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敦盛(あつもり)

作者: 杜若

謡曲「敦盛」にオマージュしています。

構成は謡曲にのっとっていますが

その他は作者の創作です。


敦盛あつもり


一面の草原を見て、蓮生れんしょうは道を間違えたと思った。

だが、海岸からここまでは一本道。どんな阿呆でも間違えようがない、とすぐに思いなおす。

それにがけの中腹に生える松に、確かな見覚えがあった。

「たかだか数年でこのようになってしまうとは」

呆けたような呟きが、唇から零れ落ちる。

摂津の国一の谷。

かつてここで、数万の人間が己が一族の命運をかけてぶつかり合った。

掲げた旗は白と赤。家門の名を平家と源氏という。

「平家にあらずんば人にあらず」

とまで言い放ち、田舎武士の出でありながらついに天皇まで輩出し

栄華を極めた一族は、同じ武士の手によって砂山が波にさらわれるように

あっけなく滅ぼされた。

その顛末は琵琶の音にのせられながら、法師たちによってあらゆる場所で語られている。

「おごる平家も久しからずただ、春の世の夢のごとし

猛き者もついに滅びるひとえに風の前の塵におなじ」

長き物語の為様々な場面が語られるも、琵琶法師たちは必ず最初にこの言葉を口にする。

「まさに、夢よ」

夜空の星のごとく刀を煌かせながら、武士達はこの場所で戦を繰りひろげた。

築かれる屍山血河。辻説法で僧達が語る地獄絵図がこの場所で現となった。はずだった

だが今、一の谷には一面の草が生い茂り、当時を偲ぶものは刀一本、血一筋すらない。

綺羅星のごとく現れた源氏の若大将が騎馬で駆け下りた崖だけは、当時のままだが

猿や鹿の親子がのんびりと遊びながら歩を進めていく様子を見ていると、

あの時の合戦こそが「夢」ではなかったか。と蓮生には思えてきた。

「ほーい、ほーい」

のんびりとした声に蓮生は我に帰った。

いつのまにか数人の男たちが声を掛け合いながら鎌を手に谷の草を刈っている。

そのうちの一人、一番若い男に目が留まる。

いや、正確にはその男が袴の帯にさしたものに、だ。

田舎の賎男が持つにはあまりにも不似合いな、蒔絵細工も美しい。笛。

「もし、もし」

遠慮がちな呼びかけに、男は人のよさそうな顔で近寄ってきた。

近くで見るとよりいっそう、よく焼けた肌や、野良仕事で荒れた手足、ほころびや継が目立つ

粗末な着物に笛だけがそぐわない。

「美しい笛をお持ちだが、どこで手に入れたのか」

「この地で、草を刈っているときに」

意外なことに、男のしゃべり方に田舎鉛はまったくなかった。

それどころか、宮中の中で聞いたとしても違和感がなさそうな優美な口調だ。

この男、平家の落人かもしれん。

蓮生の右手に太刀を握っていた頃のような力がこもる

握られた尺杖の金輪がかすかになった。

「ここで何が行われたか、御存知か?」

そ知らぬ顔で再び問いかけると、男は頷いた

「源氏と平氏が戦を。なぜ人は争いたくないと口にしながら武器を取ったのでしょうか」

蓮生の唇に苦笑が浮かぶ。己も戦の前に口にした言葉だ。

「覇、というものはそれだけ芳香を放つものなのでしょうね」

「平氏は武士でありながら、刀を忌み、筆や楽などの雅なものを好んだといいます

この笛も恐らくはそういった方達のものなのでしょう」

男の言葉に蓮生はうなずく。

源氏の白旗の下で、自分たちが高まる緊張と興奮で箙を打ち鳴らしていたときに、

平氏の紅旗の下では、風雅な楽の音がたえることは無かった。

そういえば、戦場にすら楽器を携えたものがいなかったか?

