戦士の帰還
助かった子供は三人。隅々まで見て回ってわかったのは、それだけだった。
小さな子供たちは震え、メダルトの足や腰にしがみついて泣いている。
子守りは任せて、ふたばはひとり、慎重に何度も三つの建物の中を見て回った。
目を覆いたくなる惨状が広がっている。
一つは空、一つは血の海、もう一つは屍の山。
真ん中の建物でなにがあったのか、真っ白い顔で倒れている子供たちはいつ命を失ったのか。隅で折り重なるように倒れている子供達の前で立ち止まっていると、ふいに後ろから肩を叩かれ、ふたばは慌てて振り返った。
「エランジ……」
黙ったまま、無口な射手は外を指さしている。もう発たなくてはならない。ふたばはそれをすぐに理解して、重たい足を動かした。
(行かなきゃ)
イーリオたちのもとへ帰らなくてはならない。待っているのだから。三人を救ったのだから。魔物を倒したのだから。
(また……)
大勢の子供たちを、置いて行かなければならない。ニティカの時と同じこの状況に、どうしようもなく胸が痛んだ。してやりたいことがあるのに、してやれない。感傷に浸っている場合ではないとわかっていても、どうしようもなく哀しい。
それでも必死になって心を奮い立たせ、ふたばは歩いた。自分の名すら言えない子供の手を引いて丘を登り、ふたたび細い穴の中へ。水と食料をわけてやり、子供たちの頭を撫で、時には背負って。戦いに備えて周囲の様子を窺いながら、無言のままに来た道を戻った。
「よく戻った、ふたば」
入口にいた見張りから報告を受け、銀の騎士は走って来たようだ。軽く息を切らせながら、冷静な顔の中に歓びの色を浮かべながら、帰還した戦士の肩を順に叩いてねぎらって、連れて帰った子供たちを奥へ運ぶように指示を出している。
(なんか……)
三人もまずは少し休むように告げられ、洞窟の中を進んでいった。
(久しぶりに日本語聞いた)
先導するイーリオの背中に、ヒューンルがはりついている。なぜそのポジションにいるのか、つっこみたいが元気がない。メダルトもエランジも、なんの言葉も発しない。
(疲れた)
行きよりも、帰り道の方が長かった。子供たちを連れて歩いたせいで、時間と手間がかかっていた。
勿論、疲労の原因はそんな物理的なものだけではない。
洞窟の奥にある小さな部屋の中には、粗末な作りだったがベッドのようなものが置かれていた。カチカチの岩の上に布を一枚引いただけ、そんな野宿を続けてきた少女にとって、これほどのご褒美はなかった。中に何が入っているのかわからなかったが、ちょっとだけ柔らかいそれに突っ伏し、息を吐き、ふたばは目を閉じる。
(ああ)
壁に設置されている謎の石が放つ、青白い光が瞼の裏に焼け付きのように残っている。
(厳しいなあ……)
瞼を閉じた瞬間、涙が溢れ、鼻水が垂れた。
(一生懸命やったのに……)
今回の旅は「成功」だ。子供たちを救ったし、三人ともが傷を負わず、無事に戻って来たのだから。言葉の壁があったにも関わらず目的を果たし、魔物を殲滅してきた。戦っていた時間は恐らく、相当に短い。あの濃厚な数十分の間に、ふたばたちはこれ以上ない戦果をあげて帰ってきた。
(だけど)
心の中には冷たい隙間風が吹いている。
あの時、真ん中の建物で何が起きたのか。ふたばたちがあそこにたどり着いた時には生きていたであろう彼らの救出は、本当に不可能だったのか?
どうしても納得がいかなくて、どうしても自分の力が足りなかった気がして、どうしても悲しくて――。
「ふたばー、もしかしてちょっと痩せたー?」
心の底に溜まった悲哀に浸っているふたばにこんな声をかけてきたのは、勿論ヒューンルだった。気だるい気分を隠そうともせず、だらだらと涙をこすりながら起き上がると、ふたばの目の前には既にイーリオとロクェスが立っている。
「うぉう!」
その大声に、二人も驚きのあまり大きく後ずさっている。
「なんだ!」
「なんでもないけどっ!」
「ぶわっははは! 油断してたんでしょー、ふたば! 豚が寝てるみたいだったよー」
(ったくコイツだけは……!)
