魔法少女になった日
風呂からあがり、体を拭きながらふたばは悩んでいた。
脱いだ服が消えている。そもそもどうやって脱がされたのかが不明なのだが、とにかく、用意されているものを身に着けるしかない。
三年ぶりに目にしたコーラルシャインの衣装。これでもかといわんばかりにつけられたフリルとリボンのせいで、床の上にはこんもりと小さな山ができている。
その隣に置かれたシンプルなインナーを手に取り、やむを得ず身に着けていく。
二度と身に着けないと思っていたそれ。
ピンクと白、差し色に赤が使われた、ド派手でブリブリに媚びまくったデザイン。よくこんなものを着ていたと思う。三年前ならば許された。いや、三年前の、十四歳だった頃もこの服はアウトだったろう。そんな思いに押されて、口からは大きなため息が吐き出された。
(着たくない)
(着たくない)
(着たくない)
しかし、着なければ裸だ。
仕方なく、やむを得ず、そろりそろりと手と足を動かし、コーラルシャインの服を身に着けていく。
素材は一体なんなのか、綿なのかアクリルなのか。衣装はとにかくよく伸びた。体についた贅肉に合わせて形を変え、ふたばの体を包み込んで装着完了。ブーツとステッキはまだ必要ない。だから、その場に置いて行く。
「うわっ、ははは! ふたば! ひどいよなにそのパッツンパッツーン!」
出るなりふたばを襲ったのは、こんなヒューンルの笑い声だった。
余程おかしかったのか、精霊は食べていたチョコレート菓子を放り投げ、床を叩きながら転げまくっている。
「なっ……」
その隣で、騎士ロクェスはさっと視線を逸らしていた。
確かにこの三年間で太ったとは思っていた。けれど。
嘲笑を浴び、見てはいけないもの扱いされるほどとは思っていなかった。
慌てて風呂場に戻り、窓を開けて湿気を払う。
タオルで窓についた水滴を拭いて、じっと待ち、そして、浮かび上がってきた自分の姿にふたばは思わずへたりこんだ。
(うわっ、うわっ、うわっ!)
「ああ」
(ひどすぎる)
終いには吐き気まで覚えてその場にうずくまる。
「ふたばー、出てきてー! 早くー、僕たち急いでるんだからー!」
出ていくくらいなら死んだ方がマシだ。
濃淡のピンクと白、差し色にクリーム色が使われたブリッブリの衣装。
豚が着ていた。
情けなくて、涙が止まらない。あんな姿を見られたかと思うと耐えられないし、今すぐ消えてなくなってしまいたい。
「しょうがないよー、今すぐ前と同じスタイルになるとかは無理なんだからー、ありのままで堂々と出ておいでよー!」
「嫌だー!」
心の底から、偽らざる気持ちを叫んだ。が、精霊の前では意味がない。
再び見えない力によって引きずり出され、ふたばは今、台所に置かれた小さなテーブルの前に座っている。向かいにはロクェスが座って、その斜め上にはヒューンルが浮いていた。
ふたばの視線はひたすら下に向き、白々しく飾られた小さな花瓶と、その中に収まっている花に向けられていた。その辺りで摘んできたのだろうか、質素なピンク色の野の花は誰が飾ったのだろう。
「コーラルシャイン、まずは勝手に入り込んだ非礼をお詫びします。メーロワデイルはカルティオーネ国より参りました、ロクェス・ウルバルドと申します」
改めて騎士がこう名乗ったが、家主の少女の対応は、「無視」。
「貴女にお願いがあってはるばる参りました。今、未曽有の危機に襲われているメーロワデイルを救って頂きたいのです」
「はあ?」
下を向いたまま、吐き捨てるようにふたばは答えた。非礼どころじゃない。勝手に入って来て、人の家のものを勝手に捨てて、いやらしいロリロリの衣装を着るように仕向けて。
「なんなの今更。こっちには、行く理由がないんですけど」
「いいえ、あります。不当な選ばれし者の始末をして頂かなければなりません」
「不当な、選ばれし者?」
「まずは顔をあげて下さい。説明を致します」
ふたばは頑なに顔をあげずにいた。
下を向いたまま、視界の正面、自分のぶっとい太腿を親の仇とばかりに睨みつけている。
しばらく沈黙が続いたが、突然ガタンと大きな音が響いた。そしてカツンと足音が続く。おそらくは騎士が立ち上がり、移動する音だ。
ぐいっと顎を掴まれ持ち上げられて、ふたばは慌てて立ち上がった。たっぷりと肉のついた顎に騎士の指が食い込んできて、痛い。
「貴女のせいで我々は大変な危機にあるのです。恨まれるのは承知の上。話を聞いてもらえないのならば、このまま連れて行く以外ない」
ギリ、と鋭い視線をふたばに突き刺したまま、ロクェスが叫ぶ。
「ヒューンル、行くぞ!」
「ひゃあ強引! そんなロクェス初めて! あうあう、カッコよすぎてしびれちゃうー!」
毛のなくなった体をくねくねと揺らし、くるりと回って精霊が魔法の呪文を唱える。
