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わたしとあの子の桶狭間  作者: 澤群キョウ
いざ、異世界
2/42

部屋と心の大掃除

 ふたばの前に現れた小さな生き物は、地球の物理的な法則を一切無視して「浮いている」。

 久しぶりに会う相手の姿に、ふたばは驚いていた。

 なじみ深い相手であるメーロワデイルの精霊は、その姿を大きく変貌させていた。


「わあ、無視? 感じが悪いよふたばー、久しぶりに会ったっていうのにさあ!」

 精霊ヒューンルはやれやれと小さな肩をすくめると玄関へと飛び、勝手に鍵を開け始めた。ドアの上と下、二カ所にかけられている鍵とチェーンを外し、待っていた「騎士」を招き入れている。

「なにを、勝手に……」

 カサカサとした潤いのない声。

 その響きに、自分のものながらふたばは軽く衝撃を受けつつ――。

「無作法をお許しください、コーラルシャイン。しかし、あなたにどうしても来てもらわなければならないのです」

 目の前で跪く騎士ロクェスを睨みつけた。



 努力はした。しかし、三年間の引きこもり生活で得た「運動不足の体」では、大の男とすばしっこい精霊を追い返せなかった。

 あっさりと息が上がり、ふたばは汗にまみれている。

(くそっ、くそっ!)

 ガクガクと震える自分の膝を叩きながら唸り声を上げるふたばの周りを、ヒューンルが飛び回っている。

「ふたばー、どうしたんだよその姿は。信じられないな、プックプクじゃん! 太っちゃって」

 腹立たしい言葉に、反射的に手が伸びた。しかし精霊はそれをひょいと避け、手は虚しく空を切るばかり。

「あんただって……、随分変わったじゃないの」

「その声はなんなの? 昔はもっと、らぶりー! って感じの可愛い声だったよ!」

「うるさい!」

「落ち着いて下さい、コーラルシャイン。とにかく、まずは我々の話を聞いていただけないでしょうか」


 ロクェスは長いマントで身を包んでいて、その中でどのような格好をしているのかはわからない。彼はマントに土足のままで部屋の中を見渡すと、眉間に皺を寄せて凛々しい眉をひそめた。

「どうやら掃除が必要なようですね」


 その通り、ふたばの部屋の中に「落ち着いて話が出来るスペース」などない。物があふれ、ゴミだらけだ。靴のままあがってきた無作法者を責められない程汚れきっている。

「ヒューンル、お前の力でなんとかできないか」

「ロクェス、ボクの力は掃除のためにあるんじゃないんだよ」

「急ぎの用だ。わかっているだろう?」

 男の鋭い眼光に、精霊の体がぎゅっと縮こまる。

「おーこわいこわい。じゃあ、しょうがないからなんとかしまーす」


 くるくると、精霊が回る。横に、縦に、斜めに、それはそれは軽やかに。


「ヒューヒュー、ヒューンル!」


 ふざけた声とともに光の輪が精霊を包んでいく。その輪が広がって、部屋を真っ白に染め上げていく。

「ふたばの汚いお部屋、キレイになーあれ!」


 それはまさしく、奇跡だった。

 埋もれていたテーブルも、椅子も、流しを占拠していた使用済みの食器も、通信販売会社のロゴいりの段ボールも、部屋の隅に溜まっていた綿埃も――。

 すべてが一瞬で、消えた。


「ゴミの集積場が大変だあ! あはは!」

 ヒューンルは、ケラケラと笑う。


 

 心が刺激されていた。

 姿は変われど、その明るい笑い声は変わっていなかったから。


 コーラルシャインと、ライラックムーン。メーロワデイルからやってきた悪鬼たちを倒していた二人の戦士と、彼女たちに力を与えた精霊ヒューンル。命を懸けた戦いが終われば、いつも三人で共に喜んだ。

「やったね、あはは!」

 ハイタッチをかわし、一緒になって笑っていた光景がぼんやりと浮かんできて、ふたばの心が揺れる。

 

「ああもう、疲れたー。ゴミが多すぎるよふたば、女の子がよくこんな部屋で暮らしていられたよね。早くお風呂に入ってくるといいよ。カビは全部取っておいたから!」

 そう、声は変わっていない。

 しかし、姿は余りにも変わっていた。


 あの日突然現れた「精霊ヒューンル」は、愛らしい姿をしていた。水色がかった白いフワフワの毛におおわれていて、頭にはウサギのような耳がぴょこんと立っていた。大きな瞳がキラキラと輝いていて、ぬいぐるみが命を与えられて動いているようだった。


 しかし今、ふたばの目の前にいるヒューンルの姿は違う。

 触れれば温かかった柔らかい毛はほとんどはげ落ちて、薄いベージュの地肌には傷がいくつも刻まれている。なにがあったのか右目には丸くて黒い眼帯がつけられているし、長いしっぽはどこへ行ったのか、見当たらなかった。


「ねえ、早く入っておいでよ! ああそうか、お湯を溜めなきゃいけないんだね。しょうがないなあ、じゃあ、サービスしちゃう! ヒューヒューヒューンル! お風呂沸いちゃえーっ!」

