世界樹トネリコと羊飼いの少年
とある世界に伝わる伝承。
むかしむかし、世界は七人の魔王が支配していました。ヒト族、妖精族、ドワーフ族、巨人族、竜族に至るまで、この世の全てのものが魔王と配下の魔族に支配されていたのです。
魔王は強大な力を持っていました。特に、それぞれが持つ武器は、まだ魔族が世界の端っこで多種族に虐げられながら惨めな暮らしをしていた頃、その様子を不憫に思った世界樹トネリコに渡されたものでした。大変貴重なもので、振り回すだけで天気や地面の形を変えてしまう、どの武器もそれほどの力を持っていました。
七人の魔王に苦しみ、人々は涙を流して暮らしました。大地は、まるで魔族の故郷のように、砂ばかりになって作物は育ちません。魔王は多くのことを要求し、人々は歯を食いしばりながら耐えるしかありませんでした。七人の魔王は、不相応の力に驕ってしまったのです。
世界樹トネリコは、世界のはるか上空からその様子を深い悲しみの目で眺めておりました。かつて惨めだった魔族が、同じような思いを他の種族にさせているのです。魔族は力に自信を持ち、恐れるものなどありません。かつて力を与えたことは間違いだったのだ、とトネリコは思いました。
ある日、1人の少年がトネリコの根元を歩いていました。彼は羊飼いでした。腰丈ほどの木の棒を振り回し、飼い犬をけしかけて羊たちを追い回しています。体は成長途中なのか小さめではありましたが、明るい性格と持ち前の素直さをトネリコは気に入りました。
「そこの若い人。話があります」
少年は世界樹に話しかけられて心底驚きました。が、それ以上に羊や飼い犬が驚いてしまい、すっかりと見えなくなる地平線の先まで逃げて行きました。一方の少年は、知恵があるがゆえに足がすくんでしまい動けません。
「世界樹トネリコ様。あなた様が私にどんな御用でしょう」
「あなたに頼みがあります。人々を苦しめる魔王を撃ち倒して欲しいのです」
「ああ、世界樹トネリコといえども誤ることがあるのか。失礼ですが、私にそのような力はございません」
「力なら私が差し上げましょう?」
トネリコは、自身の体から一本の剣を出し、少年に渡しました。
剣は少年が先ほどまで持っていた棒と同じ、腰丈くらいの長さでしたが、手に持ってみるとほとんど重さを感じません。一方で、振り回した時には重さ以上の破壊力が感じられます。そして何より、その剣を腰にさすと、泉のように少年の胸の奥から勇気が湧いてきました。
「『勇者の剣』です。古代の空を支配していた青龍の鱗から作られたものです。それを持てばどんな人でも勇者になることができる」
「ありがとうございます、世界樹トネリコ様。必ずやご期待に応えて見せましょう。この世の7人の魔王は私が倒します」
少年は早速上機嫌に魔物たちのいる森の中へ進んで行きました。普段は恐ろしいはずの魔物も、この剣にかかれば訳もありません。宙をなぞるように剣先を動かせば、魔物は自然と真っ二つに切れてしまいます。まるで魔物の方から剣によってきているようです。
「ああ、なんて素晴らしい剣だろう。これさえあれば、誰にも虐げられることはない」
少年は自信満々でした。
ある日、男はその地域を支配している魔王の元へ出かけました。薄暗い森の中に、はるかに高い城が立っています。その最上階にいるのが、「大矛の魔王」と呼ばれる男でした。
「世界樹トネリコの命を受けて参上した」
少年がそう宣言すると、魔王は高らかに笑いました。
「それがどうした。我ら魔族はトネリコなどどうとも思っていない。お前らヒト族は神のように信仰しているが、その道理は我らに通用しない」
魔王の背中には、異名の通り大きな鉾が背負われています。ヒト族の大人が5人集まっても足りないくらいの大きさです。魔王はそれを軽々と振り回すと、少年に対してこう言いました。