「ヒューヒュー、ヒューンルゥ!」
七色の光に包まれ、ふたばの部屋は形もなく溶けていく。
三年間閉じこもり続けた彼女だけの城は崩れ、世界が生まれ変わっていく。
気が付けばそこは、古びたレンガの詰まれた牢獄のような場所だった。唖然としたまま、ふたばは立ち尽くす。
ヒヤリとした空気、薄暗い部屋、遠くで揺れている小さな炎。
「やっほーふたば! メーロワデイルへようこそ!」
こうして、ふたばの引きこもり生活は幕を閉じた。
それは余りにも唐突で、少女にとって大きな試練の始まりで。
薄い闇に眼が慣れてきて、ふたばが見たもの。
大勢がいた。ごくノーマルな日本人とは違う髪と瞳の色、服装、そして各々が手にしている武器らしきもの。ふたばは戸惑い、自分に向けられた視線の冷たさに小さく震える。
「ロクェス様、お帰りなさいませ!」
一人の女が声を上げると、弾かれたように全員が立ち上がった。
ロクェスの前にズラリと並んだ人々は皆、薄汚れていた。しかし瞳は燃えている。真剣な表情がでこぼこに並び、まっすぐにふたばの前に立つロクェスを見つめている。
「コーラルシャインを連れて帰った。少し話をして、すぐにここを発つ」
全員の表情がきりりと引き締まる。すぐにバタバタと移動が始まったが、一人がふたばの前にやってきて、驚いた表情を浮かべ、固まった。
「え?」
驚いた、というよりは、あっけにとられたような表情だった。
「コーラルシャインって」
人差し指がまっすぐ、ふたばに向いている。
「そうだよー。ふたばっていうんだー」
ヒューンルがくるくると飛び回りながら、あっけにとられたままの男に告げる。
「え? え、本当に?」
「なんだよー。僕が言うんだから本当に決まってるだろう?」
抗議を受け、こくこくと頷くと男はふたばの方へ向き、会議のための部屋があるからと案内を始めた。先導をしながら何度も振り返って、首を傾げながら進んでいく。
「あのねえ、僕が選んだ戦士はとっても可愛い女の子だったって話したから。今はほら、可愛い女の子じゃないじゃない、ふたばは!」
ヒューンルの説明で、男の態度の理由がハッキリしたが、それでなるほどスッキリしたといくわけがなかった。余りにも直接的な罵倒の言葉にはらわたが煮えくり返り、ふたばは自分の横を飛んでいた精霊の頭を思い切り強く掴んだ。
「あんたね……! 勝手にこんな格好させて、勝手に連れてきておいて!」
「しょうがないじゃないかー。僕は嘘をつけないんだからー!」
「じゃあ黙ってろ!」
ボケが、まで吐き捨てるように言い、連れてこられた部屋の椅子に思い切り強く尻を落とす。古ぼけた椅子は壊れて、ふたばは勢いよく床に転がり、しばらく痛みでじたばたともんどりうった。
「コーラルシャイン」
ロクェスが部屋に入ってきて転がるふたばを見つけ、呆れた表情を浮かべている。
「僕がムカつくあまり、ちょっとパワーが出ちゃったみたい」
「頼もしいのですが、まともに使える家具はここでは貴重なのです。壊さないで頂きたい」
隣にあったもう一脚を差し出され、ふたばは痛む尻を撫でながらゆっくりとそれに座った。
「勝手に連れ出したことについて、まずお詫びします。ここはメーロワデイル。ヒューンルや私たちの故郷であり、地球とは違う世界であり、あなたがかつて戦っていた魔物たちが棲むところです」
お茶も出されないまま説明が始まり、ふたばは視線を床から向かいのロクェスに移した。
「ここが、メーロワデイル」
「そうです。ヒューンルに力を与えられた時に聞いたと思いますが、地球とは別の次元にある世界です。かつてここから多くの魔物がそちらへ行き、倒して頂きました。我々も阻止しようと戦っていましたが、すべてを止めきれず、迷惑をかけましてしまいました」
「ああ」
そう。
世界には危機が迫っていた。
突然ぽっかりと開いた穴から出てくる、異様な姿の獣たち。
怪しげな術を使って人を操ったり、危害を加えようとした。
それを倒すために生まれたのが、魔法戦士「コーラルシャイン」。
精霊ヒューンルはふたばを選び、力を与えた。
「ヒューンルは、胸のうちに大きな正義の心を抱いた者に力を与える精霊です。貴方は戦士としてふさわしい心と力量を持っていた」
とてつもなく運命的な出会いだったとふたばは思う。
何の前触れもなく目の前に開いた穴。そのそばにいた怪しげな獣。響く悲鳴。逃げ惑う友人たち。
平和な学校生活の放課後に起きた事件。
悪は突然現れ世界を乱し、それを倒すべく、正義のヒーローが生まれる。
君だ、君にお願いするよ。愛らしいふわふわからかけられた声に、ふたばは答えた。
わかった、と。
憧れていたんだから。
魔法の力と正義の心で戦う、魔法少女に――。