 再び、光の輪が広がる。

「沸いたよー。はあ、もう、これでホントにヘトヘト。入ってる間に一休みしようっと。ねえロクェス、お菓子出してえ」

「ヒューンル、はしゃぎ過ぎだ。控えろ」

 騎士の視線は鋭い。しかし精霊は気にした様子もなく、ふたばの家の冷蔵庫を開けると中を物色し始めた。

「久しぶりだなー、こっちの食べ物は甘いんだよね。お、チョコレート発見。ボクこれ大好き」

 母親が持ってきてくれた箱入りのチョコレートを取り出し、ヒューンルは幸せそうな表情で早速食べ始めている。


 過去にもそんなことがあった。ちゃっかり者の精霊を何度も注意したし、しょうがないなと苦笑いをした。

 それはファンシーな光景だった。しかし今は、痛々しくてどうしようもない。ハゲて傷だらけの地肌に眼帯、行方不明のしっぽ。


「ふたば、早くお風呂に入ってきて。臭くてしょうがないよ」

「なに、勝手な……」

「汚れを落として、ゆっくり浸かっておいでよ。魔法でキレイにできるんだよ? でも、リフレッシュ効果があると思ったから、わざわざ沸かしたんだ。ああもう、人の好意を無碍にする気?」


 口の周りをチョコレートだらけにしたヒューンルが、ふわりと飛んでふたばに近づく。

 そのまま背中を押して、風呂場へと追いやろうとしてきた。

 とと、と二歩ばかり足が出るが、ふたばの重たい体はそれ以上進まなかった。拳を握りしめ、わなわなと震えながらこう叫ぶ。


「なんなのよ! 勝手なことばっかり! 誰が家に入っていいって言った? 誰が掃除してって頼んだ? 誰が風呂の用意しろって言った? 誰が勝手に食べていいって許可した?」


 言葉を重ねるごとに怒りが増していき、声は荒くなっていく。

 しかし、ヒューンルもロクェスも表情を変えない。


「しかたないだろー? 僕たちだって好きで来たんじゃないんだよ。できたらそっとしておいてあげたかったし、みんなにもそう言ったんだ。だけど、そういうわけにはいかなかったんだあ。ふたばを連れて行かなかったら、今度はボク、とうとう殺されちゃうからね! さすがにそれは嫌だから。ふたばだってそれを聞いたら、気分悪いでしょ? だからね。昔のよしみってやつでさ、一緒に来てよ」


 あっけらかんと話す精霊に、勢いがそがれて落ちていく。


「なにを、……言ってるの?」

「とにかく早く準備して。まずはお風呂でリフレッシュー!」


 勢いの良い精霊が、再び少女の背中を押していく。


 荒れ果てていたはずの脱衣所は整然としていた。そこを埋め尽くしていたはずのゴミと衣類はなくなっており、タオルと着替えだけが置かれている。


 その着替えが何かに気が付いて、ふたばを思い切り顔をしかめた。


 濃淡のピンクと白で構成された衣装。吐き気がする程にフリルとリボンがつけられたそれは、「コーラルシャイン」のものだ。ご丁寧に、ステッキやブーツまでが並べられている。


 怒りを感じるものの声が出ず、ふたばはひたすら、拳を強く握りしめ、歯を強く噛みしめた。

「こらー、早く入れよー! もー!」

 ヒューヒューヒューンル、と能天気な声が続く。

 次の瞬間、ふたばの着ていたスウェットと下着が消え去り、見えない力が彼女を風呂場へと押した。中へ入れば泡でモコモコになったスポンジが宙に舞っていて、久しぶりにやってきた家主の体を隅々まで勝手に洗っていく。


 茫然としながら、体と髪を洗われていく。

 全自動で隅々まで磨かれると、ふたばの体は湯船へ放り込まれた。

 適温の湯に包まれ、体がじわりと温まっていく。


 思いっきり愉快な全自動入浴を楽しんでいた頃があった。

 戦いを終えて帰ってきて、ヒューンルの魔法で風呂場を泡で埋め尽くして笑った思い出。

 視界の向こうにはもう一人。千華が居た。


 体とは逆に、心は冷えていく。

 思い出したくなくて家に閉じこもっているのに、心に浮かぶのはひたすらに千華のことばかりだ。

 今もそう。久しぶりの気持ち良い入浴のはずが、足の先から青く染まっていくかのような寒々しさがふたばを包んでいる。


「どおー? 気持ちいいでしょー。臭かったもん、ふたば。あんなに可愛かったのに台無しだよね。ちょっとくらいはフローラルになって、女子力あがったかなー?」

 扉の向こうにボンヤリとヒューンルの姿が写っている。

 白ではなく、ベージュの影。

 彼の身に何が起きたのか。


 わからないが、理由は恐らく、自分(ふたば)にあるのだろう。

 

 かつての友人を追い詰めた自分。

 かつての友人に追い詰められた自分。


 かつての罪に対して与えられた罰を、この三年間、一人で受けてきたはずだ。

 しかしそれだけでは償いにはならないのか、再び外の世界へ出なくてはいけないのだろうか。


 悩めるふたばに、底抜けに明るい声が降り注ぐ。


「さ、そろそろあがって! 準備して、いざカマクラー! なんてね、ははは! いざメーロワデイルだよー!」

 

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