「この鉾は望めばいくらでも大きくなるのだ。お前のような弱虫であればこのくらいの大きさでも構わないだろう。さあ、かかってこい」
その言葉を聞いて、少年の足はすくんでしまいました。魔王が鉾を振り回すと、あたり一面に突風が吹きます。自分はどうやって近づけば良いのだろう。トネリコ様からもらったこの剣は魔王に通用するのだろうか。とうとう少年はトネリコの力さえも疑ってしまったのです。
戦闘はすぐに終わりました。魔王が一瞬よそ見をした瞬間、少年は城を出て逃げ帰ってしまいました。背後にある城の上階から、魔王の嘲笑いが聞こえてきます。少年は涙を滲ませながら、惨めに逃げ帰りました。
無我夢中で走った少年は、いつの間にか薄暗い森の中を歩いていました。しばらく周囲を眺めて、ようやくここが黒狼山脈の東にあるオブスクの森だとわかったのです。山脈から流れる透き通った川の水を飲むと、少年は次第に落ち着きを取り戻しました。そして同時に、自分の惨めな姿が思い返され、
「自分はなんてことをしてしまったのだろう。こんなことなら正々堂々と大矛の魔王に殺されてしまう方が良かった」
と思うのでした。
少年は魔王の前で世界樹トネリコの名前を出したのです。そして、魔王も他の魔物と同じようにこの剣で簡単に真っ二つにできると、余裕しゃくしゃくに振る舞っていました。魔王は全てわかっていたに違いありません。その上で、少年が一番恥ずかしくなるように、そして二度と立ち直れなくなるように心まで折ろうとしたのでしょう。魔王の思った通り、少年は自分の至らなさと恥ずかしさ、そしてトネリコへの申し訳なさで、この薄暗い森から一歩を踏み出すことができませんでした。
何度寝ても夢に大矛の魔王が現れて少年のことを嘲ります。起きていても、日の差さないオブスクの森に少年の心は沈み込んでいきます。少年が暴れて、悶えて、数年が経ったとき、偶然長い雨が続いた後に立ち込めた霧が日差しを乱反射させ、オブスクの森に光が差し込むことがありました。少年は久しぶりの日差しに目を細め、ゆっくりと立ち上がると前へと歩き始めました。
土色の顔には深いシワが刻まれています。
「なんだ、僕は弱かったのか」と少年は呟きました。
オブスクの森を発って数日が経ち、少年は再び世界樹トネリコの元を訪れました。トネリコは驚いてしまいました。自分が送り出した少年が、たいそう自信を失っているのです。
「久しぶりですね。一体その顔はどうしたのですか」
「自分では大矛の魔王に勝てません」
少年はトネリコに一連のことを説明しました。いくつもの街で魔族に困らされた人々を救ったこと。自分なりに努力を重ね、ある程度は強くなったこと。大矛の魔王と対峙し、無様に敗走してしまったこと。
「真の強者であれば、負けるとわかっていても大矛の魔王に立ち向かわなくてはならない。しかし、私はそれができませんでした。私は強者ではないのです」
そう言うと、少年は腰にさしてあった剣をトネリコに渡しました。以前少年がトネリコからもらった剣です。
「私にはそれを使う資格がありません」
少年は言いました。
トネリコはそれを聞くと優しく微笑み、少年の間違いを穏やかに指摘しました。
「私は強き者にその剣を渡したのではありません。強くなろうという意思のあるものに渡したのです。あなたは一度逃げて、その後の苦しみを味わいました。再び同じ状況に陥ったとき、もうあなたが逃げることはないでしょう」
トネリコから剣が返されると、少年の表情に曇ったものがなくなりました。苦悶の末についた深いシワがありつつも、精悍な瞳は前を向き続けています。きっと、到底力の及ばない相手が現れても、今の少年は勇敢に立ち向かって行くでしょう。たとえどんな傷を追ったとしても、逃げることの恐怖に比べればどうってことありません。
「お前はもはやただの人間ではない。すっかりとその剣が似合う男になった」
トネリコは言いました。
そして彼は勇者と呼ばれる存在になったのです。




