イメトレ
あちこち見て回って、ふたばが最後に行き着いたのは鍛冶師の仕事場だった。
ジャンドはここで石や水を運ぶ手伝いをしているらしく、部屋を出たり入ったりしている。
熱のこもった部屋の中で、汗が噴き出して滝のように流れていく。ロクェスも同じように、汗をだらだらと流しながら自分の剣が叩かれている様を見つめている。
(すごい)
無駄なおしゃべりをして許される場所ではないと判断して、ふたばはそっと部屋を出た。
「どうしたの? 見たらいいのに」
「あんたが横でベラベラしゃべってたら、邪魔になるでしょ?」
子供たちの様子を見に戻ると、リムラが笑顔で出迎えてくれた。
腕には相変わらずピンク色のリボンがついていて、動くたびにゆらゆらと揺れては輝いている。働き者の少女は、子供たちの体を拭いてやっている最中だったようだ。
「手伝うね」
「そんな」
精霊の戦士様にそんな、とリムラが口にするのを聞いて、ふたばは軽く肩をすくめた。
「ここではみんな立場は同じだって、イーリオは言ってたよ」
「でも」
ううん、とふたばは首を振る。明日になればここを出る。だからほんの少しでもいいから、手伝いたかった。リムラもジャンドも、救ってきた子供たちも、メダルトもエランジもイーリオも――。
(みんながどうなるか、多分、わからないわけだし)
千華のところへ行く。行って、魔物達を街から追い出させる。
その後について、ふたばは洞窟の中を歩きながら考えていた。
(全部終わったら、帰らなきゃ)
帰る方法は、ヒューンルからもらった力を返すというものだ。精霊の戦士ではなくなる。そうしたら、この世界から弾かれて、地球へと帰る。
帰りたいし、帰らなくてはならない。ふたばはそう思っている。家族が心配しているだろうと思うし、どうしても、この三年間について謝りたい。
そしてその帰り道は、「千華も一緒」だ。
許されるのか。メーロワデイルの人々を踏みにじった、魔物達の王は。
かといって、大勢に囲まれ、怒りや恨みを真正面からぶつけられたら?
(死んじゃうよ)
千華を引き渡すように言われたら、どうしたらいいのだろう。
(わかんない)
その先は、想像が出来なかった。
でも、全部済んだので帰りますなんて、都合がよすぎるのではないか。
どうするのが一番正しい結末なのか。
十七歳の少女にとっては、余りにも難しい。
行き詰ってしまった思考が大きな塊になって、道を塞いでいる。
今はもう考えたくなかった。戦いも、その先にある、恐らくはこの旅で一番辛い試練についても。
無理矢理浮かべた笑顔をリムラに向け、子供たちの手足を拭いていく。
冷たい指先を揉むようにして温めながら、汚れた体を清めていく。
「ヒューンル、水出して」
「はいよ、お水一丁!」
軽快な掛け声と共に、部屋の隅にあった壺に水が注がれていく。
「わあ、すごい」
「水を出せるのがこいつの唯一の取り柄だからね」
「ちょっとふたば。僕がいなくて困ったんじゃないの? メダルトたちと一緒に行ってる間!」
(困ったよ)
なんとか乗り切れたけれど、旅の間は意志の疎通ができているのかどうか、ずっと不安だった。
そして、思い出す。
「ヒューンル」
「なあに?」
