戸惑いながらもふたばは、じっと目の前の巨木を見据えた。

「精霊の国って?」

「あなたがくぐったのは大地の門。命を終えた人間の中でも、特に勇敢で輝かしい魂を持った者だけが訪れる、特別な場所です」

 それは、決して神話の中で語られている「作り話」ではなかったらしい。


 つまり、では、自分(ふたば)は――。


「ふたば、あなたは死んではいません。目の前で命を終えた男の後を追い、その旅路の供についてきてしまっただけです」

「メダルトの後を?」

 そんなことができるのかと、ふたばは首を傾げる。

「ええ、あなたはあの命にとって特別な存在でした。ですから、魂の行く末を見届ける権利があります」


(……ファンタジーだなあ)


 今、見て、耳にしているすべてが真実なのかどうか、ふたばにはわからなかった。もしかしたら死の間際にあって、救いのある内容の夢を見ているだけなのかもしれない。そんな風に思いながら、目を伏せる。


「勇敢な魂は、再び命を得ます。ほら、そこに」

 そこに。それはどこなのだろう。指を差す手もない木の言葉に、なぜかふたばは振り返って、背後にひっそりと生えている花を見つけた。

 色褪せた世界で唯一、青々と葉を茂らせ、まっすぐにピンと茎を伸ばした花がある。まだ咲いていないつぼみがふっくらと膨らんで、あと少しで開きそうだった。

「花になるの?」

「新しい命を得るのです。もうすぐ生まれそうなのですが、あと少しだけ、栄養が足りません」

 新しい命はもう芽吹いている。黒くひび割れた地面から生き生きと命をアピールするその若い花は、ふたばの乾いた心に久しぶりに希望を感じさせるものだった。しかし。

「栄養ね」

 そんなものはありはしない。濃霧に阻まれて、日の光は届かない。地面はカラカラに乾いていて、とても養分を与えさせるようには見えなかった。


「ふたば、あなたから、わけてもらえませんか」

「私から?」


 背後からかけられた声に、訝しげに振り返る。

 すると木の前に、ぼうっと影が浮かび上がった。白い、小さな姿。なんとなく、ハゲる前のヒューンルに似た、愛らしい精霊のような輪郭がぼんやりと浮かんでいる。


「精霊は希望や幸福など、『人々の満たされた気持ち』で出来ています」

 ちょこんと、白い輪郭が動いた。それは、頷いたのか、手を動かしたのか。

「この世界からは一度、それらはすべて失われました。満ちているのは諦め、歎き、怒り、そして悲しみばかりです」


 精霊がすべて狩られ、魔物が攻め込んできた時。

(千華……)

 ふたばの脳裏に、涼しげな横顔が浮かぶ。


「それで精霊たちは皆いなくなりましたが……。でも今は、少しずつですが取り戻されているのです」

「希望が?」

「そうです。ふたば、あなたがやって来てくれたから。あなたが出会い、この世界は救われるであろうと信じる者たちの中に、希望が生まれました」


 ぶる、と体が震える。


「ごらんなさい」

 

 ふわりと、なにかが舞った。

 ふたばの周りには、いつの間にか小さな光がいくつも浮かび上がっている。


「これは、あなたに命を救われた少年の想い」

 青く輝く光の中に、ジャンドの姿が見えた。

「これは、憧れの人と共に行くことを許された少女の幸福」


(ニティカ――!)


 温かい橙色の光が舞う。

 大粒の涙をぼろぼろと流しながら、ふたばは歯を食いしばって立つ。


 これは、美しく可愛らしい物をもらった、少女の喜び。

 これは、尊い人の救出の希望を得られた騎士の感謝。

 これは、勇者を助けることができた、戦士の歓び。

 これは、救いに来てくれた戦士に、子供たちが与えられた勇気。


 鼻をすすりあげる音と嗚咽で、もう声が聞こえない。しかし、光は増えてふたばの周りを嬉しそうに舞い続けた。その中にメーロワデイルで出会った人々の顔が見えて、ふたばは両手を強く強く握りしめて。


