なるはや強行軍
大きな茶褐色の魔物を倒したふたばは、疲れ果てていた。
魔物は打たれ強く、体力があった。動きは鈍かったものの打撃は重くて、些細なミスが死に繋がっていただろう。
死線をなんとかくぐりぬけて、ふたばは不敵に笑う。
この戦いは無駄ではなかった。
かつて使っていたコーラルシャインの技を思い出すことができたから。
まばゆい光を集めてぶつける、シャインボールアタック。
光のリングで敵を捕縛する、シャインホールドループ。
光をまとって攻撃力を増してぶつかる、シャイニングヘヴィアタック。
最後はとっておきの必殺技である、シャイニングエンチャントレス。勝負はついた。苦しげな唸り声をあげ、茶褐色の巨体がゆっくりと動きを静めていく。
勝利を収められたのは良かった。ロクェスとニティカにも怪我はなく、ふたばもひざをすりむいただけで済んだ。
ピクリとも動かなくなった魔物の様子には安心できたが、みるみる表皮が黒ずんでいく様は十七歳の心に大きく波紋を投じた。
生き物がはっきりと「死んでいく」様子をまざまざと見せつけられている。
かつて地球上で魔物退治をしていた頃にあった「倒した相手が消えていく」サービスは、やはりメーロワデイルにはなかったようだ。
(さすがに消えるとか、ないか)
ヒューンルは言った。世界とのつながりがなくなったら「弾かれる」と。
かつて地球にやってきていた魔物たちも、その命が終われば同じような現象が起きていたのではないか。だから、倒すなり消えて行った。なので、メーロワデイルでは「消えない」。
死臭に包まれているような気がして、ふたばはくるりと魔物の屍に背を向けた。自分のもたらした「命の強制終了」について、そういえばなにも考えていなかったと少女は思う。当時は倒したらキラっと光って消えていくのがスタンダードだったのだから、仕方ないとむりやり思いこんでいくしかない。
けれど、背後から忍び寄る不穏な、例えば死者の怨念のようなものが自分のまとわりついてきている気もして、ふたばはもう一度背後を振り返ると自分の倒した魔物の姿を見た。
太い手足は力なく地に伸びていて、その横には先程まで元気よく振られていた棍棒が落ちている。
明らかに自分の目の前に実在しているのに、非現実的な光景。
(そもそも)
自分が異世界に召喚されて戦っている今こそが、非現実的だ。
(魔法少女とかさ)
異世界からやってきた愛らしい姿の精霊が、自分を正義の戦士になれると言って力を分け与えてきた。
自分自身がやたらと滑稽に思えて、ふたばは小さくだが、声をあげて笑った。
「どうしたのですか、ふたば」
当然、隣に立つ騎士とお供の少女は不安げな表情を浮かべている。
「お腹が空きすぎて、おかしくなってしまったのでしょうか?」
(違うわ!)
ただのふとっちょキャラとしてしか自分を見ていないらしいニティカを、ふたばはギロリと睨んだ。
「何かおかしなことがありましたか?」
真顔でロクェスにこう質問され、ふたばはようやく笑いを引っ込めると、別に、と答えた。
「ごめん、なんか、一昨日までとあんまり状況が違いすぎて」
(滅茶苦茶引きこもってたのになあ)
途端にしょんぼりしだした魔法少女に、騎士と槍娘は戸惑うばかりだ。
「そりゃあ、僕たちが無理やり連れて来たんだもん。世界の危機ったって、ふたばには直接関係ないもんね! 僕たちが悪いよ、どう考えても。ねえロクェス!」
「いいよ、そんなこと言わなくて。もう行こう」
深刻極まりない顔の騎士に向かって慌てて笑顔を作り、ふたばは歩き出した。
未来へ続いているであろう道なき道の上で、歩みを進めていく。
リパリーガントの城のシルエットが、少しずつ近くなっていた。
城からあがる黒煙は途切れず、城の上を飛び回っている影がいくつもある。
「あの飛んでるのは、最初に二匹で出てきたのと同じ?」
ぶつけられた疑問に、騎士は少し渋い顔をしてこれだけ答えた。
「どうでしょう。翼を持った魔物は何種類かいます」
「そうなんだ」
会話はそこで途切れてしまった。
翼を持った魔物は城の上空辺りを旋回しているようで、見張りとしての役割を与えられているのではないかとふたばは思う。
「最初に会ったヤツらは偵察とか、そういうのをしてたの?」
「その可能性はあるかもしれません」
自信のなさそうな返答だった。