蓮生の頭の中で一つの光景が蘇る。

逃げる馬、追いかける己。鎧の肩に手をかけ力任せに引き倒せば、さしたる抵抗も無く

落馬した。兜が転げ落ち、豊かな黒髪が溢れる。それを荒々しく掴んで振り向かせ、

顔を見とたん

蓮生は固まった。

女か、と思った。それほど若く、また美しい男だった。

美貌ゆえに寺に囲われ、高僧たちの世話役兼愛玩物である稚児ですらこれほど美しいものはおるまい。

年も18より上には見えなかった。

蓮生の手から力が抜ける。

「逃げろ」

言い放った言葉に、以外にも少年は首を振った。

落馬した時に怪我をしたのか、苦痛に顔をゆがめ、鎧の隙間からじわじわと

赤黒いしみが広がっていく。

「討ち取れ」

そう言った少年の目は微塵の気負いも憂いも無く、痛いほど澄み切っていた。

自分がどのような場所にいてどのような運命をたどるか、悟りきり、受け入れている。

そのように思えて、蓮生は切なくなる。

「混乱に乗じて落ち延びよ。名を捨てて、市井にまぎれればよい」

「そのような屈辱を受けてまで、生きたくはない」

少年の白皙の頬に朱がはしった。

「今一度だけ言う。討ち取れ。そうでなければ、いつか必ずそなたを殺す」

それでも、少年は淡々と言葉を紡ぐ。悲哀、憤怒、恐慌、

戦場で人が直面するありとあらゆる負の感情をすでに突き抜けた、諦観ていかん

少年から感じ取った連生は頷くしかなかった。

まさに、武士。戦場の礼に従わなければ、情けをかけたよりもひどい恥辱を

与えたことになろう。

抜き放った白刃が海辺の太陽に白く輝く。

「名は」

「平敦盛。そなたは」

熊谷直実くまがいなおざね

敦盛は静かに頷いた。

「御首、頂戴奉る」

宣言と同時に振り下ろされた刀は、あっけなく少年の生を断ち切った。

「平敦盛が首、熊谷直実がうちとったり」

切られてなお、艶かしさを失わない首を頭上高くかかげながら、

蓮生は自分が泣いていることに気付いた。

 平敦盛の素性を聞いたのは、戦が終った後のこと。

笛の名手であり、花鳥風月を愛する風雅な少年だったという。

では、平家の陣営から聞えた笛の音の主は彼であったかと、蓮生は思い

再び目頭が熱くなった。

決戦前夜、血に飢えた獣のごとくたかぶり、高ぶっていた己をあのやさしい笛の音は

不思議と鎮めてくれた。

その主を、まだ少年を、己はこの手で殺した。

糾弾されるならまだ救いがあったかもしれない。だが、人々は己に

賞賛を浴びせる。

食べることも寝ることもできないような苦悩と、指一本動かすことが億劫なほどの

虚脱から逃れるように、「熊谷直実」の名と、武士の地位を捨てた。

そして僧「蓮生」となり、敦盛をはじめとする殺めた人々の菩提を弔うことを

定めとし、流浪する生を己が罰と決めたのだ。

「なぜ、またここに参られた。直実殿」

捨てたはずの名をいきなり呼ばれ、蓮生は現実に引き戻された。

目の前の男から、人懐こい表情が消えている。

いや、表情だけではない。

この男の肌はこのように白かったか?

削げていたはずの頬が、なぜ白桃のようにふっくらとしている?