相変わらず失礼度MAXの精霊にプリプリと怒りながら、ふたばは立ち上がってスカートの裾をぱしぱしとはたいた。
「すまない、何度か声をかけたのだが」
「……全然、聞こえてなくて。ごめんなさい」
「いや、さぞ疲れただろう。もう少し休んでもらいたいとは思っているが、ちょうど食事の用意ができた。勇敢な三人の戦士の働きを皆で労いたい」
目の前に並んでいる金と銀の騎士は、大真面目な顔をしている。
ロクェスの誠実そうな顔がやけに懐かしく感じられたし、イーリオの表情が出発前よりも少し柔らかく感じられて、ふたばは素直に頷いてみせた。
「大丈夫。行きます」
「それは良かった」
くるりと振り返る二人の背中を追い、ふたばも部屋を出る。
メダルトとエランジ、二人と話したかった。あの二人が居たから勝てた。攻撃の主体になっていたのはふたばだったが、一人では無傷の帰還は難しかっただろう。
大きな体を丸めて歩くふたばに、ふわりとヒューンルが寄ってきて、肩に乗った。
「ねえねえロクェス、ふたばちょっと痩せたよね!」
耳のあたりをぽんぽんと叩いて、精霊は愉快そうな声で続ける。
「デコルテのラインがスッキリしちゃってさー! ほらほらこの辺、あごのラインがはっきりしてきたよお」
声をかけられた騎士は困惑した表情だ。それが、女性の容姿に対して口を出すなんてという心配りのせいなのか、ちっとも痩せたようには見えないからなのか。どちらなのかはわからない。わからないが。
(このクソ精霊!)
黙ったままヒューンルを掴み、床へ投げて、ふたばはズンズンと進んだ。
連れて行かれた先には、広い空間が広がっていた。壁のあちこちに光る石が備え付けられていて、とても明るい。大きなテーブルが置かれ、十人程が既に席について座っている。奥には大きな鍋があって、食欲をそそる香りが漂い、もちろんふたばの腹は素直に反応して「ぐう」と鳴る。
「ふたばはここへ」
長いテーブルの端、いわゆる「お誕生日席」の隣を指差され、ふたばはそこにゆっくりと座った。向かいにはイーリオが、その隣にロクェスが座るらしく椅子の傍らに立っている。ふたばの隣は空いていたが、すぐにメダルトとエランジがやってきて、そこに座った。
「諸君、報告がある」
二人が席に着くなり、イーリオが声をあげ、全員が視線を向けた。
「既に皆知っているだろうが、三人の戦士が戻った。子供たちを三人も救って、戻って来た」
メダルトが立ち上がり、ふたばの手を取る。
「ふたば、立ってくれ」
ゆっくりと立ち上がると、メダルトはふたばの手を握ったまま高く掲げ、大声でこう宣言した。
「皆、精霊の力を持つ勇者だ!」
その声に、全員が右手を自分の前にあげ、空中にぐるぐると円を描いて何かを呟くと言う反応をしている。
(なんだこれ)
意味はわからないが、メーロワデイル流のなにかなのだろう。その意味は後で聞くとして、今のこの状況はふたばにとって最高に照れくさい。
(でも……)
ただ、とにかくイーリオからの信頼は得られたのではないかと思う。歓迎されている雰囲気だし、「認められた」感がある。この後またネチネチと「本当にライラックムーンと戦う気があるのか」などと言いだしたりはしないだろうと、信じたい。
「では、食事をとろう」
先ほどとは逆回りに手をくるくると回し、全員がなにかを呟く。
(いただきます、かな)
曖昧に似たような動作をし、ふたばも出されたスープを口に入れていった。
(すごくまともだ)
テーブルと椅子がちゃんとある状況で食事をしたのはいつ以来だろう。皿に、スプーンのようなものもある。使いにくいが、まともに使える食器に妙に感動しながら、ふたばはしみじみと考えた。
(ここに来て何日だっけ……)
まだ、半月ほどしか経っていない。正確な日数はわからなかったが、おそらくは十五日かそこらしか経っていないはずだ。
あまりにも濃厚な日々に、ため息が出る。
(まだ痩せないわけだ)
ハードな生活を続けているが、一瞬で贅肉がなくなるような現象が起きるはずがない。腕や腹に乗ったお肉の量に、小さくため息を吐き出しながらも食べる。
「ふたば、体の調子はどうだ?」
ふう、と吐いた息に気が付いたのか、隣からメダルトが声をかけてきた。
「大丈夫だよ」
