越えろ、デッドライン
振り下ろした剣が爪に弾かれ、メダルトがよろける。そこにのしかかってきた獣に向かってふたばは駆け、思い切りステッキを振った。
(ボールじゃ駄目だ!)
強い思いが新しい力に変わる。ステッキからは赤みの強いピンク色の光が伸びて、獣を打った。
ぎゃるん、と声を上げて獣が怯む。
「どけっ!」
まだメダルトの左足の上に、斑模様の前足がかけられている。光でできた鞭を振り上げ、ふたばは再び獣を打った。
「ふたば!」
獣の咆哮と鬼気迫る声が同時に上がる。振り返ると背後にもう一体、黄色い六本足が走ってきている。
(ヤバい)
紫斑の獣は強い。苦戦した思い出が頭をかすめ、ふたばの心の中に暗い感情が撒き散らかされていく。
「うおおお!」
そんな揺れる一瞬をメダルトの叫びが引き裂いた。剣を振り上げ、獣に斬りかかっていく。毛皮の紫色の部分を切るが、浅い。
「メダルト!」
矢が飛んできて、新たに現れた黄色の六本足の腹に刺さる。そこに鞭の一撃を入れて、ふたばは振り返り、すぐさま駆けた。
(負けないって決めたじゃないか!)
できない、勝てないと思ったら終わり。欲張ると決めた。みんな助けるし、誰も死なせない。全力を尽くすと、誓った。
メダルトの肩にかみつこうとする獣の頭に、ふたばは全力で突っ込む。
光をまとい、攻撃力を増してぶつかるシャイニングヘヴィアタック。口の中に並んだギザギザの牙をへし折り、大きな体の獣を思い切り吹っ飛ばしてやる。
折れた牙のかけらが宙をくるくると舞い、地面にぼろぼろと落ちていく。
(体重乗ってる!)
ヘヴィアタックは以前よりも随分強くなっているようだ。体に溜め込んだお肉の力の思わぬパワーに、ふたばは思わず苦笑い。
そして、すぐに振り返って黄色の六本足に備える。その途中に、崩れた建物の中がちらりと見えた気がした。奥に子供たちがいる。怯えた様子で、隅に固まっている。恐ろしい戦いをじっと身をすくませたまま見つめている。
「待ってて」
助けるために来た。助けて連れて帰るために来た。ビビっている場合ではない。怯えてるヒマなんてない。
いつの間にか二本の矢を胴に受けていた黄色の六本足にも、思いっきり体当たりを食らわして吹っ飛ばす。体中の血がグラグラと沸騰しているかのようで、手も足も、指先まで熱かった。
飛んで壁にぶち当たって落ちた獣にメダルトが駆け寄っていく。剣を喉元に突き立て止めを刺して、辺りの様子を窺っている。魔物は皆、もう動かない。壁の染みになるか、喉元に剣を突き立てられて地の上に屍を晒している。
髭の男が叫ぶ。
「ディーディ、レネーゼ オーシ!」
それはどうやらふたばにではなく、子供たちに向けられたもののようだった。返事はないが、きっと届いているだろう。意味はわからないが、恐らくは勇気づけるような言葉だろうとふたばは感じていた。
(まだいるか?)
