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わたしとあの子の桶狭間  作者: 澤群キョウ
結構厳しい、異世界行

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信じても、いいですか

 異世界の地を歩く。

 のどかな田舎のようだった。世界のどこにでもある、土と草と木に囲まれた風景。遠くには敗北の黒煙が上がっているが、それ以外の方向にはどこかで見たような光景が続いている。

 何時間も歩いてようやく入った休憩で、体の中に入れたのはほんの少しの水だけだ。

(お腹が空いた)

 ふたばが同行者に目をやると、二人とも疲れている様子だった。ロクェスもニティカも、服に血でできたまあるい染みが浮かんでいる。

 ニティカの傷は深くはないらしいが、浅くもないらしい。そんな状態でどこまで行けるだろうと、ふたばは疑問に思う。

「ねえ、大丈夫なの、それ?」

 腕に巻かれた布を指差して問うと、ニティカは疲れた顔に無理やり笑みを浮かべ、こくんと頷いた。

「平気です。もう痛くありませんし」

(ホントに?)

 眉間に入った力に、哀しみが募る。


 もしかしたら空腹だとか、乾きのせいかもしれない。ふたばもひどく空腹だった。朝、隠れ家を出る時に固くなったパンのようなもののかけらを振る舞われたが、なにせ小さい上に美味しくなかった。


 慶太の置いて行ったケーキが、今更惜しい。チョコレートのクリームの上に乗った苺。想像すると、口の中に甘酸っぱさが再現されていく。シロップをかけられた苺の甘さ、噛んだ瞬間撒き散らされる果汁の潤い。そんなものはこの世界では決して望めない。旅に必要な保存食だって、近所のスーパーで売られている有名なメーカーのものがあればと思う。どう考えても朝もらったものよりも味はいいだろうし、口当たりもいいはずだ。きちんと密封されていて、劣化のスピードも遅い。


 メーロワデイルは静かで、戦士の腹の音は周囲に大きく響き渡った。

 

「食料ならここにあるじゃない、ふたば」

 すかさずヒューンルが飛んできて、ふたばの腹をつつく。

「ここに備蓄してるんでしょ? 非常食がこれだけあるんだから、一か月くらいまともに食べなくても全然大丈夫だよ!」


 しゅっと細い体型をした二人の手前、ふたばはひどく申し訳ない気分になっている。

 この状況で、ひとり丸々と太った自分。

 隠れ家に居た面々の視線の厳しさにも納得がいく。

「ねえヒューンル、食料を出す魔法はないの?」

「ないよ!」

 今すぐ地球へ瞬間移動をして、適当に買い物でもして来られないものか。そんな思いが胸のうちをよぎる。

「それは無理だね。違う次元の世界へ行くのにはすごいエネルギーが必要なんだよ。最初に地球に行くときには、精霊王様が力を使ってくれたんだ。今はもう、手伝いをしてくれる人はいないからね」

「じゃあどうやって家へ来たの?」

「それは、ふたばが僕の力の一部を持っていたからだよ。繋がりがある相手がいる場合は、行き来できるんだあ」

 ヒューンルの言葉に一瞬頷いたものの、深刻な問題を孕んでいるのではという疑問を感じて、ふたばは声を荒げた。

「じゃあ今は出来ないの? っていうか、私、もう二度と帰れない?」

 慌てるふたばに対し、精霊はいつも通り、平常運転で答えていく。

「えっとね、まず一つ目の質問はその通りだね。今は地球との行き来は出来ない。二つ目の質問に関しては大丈夫だよ。僕と繋がりがなくなったら、ふたばはこの世界から弾かれる。千華もだけどね。元の世界へ戻るようになっているよ。そういう風にできているから、心配しなくていいんだよ!」

