天国旅行
空中で鞭が弾かれ、激しく音が鳴る。
しかし、悲鳴の類は聞こえてこない。
(浅かった?)
手ごたえがあったようなないような。そう思った瞬間、背後から苦悶の声が上がった。
振り返った先ではメダルトが倒れ、足をばたつかせている。不自然な形に曲げられた手は、見えない敵を押し返そうとしているのだろう。左手を自分の胸の前へかざすようにして、右手は伸ばして、落とした剣を掴もうと指を動かしている。
「メダルト!」
恐らくはメダルトにのしかかっているであろう魔物めがけて、シャインボールを投げつける。
それはすーっと洞窟の向こうまで飛んで、壁にぶつかって弾けてしまった。しかしメダルトは解放された。咳込んでいる髭の男のもとへ、ふたばは慌てて駆けつける。
(当たったのに)
もう一度だ。もう一度意識を集中して、敵のいる場所を探る。そして、今度こそ。
(仕留めなきゃ)
メダルトは咳をとめようとしているが、まだ時間がかかりそうだ。
ぜえぜえと息を吐く仲間へちらりと目をやると、その途端に後ろから攻撃が加えられる。
白とピンクのフリフリがその威力を吸収して、ふたばは少しよろけるくらいで済んでいたが。
「しっかりして」
周囲へ目をやりながら、メダルトの背を軽く叩きながらふたばは考える。
(まずいよ)
自分はいい。
けれど。
心の底に無理やり押し込めていた暗い思いが湧き出してくる。扉の隙間から這い出してきて、ふたばの心をじわりじわりと黒く染めていく。
守れなかった人たち。ニティカと、子供たち。犠牲になるのはいつだって力のない者達だ。たくさんの悲惨な運命の終着点を、救世主である戦士はすべてを目の当たりにしなくてはならない。
戦いよりも、強い力を持った未知の魔物と対峙するよりも。
また失うのだろうか?
そんな恐怖が青黒く、ふたばを足元からそっと包み始めている。
(駄目だよ)
そんな恐怖に溺れては駄目だ。
ビビっていては駄目だ。
(決めたんでしょ)
泣きながら、震えながら、想像に怯えながら、決めたじゃないか。全部受け入れるんだと。犠牲も、理想も、全部全部、たとえ矛盾していたとしても、辛くても嬉しくても。一番大切なのは、
(最後まで戦わなきゃでしょ!)
心が揺れる。散々誓ってきた「考えたフリはもう止める」を、またしている気がしていた。そんなつもりになっているだけなのではないか。何度も何度も決めて、決意して、受け入れてきた。けれどやっぱり、いまだに揺れる。グラグラしている。それでいいはずだとも思ってきたけれど、それでも、その揺れは、どうしても、耐え難い。不安でたまらない。この揺れが、ふたばを戦士ではなく、十四歳の、無力な、地球の、日本のごくごく「普通」なただの女子中学生まで退化させてしまう。
ふいに訪れた静寂。かすかにした音。頬に当たる空気の流れ。反応したが、遅い。
迷ってしまっていたから。
その一瞬で、メダルトが動いた。
止められない一閃。
まっすぐ真横に切り裂かれたメダルトの胸から、血が噴き出して、散る。
真っ赤な飛沫が降り注いで、二人を狙っていた魔物を濡らしていく。
小さな体は、ふたばの肩までくらいしかないようだ。一体どんな形をしているのかはわからない。赤が浮かび上がらせたのはほんの少し、魔物の側面のほんの少しだけだから。
「ふたばぁああっ!」
絶叫に突き動かされて、ふたばの心もようやく動いた。けれど、仲間が血しぶきをあげながらゆっくりと倒れていく光景を、信じたくない。自分で自分を切り裂いて、敵の位置を報せてくれたその気持ちに応えたい。しかし、そう思っているのに怖くて怖くて、指が震えて、ステッキは地面に落ちてしまう。
「しっかりしてっ」
すかさずヒューンルが飛んで、大切な武器を拾って戦士の手に渡す。
「頑張れふたば!」
いつもとは違う精霊の声。無事に残っている左の目から涙をぽろぽろとこぼしながら、ヒューンルはふたばの右手にしがみついた。太った指にステッキを無理やり握らせ、忙しく飛んで、くるくると振らせる。
「シャイン・ボール!」
光は集まり、一瞬で巨大な球を作り出す。赤くマーキングをされた魔物はやけになったのか飛び掛かってきたが。
「シャインボール、アタック!」
精霊の叫び声と共に、消えた。
ひゅうひゅうと息を漏らしながら、メダルトは微笑みを浮かべている。
