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わたしとあの子の桶狭間  作者: 澤群キョウ
結構厳しい、異世界行

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16/42

浮かぶ月の向こうに見える、君の影

 リパリーガントの森を北上していく。

 体力のないリムラをロクェスが背負い、敵に見つからないように、できる限りの速度で。

 幸いにも、敵の姿はなかった。ニティカを失った日から三日、森の中を進むふたばたちの前に、襲い掛かる影は一つもないまま進んできた。


 しかし、緊張感溢れる行程に幼い兄妹は疲れ果てていた。

 憧れの騎士がいるとはいえ、知らない大人たちとの旅だ。ようやく二人きりではなくなった、助かるかもしれないという希望でフル稼働させていた体が悲鳴を上げ始め、四日目の朝、とうとう変化が起きた。


「すみません」

 ジャンドは弱々しく、萎れている。

「謝らなくていい。この状況なら当たり前だろう」

 朝が来てもリムラは起き上がらなかった。息は浅く、体は炎のように熱くなり、苦しそうに涙をにじませている。

 荷物の中から防寒着を取り出してかけて体を起こしてやり、ロクェスはリムラの口に水を含ませた。

「リムラはまだ小さい。ふたば、私が背負いますから、同行を許して頂きたい」

「は?」

 突然された確認に振り返ると、ジャンドが泣きそうな瞳でふたばを見つめていた。

「いや、確認とかいらないし。連れて行ったらダメなんて、全然考えてないよ」

 慌てて手をブンブン振りながら答えると、少年はほっと息を吐いてようやく微笑みを浮かべた。


(ダメだ、置いて行け! とか言われると思ってたのかな……)

 そんな非情な振る舞いをした覚えはない。

 が、兄妹との間に若干の溝があるとふたばは感じていた。出会いから、共に森の中を歩いてきた三日間。水や食料の受け渡しなど以外で二人が話しかけてくることはなかったし、なんとなく一定の距離をあけられているような。


 それが何故なのかと、無口な行程の中でふたばは考える。

 まずは見た目が怪しい。それだけで既に近寄りがたいのに、「世界を救う戦士」だと紹介をされている。その設定で更に、一線を引いているようだった。気楽に話しかけていい存在ではない。特に兄のジャンドはそう思っているのではないかとふたばは考えている。

 ロクェスの態度も「フレンドリー」とは言い難いものだ。それは単に彼が真面目で、余計な雑談に興じたりしないからなのだが。せめて兄妹とふたばの間の橋渡しをしようとしてくれたらともう少しくらいマシだろうに、期待できそうにない。


 リムラを背負い、ロクェスは進む。リムラの体は小さい。小さいだけではなく、細い。熱を出して紅潮した頬が痛々しい。苦しげに閉じられたまぶたが頼りない。

 妹を騎士に背負ってもらった兄は、妹の分の荷物まで持って、黙って歩いている。

(疲れてるだろうに)

 二人きりで放り出されたり、妹を置いて去るよりは、ずっといい状況だろう、けれど。

(頑張れ)

 そんな心配をしているふたばも、体がだるかった。夜は寒いし、地面で眠ると体が痛む。

(よく風邪とかひかずに来てるよね)


「むしろ健康になってるんじゃないの、ふたば。メーロワデイルの厳しい生活でデトーックス!」

 ヒューンルはこんな調子でまったくブレがない。ふたばはちらりと視線を精霊に向けたが、諌めたところで効果はないとわかっているので、特に苦情を出しはしなかった。


 辺りが薄暗くなってきて、一行は夜明かしをする場所を決めた。

 森の奥にあった横穴で火を起こし、暖を取る。ジャンドの疲労は極限まで来ているらしく、半分閉じた目でぼうっと炎を見つめている。

 その隣で、妹のリムラが横たわっていた。肩まで伸びた細い髪をロクェスは優しく撫でて、ふたばの方へ視線を動かしてこう告げる。

「朝よりは熱も下がったようです」

「そう」

 その報告に「良かった」と思うが、この旅はいつまで続くのか。落ち着ける場所がなければ、精神的にも限界が来るのではないか。

(やっぱり)

 無理、の単語を呑み込んでいく。口に出したらきっと、その瞬間心にヒビが入ってしまうだろう。ジャンドも、ロクェスも。もちろん、ふたばも。

(どうにかなるはずだ)

 ロクェスとヒューンルが話した「潜んでいる人々がいる」可能性に賭けるべきだとふたばは思う。

「そうだね、多分、隠れている人たちはいるはずだよ」

 呑気なハゲハゲ精霊は腕を組んだ姿勢でうんうんと頷いている。

「なんてったって、魔物よりも人の方が断然数が多いからね。全員捕まえようったって、それは物理的に無理だもの」

「そうなの?」

「そうだよー。魔物の力は本当に強いけど、人が滅びないのは数が違うからだよね」

(知らないけど)

 メーロワデイルの常識を一つ新しく学んで、ふたばはふうっと息を吐き出した。


 きっと、どこかにいる。

 ライラックムーンの魔の手から逃れた人々が、息を潜めて待っている。

 そう信じなければ、進んでいけない。


 とはいえ、甘い希望的観測に頼って進むのは危険だ。

(ないものだと思ってやっていかないと……)