ここまで、八体の魔物を倒している。メダルトの言った十体が本当なのか、現在進行形でこの場所にいるのか。用心深く辺りを見回しながら、ふたばはメダルトのもとへ駆け寄った。互いの背中をカバーするような位置に立って、それぞれの武器を構えて立つ。
散々叫び、魔物を蹴散らした。建物が崩れて大きな音もした。魔物が近くにいたのなら、それらは聞こえているはずだ。まだいるのなら、既に襲い掛かってきているはず――。
次の瞬間、空から黒いものが落下してきた。翼の生えた細身の魔物が地面に激突して、弾ける。頭には矢が刺さっていた。どうやらエランジが撃墜したらしい。メダルトがすぐに駆け寄って、ビクビクと震える体から頭を切り落として、これで九体。
(結構戦い慣れてる感じだけど)
直視するのがまだ少し怖い、地面に広がる不気味な色と匂いの血だまり。ふたばが直視しないそれに、髭の男は顔色一つ変えなかった。さすが「付いて行く」と名乗りをあげただけはある。
メダルトが見上げている丘の上では、無口な射手が手を挙げていた。手を大きく振っていて、何か合図をしているように感じられる姿だ。
「ふたば、クラル ロー パーズ」
メダルトに袖を引っ張られ、歩く。
(なんだろ)
建物の周りをぐるりと回っていく。
エランジが振っていた手。目がいいと言っていた彼の役目は、射撃の他にもきっとある。何かあった時の連絡役と、そして。
(敵の確認……とか)
ふたばが気づかなかった、空を飛んでいた魔物。地上での戦いで必死になっている中で見逃していたそれを射落としている。高いところから、ふたばたちにはわからない角度に潜む物を見つけて知らせてくれた。
(すごいな)
敵を逃さない視力と弓の腕。一緒に来た二人はこの上なく頼もしい戦士だったらしい。
息を吐き出すと、ふたばの体の中の熱がすうっと冷めていった。戦いの中で必要な熱さの代わりに今必要な物は、冷静さだ。何処かにまだ潜んでいる敵がいるかもしれない。もしいたら、即座に反応しなくてはならない。どんな姿の物が出てきても、どんな大きさ、どんな凶悪さでも、ビビって腰を抜かすなんてとても許されない。
(大丈夫だ)
蜘蛛の気色悪さも、黄色い六本足の大きさも平気だった。普通の十七歳の女の子なら悲鳴を上げて逃げ出すか、地面へへたりこむところだろう。
(戦士なんだから)
ステッキを強く握り、周囲へ目をやる。建物の壁に窓はないようだ。裏側にまわると扉があったが、メダルトはそれを素通りしていく。
(安全が確認できてから)
弱った子供達が相手なら、魔物は簡単にモリで串刺しにするだろうし、引き裂くだろうし、噛みちぎるだろう。だからまず、敵がいないと確信できるまで、見ていくしかない。
大きく建物の周囲をまわったが、魔物の姿はなかった。
「メダルト」
建物の陰、遠くに見える茂み、空へ視線を動かしながら、ふたばは声をかける。外にはもう敵はいないのではないかと。
「フニャルカー ロー パーズ ティーマ」
「ふにゃるかー」
間抜けな響きの単語を思わず繰り返してしまっただけだったが、こう返したふたばにメダルトは力強く頷いた。ずっと深刻だった表情がふっと緩み、白い歯がキラリと輝く。そして叫んだ。
「ディーディ、アロー ラーセ!」
それは多分、子供たちへの呼びかけだ。ふたばはそう思った。魔物達を蹴散らした後、建物の周囲を見に行く前にもメダルトは叫んでいた。
(ディーディって)
子供たちを差す言葉ではないか。見回りの前には「待っていてくれ」、今のはきっと「もう大丈夫だ」とか、そんな意味の呼びかけだったのではないかとふたばは思う。
しかし、返事がない。
空気がかすかに揺れている。
優しい微風が草木を揺らし、ふたばの頬を撫でていく。
スカートのヒラヒラとリボンがふわりと靡いて、ふたばの膝をくすぐる。
(……静かすぎない?)
三つある建物のうち、真ん中の壁は崩れている。あの中に見たはずだ。子供たちが隅っこに固まって怯えていたのを。
(あれ)
自信が揺らぐ。本当に見ただろうか。見た気になっていただけではないか。そんな気分になった途端、心臓の動きが一気に加速し始めていた。ここまでの疲労が途端に体にのしかかってきて重い。膝が笑い出し、景色がぐらぐらと揺れる。
(出てきてもいいのに)
メダルトが呼びかけたのだから、安心して飛び出してきていいはずだ。それとも、信じられずに出て来られないでいるのだろうか。それとも、体が弱っていて動けないのか。
それとも、呼びかけている訳ではないのか。
ちらりとメダルトの顔を見上げる。
浮かんでいるのは、困惑と焦燥。もじゃもじゃとした髭の中に見え隠れする不安の色に、ふたばの背にうすら寒いものが走っていく。
「誰かいないの!」
たまらなくなって叫ぶ。叫びはぼろぼろの建物の壁にぶつかって跳ね返り、草原に吹く風の中に消えていく。
「メダルト」
二人は顔を見合わせ、そして走った。壁の崩れた建物の中を覗き込み、そして、絶句する。子供たちがいる。しかし、倒れている。暗くてよく見えない。だが、動かない。
(なんで?)