「そうか、すごいんだな、お前は。本当に強かった。さすがは精霊の力を持った戦士だ」
「ふたばは規格外だからねえ!」
どこからともなく飛んできたヒューンルは、紫色のなにかを食べている。果実と思わしきそれをかじっては口の周りを紫色に染め、口の中をいっぱいにしたまま頬の筋肉を動かしていた。
「確かに、そんな感じだな」
じろじろと見つめながら言われては、とても褒め言葉には聞こえない。しかしふたばはそれに気を悪くするのをやめて、かわりにメダルトの活躍について話した。
「メダルトのお蔭で勝てたと思ってる。すごく冷静だったし、魔物に止めを刺してくれたから助かった。それに、エランジの弓の腕も凄かった。最後の飛んでた魔物、全然気が付いてなかったし」
「そうかそうか。いや、あの剣のお蔭だ。ジョギャの爺さんはいい仕事をした!」
エランジは反応を見せず、黙々と食事を進めている。
皿の中に入っているスープは美味しかった。少なくとも、メーロワデイルに来てから食べたものの中で一番美味しかったとふたばは思う。
「ここって食料、どうやって調達してるの?」
「森で獣を狩るのさ。木の実もある」
ここでふたばはようやく気が付いたが、皆食事に集中しているらしく、話をしている者がいない。自分とメダルトの声ばかりが響いている状態だ。
(もしかしてお行儀が悪い?)
主催はなんといっても「騎士」の二人組だ。食事中に無駄口を叩くだろうか? 労いたいと言われたのだから、なんらかのトークがあってもよさそうな気もするが。
それは食事が済んだ後なのかもしれない。
(そういえば……)
イーリオはカルティオーネの騎士で、メダルトとエランジはプロレラロルの人間だと言った。他に名を聞いたのは、最初に間違って矢を射かけてきたミミッテと、ジョギャという鍛冶師らしき老人しかいないが、ここにいる人員の構成はどうなっているのだろう。そもそも取り仕切っているのはイーリオで間違いないのか?
(なーんにも知らないまま、とりあえず出発しちゃったもんなあ)
しかも言葉が通じないままの五日間だった。この間に得た知識と言えば、メーロワデイル語で「まず」は、多分「ガッ」なのだろう、くらいだ。
全員が皿を空にすると、全員が立ち上がって食器を片付けていき、ぞろぞろと部屋を出て行ってしまった。イーリオとロクェスも二人で去って行ってしまい、ふたばは何処になにがあるのやら、これから自分がどうすべきなのかまったくわからず、困惑している。
(労いタイムは?)
それにしても道案内をしてくれる者すらいないとは、不安な状況だ。
ほんのりと不安気な色を付けて、小さな声で最後の頼みの綱を呼ぶ。
「ヒューンル?」
「なあに、ふたば」
ばあ、と椅子の下から出てきたいたずら精霊の姿に安心すると、ふたばも広い部屋を後にした。
「私はどこに行ったらいいのかな」
「今日はもう終わりだよ。ふたばのお部屋用意してるから、さっきのところだけど、そこに行けばいいよ」
「そう」
なにも確認しないまま、今日は疲れているからと、ぐっすり眠ることなどできるだろうか。
(あの子供達、どうなったかな)
小さな子供だった。せいぜい、四歳か五歳か、そんな程度だったように思う。
「ヒューンル、助けた子供たちは?」
「行ってみる?」
「……うん」
洞窟の中を歩いていく。静かでひんやりとした岩の壁が続く景色の中、時折見知らぬ誰かとすれ違い、その度にいちいち「胸に左手を当てて、右手をくるりと回されるジェスチャー」をされながら進む。
「あれってなんなの? くるくるするの」
「精霊の力を持った戦士を称える動きだよ」
「へえ」
それは恥ずかしい、と思いながらも進む。
緩やかに右へ左へくねくねと曲がる道を進んで行った先。小さな部屋に、子供たちが居た。
「ふたば!」
入るなり出迎えてくれたのはリムラで、ふたばのつけたリボンをはためかせながら駆けてくると、思いっきり抱き付いてきた。
「リムラ」
予想外の歓待に、ふたばの頬はふわりと緩む。
腿の辺りにしがみついてくる小さな体が温かい。
「ふたば、無事で良かった」
後からやってきたジャンドのこんな言葉に、ついに涙がこぼれてふたばの視界は霞んだ。
涙を滲ませる精霊の戦士へ、ジャンドは左手を胸に当て、右手をくるくる回してみせた。




