シースルー
一番最初に反応したのはイーリオだった。
「ジャンド、リムラ!」
二人の名を呼び身を翻すと、少女の手を引いて走った。訳がわからないままに、ジャンドもそれに従って駆け出している。
あっという間に去って行く三人の後姿から視線を慌てて戻すと、ふたばの耳に、エランジの苦しげな声が届いた。
「メダルトが戦っている」
そう叫び終わるなり倒れた体を、ロクェスが受け止める。ふたばが目を向けると、少し先にある洞窟の出口、そこから、夜のもたらしたものではない闇が忍び込んできていた。黒、紫、灰色。希望を感じられない色彩の、大小さまざまなサイズの魔物たちがわらわらと、どこからともなく湧き出している。
(メダルト!)
戦士の姿はない。今入り込んできた魔物達の激流に呑み込まれたか、踏み潰されてしまったのか――。わからないが、今はその安否の確認をしている時ではなかった。
「ロクェス、下がって!」
ヒューンルがぴたりとふたばの背中に張り付いてきて、温かい。しかし心の中は吹雪。冷え切り、冴えていく。つい先ほどまで少女の中を占めていた感傷や決意は吹き飛んで、意識は戦いへと集中していく。
(見つかった?)
生意気な、抵抗する人間たち。ハッキリと処分の対象になっている反乱分子。集まっている場所がある。それを見つけ、襲撃してきたのか。
(あの小屋に行った時……)
もしかしたら生き残りがいて、後を付けられたのかもしれない。ふたば達がやって来て、子供たちを連れて戻っていく様子を見ていたのかもしれない。
突っ込んでくる魔物にはもれなく翼が生えているようだ。どうやら大勢で来たらしいが、狭い洞窟に入ったせいで、細長い列になってしまっている。
「律儀だね!」
わざわざ整列してきてくれた翼の魔物たちに向かって、ふたばは叫ぶ。
シャインボールでは駄目。では、どうする?
(一気にやらなきゃ!)
子供たちの閉じ込められていた小屋の前で戦った時、新しい武器が生まれていた。光はしなり、鞭になった。あの時と同じように、今必要な攻撃を生み出さなくてはならない。
「光よ」
光を集めていく。シャインボールと同じように、ステッキに力を溜める。しかしそれを投げつけはしない。溜めて溜めて、充分引きつけて。迫りくる黒、褐色、濃い色ばかりの禍々しい肢体と、手にもった鋭い武器。一番槍は、よく見知った形の魔物だ。
ニティカを殺した、細い体の悪魔。
奥歯をぎりりとかみしめる。心に走る鋭い痛みに耐えて、目を見開いて、ふたばは咆えた。
「貫け!」
一気に放出したそれが、まっすぐに突き抜けていく。コーラル・シャイニングビーム。翼の魔物達は光の中で千切れ、粉々になって散っていく。黒い影が白に呑み込まれて消えて、ステッキから光の放出がやんでから見えたのは、元通りの洞窟の風景だけだった。
ふたばの背後、奥からは時折叫ぶ声が聞こえてくる。非戦闘員を避難させて奥に隠し、武器を持つ者は戦いの準備をしているのだろう。
(すごいな)
イーリオは冷静だ。ふたばに戦いをまかせ、万が一に備えるためにすぐさま走って行った。エランジが駆けてきた姿だけで状況を判断し、出来うる限りの「最善の道」を見出してまっすぐに進んでいった。
ふたばは自分の胸に手をあてて、息を吐き出した。イーリオがなにも言わずに去った理由。それは戦士への「信頼」があるからだ。
ならばそれに、応えなくては。
(負けない)
まだ魔物は来るだろうか? できれば出ていって、メダルトの無事を確認したい。一緒にもう一人いたはずだ。名前は確か、チュード。彼だって、無事ならば助けたい。
(その可能性は?)
低い。エランジの言葉は短かった。もう一人についての言及がなかった理由は?
