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わたしとあの子の桶狭間  作者: 澤群キョウ
いざ、異世界
1/42

ひきこもりのふたば

 激しい雨が窓を叩いている。


 あの日と同じ、雨。

 あの日も大きな雨粒が地面を叩き、二人と一匹を濡らし続けていた。

 戦いで熱くなった体からは、白いもやが立ち昇っている。手強い相手だった。それまでよりもずっと大きく、獰猛な獣。すんでのところで勝った。ピンチが続いたが、力を合わせてギリギリのところで切り抜けた。泥だらけになったが、勝利していた。


「良かった、やった、勝ったよ千華(ちか)!」


 涙が流れて、顔に落ちた雨粒と混じり合う。

 戦って、勝利して泣くなんて初めてだった。

 真剣に命の危機を感じた程の、際どい勝負だったから。

 真正面からのぶつかり合いだった。力と技、お互いの持つすべてを出し切って、ようやくついた決着。ふたばは震えていた。これほどまでに強烈な喜びが他にあるだろうか? 彼女の求めていた、「正義は勝つ」。憧れの、理想の形を体現した! 

 だから高揚のままに、両手を突き上げ、雨の中で叫んだ。


「私たちが、負けるワケなんか、なーい!」

 

 しかし、返ってきた言葉は――。



 

 電気の点いていない暗い部屋の中で、遠山ふたばはため息をついた。また思い出している。雨が降るといつもそうだ。


 雨が屋根を、窓を叩いている。

 ざあざあと絶え間なく続く音は、なんとなく世界が薄い闇に包まれているような心地良さを覚えさせてくれる。


 その安寧に、差し込まれてきた雑音。


 足音と、来客を告げるインターホンの音。


 いつもの宅配業者ならば、一応鳴らした後でドアの前に荷物を置いて行く。この三年間、無視というコミュニケーションを続けた成果だ。遠山さん、荷物置いて行きますね。そう声をかけ、通信販売で購入した物を届けてくれる彼ではないらしい。


 では、時折訪ねてくる母だろうか。それとも週に一回やってくる、お節介な幼馴染だろうか。

 そう考えるふたばの耳に、更なるチャイムの音が届いた。どうやら予想は違っていたらしい。彼女らならば、まずこう声をかけてくるはずだ。「ふたば、元気なの?」と。


 それでも無視を決め込む部屋の主に、もう一度、インターホンが押された。

 しつこい。宗教か、新聞の勧誘か。生活用品を届けてくれる宅配業者か。

 なんにせよ、用がない。家から一歩も出なくても、すべて事足りるようになっているのだから。


 うんざりとした気分でベッドの上で寝返りを打つと、今度は扉を叩く音がした。

 ガンガン、と二回。遠慮のない強い力で、更に三回。随分と粘り強い営業だ、とふたばは心の中で吐き捨てる。

 うんともすんともいわない、安いアパートの二階の部屋の主に、再びインターホンが鳴らされる。

「ちょっと、うるさいよ!」

 外からした声は、隣の住人のものだ。一度しか顔を合わせたことはないが、いかにもお節介を焼くのが好きそうな、初老の女性。

「留守なんでしょ? いい加減諦めなさいよ」

 隣人の温かい心遣いに、ふたばは小さく息を吐く。

 だがささやかな安堵は次の瞬間破られた。

「いいえ、居ます。私は彼女に会わなければなりません。邪魔をしないで頂きたい」

「なんだいあんた……、その格好は。そこのお嬢ちゃんに何の用さ」

 声が小さくなっていく。怯えたような響きを帯び始めた理由は何故なのか。さすがのふたばも、ベッドの上で静かに身を起こした。

「あんまりしつこいと警察を呼ぶよ?」

「彼女が出てきてくれればすぐに済む話です」


 再び、扉が叩かれ始める。

 聞き覚えのない、おそらくは成人男性と思しき低い声。


「中にいるのはわかっています」

「ちょっとアンタ、本当に警察を呼ぶよ!」

「貴女に用があるのです。コーラルシャイン!」


 稲妻が走った。

 空が光って悲鳴を挙げる。強い雨が空気を揺らし、ふたばの体を震わせる。


 ――コーラルシャイン。

 かつての自分に与えられた二つ目の名前。

 それを知っている者など、この世界にはいないはず。


「私はカルティオーネ国の騎士、ロクェス・ウルバルド。貴女にお願いがあって参りました」


 蘇る。三年前、部活が終わって帰る途中の道の上で自分に訪れた……奇跡。


 まばゆい光。

 夢に見ていた魔法の力をもたらされたあの日。

 大切な友達。敵、戦い、勝利、力、平和、笑顔、感謝……、


 そして、裏切り。


「コーラルシャイン! 出てきてください!」

「こら、なにを言ってるんだいあんたは。本当に警察を呼ぶからね!」

 扉が閉まる激しい音がして、隣の部屋からバタバタと歩き回る様子が伝わってくる。

「……わかりました。また、日を改めます」

 警察を呼ばれるのはまずいのか、騎士を名乗った男はそうドア越しに告げてきた。アパートの廊下に面した窓に黒い影が映り、それはほんのひと時止まっていたが、すぐに去って行く。


 雨は止む気配がない。

 激しく奏でられる旋律の中で、ふたばはベッドの上で一人、しばらく膝を抱えたまま過ごした。



 埃の匂いのする布団の中で見る夢。

 肌をチクチクと刺激されながら思い出す、あの日々。


(ライラック……、ムーン)


