突撃、逆落とし
細い細い穴の中の頼りない道に徐々に傾斜がついて、急な上り坂に変わっていった。ぜえぜえと息を切らせながら進むふたばの額の汗を、差し込んできた細い光が照らす。
(出口かな)
ふいに光の量が増した。エランジが先に穴を抜けたらしく、ふたばの視線の先には大きな大きな真っ白い丸が浮かび上がっていた。眩さに目を細め、ようやく抜けられる喜びを原動力に、進む速度を上げていく。
「わあ」
抜けた先は小高い丘の上だった。眼下には丸く広がる草原。その周りを囲むように森が広がっている。メダルトもすぐに穴から出てきて、体を伸ばし、景色を眺めているふたばの肩を叩いた。
「ザツァッポ リーンド ネラ ポーラリンド」
「あの森はもう、ポーラリンドなの?」
プロレラロルの渓谷を抜け、ポーラリンドの森を行く。ヒューンルはそう言っていたはずだ。プロレラロルは東西に長い国で、南北に抜けるにはそう時間がかからないと。
曖昧なメーロワデイルの地図を頭の中に思い描きながら、ふたばは広がる森の向こうを見つめた。
(じゃあ、あの森の先がカルティオーネだ)
ここからはまだ見えないが、「千華がいる場所」に近付いている。
(魔物がひしめいちゃってるんじゃないのかな)
上手くいく可能性は低い。ヒューンルもそう断言している。
(でも行かなきゃ)
自分は、強いのだから。
精霊は嘘をつかない。嘘をつけない。だから信じて、進むしかない。
「ふたば、ザツァッチ ランネラッテ ドマ リンズ リーセイ」
「ん?」
メダルトは大真面目な顔で丘の下を指差していた。いつもは豪快に笑っている男は鬼気迫る表情で、廃屋のような建物を睨みつけている。
(あれか)
三つ並んでいる赤茶けた屋根。上から見ただけでは素材はわからないが、ところどころに穴が開いていた。
(あの中に、子供たちがいる)
ごくりと音が鳴る。唾を呑み込んだ音がこれほど大きく響いたことがあっただろうかとふたばは思う。
(つまり、魔物もいるんだ)
これまでに戦いは三回あった。けれど、いっぺんに現れた魔物の数は一体か二体だけ。今度はどうだろう。一度に大量に現れたら。もしも子供たちを人質にとられたら?
高鳴り始める鼓動。
(落ち着け)
胸を手で押さえ、息を吐いていく。
魔物達に高い知性はないはずだ。
抵抗しない者は捕えて連れて行き、逆らう者は容赦なく殺す。
人質を取って、武器を捨てろだの抵抗するなだの、言ってくる可能性は低そうに思える。
(戦って、倒す)
それだけだ。とにかく、倒す以外にない。子供達が建物の中にいるのなら、外で戦う。全部倒して、まずは安全を確保する。
(ああ、もう)
メダルトとエランジ、二人に言葉が通じない状況がもどかしい。まず最初に、どのように戦うかざっくりとでも決めてくるべきだった。
顔をしかめるふたばの肩を、誰かが叩く。
振り返るとエランジが立っており、手に持っていた矢で地面に絵を描き始めた。
三つの四角。それはおそらく、子供たちがいる建物をさしているのだろう。その四角の下に一本の線が描かれて、更に線の下に一つ、丸が描かれる。
「これは?」
ふたばの質問に、エランジが頷いて答える。
「エランジ、ルールー カッテ」
(しゃべった)
どうやらエランジは極端に無口なだけだったようだ。
丸の隣には何かわからないが、記号のようなものが書かれていく。
(字かな?)
記号を指差し、無口な男がまたしゃべる。
「エランジ」
「ああ」
建物の下に引かれた線が意味するのは、今いる「丘の上」だ。エランジはそこに待機する。そういう意味なのだとわかって、ふたばは大きく頷いた。
「エランジはここにいるのね」
「ヨーシ」
背中に背負っていた弓を出し、エランジは頷く。
(届くのかな、それ)
目が良いとは聞いていたが、弓の名手だとは聞いていない。どの程度アシストしてもらえるかは未知数だったが、なんにせよ一人はここに残らなければならないだろう。もしもやられてしまったら。そんなIFが起きた場合、イーリオたちのところへ伝えに戻る役は必要なのだから。
「わかった。エランジはここ」
ふたばが頷くと次に、建物のすぐそばにもう一つ丸が描かれた。丸のふちには、ぎざぎざとした線が添えられる。
「メダルト、ハールー カッテ」
(髭か)
メダルトは力強く頷き、腰に提げている剣の柄をぽんぽんと叩く。
「メダルト イーデ コルオ カッテ ミープ」
「ヨーズ ヨーズ ラッツィ!」
(くっそう……)
ここまでの道中、ロクェスにちょっとくらいはメーロワデイル語を習っておくべきだったと後悔しつつ、ふたばは地面に描かれた図を見つめる。
「デン ふたば チー」
ぐぐぐ、と、長い線が引かれていった。弧を描くように、丘の上から建物へ。
「ん?」
「ガッ メダルト イーデ ミープ。オウ ふたば デン チー」
(おうデンチー?)