ぎゅっと奥歯をかみしめる。魔法少女は眉間に皺を寄せ、自分の前に広がる光景をきりりと見据えた。前に進むか、ここに留まるか。戦っているのはふたば、ただ一人。一人で判断しなくてはならない。
(完全に出たら、危ない)
メダルトを救いたい。討って出たいが、まだまだ魔物が大量に来ているのなら、この入口から出てしまうのは危険だった。奥には子供達を含め戦えない者が大勢いる。彼らを危険に晒す訳にはいかない。
歯がゆかった。たった一人の為に出る訳にはいかないが、そのたった一人を救いたい。
「メダルト!」
ふたばが叫ぶと、返答があった。
「ふたばっ!」
洞窟の入り口、左側からひょっこりと姿が現れる。腹をかばうような姿勢でよろめきながら、叫ぶ。
「気を付けろ、なにかがいる!」
叫び終わると同時にメダルトの体が吹っ飛んだ。背を反らせた形でふたばの方へ飛んで、手前で地面へと落ち、転がる。
「ふたば、ホントになにかいる!」
頭のすぐ後ろから聞こえるヒューンルの声に、ふたばは身構えた。奇妙な臭いが鼻をつく。ふわりと漂ってきた風が頬を撫でた次の瞬間、魔法少女の体は大きく傾いだ。
左腕の上部から加えられた衝撃。物理的にも、精神的にも大きく揺れる。
慌てて左右を見渡す少女に、再びの衝撃。今度は右の肩に、後ろから打撃が入った。
「へぶうっ」
背中に張り付いていた精霊にもその打撃が及んでいたらしく、耳のすぐ後ろから苦しげな声が上がった。ヒューンルの小さな体が吹っ飛び、落ちて、勢いよく転がる。転がってメダルトの手前へ移動し、ちゃっかりと大きな体の陰へ、精霊は隠れていった。
ふたばも急いで立ち上がり、構えた。構えたがしかし、どうしたらいいのかわからない。目を凝らしてもなにもいない。いないはずなのに、かすかに音がする。
(見えない敵がいる?)
かつて、そんな物がいるのではないかと考えたことがあった。大失敗をした、あの「運命の日」。
やっぱりいたんだと思った瞬間、背後からまた強烈な一撃を喰らってふたばは倒れた。冷たい汗が一気に、どばっと噴きだしてくる。
これはまずい。危ない。想定外。負けるかもしれない――。
恐怖と焦りで心が迷走を始めている。
(どうしたらいい?)
今、どこにいるのか。右か左か、前か、後ろか。落ち着け、落ち着いてなんとかするんだ。そんな内なる声がするが、なんとかするんだなんて曖昧極まりない提案で、心が静まる訳もない。
カサ、という音が聞こえる。聞こえたが、今度は思いっきり前から顔を殴られてふたばは仰向けに倒れた。
「ふたばあーっ!」
ヒューンルの声が聞こえるが、視界はチカチカと瞬いていてよく見えない。どうしたらいい? どうしたら勝てる? どうすれば、相手の居場所を見つけられる??
(倒れてる場合じゃない)
立ち上がりながら、ステッキを振りまわす。かすりでもすれば、攻略の糸口になればと必死の思いで腕を振ったが、手ごたえはない。
(まさか)
無様に転がっている間に、奥へ行ってしまったのではないか――。
最悪の想像に、胸の中を悪寒が駆け下りていった。ずうん、と足元へ走り抜けて行くおぞましさに震え、洞窟の奥へ視線をやる。勿論、何も見えない。奥からはなにも聞こえない。
唇をぶるぶると震わせるふたばに、五度目の打撃。奥へは行っていない。だがそれは、「相手が一体だけならば」の話だ。見えないのをいいことに、静かな行軍を進めているかもしれない。
それに、自分がここでやられてしまったら?
目の前がすっかり暗い。壁には輝く石がところどころに置かれているのに。不安の霧がふたばの視界と心を包んで揺らす。どうしたらいいのか。奥へ行くべきか。どうしたら倒せるのか、どうしたら――?
「ふたば、落ち着いて、ダメージは全然受けてないんだからねっ」
メダルトの陰からヒューンルが叫んでいる。
(ダメージ?)