 選ばれたのは、ふたば。けれど、隣にもう一人いた。彼女もまた、それになれると告げられた。だから、一緒にと誘った。


(思い出したくない)


 十四歳の心をえぐった悲しい真実。それを直視できなくて、何もかもを失った。

 たくさんの優しさ、温かさが包んでくれたのに。心のど真ん中に刺さった氷の柱の冷たさは、すべてを凍てつかせてしまう。


(もう、あんな思いをしたくない)


 しかし眠れば、必ず夢に現れる。

 遠い遠い場所へ去って行った、ライラック・ムーン、……出海(いでうみ)千華(ちか)

 ずっとずっと一緒に過ごしていた頃の、明るい笑顔。さらさらの長い髪を揺らして、切れ長の瞳を優しく細めた、世界で一番美しいと思っていた顔。


「うわあああ!」


 夢の終わりは必ず絶叫で終わる。

 あの笑顔から放たれた言葉はすべてが刃になって、ふたばを打ちのめす。

 そんな幻から、現実へ戻るための叫び。しかし目が覚めればそこには、何もない。


 部屋中に散乱したゴミと、脱いだままの服、乱暴に開けたままの段ボール、洗っていないシーツのかかった湿ったままの布団。

 自分で作り上げたこの場所の有り様に、ふたばは毎朝、茫然とする。こんな部屋を作るためだけに、三年もの時間を費やしてしまったのかと。


 時計の針は十時を指している。カーテンの閉められた薄暗い部屋。日当たりも良くないこの場所では、朝日はふたばを起こす役目を果たせない。


 そして今日もまた始まる。

 何もない一日。何もない世界。誰もいない場所。


 ふたばの体の奥底から黒いマグマが溢れだしそうになった瞬間、扉を叩く音が響いた。

「おーい、ふたばー! いるかあー?」


 昨日とは違う男の声。

 もう十年以上の付き合いがある、幼馴染の慶太のものだ。

「新発売の、期間限定のスウィーツを買って来たんだよ。食うだろ?」

 「スウィー」の部分のわざとらしい発音に、ふたばは顔をしかめた。あまり洗っていないボサボサの髪の中に手を突っ込み、ボリボリと掻いて、ため息。

「チョコレートケーキの上に苺が乗ってるんだぜ? すごくない?」


 なにが?


 冷え切った言葉が心の中をすっ飛んで行く。鋼でコーティングされた心の壁にぶつかって、跳ね返り、最後には砕けて、感情のかけらで出来たゴミの山がまた少し高くなる。


「できたら、一緒に食べたいんだけど」

 

 そこで、優しい声は止まる。


 いつからだろう、こんな寂しげに語りかけてくるようになったのは。

 最初の頃は違っていた、とふたばは思う。

 どうしたんだよ、なにがあったんだよ、出てこいよ、笑えよ、元気出せよ、いつまでそうしているつもりなんだ――。


 同調、激励、叱咤。今は、諦め。


「ナマモノだから、今日中に……、なるべく早めに食えよな」

 去って行く足音。


 ベッドの上で膝を抱えたまま、動けない。

 心に去来するものをなんと呼んだらいいのか、ふたばにはわからない。


 たっぷり一時間、心を「空虚」で満たした後、ふたばはようやく立ち上がった。

 家のドアの前でケーキが腐っているなんて状況は、いくらなんでも嫌だから。隣から苦情を言われる前に回収しておきたい。


 のろのろと玄関へと向かう。

 すると外から足音が響いてきた。それにビクリと体をすくませ、ふたばはじっとその場で息をひそめる。


 床に当たる足音には、金属の響きが含まれているようだった。

 カチン、カチンと鳴るそれは、まっすぐ前で止まる。


 インターホンは鳴らさず、扉も叩かず。

 その人物は、静かに話した。


「昨日も参りました、ロクェスです」


 雨の中やってきた訪問者。自分を、かつて捨てた名で呼ぶ、自称「騎士」。

「起きていらっしゃる……いえ、そこにいるのでしょう? コーラルシャイン、どうか私の話を聞いて下さい」

「ちょっとあんた、また来たのかい?」

「おはようございます。私はどうしても、こちらに住まわれている方に用があるのです」


 外から、隣人と騎士の会話が聞こえてくる。

 警察を呼ぶだのといった物騒な話題はなりを潜め、老女の口調は何故か、訪問者に理解を示すような雰囲気に変わっていた。


「ねえ、お嬢ちゃん。大丈夫だよ、真面目そうな人だよ? どうしてもお話があるらしいから、ちょっとドアを開けてやんなさいよ」


 ふたばは顔を歪めながら、それでも動かなかった。


「仕方ありません。あとは私たちでなんとか致します」

「そうかい?」


 隣の扉の開閉音が響く。どうやら隣人は家の中へ引っ込んだらしい。

 そして、心に引っ掛かる今の言葉。

 「私たち」。

 どうやら騎士には、連れがいるようだ。


 ふたばがそう考えた瞬間、目の前で光が弾け、とてつもなく明るい声が部屋の中に響いた。

「やあっ! ふたば、久しぶりだねーっ!」


 炸裂した光のせいで、視界は真っ白。

 それが収まると、ふたばは三年ぶりの「再会」を果たした。

 

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