魔法少女は決意する
明けて、次の日の朝。
ロクェスが唱える朝の祈りにふたばも付き合っていた。目を覚ました兄妹も一緒になって、この日の無事と、昨日失われた仲間への鎮魂の言葉を紡いでいる。
(神様が本当にいるんなら……)
思考が濁っていく。
神様はきっといないか、もしくは山ほどいるんだろうとふたばは思う。
もしも絶対的な力を持った慈悲深い存在がいるというのなら、ニティカはあんな風に死ななかっただろう。そもそも魔物なんていう存在がいないはずだし、千華のやりたい放題を放っておくわけがない。
もしも沢山いるのならよほどお互いが嫌いで、足を引っ張り合ってばかりいるに違いない。
この考えの方がよっぽど納得がいって、ふたばは閉じていた目を開けた。メーロワデイルの面々はまだ大真面目な表情で祈りの時間を過ごしている。ところどころに聞き慣れない単語が入っていて、相変わらず意味がわからない。
最後に手を右に、左に動かして、馴染のない動作をしたら祈りは終わり。
ヒューンルの持っている力は、戦いや魔物から身を守る用途には使えそうにないものばかりだった。自動翻訳の他に、水を出す、物を動かす、光を放つなどができるらしいが、範囲や時間、サイズが限られている。しかも全盛期よりもパワーダウンしているらしい。
その他に、力を与えた相手の心のうちを読める。これは役に立つのか立たないのか、一番わからない。
「まあ、水が出せるっていうのは役に立つよね」
「うん。最上級にね!」
最初の敵との戦いの時に出した光の球はただのこけおどしで、ダメージは与えられない。持続性はなく、ぱっと閃いたらそれで終わり。夜の間の照明としても使えそうにない。
「例えば、魔物に見つからなくするとか、そういう機能はついてないわけ?」
「いいねえ、そういうステルス能力があったら」
(ないのかよ)
結局、地道に進んでいくしかない。
ここからは小さい子供連れの旅になる。難易度があがってしまった行程にふたばが顔をしかめると、ロクェスが控え目にこう告げてきた。
「ふたば、どこかにきっと潜んでいる誰かがいます。あなたが最初に訪れた場所に居たのは、リパリーガントで抗戦していた者の生き残りです。それとは別に、カルティオーネや周囲の国々から移動して、戦い続けてきた者たちがいるはずなのです」
「どういう意味?」
「戦いから逃れて潜んで、魔物達に対抗するための準備を進めている組織もあるだろうって話だよ」
千華のいるカルティオーネから、魔物達は少しずつ西と南に向けて進軍をすすめてきた。
敗走を重ねて南の僻地、人の暮らしていない荒涼とした場所の地下へ追いやられて、干からびるのを待っている。すべては終わり。諦めの中でじっと膝を抱えて、静かに最後の瞬間を待つ以外にない。
あの秘密基地にいた面々は、そういった人々だったらしい。
「……私も、もう終わりだと思っていました」
騎士の声は小さい。目を伏せ、手を組んだ姿勢で呟くように、囁くようにそう話し、しばしの間を開けて顔をあげた。
「しかし、ヒューンルが目覚めたのです。そして、この世界を救う唯一の手段を我々に告げました」
ライラックムーンを倒せる存在。
コーラルシャイン。失意の谷の底に沈んでいた最後の希望。
彼女を呼び寄せ、悪の女王を止める――。
ロクェスの唇がかすかに動き、ふたばは言葉の続きを待った。
だが、出て来ない。きりりと唇を強く結ぶと、騎士はゆっくり重々しく頷いて、うすく微笑みを浮かべた。
「ありがとう、ふたば」
まだ勝ったわけではない。それどころか、やっと一歩踏み出し、ようやく目を覚ました程度でしかない。大切な仲間が既に一人失われ、これからの道のりの難易度をあげる小さな二人が加わったところだ。
(礼なんて)
してもらえる立場にない。ニティカを思うと胸が疼いた。止むを得なかった、仕方なかった、そんな言葉で帳消しにできる失敗ではない。
けれど、言ったところでどうにもならない。
(これ以上の失敗はしない)
そう思う以外にない。けれど、自信もない。敵は倒せるけれど、味方を守るには――。
「ふたば、もしも隠れている者たちがいたら、ジャンドとリムラはそこに預けて行きましょう。リパリーガントを抜けて北へ向かえば、プロレラロルに入ります。プロレラロルの東には入り組んだ谷が広がっていますから、そこに潜んでいる人々がいるのではないかと思うのです」
(わかんない)
ロクェスの真剣な語り口に希望を感じるものの、国の位置関係がまったく把握できずに地球からやってきた少女は唸る。
「ふたば」
ヒューンルに招かれ、ふたばは小屋から出た。精霊はぴゅーんと森の方へ飛んで行ったかと思うと、棒を一本拾ってすぐに戻ってきて、地面に地図を書き始めた。
「まずは千華のいる、カルティオーネ」
棒は地面を削って、大きな丸が描かれる。その右側にママスレート、左にロローノッカ、上にミチラと書かれた丸が添えられていく。
「千華がまず最初に滅ぼしたのが、ミチラだよ。そこからカルティオーネを包囲するように、順番に周りの国を落としていった」
ロローノッカの左下に、キューゼラノの国が描かれていく。