そういえば、小突き回されて倒れてはいるが、傷は負っていない。そして思い出した。精霊には敵を感知する能力があるはずだと。
「ヒューンル、敵は何匹?」
「へっ、い、一匹っぽい!」
「ぽいってなによ!」
叫ぶふたばの後ろ頭へ、ガツンと一撃が入った。脳みそが揺れるような感覚にふたばはよろけ、悶える。
「衣装のない部分は痛いよ!」
「早く言ってよ!」
奥歯を噛みしめながら、唸るような声で苦情を出してふたばは慌てて振り返った。
かすかな音がする。それを頼りに位置がわからないだろうか。耳を澄まして、神経を集中させて。影はないのか? 後頭部に走る痛みに邪魔をされながら、必死で勝利へと繋がる糸を探っていく。
「ヒューンル、敵の位置はわかんないの?」
「わかんない。近いのはわかるけど」
「じゃあ、奥へ行こうとしたら教えて!」
そばにいる。では、ふたばを倒そうとしているのだろうか。確かにそれは「正しいやり方」だと思う。まず入って来た魔物達は皆、一気に消し飛ばされてしまったのだから。この強敵を倒すには普通ではないやり方が必要だ、そう魔物達が判断しているのならば、姿が見えないこの魔物はここで有効に使うべきだろう。たとえふたばを倒せなかったとしても、弱らせることくらいはできるだろうから。
ふたばの顔が歪む。耳を澄ませても、音がない。待ち構えられているとわかっているからなのか。それとも、音を立てずにそろりそろりと、奥へと向かっているのか。
汗がじわじわと浮き出て、睫の上に落ちる。不快なその感覚にイライラを募らせながら、ふたばは耐えた。動きを感じなければ。聴力で、触覚で、空気の動き、足音、些細なヒントを頼りにして、探らなくてはならない。
(倒さなきゃ)
姿の見えない魔物の話など、聞いたことがない。ロクェスもイーリオも知らない存在なのだろう。知っていれば一番の強敵として警戒しなくてはならないはずだ。こんなにも恐ろしい敵が、洞窟の奥へたどり着いてしまったら?
最悪の想像に震えた瞬間、ふたばの顎に強烈な一撃が加えられた。思いっきりアッパーを喰らって、少女はよろける。吹っ飛ぶ、までいかなかったのは重さ故か。そしてよろけながらも、ふたばは必死になってステッキを振った。光が瞬き、弧を描く。それは悪夢のような存在に軽く当たったようで。
太陽をモチーフにした丸い石が嵌った細いステッキの先に手ごたえを感じて、ふたばはなんとか踏ん張って留まると、もう一度振り抜いた。しかし今度は何も捉えることが出来ないまま、ただただ空を切るのみ。
(適当じゃ駄目だ)
じゃあ、どうしたらいい?
焦りは禁物。だが、止められない。この状況を打破する一手を見つけなければ。思いは強く強く、ひたすら募っていく。こうして黙ってじっとしていてはまた、攻撃を喰らうかもしれない。いくら力を持っていると言っても、頭に強い一撃を喰らえば、たとえふたばだったとしても――。
生暖かい感覚が、鼻の下をくすぐる。
指を添えると、真っ赤な血が手袋に弾かれて小さな丸い珠を二つ、作っていた。
「ふたばっ……」
視界の端に動いた物。それは、メダルトだった。ぐったりとうつぶせで倒れていた彼は顔を持ち上げ、ふたばを見つめている。
剣を頼りにゆっくりと立ち上がったメダルトの姿は、本当に、本当にボロボロだった。服はあちこちが裂けて、もれなく中には傷が見えている。黒い衣服はあちこちが濡れているが、液体の正体はおそらく血なのだろう。髭に覆われ、伏せられている顔の色はよく見えないが、声には苦痛が溢れている。
「加勢するぞお」
「やめて、死んじゃうよ!」
ふたばのあげた声に、元盗賊の男はニヤリと笑った。苦しみを振り払い、不敵な表情を作って、まっすぐに立つ。
「さあ来い」
よろめきながらも出した一歩に、ふたばは駆けつけて寄り添った。背を合わせるようにして立ち、ステッキを構える。慌てて飛んできたヒューンルは、再びふたばの背中に張り付いた。
そして聞こえてきた囁き。
「ふたば、絶対に、倒してくれよ……!」
ぐっとこみ上げてくるものがある。メーロワデイルに来てから何度も何度も味わってきた、その感覚。ふたばを泣かせ、震わせ、苦しませてきた物だ。どうしてこんなに苦しまなくてはならないのだろう? 世界を救うヒーローになるためには、あとどれだけの試練を乗り越えなくてはならないのか。
「わかってる」
下唇を軽く噛んで、唾をごくりと呑み込んでからふたばは答えた。
(当たり前だ)
戦うために来たんだから。あなたしかいないと、呼ばれたんだから。
(絶対に、帰るんだから)
勝たなくては、帰れないのだから。
空気が揺れる。ごくごく小さなその揺れに、なによりも先に体が動いた。
「そこだ!」
右を向いたら真正面。ステッキから伸びた光は、敵を強く強く打ち付けた。