そして、なにより星を閉じ込めたような、澄み切った瞳。

この目に己は見覚えがある。

「我らの眠りを妨げ、心騒がして楽しいか?」

静かだが、底なし沼のごとき怨念がその声にはある。

「・・・・・・敦盛殿」

「たちさられよ、じきに夜が来る。怨霊の世界に足踏み入れて、

命あるとは思わぬことだ」

言い捨てて男は身を翻した。

「敦盛殿!!」

駆け寄ろうとする足を、下草がからめとる。

谷から吹き降ろす突風に目を閉じ、そして再び開いたとき

男たちの姿は消えていた。

立ち尽くす蓮生にねぐらに帰るカラスの鳴き声と、血の色をした

夕日が、日没が近いことを言外に告げていた。


「・・・・・ほう、亡霊に会われましたか」

小さな囲炉裏に柴をなげいれながら、翁はゆっくりと言の葉を繰る。

一の谷に一番近い集落のそのまた一番はじにある、廃寺を管理している

寺男の住まいに蓮生は一夜の宿をこうた。

片目のつぶれた老人が快く囲炉裏端に招きいれ、温かい粥を施してくれた

「このあたりも、まだまだ落ち着きませぬなあ」

「御老人は、亡霊を見たことがおありか?」

この質問に、老人は歯のない口をあけて笑った。

「わし自体が、もはや亡霊のようなもの。近頃はそれを弔う僧も満足におりませぬでなあ」

蓮生はうなずく。

戦乱は終ったが、残した傷跡は大きい。人々は生きるのに手一杯で死者を弔う余裕はない。

忘れられた死者は寂しかろう。無念だろう。

それが怨念を呑んで死んだ死者なら、祟るのも無理はない

食事と火を与えてくれたことに、丁重に礼を述べて蓮生は立ち上がった。

「どこへいきなさる?」

「回向を求めているものの処へ」

老人は黙ってうなずき、蓮生はもう一度深々と頭を下げた。


さわさわ、さわさわ。

夜の風に草原がゆれる。

日より冷たきつきの光は、全てのものを照らすのではなく、より深い影の中に

沈み込ませているようであった。

草の中に腰を下ろし、蓮生は一身に経を唱える。

「・・・・・立ち去られよ、と申し上げたはず」

月光より尚冷たい声がかけられたのは、どのくらいたった頃だろうか。

閉じていたまぶたを開けると、蓮生の前に鎧姿も凛々しい敦盛の姿があった。

帯に挟んだ蒔絵の笛だけが、昼間と同じ。

「迷うて、おられるのか」

蓮生の言葉に敦盛は一瞬の間を置いた後に頷いた

「戦場の理と、納得したはずでしたが」

言葉に滲むわずかな戸惑いと、無念さに蓮生の胸が痛んだ。

数えで16の少年である。まだまだ過去よりも未来の方に長き時が

残されていたはず。理ごときで納得できるような種類のものではない。

「生」とはそのようなものだ。

「我が一族は、清盛公のお陰で武士でありながら、栄華を極めました。」

草のささやきを伴奏に、敦盛は語る。

「和歌、管弦、香道。雅なものに目を奪われ、いつの間にか自分たちが

何者であったのかすら忘れ果ててしまった」

敦盛の体が、優美な舞の一節をなぞる。

鎧を着けているはずなのに、盛装した五節の舞姫のごとき優美さに、

無骨な蓮生すら目を奪われた。

「足元がくずれはじめても、嘆き、怒ることしかもはや我々はできなかった。」

白い手、たおやかな体は、花鳥風月を愛し、優美に舞うことはできても

もはや太刀もにぎれず、鎧も着れない。

和歌を詠むことに慣れてしまった頭脳に、軍を指揮し、覇を掴む戦略など

浮かぶはずがない。

「すべては大河のごとき時の流れ。個々を怨み、現世に縛られるとは

愚かさ極まりない」

と敦盛は言って目を閉じた。

「だが」

再び開いた目は血の色をしていた。

美しい顔が悪鬼のようにゆがむ。

「目の前に己の敵がいれば、心騒がずにはいられない」

静かに、静かに 蓮生は頷いた。

「己が心に従われよ」

敦盛は抜刀した。

あのときの自分のように。

月の光に、刀身が輝く。

それが己に振り下ろされる事を、蓮生は疑わなかった。

しかし・・・・・

「貴方は、熊谷直実ではない」

刀は再び鞘に収まった。

敦盛の顔も穏やかなものに戻っている。

「・・・・・私は・・・・・」

「貴方は哀れな平氏の亡霊を弔いに来た僧、蓮生殿。」

そう言って敦盛はかすかに微笑んだ。

その目に浮かぶ光は、かつて戦場で見たものと似たようなものであったが

あの時よりさらに澄みきり、磨き抜かれた水晶のように一点の曇りもない。

「貴方の回向のお陰で成仏かないそうです」

「・・・・・敦盛殿・・・・・」

「願わくは、私と同じく散った平氏一門を一人でも多く回向していただきたい」

「・・・・・承知」

僧の言葉に敦盛は頷く。

かつて戦場でそうしたように。だが、その心は墨と雪ほどにちがう。

空の端が薄紫色に染まり始めた。

夜が終る。

死者の時間は去り、生きているもの達の時間が訪れようとしている。

敦盛の姿が徐々に薄くなる。

「お頼み申し上げる」

うたかたのごとき呟きを残して、亡霊は去った。

残された僧、蓮生の頬に再び涙が伝った。


その後、僧蓮生の足取りは公式には不明であるが

人々の口伝えに、古戦場で熱心に回向をするたびの僧の

話が各地に残っているという。







能楽を見るのも、演じるのも好きです

想像力過剰なため、このような物語を書いてみました


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― 新着の感想 ―
[一言] 文法や文の構成、表現が正確で、とても読みやすかったです。 これからも執筆、頑張って下さい。
2007/07/27 10:25 退会済み
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