プロレラロルの銀の騎士
四人と一匹を包み隠していた木々が少しずつ途切れて、景色が変わっていく。
木々の代わりに現れたのはゴツゴツとした岩や石だ。遠くに高い山々が見え始め、水の流れる音がかすかに聞こえるようになってきた。
「そろそろプロレラロルに入ります」
ロクェスの声にふたばは小さく頷いて答えた。
渓谷を抜けていくと、ヒューンルは話していた。目の前に広がる薄い茶色の石は、予定通りに進んでいる証拠なのだろう。
「川が流れているんだ」
「うん。レッシェンのたかーい山から流れてる、ロルロ河。ここら辺は結構流れが激しいね。これがまた、結構深い谷なんだあ」
まだヒューンルの言う谷は見えない。どこにあるかはわからなかったがとにかく、渓谷の入口近くに辿り着いたようであった。ニティカを失ってからここまで、敵に遭遇していない。なるべく目立たないように、人気のない道を進んだ甲斐があったようだ。
ふたばはそう考え、再び気を引き締めていた。不幸が起きるのは、いつだって緩んだ瞬間――。
ぎゅっと体の内に力をこめて、気が付いた。
前方の小高い岩山の上に、動いた影がある。色は黒、数は一つ、では形は?
リムラとジャンドの前へ慌てて飛び出し、自身の巨体の陰に小さな二人を隠して、ロクェスを呼ぶ。
「上にっ」
叫びと同時に空気が鳴った。ヒュンッと音がして、ふたばの足元の地面に矢が一本刺さって揺れる。
(敵?)
無言のままステッキを呼び、足を一歩踏み出す。ロクェスも前へ出て、剣に手をかける。
すると、声があがった。
「待て、待て、待てっ! 済まない、間違いだ!」
岩山の上に人影が現れる。三人分の黒い影。姿は逆光でよく見えなかったが、大人の男であろう影が三つ並んで声をかけてきた。
「あんた、ロクェス・ウルバルドだろう!?」
岩の上から下りてきた者たちは皆、地下のアジトにこもっていた面々と同じような薄汚れた格好をしている。しかし、表情はギラギラとしていて、戦う意志が漲った強い目をしていた。
「すまなかった、こいつは見張りが初めてで。念のために構えていたのを間違って撃っちまったんだ」
三人のうち真ん中に立っている髭もじゃの男が、慌てて頭を下げながらまくしたてている。更にもう一人、隣に立つ弓を持った青年の頭を掴んで下げさせ、再びすまない、と続けた。
「当たらなかったから」
「そうだ、本当に幸いだった! 本当にすまなかった」
ロクェスの苦情を大声で遮り、男は再び弓の青年の頭をぐいぐいと地面に向かって押し付けている。
リムラやジャンドに当たらなくて良かった。当然、自分にも。そう考えてむすっとした表情を浮かべるふたばへ、男たちの視線が移る。
「ん?」
薄汚れたメーロワデイル風のポンチョの下からのぞく、ピンク色のフリフリ、重量感あふれる体。男たちの表情はみるみる曇っていく。
「なんだお前」
(失礼な)
鋭い視線を向けられて恐ろしくなったのか、子供たちは慌ててロクェスの後ろへと走る。
「人望ないねえ、ふたば!」
ケラケラと笑うヒューンルに、男たちの目がカッと見開く。
「まさか、精霊か?」
途端に髭もじゃ男は顔を輝かせ、両腕を突きあげて叫んだ。
「輝ける騎士、ロクェス・ウルバルド!」
「いえ、違います」
「なにが違うんだ。俺はアンタの活躍を見たことがある。さあとにかく、来てくれ。ロクェス・ウルバルドが生きていた! ロクェス・ウルバルドが戻ってきた! こんな朗報が他にあるか? ああ、最高の日だ! ミミッテ、先にみんなに知らせてこい」
間違えて弓矢を射掛けてきた青年が慌てて走り出し、去って行く。
どうやらリーダー格らしい男は満面の笑みでロクェスの肩を抱くと、さあさあと一行を案内し始めた。
「その子供たちは?」
「リパリーガントの近くの森に潜んでいたのです。名前はジャンドとリムラ、兄妹です」
「へえ、よく無事だったもんだ。いやいや、こんなに小さいのによくやった、妹をちゃんと守ったんだな!」
髭の男はメダルトと名乗った。プロレラロルの住人で、元々は猟師をしていたらしい。もう一人の無口な男はエランジという名だとメダルトが話した。本人は一言も発していないが、勝手に語られた説明によるとこちらもプロレラロルの人間らしかった。
メダルトは笑顔でジャンドの頭を撫で、リムラに微笑みかけ、ふたばに向かってあからさまに顔をしかめた。
「そっちのデッカいお嬢ちゃん? は、なんだい」
「それは……」
ロクェスの表情が一気に冴えないものに変わっていく。どう答え、説明したものか悩んでいるようだ。
かねてからの懸念。ふたばの正体、出自、それがメーロワデイルの人間に受け入れられるかどうか。
(正直に言うしかなくない?)