顔をしかめるふたばを見て、エランジはまずメダルトの丸を矢の先で叩いた。
「ガッ メダルト」
「メダルト……」
そして、長い線がなぞられていく。
「デン ふたば チー」
(わかった!)
「まずはメダルトが行って、それで、私が後から行くんだね?」
メダルトが行って敵を引きつけ、ふたばがサイドから叩く。そういう作戦なのだろう。
(なるほど)
敵が何処にいるかわからない状況で戦うのは不利だ。だからまず、メダルトが囮になって魔物を集める。そうしたらふたばが行って、ぶっ飛ばす。
「ふたば、ルウ ミ オオシンテ ブラーツ。ブラーツ レラロシーシ」
メダルトが手を伸ばしてきて、ふたばの腕を掴む。髭もじゃの男はいつもの笑みではなく、決意の表情を浮かべている。
(頼んだぞとか、そんな感じかな……?)
ふたばの腕を掴んだままメダルトは目を閉じ、エランジもその上に手を重ね、彼もまた目を閉じた。
聞き慣れない言葉がメダルトの口から発せられていく。なにを言っているのかはわからないが、それが、戦いの前の祈りなのだとふたばにはすぐにわかった。せめて思いだけは同じにしようと決め、ふたばも目を閉じる。
(絶対帰る。三人とも無事で、子供たちもできる限り一緒に)
絶対に引かない。怯まない。恐れない。そして、負けない。勝ち取るのは自分たちの命、子供たちの自由、そして、信頼。メーロワデイルのために戦う戦士なのだと、イーリオに認めてもらわなければならない。
重ねていた手が離れて、右に左に振ったら、祈りは終わりだ。
「ふたば」
エランジからすっと差し出されたものは、ふたばを昨日の夜散々浮かれさせた「肉」だった。
「ありがと」
戦いの前の腹ごしらえを済ませ、水を飲む。
そして水袋をしまったらもう、「その時」だった。
エランジは弓を持ち、身を隠せる林の中へ移動していく。
それを見送るとメダルトは不敵な笑みを浮かべて、ふたばの手を引いた。
「ヨーズ レー コッチ!」
「えっ?」
作戦は突如スタートした。てっきり丘を降りるルートがあると思っていた呑気なふたばの手を引いて、メダルトは丘の斜面を駆け下りていく。
「ぶわっ!」
崖と言っていいであろう急斜面を、髭もじゃとふとっちょが勢いよく降りて行く。
「嘘、嘘、嘘ーっ!」
今までに経験したことのない速さで足を回転させて、ふたばは駆ける。駆ける。駆け抜ける。
(魔物に気付かれる!)
悲鳴を必死で封印し、涙を風で吹き飛ばしながら、あっという間に下の平地へ。
うまく減速が出来ず、ふたばはごろごろと大きな茂みの中へ転がり込んだ。細かい枝が腕に足に、おまけに頬にまで突き刺さる。
(痛っ、痛っ!)
そんなふたばに構わず、メダルトは勢いのままに建物の方へ駆けて行った。
(このまま行くの?)
わからない言葉の中に、このスピードについても述べられていたのだろうか。急斜面を駆け下りて、その勢いのまま突入するぞと。
(聞いていないわー)
苦情を言っている暇もなく、メダルトはもう建物の近くに辿り着いていた。彼が大声をあげ、魔物が気が付いて出てくればもうふたばの出番だ。すぐに攻撃を繰り出して魔物を倒さなければ、メダルトが危ない。
(ヤバいじゃん)
ステッキを手の中に呼び出し、準備を始める。遠距離攻撃だ。シャインボールアタックを繰り出そうと決めて、ぶっとい指に力をこめる。少しずつ光が集まって、球体を作っていく。
「マーニモー!」
メダルトの叫びが轟いた。
あの時の、ニティカと同じ台詞。森の中で魔物が現れて、槍を構えて震えながら叫んだ言葉。
さあ来い、魔物たち。そんな意味の言葉なのだろうか。
(ニティカ!)
