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わたしとあの子の桶狭間  作者: 澤群キョウ
結構厳しい、異世界行

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13/42

ないパターン

 ステッキの明りを抑え、木々の間を歩いていく。時折小さな声で名前を呼びかけながら、ふたばは少女の姿を探した。

「リムラ」

 返事はなく、森の中は静かだ。少しずつ日が落ち、足元から闇が忍び寄ってきて、異世界からやってきた少女を包み込もうとしている。


(不気味)

 住んでいた街の端にある小さな山。その中腹にある神社で肝試しをした思い出がふたばの脳裏に蘇る。小学生だった頃、町内会が主催した夜の散歩に参加した時のことだ。

(慶太がビビリまくってて)

 出てきたオバケ役の近所のおじさんを、ふたばが撃退した。中腰でびくびくしながら歩いて、パーカーの裾を掴んだまま離してくれない幼馴染のために戦った、そんな思い出。

 子供の頃の夏の記憶と重なる、薄暗い森。しかし。

(全然違うよね)

 なにせ魔物が出る。意志の疎通も会話もできない正真正銘の「敵」が、人影を見るなり襲ってくる。


 そんな設定の異世界を、一人で彷徨っている。


「リムラ」

 小さな声がやたらと響く。風が吹いてきて、木々を揺らす。葉がざわざわと鳴って、ふたばの胸の中まで揺さぶっている。


「ふたば!」


 背後からした声に、少女は飛び上がった。

 振り返るとそこにはニティカがいて、息を切らしている。

「ニティカ、どうしたの?」

「イワッセフォンフ リーセイ。ウイ リムラ オンガッテ アットィプンリガー」

「はい?」

 笑顔で語りかけてくるニティカに真顔でこう返し、ふたばは気づいた。

(しまった)

 ヒューンルの自動翻訳の範囲外にいる。

「リムラ ワッセフォンフ リーセイ」

(笑顔だし、リムラって言ってるし)

「リムラが居たの?」

「イドッタ オムニヤッテ ヨーシ?」


(わかんないのはお互い様か)

 しかし、わざわざ追ってきてこの表情ならば。ふたばは二度大きく頷くと、ニティカの手を取ってもと来た道を戻ろうと促した。


 その刹那。


 恐ろしい速度で落ちてきた、三つ又のモリ。

 見覚えのあるものだった。二人のつないだ手、スレスレの場所(ライン)を通り、地面に突き刺さってびぃんと音を立てている。


 見上げればそこに黒い影が迫っていた。音もなく、声もあげずにまっすぐに。二人めがけて魔物が急降下をしてきている。

「ふたば!」

 ニティカが叫び、槍を構えている。ふたばもステッキを呼び出し、どっしり構えて、戦いの始まりに備えた。


 魔物の動きは速い。どう対抗すべきか。茶褐色の魔物との戦いの中で思い出した技の数々。戦いの中に身を投じていた日々のすべてが脳裏に蘇って、ふたばの魂を呼び起こしていく。

(あの頃みたいに)

 失敗したらその場で終わり。命のストックも、リセットボタンもない。生きるか死ぬか。究極の二択の中に身を投じている。

(恐れるな!)

 ヒューンルに認められた強い力を持っているのだから、怖がる必要などない。


 ステッキを天に向かって突き上げ、光の輪を作る。シャインホールドループ。大きな輪を作って投げ縄のように操る、魔物を捕縛する技だ。


(さあ来い)


 恐ろしい、と心の奥で目を閉じている自分がいる。

 それとは別の、勇気に満ち溢れた正義の戦士・ふたばも、両手を広げて立っている。しっかりと足に力をこめて、大地を踏みしめるようにして、現実から目を背ける弱い自分を庇って立っている。


 ふたばの声に応えるように魔物が一直線に、まっすぐに迫る。


「マーニモー!」

 隣でニティカが槍を構え、叫ぶ。槍の先が震えている。足も、いや、体すべてが震えているのだろう。一度戦って、傷を負わせてきたのと同じ魔物だ。倒せるわけがないし、怖くて当たり前。


 それでも、ガクガクと震えながらも武器を構えてニティカは立っている。

 痛々しく、凛々しく、悲しく、神々しい。

 

 この勇敢な少女を守らなくてはいけない。

 だから、自分が負けるわけにはいかない。


(絶対に!)


「ニティカ、伏せて!」

 翼を畳んだ状態で飛び込んでくる魔物。輝くループをくぐった瞬間を見極めてステッキを振り下ろせば、輪が瞬時に縮まり、黒い体を捉えて縛る。投げるようなモーションでステッキを振り下ろし、地面へ叩きつけてやる。

 再びステッキを振り上げれば、同じ軌跡を辿ってループも動く。半円を描いてもう一度魔物を地面に叩きつけると「ぐぎゃっ」と悲鳴が上がり、固そうな翼と細い右の腕が折れた。

 薄暗い影の世界で、正確な色はわからないが、魔物の体からは血が噴き出していた。漂い始める悪臭と残酷な光景に歯を食いしばりながら、ふたばはもう一度ステッキを振り上げて、今度は魔物の体を木にぶつけた。ぶつけられた木には亀裂が入り、みしみしと音を立てて揺れる。

 その下で魔物は体を不自然な形に曲げて、ビクビクと震えていた。

(よし)


 もう飛べそうにない形になった翼と、最早動けそうにない姿にふっと息をついた。


 ほんの一瞬の、完全な「油断」。


 吐いた小さな息を切り裂いて、闇の中から飛んできた細長い鋭いモリ。木々の隙間を縫い、ふたばの前を行き過ぎて、止まる。


「おっ」


 最後の言葉はたったそれだけだった。禍々しい色の空に浮かんだ月の明かりを浴びて、闇の中に浮かび上がる黒いモリ。それが、ニティカの体を貫いていた。


 ふたばが敵を倒した光景に浮かべた安堵。

 安心して、緊張を解いて、異世界からやってきた戦士の強さに希望を感じながら――。


 薄く笑みを浮かべたまま少女がゆっくりと崩れ落ちていく様子はなぜか、スローモーションのようにふたばの目に映っていた。


(なに?)