 そう、と呟き、ほっと息を吐く。


 空腹のせいか、体の中が耐えずきゅるきゅると鳴っていた。

 それが外に聞こえていないか少し気にしながら、ふたばは視線を動かしていく。

 遠くを見つめているロクェス。その切なげな姿を、控え目に見つめているニティカ。

 そういえば彼らは、どこでどうしていた人間なのか。家族は、国は、どうなっているのか。それを聞いていいのかどうかすら、ふたばにはわからない。

 

「行きましょうか」

 沈黙を破り、騎士が立ち上がる。ニティカが続き、ヒューンルはふわりと浮かび上がってロクェスの肩に乗り、ふたばもどっこいしょと立ち上がった。足が重い。体が重い。頭もひどく痛かった。寝不足、空腹、運動不足。溜め込んできた脂肪が憎い。

 汗をかきかき、のろのろと歩くふたばの隣に、騎士が歩くスピードを落として並んだ。

「ふたば、これからリパリーガントへ向かいます。もしかしたら、まだ無事な者たちがいるかもしれません。もしも……、もしも、助けられるならと思っているのですが、ご協力頂けるでしょうか?」

「え? もちろん、それは、うん。助けるに決まってる」

 当然だよ、と頷く救世主に、ロクェスはほんの少しだけ笑みを浮かべた。

「まだ残ってるかなー。みんな連れて行かれた後なんじゃないかなー?」

「どこかに連れて行かれちゃうの?」

「うん」

 騎士の肩の上で、ヒューンルは手を腰に当てたエラそうなポーズに話し始める。

「カルティオーネに連れて行かれるんだよ。魔物に抵抗して戦ってる人たちは大抵やられちゃうんだけど、それ以外、特に料理とか、金属加工とかができる職人はみーんな連れて行かれるんだよね。農民はカルティオーネの隣にあるママスレートへ、力の強そうな男はキューゼラノの鉱山で働かされてる。それ以外も大体、カルティオーネの城下町とか近くの集落に連れて行かれてる」

「どうしてそんなことをしてるの?」

「理想の国造りをしてるんだよ、ライラックムーンは」


 魔物を束ねたライラックムーンはいくつもの国をその支配下に置いているが、カルティオーネの城が気に入ったのかそこに腰を落ち着け、自分だけのために人々を働かせているのだとロクェスは話した。職人に服やアクセサリを作らせ、料理人に食事を作らせ、従順な乙女は自分のそばに置いて世話をさせている。必要な材料を鉱山で掘らせ、作物を畑で育てさせているらしい。


「ライラックムーンはメーロワデイルの女王になろうとしているのです」

 淡々とした口調で話すロクェスの声を聞きながら、ふたばは大きく唾を呑み込んだ。あの日、二人が決別した日の言葉はとても冷たいものだったが、千華自身がそこまで非情な人間だったとは思えない。


 なにか深い事情があって、なのではないか。そんな予感が胸をよぎって、心が重い。


「この世界の魔物と人とでは、意志の疎通はできません。魔物は人を喰らうために森や谷から出てきて、村を襲う生き物でした。腹が満たされば住処へ戻っていく。しかしライラックムーンが現れてから、奴らは急に群れを成して人を襲うようになったのです。襲うだけではなく、攫って連れて行く。その急激な変化は予想外で対応しきれず、ここまでの事態になってしまった」

「それは、本当に千華がやらせているの?」

「……まずはミチラが。そしてその隣のロローノッカとキューゼラノの城が落ちて、それからようやくわかったのです。逆らう者は殺されるが、それだけではなく連れ去られる者がいると。彼らがどこへ連れて行かれるのか。それは、魔物を操る総大将のもとへです。南のポーラリンドが落ち、とうとう北、西、南から包囲されカルティオーネも落ちました。そして彼女が現れたのです。私はそこに居合わせました。どうにかして救いたい方がいて、戦っていたその場に現れたのです」


