馬鹿じゃないの?
薄暗く細い通路を抜けて連れて行かれた部屋。ごつごつとした岩に囲まれたそこは狭いが、明るかった。壁の一部がくりぬかれてランプのようなものが置かれている。
煌々と輝く石のようなものが部屋を照らしているが、青みがかった白い光を放つその正体はわからない。
(蛍光塗料みたいな感じとか?)
それにしては輝きすぎだ。
(魔法がある世界だもんね)
石を見つめながら、ふたばは考える。
古びた木でできたテーブルと椅子。二脚置かれた椅子のうち、槍の先で示された方にふたばは座った。向かいには「銀の騎士」イーリオ。背後にはエランジと、槍を持った男が三人いる。
部屋の隅には小さな鳥かごのようなものが置かれていて、中にはぐるぐる巻きのヒューンルが入れられていた。イーリオとしてはふたばの近くにいさせたくなかったようだが、ヒューンルがいなければ言葉は通じない。
「トオヤマフタバ」
ふたばの素性は既にすべて明らかにされていた。
後ろ暗い事情はない。「責任を取れ」と強引に連れてこられただけだ。正直に話せばさすがに、火あぶりにされるような展開はないだろう。
(「騎士」なんだから、話くらい聞いてくれるよね)
歳は三十歳になる手前くらいだろうか。金の騎士と同年代だろうとふたばは思う。
視線は一切ブレずに、ひたすらまっすぐ。目の色は明るい茶色で、人の心の中まで見ようとしているのではないかと思わされる程に鋭い。黒い髪の先は肩にかかっており、眉は細い。鼻筋はすっと通っていて、顔立ちはまあまあ整っているが、美男子かと言われるとちょっと違う。
(ドSっぽい)
ロクェスは多分、どちらかに分類するとしたらMだろう。ふたばは自分のこんなにもくだらない思考に呆れ果てて顔を歪めた。
突然顔をくしゃくしゃにした異世界からの招かれざる客に、イーリオも右の眉だけをきゅっと上げる。
「私の名はイーリオ・バッジ。カルティオーネに仕える騎士だ」
意地の悪そうな表情のまま、銀の騎士は続ける。
「トオヤマフタバ。お前はライラックムーンと同じところから来た。間違いないな」
「はい、まあ」
小さくこくこくと頷きながら答えるふたばの姿になにを思ったのか、イーリオの右の眉はますます上がる。
「何故来た」
「……ロクェスとヒューンルに呼ばれたんです。二人が突然うちに来て、かなり強引にこっちに連れて来られました」
余りにも真正面から見られ過ぎて、ふたばはどうしようもなく居心地が悪い。
(ガン見し過ぎ)
大きな体を縮こませて話す姿にイラついたのか、イーリオの眉はとうとう、両方ともぎゅぎゅっと上がった。
「ではトオヤマフタバ、ライラックムーンとの関係について話してもらおう。ロクェスは、お前があの女を倒す為に来たと話した。しかし、お前とあの女は揃って精霊から力を分けられたのだろう?」
(来た)
ヒューンルが懸念していた、「地球からやってきた」というどうしようもない共通点。しかも、かつては「力を合わせて戦っていた」間柄の二人。
一人でもこんなに持て余している世界の敵が、二人になってしまったら?