高潔な魂は神に選ばれ、再び勇敢な戦士としてまた生まれてくる。
(私たちに力を貸して!)
大地の門、神の国の入口でロイなんとかを待っている。勇気溢れる少女を、メーロワデイルの神は特別に選んでくれるはずだ。だって、今こうして、ふたばに力を与えている。
メダルトの雄叫びを聞きつけた魔物が、手前の建物の陰から姿を現していた。ひょろりとした青い体の悪魔が二体走ってきて、翼を持つ者が上から、更に奥から真っ黄色の六本足の獣が奥の建物の向こうから姿を現している。
(多っ!)
多いがそれも「まずは」と考えなくてはならない。とりあえず四体。剣を高く掲げて身構えるメダルトに、既に翼の魔物が迫っている。
「うわああああ!」
ふたばも駆ける。息切れしている体を強引に動かして、作っておいた光の球を投げつける。
突然現れたもう一人に、魔物達の動きが一瞬止まった。
シャインボールが飛んで、翼の魔物にぶつかって、更に駆けながらもう一つ。
「シャインボール、アターック!」
全力、全力、全力で行くしかない。走って、投げて、ぶつけて、落とす! 翼の魔物は無様に落下していき、すかさずメダルトが剣を突き刺して止めを刺す。
「まだまだ!」
仲間がやられ、黄色い獣が吼えた。とてつもなく大きな声に大地が震える。髭の男が体をすくませ、ふたばの足もよろけたが、次の瞬間咆哮は止んだ。
矢が獣の瞳に突き刺さっている。
(すごっ)
エランジの放った矢なのだろう。目がいいと言っていたが、どれだけ見えるのか。弓も随分得意だったらしい。
感心しながらも、油断はしない。体を立て直し、走って走って、走りながらもう一つ。輝く光の球を、青い体の魔物に向かって放つ。
シャインボールアタックを避けられずに、細い体はど真ん中でちぎれ飛んで、建物にまっ黒い染みをつけた。グロテスクな光景に歯を食いしばりながら、ふたばはまだまだ駆ける。メダルトは剣を構え、黄色い六本足を牽制している。片目を奪われて怒り狂う獣が、雄叫びをあげながら跳ぶ。
「ホールドループ!」
輪を作って投げ、空中で捕える。六本足の黄色い獣の体は大きく、重たい。
「うおおおおお!」
叫んで気合を入れ、宙でぐるりと回して思いっきり投げつける。ついでに青い体の魔物も巻き込んで真ん中の建物にぶつけると、壁は凄まじい音を立てて崩れた。途端に上がる悲鳴。細くて高い、子供たちの声が聞こえてくる。
「ふたば!」
メダルトの叫び。嫌な予感。新手の登場――!
ループを引っ込め、振り返る。既に髭もじゃの下へ駆け寄っている、巨大な蜘蛛のような何か。
「キモッ!」
遠くからまた矢が射掛けられて、片方の蜘蛛に刺さる。が、止まらない。足は十本。サカサカと素早く動かしながら迫ってくる。
気味悪がりながらも光の球を作っては投げつけ、ぶつけていく。蜘蛛はもう、メダルトの目の前。矢が飛んできてまた突き刺さる。しかし蜘蛛は怯まない。剣が振られて足の先を切り落とす。でも、まだあと九本ある。
「メダルトーッ!」
危ない、危ない、危ない!
また「あんなこと」になるのは。
(嫌だ!)
ふたばの力が溢れて弾ける。まるでマシンガンのようにふたばの体から光の弾が打ち出されていった。メダルトの体を避け、魔物だけに向けられている。ちぎれていく体、噴き出す怪しげな色の血。ぞろぞろと生えている足を折り、体に穴を開けていく。巨大な蜘蛛は粉々になって吹き飛んでいく。
メダルトの向こうには、蜘蛛の血が作った霧が浮かんでいた。
その向こうから、もう一体。
ふたばにとっては思い出のアイツ。
紫と白、斑模様の獣は霧の中にゆらりと現れたかと思うと地面を蹴って跳び、メダルトに襲い掛かった。