悲劇の現場になった建物に入る時、メダルトが扉を開けようとした瞬間に聞こえてきた叫び声。中にいた子供があげた声がどういう意味だったのか、ふたばは知りたいと思っていた。あの時、言葉の意味がわかっていれば悲劇は防げたのだろうか。そんな思いが棘になって、ふたばの心にいつまでも刺さり続けている。
だが、台詞そのものを覚えていない。一緒に聞いていたメダルトに聞けばわかるだろうが、その機会を逸してしまっている。
そんなモヤモヤを抱えつつ、ふたばは、もう一つの気になっている言葉の意味を聞いた。
「マーニモー、って、どういう意味?」
沁み出してくる哀しさで揺れるふたばに、ヒューンルはこう答えた。
「カッコよく言うと、光は私と共に、みたいな感じかな?」
「光は私と共に……」
「カッコ悪く言うと、神様助けてねー! みたいな感じだよお」
チッと舌打ちをしながら、ふたばは手に持っていた布を水に浸して絞った。
(光、か)
「あのねえふたば、どういう風に聞こえているかわかんないけど、僕と一緒にいる時に聞こえている言葉は、ふたばが一番イメージしやすいものに変換されているからね」
「え?」
意味がスッキリと浸透して来なくて、ふたばはじっとヒューンルを見つめた。
ハゲ精霊は何故か体をくねくねとさせながら、こう答える。
「僕じゃなくて、ふたばが翻訳してるんだよ」
「私が?」
「そう。ふたばの知らない言葉は出て来ないの。ふたば本位に訳されているんだよ」
「意味がわかんないよ」
「しょうがないなあ。じゃあ、いいよ」
(投げやがった)
理解させる努力を放棄して、ヒューンルは鼻歌を歌い始めている。それに軽くイラつきながらも、ふたばは子供たちの体を拭く作業に戻った。
(ああ、そうか)
指と指の隙間にこびりついている黒い汚れを落としていく。影の中に隠されていた肌は青白い。
(同じ言葉でも、違う人が聞いていたら、表現が変わるって意味か)
なんとなく、ヒューンルの言いたかったことが理解できた気がしていた。
(光は私と共に……)
カッコ悪く言うならば、神様助けて。「マーニモー」という言葉は恐らく、戦いに臨む者が自分の心を奮い立たせるためにいうものなのだろう。
(例えば、慶太だったら?)
人が好くて、ほんの少し臆病な幼馴染の男の子なら、「怖くなんかない!」になるかもしれない。
「そうそう。そういうカンジだよふたば」
考え事をしながらも作業を続けるふたばの肩を、ヒューンルが叩く。その様子にリムラがくすりと笑い、ふたばもそれを見て微笑んだ。
微笑みながら、考える。
(千華だったら……)
浮かびあがる、長い髪、すらりとした少女の影。
結局、心の中には不安が巣食っている。隅から隅まで蜘蛛の巣のように張り巡らされている。
この旅の終着点、その後に控えている選択の重大さが、肩の上にずっしりとのしかかっている。
(残してなんか、いけない)
メーロワデイルの皆さん、これがすべての元凶です。彼女こそが魔物を操っていた悪の女王なのです。
(駄目だよ)
では、すぐに共に戻ってしまうのか。
(そんなの、できる?)
決定的に壊れた友情のかけらを持ち寄って仲直りをして、手を取り合って。無理矢理一緒に帰った後は、どうなる?
(来て、くれるかな)
その前に、改心させなければならない。また拒絶の言葉を叫ばれたとしたら、手が、足が、動くだろうか?