メーロワデイルは完全に終わりだ。
ここに連れて来られるまでの短い間に、ロクェスはずっと訴え続けていた。
ふたばは敵ではない。ここまでの道中で子供を救い、たった一人で敵を倒してきたのだと。
「信じてくれ、イーリオ!」
ロクェスは誠実で、恐らくはとても優しい人物なんだろう。助けられる誰かが居たらどうしたって助けたいし、救いたい人のために命懸けの旅にも出られる。誰か一人の命を犠牲にすることで世界が救えるのなら、いの一番に「自分が」と言える男なんだと、ふたばは思う。そう確信している。
まっすぐ、正直、誠実。
けれど、それだけでは駄目だ。
もしかしたら罠かもしれない。もしかしたら裏切られるかもしれない。もしかしたら、敵なのかもしれない。
(人は人と、完全には通じ合えないんだから)
心が通じ合っていると思えるほどの相手がいるのは最高の幸せだ。けれど、それは勘違い、幻想に過ぎない。他人の心の中を見通すことなどできやしないのだから。それまで生きてきた環境、積んできた経験、学んできたすべてが同じだとしても、感じ方の隅から隅までまったく同じになるなんて、あり得ない。
ロクェスのような存在は「救い」だ。他人を信頼し、命を懸けてくれる。大勢がその心意気に応えようと思うだろう。
信じてもらったんだから。
その信頼を、裏切らないように――。
(そうはいかない場合だって、たくさんある)
それで済むなら、世界からはあらゆる争いが消えるはずだ。そんな理想郷は、甘い空想の中以外にはどこにも存在しない。
「私とライラックムーンは一緒に戦っていた。私たちの世界にメーロワデイルの魔物が来て、それを追ってきたヒューンルと出会って、選ばれて、力をもらったから」
イーリオは正しい。信頼も大切だが、疑いだって必要だ。他人の心のうちがわからない以上、信頼するに足る相手だと自分が思えるまで試さなくてはならない。ましてやこの世界は、滅びの流れの中にあるのだから。悪の女王の元友人を「大丈夫です、信じて下さい」と紹介されたからといって、頭から信じてしまうような奴はただの馬鹿だ。
そう考えて、ふたばは口を開いた。真実を語る以外にない。信じてもらえるように動くしかない。少しずつ信頼を積み重ねて、わかってもらう以外にない。
(無理難題をふっかけられたとしても)
真正面から受けるしかない。この世界を救うと決めたのだから。
(ニティカ)
自分のせいで失われた命が既にある。
すべてを失ったジャンドとリムラのいたいけな姿に、胸が疼く。
ふたばと千華。
同じ場所で、同じ精霊に力を分け与えられた二人だが、「違う」。
(それをわかってもらわないと)
思い出したくない記憶。
けれど、もう目を逸らしてはいられない。尻から背中にかけてぞわぞわと走っていく気持ち悪い感覚に耐えながら、ふたばは口を開いた。
「ずっと一緒に戦っていたけど……、ある日、私たちは決別した」
蘇るあの日の光景。
いつものように現れた魔物。慌てながらも楽しげなヒューンル。降り出した雨、必死の戦い。
それまで戦ってきた中で一番強い魔物だった。ヒューンルが言うには、ナントカ山の奥深くに巣食っている、メーロワデイルでも滅多に姿を現さないレア魔獣らしい。
だが、魔物の紹介に悠長に耳を傾けている暇などなかった。鋭い牙、長い爪、白と紫の斑の毛。暗い空の下でギラギラと輝く瞳。千華の足についた傷。水たまりに混じった、赤い血の濁り。
傷を負いながらも千華は舞った。首につけられていた細長いリボンを足に巻きつけ、ライラックムーンの武器である「フルムーンリング」を握りしめて。
右と左、両手に持った金色の輪。満月の輝きを放つリングが鳴って、「ムーンライトレイ」が魔獣の毛皮を焼く。苦しげに咆える敵に駆け寄って、シャイニングエンチャントレス。ふたばの攻撃でとうとう、勝負はついた。
手強い敵だった。でも、勝った。二人の力を合わせて、傷を受けても怯まず、危機を切り抜けた。
泥だらけになって掴んだ勝利。
二人の友情、連携、負けるものかという強い気持ち。心が一つになって掴んだ勝利――。
「良かった、やった、勝ったよ千華!」