真っ赤に染まった彼の胸に手を当てたまま、ふたばはどうしたらいいかわからず、ただ、泣いている。
押さえているのに、血が止まらない。
なによりも雰囲気が嫌だった。この後はもう、死ぬだけです。そんなムードが漂いすぎていて、憤りすら感じている。
「ふたば、ふたば……、いいんだ。どうせ俺は、助からなかった」
苦しげな声に、ふたばは首を振るくらいしかできなかった。自分を犠牲にするようなやり方をしなければ、まだ彼の人生は続いていたはずなのに。頑強な体はすぐに回復して、また戦列に復帰できただろう。
「わた、私が……」
不甲斐ないから。あそこまで切羽詰まった状況で、この期に及んでまだビビってしまっていたからだ。
自分の弱さに、ふたばは震える。こんな結果しか導けないなんて、情けなくて、腹立たしくて、許せない。
「ふたば、精霊の、戦士」
メダルトの右手がよろよろと、ほんの少しだけ上がって、半円を描こうとして、ぱたりと落ちる。
「最後に、力に、なれて、……良かった」
男の目は輝いている。壁に備え付けられた灯りの光を映して、キラキラと輝いていた。
しかし、まだ続くだろうと思っていた「最後の語り」はここであっさりと打ち切られ。
瞳に光を反射させたまま、メダルトはぴたりとその動きを止めてしまった。
「やだ……」
悪寒が駆け抜けていく。はっきりと目の前に「終わり」を突きつけられて、ふたばは体が震えるのを止められずにいる。
「やだ、やだ、メダルト! 起きて! まだ聞いてないことがあるんだから!」
足がガクガクと震えて、体をうまく操れない。よろめきながら、なんとかメダルトの大きな右手を取って、ふたばは叫ぶ。
「なんで死ぬの! なんで勝手な真似すんの! なんで勝手に、なんで、あんな……」
体を揺さぶっても、頬を叩いても、どれだけ叫んでも、メダルトは動かない。瞳は天井に向いたままだし、体は血で濡れたままだった。
「ううっ、うっ……、ううー」
まるで嘔吐をしているかのような声で泣きながら、ふたばは地面に突っ伏した。
ニティカを失った時も辛かった。なぜあんな悲劇が起きてしまうのか、信じられなかった。子供たちが死んでいると気づいた時も、辛かった。あそこで心は一度、動きを止めた。
それでもなんとか、動かしてきた。恐怖にも、苦しみにも耐えてきた。それでも行かなければいけなかったし、それでも生きていかなければならなかったから。どれだけの犠牲が出ても、目的を果たさなければならない。千華のもとへ行かなければ、もっともっとたくさんの人が苦しむし、死ぬ。だから、一生懸命、奮い立たせてきたけれど。
「もう嫌だあ……」
けれど、耐えられなかった。心の中の押入れがとうとういっぱいになって、扉が壊れ、無理やり押し込んできた弱音が溢れだして止まらない。
「やだよお」
幼い子供の様なみっともない泣き方をしながら、ふたばはおいおいと涙を流した。ただひたすら哀しかった。自分によくしてくれた誰かが、自分のせいで死ぬなんて。しかも、目の前で。それも、無残に。仇すらとっていない駄目な「わたし」に、心の崩壊を止められない。
「ふたば、ふたば、しっかりして!」
肩を揺すられても、ふたばは泣き続けた。
洞窟の入り口に沢山の影が現れているのに、泣いた。
魔物がぞろぞろと奥へ向かって行進を始めているのに、ただ、泣いていた。
「ふたば、ふたば! 馬鹿、もう、こんなところで終わるの!?」
小さなヒューンルの手が頬をパシンと叩く。泣いたままよろけて、ふたばは、メダルトの胸に突っ伏して。
それでもまだしくしくと泣くふたばの周囲を、魔物が囲む。
ふたばの胸にしがみつきながら、ヒューンルが叫ぶ。
「いやー、誰か、助けてーっ!?」
気が付くとふたばは、それはそれは美しい草原にぺたりと座り込んでいた。
メダルトはいない。ヒューンルもいない。魔物の行列もない。
あるのはただ緑と花々だけだ。白やピンクや、黄色が優しく少女を包んでいる。
緑の上には優しい優しい青色。空は晴れ渡り、陽光が地上に降り注いで景色を美しく輝かせていた。
(あれ?)
さめざめとただひたすらに泣いて、気力を失っていた自分。そこまでは覚えている。では、ぼうっとしたまま命を落としたのだろうか? 苦しみも痛みもなく、終わりを迎えたのだろうか?