そう思われているとすぐに気が付いたらしく、ロクェスの表情は苦い。
結局、人を集めて連れ去っている以外の魔物の役割について、ロクェスたちはなにも知らないらしい。
「なんてったって、やられっぱなしだから!」
ヒューンルの言葉に騎士はますます顔を渋くしている。隣でニティカも悲しそうに俯いてしまった。
「でも、空を飛べるしあの秘密基地の近くまで来てたんでしょう? 誰かいないか、探しに来てたって考えた方がいいんじゃないかな」
「そうかもねえ。ここまでにあった集落にだーれもいなかったわけだし、一人残らず捕まえちゃおうって心意気は感じるよね!」
ここまでの道のりの途中、家らしきものがぽつぽつと建っていたが、ほとんどが壊れていたし、畑だったであろう場所は荒れ果て、人影など一つだってなかった。
「畑を耕す人も連れて行かれるんだっけ?」
「そうそう。ママスレートは山とか谷とかが全然なくて、農作物を育てるのにすごく適してるんだ。そこで集中的に色々作らせてるとかなんとか、らしいよ!」
(らしいよ! じゃないでしょうが)
底抜けに明るい精霊の声に疲労を感じながら、ふたばは唸る。
「見つかったら掴まるよね、私たちも」
「どうかなあ? 逆らうパターンは殺処分だよ思うよ、ぶたば!」
「あんたいい加減にしなさいよね!」
「駄目、駄目っ、騒いだら見つかっちゃう! 豚なのに犬死にしちゃうパターンになっちゃうよおー!」
とうとうヒューンルの頭に拳を打ち下ろして、ふたばはぶっとい腕を組んで更に唸った。
「どうかしましたか、ふたば」
「いや……、この格好、目立つだろうなあって思って」
ここまでの道の間に幾度となく苛立っていた不満。
ロクェスとヒューンルが家にやって来た時からずっと、腹立たしく思っていたピンクの、フリフリな上リボンが満載のロマン溢れる今の自分の服装について、一時的になんとなく諦めていたこともあった。しかし、世界に人影はなく、なるべく魔物に見つからないように進みたいという方針であるならば、クリアしておくべきではないか。
「ホントだよね! あはははは!」
「ヒューンル、笑い過ぎだ」
(ホントだよ)
騎士から厳しく諌められてもまだケタケタ笑う精霊の声も、これまた目立つ。誰もいない、何もない、何の音もない世界で、ピンクの衣装と高笑いは敵に「見つけてくれ」と言っているようなものだ。
「普通の服とかないの?」
「駄目だよふたばー! それはホラ、すごい防御力があるんだよ? 普通の服と一緒にしてもらっちゃ困るよ、これだから素人はさあ……。それに、目立つって言うけど、ロクェスは前、精霊の力があった頃はキラッキラのゴールデンシャイニングメイル着て戦ってたんだからねえ。目立ち度でいったらロクェスの方が断然上だったよ。今のふたばなんか全然お話にならないってくらい、キラッピカキラッピカしてたんだからねえ」
「へえ」
今現在、地味で誠実そうで更には純朴キャラクターとして認識させられているロクェスが、そこまでド派手な鎧を着ていた姿は想像がつかず、ふたばの顔は半笑いになっている。
騎士はそれを見て恥ずかしそうに目を逸らしたが、かわりにニティカが立ち上がった。
「素敵でした! ロクェス様は本当に素敵でした。輝く鎧をまとった姿は凛々しくて、本当に、本当に、女の子みんなの憧れでしたから!」
(追い打ちかけてどうすんの)
少女が熱弁を振るった分だけ、騎士の眉間の皺は深くなっていく。
しかし、ニティカが強く強くロクェスを想っているのは良く分かった。その辺りの感情に気が付いていないのか、それとも隣の少女は対象外なのか、ロクェスの表情に「喜び」の類の感情は浮かんでいない。
(確かに、それどころじゃないけど)
寒々しい光景、乏しい食料、魔物が跋扈する危機的状況。
人類が生き残るための道をどうにかしてつなげようと、同意も得ずに「救世主」を無理やり連れてくるようなやり方をしなければならない世界なのだから。
「わかった。でもなるべく目立たないように、上からなにか羽織るとかくらいはした方がいいんじゃないかなって思うんだよね」
「なにを羽織ったって、ふたばのその巨体だったらすぐに見つかっちゃうよ。あと、暑くてこれまで以上に汗かいちゃうと思うけど、それでもやる?」
「一言多いんだよ!」