 飛んできたモリに押されて、ニティカは横向きに倒れていく。

 バタバタと音を立てて落ちていく血の雨で地面が濡れる。

 持ち主を失った槍がカランと乾いた音を立て、その隣にどさりと体が落ちて、がっくりと倒れこむ。


 ふたばがゆっくりと振り返ると、闇の中に魔物が立っていた。二人の方を指差し、ぐわぐわ、と音を立てている。

 それは笑い声なのだろうか。表情は見えないし、そもそもどのような感情を持っているのか、恐らく理解はできない。なんといっても異世界の、自分とはまったく違う、異質な生き物なのだから。


 頭の隅で冷静にそんな風に考えて、ふたばはほんのちょっとだけ笑いながらこう呟いた。


「なにしてくれちゃってんの?」


 ふたば自身以外には届かないであろう、震える唇の奥、口の中だけに留まった囁き。

 それはそれは小さな声だったが、音にしたことで、ふたばの体は再び動き始めた。


 知っているのは名前だけだ。あとは、好きな相手。真面目そうで、初めて会った相手をふとっちょ呼ばわりする無礼さも持っている。多分一途で、好きな人のためなら実力以上の馬力が出てしまうタイプだろうと思う。


 そのくらいしか知らない。

 知らないけれど。


「でも」


 こんな風にあっさりと命を絶たれて。


「いいわけないでしょうがあ!」

 

 叫びと共に、大量の光が魔物へ向けて飛び出して行った。技の名前を叫んだり、ステッキを振る必要すらない。哀しみと怒りが心の中で溢れて、それがそのまま力になり、輝く光の球になって倒すべき相手に向かっていく。


 気が付けば、魔物の姿は跡形もなかった。

 細かな黒いかけらがその辺に散らばっているだけだ。魔物を叩きつけた木も粉々になって舞い飛び、そこらじゅうに葉を散らして、残っているのは一匹目が落とした黒いモリだけになっている。


 呼吸がうまくできない。涙が止まらない。

 目の前に突然現れた理不尽な死に、納得がいかない。


 わかっていたはずなのに。覚悟をした気でいたのに。だけど、想定外だった。自分と共に行く誰かの死なんてものは。足手まといは連れて行けない。何かあった場合は、容赦なく切り捨てなければならない。それが「前提」だったはず。

 けれど、そんな事態が起きるなんて、ふたばは思っていなかった。

 正義の味方はいつだって、どんなにギリギリになったとしても、罪のない人々を守り続けるものなのだから。


(こんな展開なんて、なかったよ!)


 朝早く、もしくは夕方に画面の中で華麗に戦っていた正義の味方のお姉さんたち。犠牲になるキャラクターがいなかったとは言わない。けれど悲劇が起きる時には、仲間を救うために自ら犠牲になるとか、戦ったけれど力が足りなくてとか、必ず「やむを得ない理由」があった。


(弱いから死ぬ、なんて)


 そんなパターンはなかった。なかったはずだ。ないべきであり、理由もなくただ命を奪われるなんて、納得がいかない。踏みにじられるだけの登場人物なんて、そんなの、必要、ない。絶対に、ないはずで、ないはずなのに。でも、目の前には、ないはずのものが、横たわっていて。 


(どうして?)


「ふたばーっ!」

 

 涙で霞んだ視界の先に現れたのは、ヒューンルだった。慌てた様子で短い手をぱたぱたしながら、ふたばに向かって怒鳴っている。

「ピカピカドンドン派手に戦い過ぎだよ! これじゃさすがに気が付かれるって。早く、逃げるよ!」

「え?」

「逃げるんだって。隠れなきゃ! 大量に敵がきたらさすがにヤバいヤバい、ヤバすぎるよー!」


 ちょこんとした小さな手に指を掴まれ、引っ張られるままに、ふたばは走った。

 メーロワデイルに来て以来少しだけやせたものの、まだたっぷりと肉の乗った体の動きは鈍い。


 ちんたら走った先で待っていたたのは、ロクェスとジャンド、そして見知らぬ小さな少女だった。


 戻って来た救世主の表情は茫然としており、あるはずのもう一つの人影はない。事態にすぐに気が付いたらしく、騎士の表情が歪む。ロクェスは咄嗟に強く目を閉じたものの、すぐにきりりとした顔を作るとふたばにこう告げた。

「行きます」

 小さな女の子を抱いたまま、騎士が駆けだす。憧れの騎士様の後を、少年が続く。


 一瞬だけ見えた、ロクェスの顔。

 諦めの奥に秘めた感情が、滲み出ていた。

 

 悔しさ、悲しさ、やるせなさ。ふたばも同じ気持ちだ。どうしてこうなってしまったのか。どうしてこんなにあっさりと命が失われてしまったのか。どうにかできなかったのか。――どうにかできたはずなのに。


 涙をぼろぼろと流しながら走る。

 後悔以外に浮かぶものはひとつもなくて、心はそれ以上動かない。


 体の内側に吹き付けてくる吹雪に震えながら、ふたばは、ただただ駆けた。

 息苦しくてたまらなかったけれど、喉がカラカラに乾いていたけれど。

 それでもひたすらに騎士の背中を追って、森の中を駆け抜けて行った。

 

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