ビジュアルに難あり
リパリーガントの城が闇の中にぼんやりと浮かび上がっている。
一行は城下町の南東に広がる森に入り、城の影を遠くに見ながら薄暗い木々の間を歩いていた。
森の中の方が魔物が多いのではないかというふたばの想像は間違っていたらしく、木の間に蠢く影はない。時折風が吹いて葉を揺らす以外に聞こえるのは、三人の足音だけだ。
ロクェスは街の様子を見たいとが漏らしたが、上空に舞う翼の生えた魔物の影が多く、諦めなければならなかった。ふたばが考えた通り、空飛ぶ魔物は偵察の役目を負っているのだろう。街の上を旋回して離れない。
ふたばは木々の隙間から城を眺めながら考えを巡らせていた。
(やっぱり無理だよね)
救える者がいるのならば、救いたい。
ロクェスの切なる願いだが、戦うという選択は危険だ。
しかも、残っている「誰か」がいるようにはまったく見えないわけで。
「ねえ」
できる限り声を抑えて、ふたばは隣を飛ぶヒューンルへ話しかけた。
「なあに? ふたば」
「捕まえる相手がいなくなったら、魔物たちはどうするの? ずっとあそこに残るの?」
「うーん、どうかなあ。ここから先は人がほとんど住んでないエリアなんだよね。ここまではリパリーガントの進攻のためにきたんだろうけど。ねえ、ロクェス」
ロクェスは眉をきゅっと寄せて苦々しい表情を浮かべたものの、なにも答えない。
「わかんないって!」
いつもよりほんの少しだけ控え目に、ケタケタとヒューンルが笑う。
「もしかしたら!」
それを打ち消そうかとするように、珍しく騎士は声を張り上げた。
「……もしかしたら、まだレッシェンは落ちていないかもしれませんから」
言葉が進むにつれ声は小さくなっていき、最後には消え入ってしまいそうなほどだった。
「レッシェンって?」
ふたばはそっとニティカに近寄り、耳打ちをするようにこう質問した。
「ミチラの北東にある国です。ミチラとの国境には険しい山があるので、レッシェンがどうなったのか、はっきりとした情報は得られていないんです」
ニティカの言葉もやや歯切れが悪いとふたばは感じた。希望的観測。こうあってほしいという願望でしかないように思う。
ふたばはメーロワデイルの地理を知らない。国の名前もうろ覚えだし、どのような配置になっているのか、頭の中に地図を描くのは難しい。
頭の上の方へレッシェンを置き、その左下にミチラ。近くにはカルティオーネ。
慣れないパズルを組み立てながら、まだレッシェンが無事ならば、どのような展開が待っているのか考えていく。
魔物達が集まって攻めに行くかもしれない。
リパリーガントに集まっている軍勢が、レッシェンへ向かう。ロクェスが言いたかったのはこの予測なのだろう。それは希望に満ちているようで、絶望的でもあった。まだ無事に残っている国があるのなら、次に攻め込まれるのはそこだ。
結局、急いで進まなければならない状況に変わりはなかった。これから先に起きる悲劇を出来る限り減らしたい、減らさなくてはならない、かつての友人の凶行を止めて、世界を元に戻すために進んで行かなくてはならない。
「なに話してるのー? さすが同じ年頃の女の子同士、仲良くなったかなー? ささ、いいんだよ。恋の話とかに花を咲かせても。ねえねえ、ニティカはどんな男性が好みなのかな? もしかして、誠実で、真面目で、ちょっと頑固で、融通が利かない純朴系男子とかがいいんじゃない?」
「あんたねえ」
ふざけた精霊の後ろ頭に手刀を入れ、吹き飛ばしてやる。だがもちろん、これで懲りるはずもない。
「ふたばは相変わらず、幼馴染の慶太が好きだったりするの?」
「うるっさいわ!」
怒鳴ってから、ふたばは慌てて口を押えた。しかし、遅い。声は木々にぶつかっては跳ね返り、遠くまで響いてしまった。
「ふたば、声が大きいです」
「ごめん」
一気にどうっと噴き出してきた汗が、森の空気に触れて冷えていく。ふたばが体をぶるっと震わせた瞬間、聞き覚えのない声が耳に届いた。
「誰かいるの?」
弱々しい、子供の声。
真っ先に反応したのは、やはり騎士だった。
「ヒューンル、どこにいるかわかるか?」
「僕にはレーダーはついてないんだよね。あったら、最初からもっと色々できたと思わない?」
軽口を叩いている間にガサガサと音が鳴って、薄暗い木々の合間から小さな影が飛び出してきた。
「お兄ちゃんたち、魔物じゃないよね? ねえ、魔物じゃないよね?」
光が差し込まない森の中は暗く、出てきた子供の姿はよく見えない。ボサボサに広がった髪の下に顔が隠れているし、身に着けている服も、その下からのぞく肌も黒ずんでいる。
「ああ」
小さな体が地面に倒れ込み、ロクェスが慌てて駆け寄って、支えた。
