髭と少女
部屋の奥に、助けて帰った子供たちがいた。
固そうなベッドの上で寄り添って眠っている。ほんの些細な衝撃で折れてしまいそうなほど細い手足、汚れた顔と髪の毛、粗末な服が痛々しい。
「ふたば、助けてくれてありがとう」
三人の様子を少し離れたところで見ているふたばに、ジャンドからこんな声がかけられた。リムラも兄と一緒になってふたばの手を取り、ありがとう、と続ける。
「……うん」
複雑な気分だった。
助けられなかった大勢を思うと、いたたまれない。けれど二人の前で、わんわん泣くわけにもいかなかった。もっとたくさんいた、魔物に殺されてしまった、助けられなかった。そんな弱音を聞かせられる相手ではない。
口を噤むふたばに、リムラがにっこりと笑いかける。それに心を温められて、ふたばも少しだけ笑顔を浮かべた。
「リムラ、元気になった?」
「うん、もうすっかり元気なの。それで、お手伝いをしてるの」
「お手伝い?」
「リムラは果実を洗ったり、運んだりしてる。僕はロクェス様に剣を教えてもらっているんだ」
「お兄ちゃんは石を探してるんでしょう?」
憧れの騎士様に剣を教えてもらえているのなら、それは最高に自慢できることだろう。しかしジャンドにとって一番の仕事は別にあるらしい。
妹の暴露に兄は少し不満げな顔だが、ふたばは気になって兄妹に質問をした。
「石って?」
「ここの洞窟の奥で採れるムネミンツだよ。それがあれば、武器が作れるんだ」
(ムネミンツ……)
話の内容からいって、それは鉱石なのだろう。鍛冶師がいて、鉱石があって、武器を作っている。
(なるほど)
「ここって、鉱山なのかな?」
「ブブーッ、ふたば。ここは山じゃないよ。だから鉱山じゃありませーん!」
(小学生かよ)
ちょっとした言葉のチョイスミス程度ではしゃぐヒューンルにムカムカしつつ、それを抑えてふたばは続けた。
「武器の素材になる石が採れるんだ」
「そうだよー。この辺りの渓谷にはムネミンツとラッタレッシの鉱脈があるんだね。ムネミンツはねえ、地球の鉄みたいなもんだと思っていいよ。ラッタレッシはあそこに光ってるヤツ。あれだよ」
「へえ」
部屋の明りになっている光る石は、ラッタレッシ。
(覚えにくい名前)
しかしそんな鉱脈があったのは、ここに潜む人々にとって幸運だっただろう。ロクェスたちのいた南の果ての秘密基地、あそこの暗さを思い出して、ふたばはほんの少し、焦る。
彼らはどうしているだろう。
薄暗い洞窟の中で声を、息を潜め、終わりの時を待っている。
時の流れの遅さを呪いながら、奇跡が行使されるよう祈っている。
(急がなきゃ……)
メダルトとエランジ、二人と駆け抜けた厳しい試練。
細い抜け穴を行くのは難儀だったが、抜ければすぐにポーラリンドに辿り着いた。
その先の森を抜ければ――。
(千華が待ってる)
「ふたば」
感傷に浸っているふたばを呼び戻した声は、メダルトのものだった。
「子供たちの様子を見に来たのか?」
「うん……」
髭に覆われた顔がニッと笑う。優しげなその表情に、妙に安心した気分になって、ふたばはもう一度奥で眠っている子供たちに目を向けた。
「二人とも、こいつらを頼むぞ」
メダルトはジャンドとリムラの頭を順番にぽんぽんと撫でている。
「二人がお世話するの?」
「あとはミミッテも手伝うが、男たちは皆忙しい。やらなきゃならないことはたくさんあるんだ」
そう語りつつも、メダルトの表情は柔らかかった。
一番頼れるのはロクェスだが、彼はイーリオに連れていかれて今はいない。きっと大事な話をしているのだろう。
子供たちの部屋を出て、ふたばはメダルトに質問があると話した。
メダルトは笑顔で頷き、洞窟の中を進んで一つの小さな部屋へふたばを案内した。
「ここは昔、プロレラロルが一生懸命採掘をしていたところでな。光る石は便利だろう? よその国に売って儲けていたんだが、いつの頃からか魔物が棲みついてしまったんだ」
部屋の中には明りが用意されている。机と、椅子が四脚あって、まるで生徒指導室のような作りだとふたばは思った。
「その魔物はどこに行ったの?」
「精霊が皆殺された頃、魔物達は一斉に北に向かって移動をしたんだ。あんな光景は初めて見た。やつらが森や洞窟、谷から出てきて、ぞろぞろと移動していくなんてな。皆不安がって、集まって祈っていたよ。良くないことが起きるに違いないと思ったからな」
(千華が現れた時……かな)
「それでこの洞窟は空になった。それで、俺たちが使わせてもらうようになったんだ」
「俺たちって?」
「ああ」
髭の男はふんと笑って、頭をぼりぼりと掻き、目を閉じたまま少し悩んだようだった。
「まあ、いずれわかるだろうから。話しておくとしよう、ふたば」
意外な反応に、ふたばは戸惑う。しかしメダルトは大きく笑顔を浮かべると、こう続けた。
「俺は盗賊だったんだ。プロレラロルの南に巣食う悪名高い盗賊団の頭、メダルト。それが、俺だ」
(えーっ?)