魔獣は光に包まれて消えていく。時空を超えて違う世界へ来た存在は、美しい七色の輝きと共に去っていくのだ。
こうして平和は守られた。敵はいなくなった。今日も、一人の犠牲も出なかった。
これこそが、正義の味方の仕事だ。人々の平和を守る為に戦う。誰も彼女たちの存在を知らない、誰からも感謝されない。けれど、それでいい。正義のヒロインはそうでなければならない。もしも目撃者がいたとしても、正体を明かさずにクールに去るのだ。「あなたが無事で良かった。大切なのはそれだけよ」。そんなキザな台詞だけを残して次の瞬間には影も形もない。あれは誰だったのか、わからないけれど、世界を守る戦士がいる。それを知った人々は、今日も穏やかに、平和の中で暮らしていけるようになる。
ふたばの心が満たされていく。憧れていた魔法少女になれた。憧れていたシチュエーションを再現できた。本当のヒロインになれた。頼もしい相棒、ギリギリの戦い、そして、完全勝利。
内側から溢れてきた高揚のまま、雨の中で叫ぶ。
「私たちが、負けるワケなんか、なーい!」
振り返り、ハイタッチ! それがいつもの二人。最高の二人、ふたばと千華の戦いの締めになる儀式。
そのはずが、ふたばの手は空を切って。
代わりに投げつけられたのはこんな声で。
「……馬鹿じゃないの?」
いつもより、千華が少し遠かった。
「え?」
「ねえ、もういいかな」
なにが「もういい」のか、ふたばにはわからない。
しかしこれはわかる。今、目の前に立っている千華の瞳の冷たさだけは。切れ長の瞳の鋭さはそのまま氷でできた針になって、心に刺さるようだった。
「正義の味方ごっこはもう充分やったでしょ? あとはふたばが一人でやって」
ずぶ濡れになって、大人びた美貌はいつもより少し、色気を増しているように見える。
千華がくるりと回って見えた背中。ライラックムーンの衣装から、中学の制服に一瞬で戻る。
制服はみるみるうちに雨に濡れて、色をずっしりと濃くしていく。
ライラックムーンの時にはうしろに流している長い髪がポニーテールに戻って、長いしっぽはみるみる水分を含んで重くなっていく。
髪の先からぽたぽたと水滴が垂れていく様子を、ふたばはじっと、ピンク色のひらひらの衣装のまま、見つめ続けた。
いつも通りの街角の風景の中で、親友の後姿がゆっくりと遠ざかっていく。
「ヒューンル……」
すべてを受け止めきれないまま、ふたばは精霊の名を呼んだ。
それに応じて、愛らしい無邪気なアイツが飛んでくる。
「雨、強いねえー!」
「ねえヒューンル、千華、なんて言った?」
「んー」
ふわふわの精霊は濡れていない。彼の体の周囲にはバリアーでもはってあるのか、青みがかった白い毛は柔らかく暖かそうなままキープされている。
「なんか変なこと言ってたように聞こえたんだけど。聞いてた?」
「聞いたよ。もうやめたいって」
ずん、と体が重くなる。心の中に投げ入れられた巨石がそのまま、ふたばの足にのしかかって体を沈めた。ふらふらと揺れ、最後には水たまりの中に膝をつき、ふたばは必死になって頭を動かしていた。
(え? え? なんで? やめる? やめるってなにを? 正義の味方を? どうして? 正義の味方って、やめられるの? なんで千華はやめたいの? 今日だって勝ったのに。ちゃんと勝ったのに。二人の力を合わせて勝ったのに。今までに、負けたことだってないのに)
足が、手が、体が、唇が震える。
意味がわからなくて。輝かしい勝利の後に歓びがなくて、こんな戸惑いばかりになっている状態が理解できなくて。
混乱して、散々雨に打たれて、そしてとうとう、ふたばの中には「ある考え」が浮かんだ。
(ああ、そうか!)
それが、崩壊の始まり。
あの時にはもう戻れない。わかっていても、もしも時間が巻き戻るならと夢想していた。何度も何度もあの狭い部屋の中で想像してきた。繰り返し夢に見ては、一体どう行動すればあの悲劇が回避されたのか、シミュレーションをしてきた。
(……違う)
今話すべきは、何があったのか。二人の間に入った亀裂について、ただ「真実」だけを。
ふたばは顔を上げるとイーリオをまっすぐに見つめ、こみあげてくる苦しい思いを抑えながら乾いた唇を動かした。