不思議な気分で立ち上がると、遠くに小高い丘が見えた。木がところどころに並び、空は夏のような真っ青で、とにもかくにも清々しい。
(これは……、死んだなあ……)
胸のうちに浮かび上がる苦い思いにまぶたを押されて、ふたばは目を閉じた。
ロクェス、イーリオ、ヒューンル、ジャンド、リムラ……。そして、父と母、慶太。
(ごめん)
こんなに中途半端な幕切れが許されるのだろうか? 世界を救うと言っておきながら途中でぽっきりと折れてすべてを放棄し、地球では一生見つけられない「行方不明」という体たらく。
ひどい結末に、笑うしかない。
ふっと自嘲の笑みを漏らし、ふたばはもう一度周囲を見渡した。
ただただ、美しいばかりの世界。天国があるとしたらこんな場所だろうと、ふたばは思う。
(道案内とか、そういうサービスはないのかな)
どこでどのように過ごしても自由なのだろうか。眠くなったり、お腹が空いたりはしないだろうか。考えつつ、ふたばはぶらりと足を動かしてみた。どこも痛くない。着ている服はコーラルシャインの衣装のままで、体型も、残念な肥満型のままだった。
(天国なら)
理想のスタイルに変わっていてもよさそうなものだ、と思う。思いつつ、進む。
なんとなく、丘の上を目指して。どうしてそこへ向かおうと思ったのかわからないが、ふたばは歩いた。
なだらかな斜面を、ゆっくりと進んで行く。
柔らかな暖かい土と、足をくすぐる草を踏みしめて。可憐な花が揺れる様に、微笑みながら。
やがて行き着いた丘の上からは、大きな門が見えた。
下り坂の向こうに、真っ白くそびえたっている。
門の中は輝いていて、扉の類は見えない。
(あそこが入口なのかも?)
美しい景色の中、優しい草原を歩いて、とうとう天国へ。
ありがちな話だ。そう考えて、ふたばはまた笑った。ならば、行かなければいけない。自分の想像通りの設定ならば、今いるこの場所は、かつての人生に未練のある死者が彷徨うところだと思ったからだ。
丘を下り、門へと向かう。
近づけば近づくほど、その巨大さに圧倒されてしまう。かつて通っていた学校の校舎よりもずっと大きくて、荘厳な雰囲気を振りまいている。中は相変わらず見えないが、光に満たされ輝いている。
そこに溢れている光は「希望」だった。明るくて、力強い。うっとりとその光を見つめながら、ふたばはふらふらと歩いていく。
やがて門の前へたどり着くと、光の中になにかが見えた。
(あれ……?)
それが人影のように思えて、ふたばの足が止まる。
影はゆらゆらと揺れて、輪郭が定まらない。
けれど、わかった。
わかって、一歩進む。
進むごとに、くっきりと浮かび上がっていく。
「メダルト」
他人のために命を投げ打った勇敢な男。彼の方が先に命を落としたのだから、先にこの門の中にいるのだろう。単純な話に勝手に納得をして、ふたばは進む。
一言、お礼が言いたい。命を懸けてふたばたちを守ろうとしてくれた。
一言、お詫びを言いたい。命を懸けてくれたのに、使命を全うできずに今ここにいる。
聞きそびれてしまった言葉の意味を、聞きたい。
あの時、子供たちはなんと叫んだのか?
真っ白い光の中へ足を踏み入れると、なにもかもが白く染まっていった。ピンク色のひらひらとリボンも見えなくなっていく。
進んでも進んでも、メダルトの姿は見えない。
何歩歩いただろうか。
長い時間が過ぎて、ようやく、白以外の色がちらちらと踊りはじめ、そして、一気に景色が変わる。
(なにこれ)
紺色で染めたような色の地面がむき出しになっている。周囲に生えている木は枯れ、実どころか、葉すらつけていない。
カラカラに乾いた茎だけが黒土から顔を出している地面。宙には濃い霧がかかっていて、辺りの様子はさっぱりわからない。
(ここが、あの世?)
だとしたら、もしかしたら、いわゆる――
(地獄ってやつ?)
その割に静かだとふたばは思った。なにもない、誰もいない、ただひたすら静寂に包まれているだけ。叫び声も唸り声も、恨みの言葉も聞こえてこない。
あらゆる一切の命が感じられない、寂しさだけで作られたような所。
振り返ると、もう光の門は見えなかった。
代わりに見えるのは、濃霧に包まれた薄闇だけ。
(またか)
帰り道のない一方通行。メーロワデイルに来た時と同じ絶望に軽く落胆しながら、ふたばは再び歩き出し、やがて、大きな大きな枯れ木の前に辿り着いた。