「ここは鉱山が沢山あるんだ」
キューゼラノの右隣、カルティオーネの下にあるのは、ポーラリンド。その下にプロレラロル、更にその下に、リパリーガント、と書かれていく。
「僕たちがいるのは南の端だね。森が広がっていたでしょう? あれの先にはなにもないんだ」
「へえ」
この簡単な地図の縮尺はどうなっているのだろう? そんなふたばの疑問に、ヒューンルは明るい声で答えた。
「テキトーだからね、これ。プロレラロルとリパリーガントは特に、東西にながーい国なんだ。だから、南北に縦断するのはそんなに時間はかからないはず」
(テキトーかよ)
顔をしかめつつ、縮尺については不問にして、もう一つの国について問う。
「レッシェンっていうのは?」
「それはここだねえ」
カルティオーネの北東、ミチラとママスレートの右上に大きな丸が描かれ、境界線にはギザギザの線が添えられていく。
「山が険しいのマーク!」
呑気な精霊の語り口に眉をひそめつつ、ふたばはきゅっと唇をかんだ。
「さっきロクェスが言ってたのはこの辺だよお。僕たちがいるのはここで、ちょっと北に行くとプロレラロルの南、リパリーガントとの国境付近。この辺は山とか谷とか洞窟とかがいっぱいあるの。隠れるにはもってこいの地形なんだ」
現在地から右上にあがったあたりに、三角形がたくさん描かれていく。
「そっちへ行くのは寄り道になるんじゃないの?」
「ううん。カルティオーネへまっすぐ進んだら見つかっちゃうでしょ? この森からプロレラロルの渓谷を抜けて、ポーラリンドにある森を抜けていくつもりだったから」
とにかく、魔物のいないところを通っていくルートだとヒューンルは話した。
なるべく見つからないように。千華に、ふたばが来たと知られないように。そして、魔物がいない場所にこそ、人が残っているはずだというのぞみを胸に。
夜の間、二人と一匹でした確認作業。
これからの道のりと、わずかばかりの希望と、方針の確認。
「じゃあ、行こうか」
支度を済ませ、ふたばは立ち上がっていた。ニティカの持っていた荷物は、必要なものだけを小分けにして子供たちに持たせている。食料、水、薬。ささやかな量の命を繋ぐための道具を、ジャンドとリムラは神妙な顔をして背負った。
ふたばは振り返り、昨日失った仲間の少女の名を心の中で呼んだ。
(ニティカ……)
必ず千華を倒してみせるだとか、犠牲を無駄にしないよとか、そんな言葉が胸の中に浮かんでは弾けていく。どれもこれも、あの勇敢な少女に向けるにはふさわしくない。
かといって、ごめんね、だけでは足りない気がしていて。
足が重たかった。戻って埋葬してやりたい、花を添えてあげたい。浮かび上がる思いとは裏腹に、無理だとも思ってしまう。きっと、惨たらしい姿で横たわっているだろうから。
足がじっと止まっていた時間は、どれくらいだっただろう。
「ふたば、行きます」
ロクェスにかけられた声に、ふたばは慌てて振り返った。
(ダメだ)
これでは、また、同じだ。
(これじゃダメだ)
心を決めたつもり、何があっても動じないつもり、戦いの中に身を置く覚悟をしたつもり――。
(つもりじゃダメだ!)
「そのつもり」だけでは生き残れない。
ここから先に求められるのは、非情さだ。
(千華を止める)
それが、第一。ふたばだけは絶対にカルティオーネへ辿り着かなければならない。
(千華を止めるために、進む)
たとえ犠牲が出たとしても。
泣きながらでも進まなければ。
(私に求められているのは、そういうことだ)
昨日の夜に味わったあの悲しみ、虚しさ、怒り、情けなさ。
(もう、味わいたくない)
だから、戦う。真剣に戦う。敵を叩きつぶし、決して許さない。
(油断も、躊躇もしない)
もしも誰かが失われても、振り返らない。その時守れる命を守リ抜くために全力で動く。
肘まで包んでいる白い手袋が、きゅっと音を立てた。力強く握りしめた拳、爪が食い込んだ痛みの中で誓う。
(……欲張っていこう)
もしも誰かが犠牲になっても、仕方ない。
だけど、できるかぎり犠牲は出したくない。いや違う。
犠牲は出さない、とふたばは誓う。
(出来なくても仕方ない、でも、出来る限りやるんだ)
力を惜しまない。食事はちゃんと食べて、水だって飲む。使える物が見つかったら、なんだって使う。子供だろうが老人だろうが、協力できる人間がいたら手伝ってもらって――。
(重たい)
自分の前を歩くロクェスの後姿、ジャンドとリムラの繋いだ手、斜め左をふわふわと漂うヒューンル。
(正義の味方って、大変だ)
テレビ画面の中でかっこよさげな台詞ばかり吐いていた、憧れの先輩たち。
彼女たちのセリフを考えていたのは、一体どこの誰なのだろう。その脚本家たちは、悪と戦い、理不尽な世界で圧倒的な暴力に晒された経験があるのだろうか?
(そんなわけない)
そう考えて、ふたばはふっと笑った。
自分こそが、どんなヒロインよりも過酷で、大勢を救う英雄になれるのではないか。頭をよぎったそんな思いがおかしくて、くすりと笑い、ふたばは大地を踏みしめながら暗い森の中を進んだ。