最初からこうだったのだろうか。この中に生きている者はいなかったのか? いや違う。あの時、魔物を壁に叩きつけて崩した時に悲鳴があがったはずだ。キャアとか、わあ、とか。甲高い声が聞こえたはずだ。あの時崩れた壁の下敷きになったのなら、あんな奥に倒れているわけがない。彼らは驚いて、悲鳴を上げながら逃げた。逃げて、あの奥へ行ったのだ。
(それから……、それから?)
息も絶え絶えの状態で逃げて、そこで力が尽きてしまったのか。全員が? 何人も何人も倒れている。一人くらい起き上がって、助けが来たと喜んでもいいのに。
不自然過ぎる状況に、鼓動がますます早まっていく。
汗が止まらない。
散々走って、戦ったから。
(ちがう)
不安で不安でたまらないからだ。これは「体を動かしたから」かいた汗じゃない。恐怖の余り出てきたものだ。じっとりとしていて、熱い。目から流れ落ちそうになっているのもそう。どうして、どうして。わからない。
「ふたば」
茫然とする少女の手を取り、メダルトが引く。隣の小屋へ走り、扉の前に立つ。
「ペラーニ チコ」
ボロボロの取っ手に手をかけたまま、メダルトはふたばの顔を覗き込んできた。
「アロー ラーセ。ふたば、ニモーラ コル パパズ!」
ばしんと左の二の腕が叩かれて、贅肉がぶるんと揺れる。
その感覚が頭まで響いて、ふたばはようやく気持ちを切り替え始めた。
(中に入るんだ。そうだ。だって、あと二つある。中を確認して、敵がいたら倒して、救える者はみんな救うんだ)
メダルトに向かって頷き、ふたばは右手の中のステッキを握りしめた。手袋の中が汗で湿っていて冷たい。握った瞬間、きゅっと小さく音が鳴った。
(なにかいるのかもしれない)
真ん中の建物の子供たちを、こっそりと襲った何かがいるかもしれない。そう考えると一気に、ふたばの内側には火がついた。
一人でもいいから。
犠牲が出たとしても、それに捉われていては救える者も救えない。
「大丈夫、行けるよ」
言葉は通じなくとも、メダルトはふたばの表情からその決意を読み取ったらしい。力強く頷き、扉にかけた手を引き――。
「デデ アーセラン ピーヨー!」
ぎし、と音が鳴った瞬間、叫び声が聞こえた。
内側から掠れた幼い声が響き、続いて上がったのは、耳を覆いたくなるような悲鳴。
(目を逸らすな!)
中に光りが差し込む。暗い暗い建物の中、踏み込んだ途端に漂う、血の匂い。浮かび上がる禍々しい影。泣き叫ぶ声、転がるように飛び出してきた小さな体。
逃げ惑う子供たちに押されてよろけながらも、ふたばは進んだ。
「やめろっ!」
見上げるほどの高さの細長い体。何色かはまだ見えないが、黒に近い濃さなのだろう。影そのもののような、細い細い人型の魔物。それはまるで、絵本で見た「悪魔」のようだった。手に持った槍には小さな体が突き刺さってぶら下がっている。
涙がどっと溢れて流れた。
ステッキが光る。ふたばの歯が鳴るのと同時に、いくつもの光の弾が浮かんで屋内を照らし、惨状がはっきりと明らかになっていく。
眩しさに目を覆う魔物めがけて、ふたばは光の弾をぶつけた。これまでのどんな戦いよりも激しく、いつまでもいつまでもぶつけ続けた。抵抗する術もなく、魔物の体は粉々になって消し飛んでいく。悲鳴を上げる暇すら与えず、かけらも残さずにすべて吹き飛ばして、槍だけが残って床へと落ちた。
槍と一緒に、犠牲になった子供の体も落ちてきて、床に血の海を作っていく。
泣きながら振り返ると、メダルトが三人の子供を抱きしめていた。
苦しそうに、悔しそうに、歯を食いしばりながら、泣きじゃくる子供を抱いている。
他に動く者はいない。それを確認すると四人を残し、ふたばは残ったもう一つの建物へと走った。
扉を開けてみたが、最後の建物の中には、誰もいなかった。