 しかし、ヒューンルの言葉の響きはこの上なく魅力的で。

 出来れば大勢が潜んでいて、ふたばたちの助けになってくれて、平和を取り戻した後はたくさんの人たちが解放されたら、どんなにいいだろう。


(まただ)

 溜息。

(また、甘いこと考えてる)


 「真面目に考えたつもり」はもうやめだと何回も考えているのに、目の前に提示された優しい幻想によりかかろうとしてしまっている。

(それじゃダメなのに)

 眉間に思いっきり皺を寄せ、揺れる炎を親の仇とばかりににらみつけるふたばの足に、触れるものがあった。

「ん?」

 

 触れていたのは、小さな手だ。リムラの小さな手が、むっちりとしたふたばの足首の部分、ブーツの上に伸びてきている。

「……大丈夫?」

 なるべく、優しげに。あまり経験のない小さい女の子との会話に緊張しながら、ふたばは声をかけた。

 リムラはくりくりとした目を見開いて少し驚いた表情を浮かべたものの、にっこりとほほ笑んでこう呟いた。

「きれい」

 うっとりとした視線の先にあるのは、ふたばの着ているコーラルシャインの衣装、スカートの部分だ。上半身はニティカからもらった薄汚れたポンチョで隠れているが、腰から下はピンクと白で構成されたヒラヒラフリフリのスカートとリボンが見えている。

 リムラが着ている服は裾がほつれ、薄汚れている。今にも穴の開きそうな靴に、心が疼いた。


(六歳って)

 小学校一年生になるかならないか、その程度の年齢だ。

 ふたばが六歳だった頃、それは、お姫様やドレスに一番憧れていた時代だ。魔法少女になると心に決めたのもその頃。当時憧れていた姿を、今、ふたばはしている。首につけられたチョーカーやステッキのところどころに小さな輝く石が嵌っていて、焚き火の光を浴びて輝いている。

 きらきらと輝くピンク色にときめくのは、当然だ。極限の疲労の状態にある幼い女の子の視線はぼうっとしていて、熱い。夢と現実の狭間にいるのかもしれないとふたばは思う。


 スカートの端につけられた小さなリボンをほどいてみると、スカートに縫い付けられているのがわかった。ふたばは少し悩んだものの、荷物の中から錆びたナイフを取出して糸を切り、リボンを外した。

 きょとんとした表情のリムラの細い腕に、巻いていく。

 蝶結びにしようとして、ひっくり返った形になり、慌てて修正してから話した。

「これ、あげるからね」

 愛らしいキラキラのピンク色が腕に巻かれて、リムラの表情が変わっていく。驚き、戸惑いから、笑顔に。幸せそうな、愛おしそうな表情で微笑んでいる様子に、兄のジャンドも顔に入っていた力を緩めた。

「ありがとうございます」

 ううん、と小さな声で返して、ふたばは立ち上がった。


(このくらいしかできない)

 先ほどまでなにを考えていたのか、頭の中を探っていく。

 ほのぼの路線へ切り替わっていた思考を元に戻さなくてはならない。

(そうだ)

 これから先の旅路について、覚悟を決めなくてはと思っていた。それを思い出して、ふたばは空を見上げた。今日もまた大小の月が二つ、空に浮かんでいる。紫がかった空の色の中に、星は見えない。この世界に星があるのか、浮かんでいるのもそもそも「月」ではないだろうと考えながら、思いを馳せていく。


(千華)

 

 突然巻き込まれた異世界行は、厳しい。

 魔物と戦って、仲間が死んで、なるべく見つからないようにひっそりと進んで、小さな子供のこれからについて悩んで――。

(どうしてなんだろうなあ)

 千華はどうやってメーロワデイルへ来たのだろう。どうしてこんな不幸な世界を作っているのだろう?

(会えば、わかるのかな)

 その理由を聞けば、理解ができるのか。

(そうだったとしても……)

 聞いたところで、到底許せない。今までに彼女がしてきた「あれやこれや」は。


(クジラは賢いから、殺すなんて残虐なんだっけ?)

 魔物と心を通じ合わせて、彼らも案外ハートフルだと感じたのかもしれない。そんな心の交流があって、人は滅ぼすべきだと決めたのか。


 自分の中に浮かんできたおかしな想像に、ふたばは小さく笑った。

(違うよね)

 そもそもが間違っている。ふたばはぐっと眉間に力を入れて、両手で自分の頬をパンと叩いた。


(千華の事情なんてどうでもいい)

 相手の言い分に惑わされては、駄目だ。自分がどうあるべきか、心の中に一本芯を通しておかなくてはいけない。もしも汲むべき事情があったとしても。

(許されない)

 家を、国を、命を、家族を、自由を。

 奪われて苦しんでいる人がいる。大勢いる。今、目の前にもいる。


(許したらいけないんだ)

 それがたとえ、かつて一番大切な友人であったとしても。

(友情なんて)

 もうない。もう、失われた。壊れて砕けて、散った。

(惑わされない)

 「あの頃」は「あの頃」。今とは違う。


 そう思っているのに揺れる「決意」に不安がよぎる。

 ふたばは夜空に浮かぶ大きな月をきりっと見据えながら、震える心をなんとか止めたくて、強く手を握りしめた。

 

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