水と食料を受け取ると、少年はものすごい勢いで飲んで食べた。あっという間に食事を終え、軽くむせて、ニティカに背をなでられながらまた咳込んでいる。
「ありがとう、お兄ちゃん、お姉ちゃん」
大きな目をくりくりと輝かせながら、ロクェスとニティカに弱々しくも微笑みかけ、少年は次にふたばとヒューンルの姿を見て動きを止めた。
「ええと」
珍妙な格好の太った少女と、毛をむしられた精霊になんとコメントをしたらいいのかわからない。そんな戸惑いを感じて、ふたばは小さく息を吐いた。これから出会う人は恐らく皆こんな反応をするんだろうと思うと、気が重い。
絶句する少年の隣にしゃがみこんで、騎士が優しく微笑みかけている。
「私はカルティオーネの騎士ロクェス、こちらはキューゼラノから来たニティカだ」
「カルティオーネのロクェス? あの、光り輝く騎士のロクェス様?」
少年の顔がぱあっと輝き、その分、ロクェスの表情からは笑みが消えていく。
「今はもう違う。精霊の力は失われたのだから。こちらは、ふたばと、彼女に力を貸している精霊だ。君の名前は?」
「あ、はい。僕の名前はジャンド。すぐそこ……、リパリーガントに住んで」
言葉が途切れる。
なぜ途切れてしまったのか、ふたばはすぐに気が付いた。彼の家はきっと、もうないのだ。
小さな心の中で起きているであろう葛藤に、三人の心が痛む。
「あ、あの、ロクェス様」
いつの間にかぼろぼろと涙を流していた少年が、声をあげる。
「妹がいるんです。一緒に森の中に逃げて来たんだけど、途中ではぐれちゃって。魔物が追って来たから隠れて……。まだ見つかってないと思うんだ。だって、声とか、全然聞こえなかったから、だから」
一緒に探してほしい。
少年の願いと、騎士の想いは同じだ。助けられる誰かがいるなら助けたい。
ふたばも同じ気持ちでいる。しかし今、実際にこうして頼まれてみると、一気に胸のうちに膨れあがってくるものがあった。
助けられる訳がない。
子供を連れて行くなんて、不可能ではないかとふたばは思う。
置いて行くわけにはいかない。けれど、最初にいた秘密基地へ子供だけで行かせられないし、連れて行ってもやれないだろう。
大体、食料が尽きかけた場所へ連れて行ったところでどうなる?
(そもそも……)
千華を改心させて魔物達を追っ払ったところで、そこら辺から食料が湧いてくるわけではない。
女王様がいるカルティオーネには、もしかしたらふんだんに食べ物も衣服もあるかもしれない。けれど、一ケ月かかる場所だ。運んだところで、何人が無事に残っているだろうか。
(最初から無理だったんじゃない?)
しかし、その言葉を声に出してはならない。
目の前で泣きじゃくるジャンドの悲しみ、たった一人で森の中に潜んで妹の身を案じていた、ここまでの心細さはどれ程のものだっただろう。
「わかった、我々も探そう。しかしジャンド、我々はカルティオーネに向かわなければならない。この世界を踏みにじる一人の女を倒すために行かねばならないのだ。だから、あまり長い時間は留まれない。それに、お前をここに残していきはしないが、余裕のある旅ではない。足手まといになったら置いていかなくてはならない」
ロクェスの緊迫した様子にジャンドは涙を止め、しばらくの間目を潤ませたまま黙っていたが、やがて年に似合わぬ大人びた表情を浮かべると静かに頷いた。
「わかっ……、わかりました、ロクェス様」
ジャンドはきりりと顔を引き締め、涙を拭っている。たまらない気分になって、ふたばは少年に背を向けた。
(ひどいよ、千華)
なんのつもりでこんな真似を続けているのだろう。
理想の国造り。自分だけが潤った、豊かで愉快な女王様生活。
楽しいだろうが、こんなに大きな犠牲を強いて許されるのか。
(そんなわけ、ないじゃん)
ロクェスが強引に自分を連れてきた理由が、今更ながらよくわかる。
(やるしかない)
「妹の名前は? 探してくるよ」
「ふたば」
「戦いになったら、私一人の方がいいから」
咄嗟に視線を逸らす騎士の気持ち、その悔しさもわかる。
でも今はそれよりも、ジャンドが見せてくれた心意気に応えたい。
無理だと最初から決めつけるのではなく、可能にする努力を最後まで続ければいい。
「リムラです……けど、この人は、なんなんですか?」
カッコよく決めたふたばに、ジャンドの「心の底からの疑問」が思いっきりぶつけられて、当然のようにヒューンルがゲラゲラと笑い出した。
「あーはっは! 信じられないよねー、でも、このふとっちょがこの世界の救世主なんだよー! おぼえておいて、ジャンド君!」
「うるっさいわ!」
「静かに、ふたば」
騎士に制され黙ったものの、ふたばはムカムカを抑えきれないまま、地面に思いっきり八つ当たりをしながら森の中を一人進み始めた。