「新しく戦士が生まれます。もう既にそこに芽吹いていますが、もう少しだけ足りないのです。ふたば、あなたの中にあるその余りある幸福を分け与えて下さい」

「私の中にある、幸福?」

「あなたがこの三年の間に与えられた、愛のことです」

 それは一体、なにをさすのだろう。

 戸惑うばかりのふたばに、白い影ははっきりと指を向けた。

「ふたば、いいですか?」

 

 わからない。

 わからないけれど、考える。


 浮かんできたのは父と母の顔だった。

 引きこもり続けてきた三年の間に、千華との友情の無残な結末について悩み苦しんできたが、それ以外についてなにひとつ不自由はなかった。

(愛、か)

 ふたばを生かしてきたものは確かに、両親から与えられてきた愛情なのだろう。誰とも会いたくなかったし、外へ出るのは怖かった。しかし、死んでしまいたいとまでは考えなかった。消えてなくなってしまいたいという思いはあったが、でも、それはふたばにとって「死」なんていう生々しいものではなかったはずだ。

 

 それは、ふたばに帰る場所があったから。絶対に迎え入れてくる人がいるとわかっていたからだ。



「わかった……」

 それが、希望になるのなら。

 世界を救うために必要ならば。

「いいよ。使って」

 けれど、ほんの少しだけ不安もある。

「私、どうなるの?」

「心配要りません。ふたばはふたば、あなたのまま、戻るだけです」


 力強い答えにふたばが頷くと、空気が突然輝き始めた。

 光の粒がふたばを包んでいく。白く細かな煌めきが少女を包んで、ふたばの体も光を放ち始めた。

(あったかい)

 うっとりとした気分で目を閉じれば、視界は黄金色に染まっていく。

 とてもとても、幸せな気分だった。

(わけてあげてるのに)

 吸い取られて嫌な気分になるかと思いきや、むしろその逆で。


(嬉しいなあ)


 満たされていく。自分がこれほど優しさに包まれていたとは。愛されていたとは。

(お父さん、お母さん……)

 いて当然の二人。自分を育て、守るのが当たり前で。いや、考えたこともなかった、ふたばの世界の大地であり、海であり、空であった両親という存在。

(絶対、帰るよ)

 この人生を勝手に終わりにする権利など、自分にはない。


 体がゆっくりと溶けていく。身を包んでいる光と一つになっていくような感覚。愛や希望が精霊を育てるならば、この満ち足りた感覚は間違いなく彼らを育てる糧になるだろう。




「ふたば、ふたば」


 ゆっくりと目を開けると、そこはもう青黒い場所ではなかった。

 霧は晴れ、空は青い。大地は荒涼としているが、さっきまでとは明らかに違う。地を裂いていたひびはなくなっていて、木々も少しばかり潤いを取り戻しているように見える。


「見て下さい。花が咲きます」


 見通しのよくなった大地には、花が二輪、並んで咲こうとしていた。霧のせいでもう一輪が見えなかったのか、それとも今、与えられた希望で芽を出したのか。


 つぼみがくるくると回って、花びらを広げていく様をふたばはしゃがみこんで見つめた。


 左の花は、白い花。

 右の花は、黒い花。


 まるで早送りのように、花びらが一気に開いていく。ふわりと優しい香りが振りまかれて、ふたばは微笑みを浮かべる。


 そして、花が咲く。

 一気に開いて、ぽん、と音がして、中から飛び出してきた。


「やっほほーい!」

「いやっほー!」

 

 白い花からは、白いふわふわの毛をした、丸い耳をした、大きな瞳の精霊が。

 黒い花からは、黒くて固そうな毛をした、ぎざぎざ耳の、目つきの鋭い精霊が。


 二体の精霊は楽しげに飛びながらくるくると踊っている。

 その愛らしい姿の中に、ふたばは見た。


「ふたば、あなたが名を付けて下さい」


 まだ枯れた木からした声に、黙って頷く。すると生まれたての精霊はぴたりと止まって、少女の前に並んで立った。

(わかる)