 濃い紫色の衣装の裾をはためかせ、かかとの高いピンヒールを鳴らしながら。

 ライラックムーン――。

 地球からやって来た、精霊の力を持つ悪女、出海千華が。


「彼女は配下らしきものを連れていました。それは人ではなく、魔物でした。今までに見なかった、恐らくは人に近い知性を持った魔物。彼女はその配下の者を落とした国の城に置いて、使える人材をカルティオーネへ運ばせています。各国の王族や有力者、影響力の強い者は人質にして、逆らう者は容赦なく殺し、すべての富を集めているのです」


 ロクェスの表情は深刻で、哀愁の中に憤怒を隠している。無慈悲な時代に生きる者の悲壮が溢れていた。

 しかしふたばは、この突き抜けすぎた話に少し、心がマヒし始めている。


 千華がそこまでする理由がやはりどうしてもわからないし、想像ができない。

 実際に自分の目で見るまで納得がいかなさそうな、壮大過ぎる設定だ。


 かつて一緒に幼稚園に、小学校に、中学校に通っていた長い付き合いの元・親友。千華のことはよくわかっている。いや、よくわかっていなかったからこそ、二人の仲は修復不可能であろう壊れ方をしたが、それでもなお、ふたばの中の千華は、クールではあったが「冷酷非情」な女の子ではなかった。


「ヒューンル……」

「ロクェスは嘘を言ってないよ。見てたらわかると思うけど、嘘が言える男じゃないんだ。例えば好きな相手がそばにいたらもう即バレ。顔が真っ赤になってしどろもどろになった挙句カッコよく決めようとしてるのに緊張しすぎてくだらない失敗しちゃうような、そういう百パーセント純情朴訥系男子なんだよね」

 精霊の言った通り、騎士の顔はたちまち耳まで真っ赤に染まっていく。

「ヒューンル、余計な口を!」

「ほらね、怒ってるのも全然隠せないんだよ? ロクェスが見た光景は本当なんだ。千華はこの世界にいるし、たくさんの人生を踏みにじって暮らしてる」


 二人の言葉が次々に針に変わってふたばの心を刺していく。

 異世界へ来て、お腹をすかせ、疲労を感じ、膝に痛みを感じていてもまだどこかフワフワした、現実ではないのではないかという思いの中にふたばはいた。

 自分を宙に漂わせている風船が一つずつ割れていく。浮力が少しずつ失われ、もうすぐ足の先が地面へ到達しようとしている。

 とうとう、地に足をつけなければならない。


 肉の乗った背中にまた汗をかき、その冷たさに震えながらふたばは考えた。

 浮かんできた千華の顔は、十四歳の時のまだ世界で一番の最高の友達だった頃のものだ。

 歳より少し大人びた美しい笑顔と、時折見せたあどけない仕草が懐かしい。

 誰よりも頼りにしていた、クールな親友。


(本当なのかな)

 もしかしたら、とんでもなく悪い誰かが裏で糸を引いて、千華を操っているかもしれない。

(騙されてるのかも?)

 ヒューンルとロクェス、彼らが束になって自分を騙し、利用しようとしているのではないか。

(だけど)

 けれど、聞いてしまった。あの時、千華が、ずっと心に溜めていた本音を。あの時だって疑った。もしかしたら怪しげな術でも使う魔物がいて、彼女にそう言わせたのではないかと。


(違う)


 あれは現実(ほんとう)だった。自分がどのように思われていたか、散々聞かされたはずなのに。それ以来、世界のすべてを信じられなくなった。宇宙よりも暗い気持ちを抱いたまま、三年間過ごしてきたはずじゃないか――。


 頭の中にできた巨大な渦を持て余して、ふたばはため息を吐き出した。

 それは、メーロワデイルの空気の中に溶けていく。風が吹いて、憂鬱を吹き飛ばし、不穏な臭いを運んでくる。

 視線をまっすぐ前に向ければ、そこには巨大な影。


 ふたばと同じサイズの棍棒を持った、茶褐色の肌をしたなにものかの姿をみとめ、救世主は右手に持っていたステッキを強く握りしめた。

 

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