そう言われると、メダルトのもじゃもじゃの髭も、力の強そうな腕の逞しさも妙に納得がいった。猟師にしては戦い慣れ過ぎている。あの頼もしさの理由はどうやら、秘められし過去に隠されていたらしい。
(いやいや)
言葉のイメージに左右され過ぎている。そう反省して、ふたばはまっすぐにメダルトの顔を見つめた。
もしかしたら、冗談かもしれない。
しかし、否定の言葉は出て来なかった。
「魔物が次々にどこかの城を攻め落としているなんて、最初は信じられなかった。だが本当だった。カルティオーネが落ちたと聞いて、俺は本当に驚いたんだ。あそこには精霊の力を持った騎士たちが守っているはずなのに。ロクェスとイーリオ、二人の輝ける騎士がいる国だっていうのに」
メダルトの瞳は揺れて、ふたばの後ろのもっと向こう、どこか遠いところを見ている。
「ロクェスの活躍を見たって、言ってたね」
「ああ、危うく捕まりそうになったんだ。プロレラロルのお姫様が結婚するっていうんで、カルティオーネの王子がやって来てな。その時、ロクェスもついてきていた。王子様が滞在してる街でちょっと仕事をしようとしたら、まさかの、あの有名なロクェス・ウルバルドが駆けつけてきたんだ」
驚いたさ、と笑みを浮かべて、メダルトは続ける。
「チョッジっていう間抜けな野郎がいてな。そいつのおかげで逃げ切れた。精霊の力を与えられた者が特別だとは聞いていたが、あんなにすごいとは思わなかった。だから、イーリオたちがカルティオーネから逃げ延びてきた時に、俺はここを明け渡した。彼らほど強くて、正しくて、勇気に満ち溢れた存在はいないんだ。メーロワデイルの未来を託すのに相応しい精霊の騎士たちに、なんとか協力したいと思ったんだ」
(ファンタジーだあ)
ふたばは今明らかになった事情について思いを馳せ、浮かんできた疑問を元盗賊にぶつけた。
「イーリオは、メダルトが盗賊だって知ってたの?」
「ああ、知ってたさ。だがとにかく、それどころじゃない。精霊の力が失われた騎士も、悪事ばかりをはたらいてきた盗賊も立場はみな同じだと。一丸となって戦わなければいけない。力を貸してくれるのならば、これほど頼もしい味方はいないと、イーリオは俺の提案を受け入れてくれた。俺も、俺の部下も、逃げてきた者も皆受け入れて、それぞれの出来る限りをしながらここで過ごしてきた」
イーリオは「騎士」だ。その精神が地球にあるいわゆる「騎士道精神」と同じものなのかはわからないが、自動的に翻訳されて「騎士」になっているのだから、正義を胸に抱いた選ばれた戦士なのだろう。
そんなイーリオが、お尋ね者の盗賊を簡単に許すのだろうかと思っていたけれど――。
「そっか」
「もしも魔物たちをどうにかできたとしても、もう既に世界中が徹底的に壊されているから。再び家を建て、畑を作り、人々が故郷に戻って家族とまた一緒に暮らすために……。俺は、出来る限りをするとイーリオに誓った。それで過去を許してもらいたいと」
(許したんだ)
イーリオの鋭い瞳。彼は諦めていない。奪われ尽くされたものを必ず取り戻す。そう誓っているのかもしれないと思う。そしてメダルトの想いも本物なのだ。適当な嘘を言って、状況が好転したらすぐに裏切るような、そんな卑劣な人間ではない。
メダルトはイーリオを信じ、イーリオもメダルトを信じた。
青白い石の光を反射させて、元盗賊の男の瞳はきらきらと輝いている。
「ふたばが来てくれて本当に良かった。魔物達をあんなにあっさりと倒してしまうなんて、本当に驚いたよ」
メダルトは左手を胸に当て、右手をくるくると回す。
「どうかメーロワデイルに平和を。その光を持って魔を払い、世界が正しい形に戻されますように」
もう休んだ方がいいと優しい笑顔で促されて、ふたばは自分に割り振られた部屋へと戻っていた。小さな部屋の入り口には、扉がない。年頃の乙女相手にどういうことだと思わなくもないが、そんな贅沢を口に出せる状況ではない。
ベッドの上に横たわり、まぶたを閉じる。
メダルトが見せた笑顔。
まるで子供のような、キラキラとした瞳だった。