なにせビジュアルがメーロワデイル然としていないのだから、嘘をついたところですぐにばれるだろう。ふたばが渋い表情を作ると、それがまた気になったらしく、メダルトの顔はますます歪んだ。
結局誠実な騎士は嘘をつけなかったらしく、メダルトにこう話した。
「彼女の名はふたばです。この精霊はヒューンル、ふたばに力を貸しています」
「ああ、なるほど。精霊の力でか、これは」
こんな簡単な説明だけで合点がいったのか、メダルトは一気に相好を崩し、ふたばの隣へ寄って肩をバンバンと叩いた。
(痛いんだけど)
「精霊の力がなきゃ、こうはならないよなあ。はは、すごいな。精霊はもう滅んだもんだと思っていたのに。まだいたなんて。しかも女の子がっていうのは初めて聞いたぞ」
なあ、と声をかけられているのはエランジだが、反応はない。少し下に視線を向け、黙ったままだ。
「とにかく隠れ家だ。ロクェス・ウルバルドが無事だったと聞いたら皆喜ぶ。計画にも弾みがつくってもんだ」
「計画?」
「ああ、計画だ」
メダルトは嬉しそうにニヤリと笑う。だが、エランジとロクェスの表情は硬い。
「メダルト殿、あなた方の仲間はどのくらいいるのですか?」
「それはついてからのお楽しみにしよう」
髭の男の歩みが早まっていく。浮かれた様子のメダルトを追って、一行は進む。子供たちも小走りで必死になってついて行く。
ふたばはロクェスの眉間に寄った皺の深さの理由を考えている。
(なんだろ、あの表情)
ロクェスは有名な騎士で、戦力として期待されているようである。しかしもう力はない。輝ける鎧は失われているし、魔物と戦えば苦戦する。
(そんな状態で大歓迎されても、だよね)
気の毒に、とふたばは思う。
しかし、その心配はまるでピントのズレたものだった。
それを思い知ったのはメダルトたちの隠れ家に辿り着いてからだ。プロレラロルの南に広がる渓谷、入り組んだ地形の奥にひっそりと広がる地下洞窟の中に通されてから。
何本もの槍がふたばたち一行を囲んでいた。
四人と一匹の前に立っているのは、メダルトとエランジ、先に知らせに走ったミミッテと、他に男ばかりが五人。
「久しぶりだなロクェス」
中央に立っている男が一歩前へ出て、騎士を見据えつつ声をあげた。
「イーリオ……」
黒髪の、目つきの鋭い男だった。イーリオと呼ばれた男の隣では、メダルトがおろおろとしている。
「イーリオ、金の騎士ロクェスと銀の騎士イーリオ、二人が揃ったんだぞ! どうして槍なんか」
「黙れ」
こんなに短い言葉だけで、メダルトはしゅんと縮こまって後ろへ下がってしまった。
氷のように冷たい声。ふたばはそう思ったが、イーリオはすぐに優しげに目を細めると、槍に囲まれた騎士へこう声をかけた。
「ロクェス、無事でなによりだった」
「ああ」
(なんだこのやりとりは)
片方は槍に囲まれて、片方は槍で囲ませて。いつでも即、串刺しにする準備はオッケー。そんな殺伐としたシチュエーションにありながら、二人の間に固い友情、信愛の情のようなものを感じる。
(シュール)
二人の間に強い結びつきがあるのなら。
槍を向けられてジャンドとリムラは震えているが、いきなり子供たちが刺されるような展開はないだろう。しかし。
「喜ばしい再会だが、まずは答えてもらおう。その精霊は?」
自分はどうだろうか。
メダルトが口走った「金の騎士と銀の騎士」という言葉。かつて精霊の力を持って戦っていたロクェス。彼さえいれば国は安泰だと言われたほどの有名な騎士。リパリーガントに住む少年ですらその名を知っていた高名な勇者。それと並び称される者もまた、精霊の力を持っていたのではないか。
つまり、イーリオは知っている。精霊の力がどういうものか。ロクェスと共に戦った勇者だ。二人がどこまで行動を共にしていたのかはわからない。わからないがもしかしたら。
(千華を、千華に力を与えたヒューンルを知っているのかも……)
心の中に湧き出してきた不安の雲は真っ黒で、あっという間に天を覆い、雷を鳴らしながら雨を降らせ始めている。
つまり。
(私がヒューンルから力を与えられていると知ったら――)
異世界から来た人間であると、わかってしまう。
大体、見た目からしてメーロワデイル人ではない。メダルトは「精霊の力があるなら」とあっさり納得したようであったが、そんなに簡単に理解を示したのは今までに出会った中では彼だけだ。もしも、「精霊の力があるならそんな姿にもなるよね」的な考え方がスタンダードなものならば、この世界に来た時、最初に地下であった面々があんなに顔をしかめるわけが、ない。
「答えろ精霊。貴様、あの女に力を与えた……確か、名前はヒューンルだな?」
「うん、そうだよお。僕はヒューンル!」
馬鹿正直で明るい声が響いたかと思いきや、飛び出してきた剣のさやで精霊は叩き落されてしまった。目をぐるぐるさせているヒューンルをエランジが捕まえ、腰につけていた縄できつく縛っていく。
「ではそこの女。お前はどこから来た? この精霊に力を分け与えられているのだろう」
ヒューンルの不安は当たっていた。
地球から来た。たったそれだけで、メーロワデイルの人間にとっては、敵になるのだ。




