魔法少女は立ち上がる
見張りを残してイーリオが立ち去り、ふたばはじっと座ったまま、ただ待っていた。
やがて戻って来た銀の騎士の隣にはロクェスの姿があった。金の騎士は安堵の息を漏らし、柔らかく微笑みを浮かべている。
「ふたば、良かった」
「良くない。私はその娘を信用したわけではないんだ」
イーリオの冷たい声に、ロクェスは力なくうなだれている。真面目そうな顔の真ん中に力を入れて、どうしたらかつての同僚に理解してもらえるのか、考えているのだろう。
心配りに感謝しつつ、ふたばは声をあげた。
「仕方ないよ。信じろったって、いきなり信じられる訳ないもん」
この言葉に、イーリオもその後ろにいた男たちも意外そうな表情を浮かべている。
「ほう。そう思うのか?」
「もちろん。立場が逆だったら私だって、あなたたちを頭っから信じたりしない」
異世界からやってきた「騎士」。マントの下には薄汚れた鎧。
突然そんな奴らが現われたら、「なんだこのコスプレ変態男は」と大勢が思うに違いない。
そう思うふたばの中に、ふっと湧き出る思いがあった。
(そうでもないか)
千華と決別する前の自分なら。騎士、異世界、わあ素敵! カッコいい、その剣と鎧は本物? くらいは言うかもしれない。無邪気に非・日常に喜んで、ロマンが溢れていると勘違いしてときめき騒いでいただろう。
(ああ、そうか)
今なら、千華の気持ちが少しくらいはわかる。どれだけ能天気で、自分本位で、夢見る少女だったか。自分の幼さが痛々しく感じられて、ふたばも俯く。
「わかってもらえてなによりだ」
カツン、カツンと足音が響く。靴についている金属の部品が、床に当たって響く音だ。
イーリオはテーブルの周りをぐるりと進むと、ふたばの前に立った。
「このままお前を行かせる訳にはいかない。我が友ロクェス・ウルバルドの連れてきた戦士であり、嘘を吐けない精霊が証言をしているが、しかし……」
どんな条件が提示されるのか、ふたばの体に緊張が走る。
「今、世界を覆っている闇は余りにも濃く深い。その根源である悪の女王のかつての友人であったなどと言われては……。このまま行かせるのは余りにも恐ろしい賭けだ。私はそう感じている。そこで」
「そこで?」
「ここから北へ向かった先に大勢が、子供たちが捕らわれている場所があるのだ。見張りの魔物を倒し、救出してきてもらいたい」
プロレラロルの北、渓谷を抜けた先、もう少しでポーラリンドに入る場所。谷と森のはざま、ぽっかりと平原が広がっているそこに、子供たちが捕らわれている。
畑を耕せる者、屈強な者、なんらかの技術がある者たちはそれぞれ、ふさわしい地へ送られる。従順な者はカルティオーネの城へ。人質としての価値があるものも、あちこちの重要な拠点で捕らわれている。
それ以外について、反抗する者は殺されるが、特に「使い道がない者」はあちこちに集められ、魔物の監視下で暮らしているのだとイーリオは話した。
惨たらしいが間違いなく、それがメーロワデイルの容赦ない現在進行形の姿で。
「彼らは不潔で劣悪な環境に置かれていて、命を落とした者は皆、翼の生えた魔物が谷に投げ込みに来る。ここから少し東にある、深い深い谷の底へ、暗い影が投げ込まれていくんだ! ……その光景をもう二度と見たくない。我々は、そう思って準備を進めてきた」
胸がぎゅうんとすくむ。
ふたばの脳裏には、ニティカの笑顔が浮かんでいた。最後の最後、敵を倒したと思った瞬間の、安堵の笑顔。怖くて仕方なかった戦いが終わったんだと思って浮かべた、あの笑顔。
スカートのひらひらをぎゅうぎゅうと握りしめ、歯も食いしばって、ふたばはぶるりと震えた。
「わかった」
「ふたば」
ロクェスの声は不安げだ。
「いいの。大丈夫、行くよ。どのくらい魔物がいるのかわかんないけど、全部ぶっ飛ばせばいいんでしょう?」
そんな単純な話ではないと、ふたばもわかっている。けれど、そう思っても気持ちは変わらなかった。まだ働き手として選ばれない、年端のいかない幼い子供たちが苦しんでいる。ジャンドとリムラ、彼らのように、できるならば救ってやりたい。せめて安心して眠れる場所へ連れ出してやりたいと心の底から思う。
「魔物の数はさほど多くはない。そこにいるのは子供たちばかりだからだろう。我々は武器を用意し、備えてきた。一刻も早く行きたいと願って来た。そこに、お前が来た」
イーリオの言葉に、ふたばは力強く頷いた。異世界から来た戦士。精霊の力を持った、唯一の存在。
ふたばはイーリオたちにとって「幸運」だ。
――それが、信頼に値する者ならば。
イーリオの目は鋭いが、奥にはロクェス同様、悲愴が隠されている。この場所のリーダーである彼はきっと、他人に弱いところを見せられないのだろう。いつでも強く、冷静であらねばならない。そんな彼の中から滲み出るやるせなさに、ふたばの心は強く打たれていた。
「私は……、私は、この世界の今の有り様が辛い。見ていて辛い。とてもとても不幸で、辛くて仕方ない。千華がこんなことをするなんて信じられないと思っていたけど、でも……、本当だったから。だから私は、千華を許せないし、許さないって決めた。ここに来るまでの短い間に思い知って、強く決めた。だから、行く。それで、一人でも多くを救う」
目からぽろりと涙が落ちて、床の上で弾けていく。
ぶるぶると震えながら立つふたばに、イーリオは告げる。