(やられるのは、私かもしれない)
許さないと決めたはずだ。千華よりも、メーロワデイルこそを救うべきだ。たった一人の傲慢な元友人を恐れる理由はない。お前のやってきたすべてを許さないと叫び、言い訳を聞く時間など、持たない。
目の前に立つ千華、その周囲にいる取り巻きの魔物達。どんな言葉を投げかけられても、どれだけ攻撃を喰らったとしても、決して倒れる訳にはいかない。彼らを皆、残らずすべてこてんぱんに叩きのめして、遠い森、深い谷の奥底へ帰らせなくてはいけない。
そう決めているのに、揺らぐ。
魔物達の真ん中に立つ紫色の影が、妖艶に笑う。
「できるの、ふたば。あんたに、私を倒すことができる?」
「ふたば」
少女の声に、はっと意識を取り戻してふたばは目の前の顔を見つめた。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫」
リムラの微笑みに、ふたばは慌てて頷いた。当然、説得力はなく、少女は少し困惑したような表情だ。
「今日はお休みして」
「大丈夫だよ」
リムラはゆっくりと首を振った。まるで子供をたしなめるような、大人びた表情でこう告げる。
「ふたばはいっぱい頑張ってるって、ロクェス様が言っていたの。リムラはたくさん休んだから大丈夫。ふたばは少し、お休みしてきて」
ふらふらと歩いて、ふたばはたどり着いた自分の部屋のベッドに倒れ込んだ。
あまり柔らかくないそれに顔を埋め、唸る。
(情けな)
涙だけは流すまいと顔の真ん中に思い切り力を入れて、おかしな顔のまま、目を閉じて、手を強く握りしめて。
リムラの優しい言葉に、心が疼いた。どれだけ頼りない顔をしていただろうとふたばは思う。
たかが想像だ。自分で思い描いた、戦いのラストシーン。良いように暴れて、勝てばいい。千華に土下座でもさせて、どれだけ極悪非道な振る舞いをしてきたか、反省させ、謝らせればいいのに。
どうして千華が怖いのだろう。何故こんなにも恐れているのだろう。
許さない、許せない、許したらいけない。
怖くない、恐れない、恐れていたらいけない。
小さかった頃の千華が笑っている。ふたばちゃん、と自分を呼ぶ姿が脳裏に蘇るが、それは一瞬で引き裂かれて、かわりに浮かぶ冷たい光景。教室の中に響いた叫び。友情も思い出も、温かかったものはすべて凍り付いて砕けてしまった。
(千華)
散々固めてきたはずの「決意」が、まだ揺らぐ。
直視を避けてきた、心につけられた大きな傷を、とうとう見てしまったからだ。
見た瞬間、じんじんと痛みだす。噴き出した血の熱さと、その傷の深さに震える。
手当てをしなくては。責任感をぐるぐると巻きつけて、血を止めなくては。勇気という名の痛み止めを飲んで、立ち上がらなくては。
歯を食いしばってでも、歩いて行かなくちゃ。
(そうでしょ、ふたば)
蹲って泣いているだけの生活は終わりにしたんだから。
(こんな情けない主人公、いなかったでしょ)
泣いてもいいけど、弱音を吐いてもいいけれど。進まなくちゃ。憧れの彼女たちのように、ボロボロになったとしても、最後には立ち上がって、戦いに挑まなくちゃ。
(ラスボスなんだから……)
強くて当たり前。千華が怖いのは、当たり前。
(だけど)
これはアニメだとか、ゲームではない。現実だ。リセットは出来ない。もしも、カルティオーネの城で、こてんぱんにのされてしまったら――?
「馬鹿!」
部屋の中にふたばの声が響いた。
扉の無い洞窟の長い長い廊下にも、それは当然こだましていく。
「いつまでグダグダしてるんだよ!」
だが、構っていられない。叫ばなければ、気合が入れられなかった。
「ビビってたら、戦えないだろうがよ!」
自分の震える太い脚を、グーで殴りつけていく。スカートとブーツの間にほんの少し開いている隙間、絶対領域からのぞく肌に、赤い痕がついていく。
「立て、ふたば、立て!」
「ふたば、ちょっと落ち着いてー」
「落ち着いてる!」
笑顔のまま慌てるヒューンルを睨みつけ、ふたばはまた自分の足を殴りつけた。
「コーラルシャインなんでしょ!?」
あの日生まれた正義の味方。