 どうしてこの二体の精霊が生まれたのか、一目でわかった。

 ふたばはまたポロポロと涙をこぼしながら、まずは白い精霊の頭を撫でる。

「あなたの名前は、ニティカ」

 そして隣の、黒い精霊の頭も同じように優しく撫でた。

「あなたは、メダルトだよ」


 名を与えられたのが嬉しいのか、精霊たちはきゃっきゃとはしゃぎ、またくるくると回りながら宙を舞う。


 勇敢な魂は大地の門を抜け、再び命を与えられる。

 人々は精霊に生まれ変わって、愛する者を守って来たのだろう。

 そのために、人々には希望が必要だ。もっともっと、メーロワデイルに希望を――。


「ふたば、ありがとう」

 感謝の言葉はきっと、この場所にもう用はないという意味なのだろう。

 命の息吹を取り戻した光景を見渡し、ふたばは頷く。

「こっちこそ、ありがとう」

「ふたば、こんな過酷な運命を受け入れてくれて、本当に感謝します。どうか、この先にあなたを待ち受けているものをも受け止め、恐れないように」

「……それってもしかして、千華?」

「そうです。彼女はあなたと同じ。同じように運命に耐えているのです」


 霞んでいく。


 肝心な話はいつだって最後まで教えてもらえない。こんなシーンにお似合いのお約束通り、景色が遠ざかっていく。

「ねえ、待って」

 願いの言葉は虚しく、差し出した手は空を切る。


 目に入った、白い手袋。


「あれ?」


 そして、納得。


(そういうことか)





 次に目に入って来た光景は、荒々しい戦場だった。

 急ごしらえのバリケードが破られて、激しい音を立てている。テーブルも椅子も長い棒も、すべてが魔物の腕の一振りで折れ、破片が陰から矢を打っていたエランジへ降り注いでいく。

「おおっ!」

 雄々しい声を上げているのはロクェスだ。一番前に立ち、剣を振っている。その横にはイーリオも居て、こちらは槍を突き出していた。それは先頭にいる魔物の茶色い毛皮を裂いたが、致命傷にはなっていない。

 怒号が洞窟の中に響き渡っている。戦える者は皆、狭い通路の途中で魔物と向かい合っていた。小さな魔物が一体、騎士たちの間をすり抜けて奥へと進む。血の飛沫があちこちへ飛んで、戦いに慣れていない男たちを混乱に陥れていく。

「落ち着け、落ち着けーっ!」

 イーリオは振り返らない。彼はただ前を見据え、魔物の見せる一瞬の隙を突くべく身構えている。ロクェスが出れば下がり、イーリオが出ればロクェスが下がる。金の騎士と銀の騎士の息はぴったりだが、魔物の大群の前には無力だ。


 だがそれも今、この瞬間まで。


「戻ったよ!」

 激しい戦いの繰り広げられているバリケードの少し後ろに着地(・・)し、ふたばはすぐさま、侵入していた魔物を光の鞭で打った。禍々しい体を吹っ飛ばしたらすかさずビームを撃って、一直線に貫いてやる。光が通過した場所はもれなく削り取られて、魔物たちは消え去るか、体の一部を失ってバタバタと倒れていった。


「ふたばか!?」

 振り返ったイーリオが驚いた顔で叫ぶ。


「……ふたば!」

 ロクェスは慌てて左手を胸にあて、右手を前へ突き出す。


「ふたばぁあああ!」


 そしてバリケードのかけらの中からヒューンルが飛び出してきて、自分が力を与えた少女へ飛びついた。


「ばかふたば、どこへ行ってたんだよおー! なんで、なんで、いきなり痩せてるんだよおー!」


 スラリとした手足を見せびらかすようにくるりと回って、ふたばは笑った。


「お裾分けしてきたんだ」

 


 その笑顔の影から生まれたての二体の精霊が現れて、まるで踊るように舞いながら、それぞれ、力を与えたい騎士たちの下へと飛んだ。

 

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