「これはとても危険な仕事だ。どれだけお前が強くとも、守りながら戦うのは難しい。全員を無事にとは言わない。今言った通り、一人でも多く救ってくれればいい」
ごくりと唾を呑み込んで、ふたばは頷いた。
ふたばが言った「一人でも多く」は、大勢を救うという意味だ。しかし、イーリオの「一人でも多く」は違う。たった一人でも構わない。とにかく、救える命があるならそれでいいという意味。それに気が付いて、ふたばは強く目を閉じた。
そう、誰かを守りながら戦うのは本当に難しい。
(出来るだろうか)
もしも失敗して、子供たちの屍の山が築かれてしまったら――。
(いや、やるんだ。一人でもいいから、救うんだ)
恐れてやらないよりも、たとえ多少の失敗があってもやる。出来る限り失敗しないように、最大限の努力をする。
道中で散々誓ってきた。ニティカを思いながら、家族を思い出しながら、心に決めてきた。
震えながらも力を込めるふたばに、イーリオは小さく頷くと背後から一人の青年を呼んだ。
「エランジが同行する。これはとても目がいいし、地理にも詳しい。道案内をさせるからな」
すかさず、ロクェスが一歩前へ出る。
「私も行こう」
「駄目だ、ロクェス。お前は残るんだ」
イーリオの視線は鋭く、金の騎士を射抜いてその動きを止めた。
「我々の目標はカルティオーネの城の奪還だ。ここには鍛冶師がいて、奥で武器を作っている。ロクェス、皆に扱い方を教えてくれ。それが、トオヤマフタバが行って戻るまでのお前の仕事だ」
「じゃあ、俺が行くぞお!」
なにかを言おうとしたロクェスの声を遮ったのは、メダルトだった。髭もじゃの男は右手に大きな剣を持った姿で突然部屋に乱入してきて、おうおうと喚き散らしている。
「見てくれ、ジョギャの爺さんが作ったんだ。見事だろう? おっと触るな、俺のもんだぞ。子供たちを救うんだろう? 俺は行く。そのお嬢ちゃんだけに任せようたってそうはいかねえ」
「メダルト、お前にもやるべきことがあるだろう」
当然イーリオに諌められるが、髭もじゃは聞く耳を持っていないらしい。
「いいや、元々行く予定だったんだ。偵察にだって行ったから、地形もわかってる。この業物があれば俺だってちょっとくらいは戦えるさ。とにかく一人じゃ危険だろう。魔物が少ないったって、俺は十は見たぞ、やつらの姿を」
(結構いるじゃん)
いっぺんに十体も、相手ができるだろうか?
「んー、雑魚なら平気だろうけどねえ」
ヒューンルは相変わらず、鳥かごの中でぐるぐる巻きになっている。
露骨に顔をしかめたふたばに、銀の騎士はこう話した。
「優先すべきは、魔物の討伐だ。やつらがいなければ我々も行けるようになる。子供たちの正確な数はわからないが、弱っている者が多ければ、運んでやらなければなるまい」
イーリオの言葉に、ふと、ふたばは気づく。
「ねえ、助けるのはいいけど、ここって大勢の面倒を見られるの?」
「わからない」
即答だった。大真面目な顔で答え、銀の騎士はこう続ける。
「わからないが、救わないでいれば我々の魂が死ぬ。彼らだって、死ぬのなら誰かが寄り添っている中の方がずっとましだろう」
少なくとも、祈りの中で見送ることができる。そうイーリオは続けて、唇をぎゅっと結んだ。
(まだまだ半端だった)
全員が助けられるなどと、イーリオたちは本当に思っていないのだ。
この場所にどれだけの人がいて、どれだけの物があるのかふたばにはわからない。最初の地下の秘密基地よりはずっとマシだろうと思われるが、「なにもかもが豊富に取り揃えられている」わけがない。
(完璧なんて、望めない)
必要な物がすぐに揃えられるとか、届けられるとか。そういった現象は決して起きない。
(本当に、最低限だ)
せめて人々のそばで。温かい祈りの中で。冷たい檻の中ではないところで――。
凄惨な覚悟に、胸が震える。
「わかった。すぐに行くよ。案内して」
一刻も早く行かなければならないと、ふたばは強く思った。
自分は戦えるのだから。魔物を倒せるのだから。
「メダルト、行けるか?」
「おうよ!」
髭もじゃの顔がきりりと引き締まる。イーリオの隣で、エランジも深く頷いた。
「ではふたば、行ってくれ」
ロクェスの表情は暗い。ふたばに対してなんの助けも出せなかった。そんな申し訳なさが漂っている。
「絶対帰ってくる。こんなところで、終われないから」
「ふたば」
金の騎士は目を閉じ、祈りの言葉を紡ぎ始めた。神の加護があるように、なんちゃらがどうのこうのと現地の言葉を織り交ぜながら、無事に戻るようにと、手を右へ左へ振っていく。
「ヒューンル、行くよ」
「それは駄目だ」
「へ?」
意外な展開に軽くずっこけるふたばへ、イーリオが告げる。
「この精霊は最後の切り札だ。トオヤマフタバがライラックムーンに力を貸した場合、勝ち目は万に一つもなくなる。今よりも悪い世界を作ることになるくらいなら、この精霊を殺して力を奪った方がまだマシだ。だから、精霊ヒューンルはここに残す」
「えーっ? いやでも、言葉が通じなくなっちゃうし」
「なんとかしてくれ。では、頼んだ」
(うそーん!?)
そりゃないよ、と不満をぶつけても、イーリオは一切動じない。
(マジで?)
言葉の通じないおしゃべり男メダルトと、無口なエランジ。彼らとの旅は上手くいくのか。
不安の中、ふたばはすっかり出鼻をくじかれた形で、力なく部屋を出ていった。