君は今日から「コーラルシャイン」だよ。世界を照らす光。太陽のように明るく照らす、希望の光なんだ。
「そうだよ」
落ち着いた声が差し込まれて、ふたばの煮えたぎる心を冷やしていった。
ヒューンルは、初めて見せる大真面目な表情でふわふわと浮いている。
「君が太陽で、千華は月。ふたば、知っているでしょう? 月の輝きは、太陽の光を反射しているだけなんだ。君と千華は、太陽と月そのものだよ。人にとってなじみ深くて、空に浮かんでいるもの。でも、同じなのはそれだけだ。太陽と月は全然違うものだよね」
理科の授業で習った、太陽系の惑星たち。脳裏を掠める、うろ覚えの知識。
「ふたば、力の話だけじゃない。心だよ。言ったよね、真っ白に輝く魂を持っているって。僕は地球に行って、たくさんの人の中から君を選んだんだよ。世界でたった一人、僕にとって、力を持つのに最もふさわしい誰かは、ふたばだった。だから、自信を持って」
小さな手が、さっきまで散々足を叩いていた拳の上に乗る。
「千華とのことは辛かった。僕はすごく責任を感じてる。僕が君の願いを叶えたせいで、あんなになってしまって。メーロワデイルも滅茶苦茶になった。ごめんねふたば。ごめんね」
「……ヒューンル」
(謝るなんて)
頭を垂れてしょぼくれる精霊の姿が信じられなくて、ふたばは顔を上げた。
てっきり、「じゃあ行こうか!」とすぐに切り出してくると思ったのに。
うなだれた頭は、いつまでも上がらない。
「ヒューンルがそんなんじゃ、調子が出ないよ」
「僕もだよ。こんなへんてこな気持ち、初めてだな」
はげた後ろ頭を見せたままの精霊の背を、ふたばはぽんぽんと叩いた。
(ヘンなの)
先ほどまでの怒りも不安も消えてなくなり、代わりに、無残な姿の精霊を思いやる気持ちが溢れている。
「ふたば、何かありましたか?」
ベッドの上でしょぼくれる二人へ声をかけてきたのはロクェスだった。
部屋の外へ目を向けると、金の騎士が心配そうな表情を浮かべていて、更にその後ろに何人かがいて、様子を窺っている。
「ごめん、ちょっと……取り乱したっていうか。でも、もう大丈夫。落ち着いたから」
「そうですか」
ロクェスが振り返って、後ろの野次馬に向かってゆっくりと頷く。男たちは無言のまま、散っていく。
「ふたば、剣はもう仕上がりました。今日はゆっくり休んで、明日の朝出ましょう」
「……できたんなら、もう、出発してもいいよ」
「しかし」
「私、さっきまですごくビビってたの。無理してでも行かなきゃ、また足がすくんじゃう。急いだ方がいいわけだし、落ち着いているうちにちょっとでも進みたい」
金の騎士の瞳がいつもより少し大きく見開かれる。
止められると思いきや、ロクェスはいつも通りの穏やかな表情で頷いてみせた。
「わかりました。支度をしましょう」
既に旅の準備は終わっていたらしく、荷物が運ばれてきたらもう出発の時だった。
洞窟の入り口までイーリオとジャンド、リムラがやってきて、二人と一匹を見送る。
「ふたば……」
兄妹は手を握り合い、旅立つ騎士たちを見つめている。
「行ってくるね」
幼い兄妹は、もう会えないとわかっているのだろう。リムラは目にいっぱい涙を浮かべているが、口をへの字にして耐えている。
「ふたば、ありがとう。助けてくれて、ありがとう」
ジャンドの言葉に黙って頷く。ありがとうと言われると、辛い気持ちがあった。あの森で起きた悲劇がどうしても思い起こされる。
しかし、ふたばは笑顔を浮かべ、二人の頭を撫でた。
なんと声をかけるべきか、わからない。わからなくて、結局こんなセリフしか出て来ない。
「頑張って」
素直な二人は全力で頷く。
「ロクェス、頼んだぞ」
騎士たちはまたおでこをくっつけている。
(仲が悪い相手ともやるのかな、あれ)
「やんないよ。嫌いなやつとあんなことしたくないでしょ」
ヒューンルの調子も少し戻って来たようだ。それに安心して、ふたばはほっと息を漏らした。
その瞬間。
「あっ」
声をあげたのはジャンド。
全員が振り返ったその先に、右手で左肩を押さえ、苦しげな表情で駆けてくるエランジの姿があった。