今度はチョップを精霊の頭に繰り出し、ふたばは顔をしかめて舌打ちをした。
「あの、ふたば……。よかったら、これを」
とても救世主には見えない太った少女に、ニティカが控え目に差し出した物。
「これって?」
「防寒用のポンチョです。すべては隠れませんが、少しくらいは役に立つかと思いますので」
すすけた上に埃で汚れたこげ茶色のポンチョ。今すぐ洗濯機に放り込みたいレベルで汚れているが、ふたばはそれをしばらく眺めてから、ニティカに向けて微笑みを浮かべた。
「ありがとう」
シンプルな礼の言葉に、少女も微笑む。
「いえ」
(まともな対応されたの、初めてかも)
メーロワデイルに来る直前から続いていた、非人道的かつ無礼な取扱いの連続に危うく慣れてしまうところだった。そんな危機感を胸の中で噛みしめつつ、ポンチョを羽織る。
(……臭い)
長い間外で放置していましたよ的な、埃臭さが目に染みる。しかしそれは正に、今いる世界の現実だった。
(早く、行かなくちゃ)
道のりはまだ遠い。
なんとか、リパリーガントの城にはたどり着けそうである。しかしそこにはきっと、敵が多く潜んでいる。
なるべく見つからないように。
しかし、助けられそうな誰かがいたら、助けたい。
(なんか、無理っぽい気がする)
自分にどこまでできるだろうと、ふたばは思う。
魔物との戦い自体は、怖くはない。自分の強さについては精霊の折り紙つきだし、実際に戦えば勝利を収めることができた。疲れるし、腹は減るが、なんとかできるのではないかという前向きな希望は既に得られている。しかし、それはふたばだけの話だ。ロクェスとニティカに力はない。一度に大量の敵が出たら? 誰かを守りながら戦った経験など、ない。
そんな後ろ向きの思考が溢れてきた自分に気が付いて、ふたばは顔をぶんぶんと振ると、ロクェスへむけて振り返った。
「お城の前を通るの?」
「カルティオーネへ向かう一番早い道は、リパリーガントの城下町沿いの街道です。しかしそれでは見つかる可能性が高いので、少しだけ道をそれて、森の中を行くのがいいと思うのです」
「森の中、ね」
危険なルートを通る理由は、とにかく「近道」を行こうとしているかららしい。
メーロワデイル中の国がすべて滅ぼされ、すべてがライラックムーンのもとに集められている。彼女の凶行を一刻も早く止めたい。その為の強行軍らしいが、疑問に思う事がある。
「こんな言い方したらなんだけど、もう全部の国が滅びてるなら、安全なルート通った方が確実に行けるんじゃないのかな?」
「ふたば、国は滅びましたが、私たちのように潜んで、魔物から人を解放させようと戦いの準備を進めている者達があちこちにいるのです」
「そうなの?」
「そうなんだよー。一応、そういうレジスタンス的な人たちはまだところどころに残ってると思うんだあ」
残っているかけらを集めて、大きな希望にしたい。
急がなければ、魔物に見つかって殲滅されてしまうかもしれない。
ロクェスはそう話したが、ふたばは軽く首を傾げた。
「それって連絡とか取れてるの?」
答える声はない。かわりに精霊がふわふわ浮きながら、ふたばの前に移動してきた。
「ちょっと前まではギリギリで取れたんだよ。のろしとか、小鳥に手紙つけたりしてね。今は取れないけど」
生き残っている可能性は、ないかもしれない。
でももしかしたら、あるかもしれない。
急いで向かわなければ、メーロワデイルは終わりだ。
絶望的な状況を改めて説明されて、ふたばは少し悩んだものの、結局心に生まれた疑問を口に出すことにした。
「どうしてもっと早く、呼びに来なかったの?」
落ち込んで、引きこもって、外へは一歩も出ずにぶくぶく太っていただけの自分を棚に上げたふたばの疑問に答えたのは、ヒューンルだった。
「ボッコボコにされたせいで、僕も一週間前までずっと昏睡状態だったからだよ!」
「へ?」
えっへんと胸を反らす精霊の姿に、ふたばはひたすらに戸惑うしかない。
「それにしては、結構元気みたいだけど……?」
「僕たち精霊は、いつだってゼロか百かだから!」
「……ああ、そう」
意味はよくわからなかったが、とにかく自分とは違うし、今いる場所は自分が生きてきた世界ではない。
そんなことを考えながら、ふたばはそっと、メーロワデイルの空を見上げた。