精霊に力を与えられた戦士への憧憬、尊敬に溢れていて、そのせいでふたばは言い出せなかった。
(千華は私の友達で)
(私が追い詰めたせいで、こんなになってしまって)
世界を救う。ふたばは救世主だ。絶望的な状況のメーロワデイルを救える、唯一の存在。
(私が原因なのに……)
千華がどのようにしてメーロワデイルへ来たのか。なぜこの地をここまで蹂躙しているのか。ふたばはその理由を知らない。詳しく知りたくなかった。
怖かったからだ。
(千華のことを考えるのも)
だって、思い出さなくてはいけないから。
(千華の事情を知ろうとするのも)
誰も何も、ふたばには告げなかった。
(考えてみたら……)
ふたばがひきこもっている間に、千華はいつ地球から姿を消したのだろう? 誰も、ふたばに告げなかったその事実。
(言えないか)
ふたばと千華の間に起きたとんでもない悲劇。クラスメイトの前で突き付けられた絶縁と積年の憎しみ。
なにか聞かれたところで、ふたばは外の世界をずっと断絶していたし。
(あれ?)
一度だけ、一度だけあった気がした。
ドア越しにやってきた、母親から、聞かれた気がする。
――ふたば。千華ちゃんがどこにいったかなんて……知らない、よね?
遠くかすんだ記憶の中ではっきりと蘇った言葉に、ふたばはぞくりと震えた。あれはいつだっただろう? どの季節で、何月で、何曜日だったか。母が来るのは大抵、水曜日か土曜日だった。ではあの日は? あの質問をされたのはいつだったか。ふたばはなんと答えた? いや、答えなかった。ひたすら心の中でこう、叫んでいただけだ。
知らない、知らない、知らない、知らない。
千華の行き先など知らない、千華の話なんて聞いてない、千華なんて名前、聞きたくない!
これ以上傷つきたくないと、固い殻の一番奥深くに閉じこもっていた頃だ。
(千華)
たった一人でこんな異世界で、言葉も通じないところで、どうしているのだろう。
洞窟の中は明るく照らされているし、大勢の人がいる。孤独も不安も薄れている。
そのせいか、代わりに悲しみが湧き出してきて、ふたばの心を満たしていった。
「ねえ、ヒューンル」
「ふわあい」
ふたばの隣で大の字になって、ハゲ精霊は眠そうに目をこすっている。
「千華はどうやって、この世界に来たの?」
「……わかんない」
いい加減な答えにイラつき、ふたばはヒューンルの小さな額を指で思いっきり弾いた。
「痛ぁっ!? 暴力反対!」
「アンタが適当に答えるからでしょ!?」
額を押さえた姿勢でコロコロ左右に転がりながら、精霊はこう答える。
「だってわかんないんだって。何度も言ってるでしょ? 僕の力をあげた相手はふたば。千華はあくまでオマケの、オプションなんだからねえ」
イーリオに向けられた言葉。
適正はあったが、資格はなかった――。
「精霊に力を与えられるのに必要な資格って、なに?」
転がるのをぴたりと止め、ヒューンルはちょこんと上半身を起こして座ると、ふたばにこう答えた。
「まずは、心に力があるかどうか」
「心に、力?」
「うん。その上でぇ」
右目の眼帯をちょこんといじり、精霊は胸を張ってふたばに告げる。
「君たちには見えないんだけれどね。真っ白に輝く魂を持っているかどうかなんだ。それが、精霊に力を与えられる資格だよ」
真っ白に輝く魂。
どのような物かはわからない。わからないが、ふたばがこう思った。
ロクェスにはきっとある。
イーリオにも。二人から感じる、世界を救おうという使命感。彼らは戦い、絶望の中にも目指すべきところを見失っていない。
――それが、そんな大層なものが自分の中にあるだろうか?
かつてはあったかもしれないと、少しくらいは思える。やたらと前向きで、正義の戦士に憧れていて、それになろうと一生懸命だった。
でも今は、違う。友人を散々傷つけて失い、どうしようもなく落ち込んで、すべてを拒否して孤独に浸って浸って、浸り続けて……。
自分の胸を押さえるふたばをよそに、ヒューンルはころんと横になると、すぐにすうすうと寝息を立て始めた。




