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チクショーー!!婚約破棄、したくねえなぁ!!──悪役令嬢を溺愛する、ある転生王太子の叫び

掲載日:2026/10/23

 ボーン、ボーン、ボーン……。

 大広間の時計の鐘が十一回なった。あと一時間でこの王立アカデミーの卒業パーティーは終わる。そして、俺たちの学生時間は終わる。明日からは、それぞれの組織や任務に着任し、人によっては遠くに旅立つ。気楽な子供時代が終わるのだ。

 終わるといえば、もう一つ。


「王太子である俺……いや、私、レオン・サール・アスラは、この場にてエシャルロット・ランスロール公爵令嬢との婚約を破棄する!!」


 着飾っていた人々の空気がざわりと揺れる。そして揺れた空気は冷たい視線を伴って一点に収束する。

 そこにいるのは青ざめた顔のつり目の令嬢。エシャルロット・テル・ランスロール公爵令嬢、通称エシャ。俺の婚約者。

 彼女は薔薇のような赤い髪をふわりとかきあげ、同じくらい深紅の唇を一度血が出るくらいに強く噛んでから、薄く開いた。


「……婚約破棄の理由をお伺いしても?」

「君のせいじゃない。私の個人的な理由だ」

「どんな理由ですか?」

「……言えない」

「その婚約破棄。私には納得できません」


 エシャの声はすでに落ち着きを取り戻していた。凜と背筋も伸ばす。


「まあ……、そうだろうな」

「……私たちの婚約は王家と我がランスロール公爵家を結びつける、いわば契約。その契約を本当に理由もなく破棄されると?」

「ああ」

「その責任、誰がお取りになられるのですか? 殿下がお取りになられるおつもりですか?」

「ああ」

「一方的な破棄となれば、莫大な慰謝料が必要ですよ。場合によっては我が家門はアスラ王国を離れるやもしれませんよ」

「ああ」

「そこまでしても私と婚約破棄したいと?」

「ああ」

「それで後悔はなさりませんね?」

「ああ」


 ああしか俺、言ってねえな!

 婚約破棄を、後悔するかって?

 んな、当然後悔するに決まっているさ。

 ああああああ!!

 チクショウ!!

 婚約破棄……したくねえなあああああ!!


 そう。俺はエシャが大好きだ。三度の飯よりエシャが好きだ。むしろエシャで三杯は飯を食える。残念なのが、我が国に米食文化がないことだ。

 米食文化……。つまり、そう。俺は前世で日本人だった。

 七歳の時に、婚約者候補として引き合わされたエシャの顔を見て、途端に前世の記憶が流れ込んできたんだ。

 ここは、前世で妹がWeb連載していた小説の世界。主人公はエシャルロット。本物の悪役令嬢だ。

 物語の始まりは、俺……いや、王子が平民の恋人を作り、エシャルロットに婚約破棄を突き付けたところから。王子はエシャと婚約していながら、平民でありながらアカデミーに首席合格してきたアリスと恋愛関係になってしまった。そして卒業パーティーでエシャがアリスをいじめたのだと言いがかりをつけて、婚約破棄を突き付ける。

 ストーリーの本番はここから。婚約破棄されたエシャは、そっから覚醒。ランスロール公爵家領地の領主代理になって、経済を立て直して特産物を作って領民は感謝の涙。反発する兵士たちを剣技でねじ伏せ、尊敬と憧憬をかき集め、病原菌をまき散らして領地の弱体化を狙う悪の組織を潰すために自ら囮になって奴隷市場で売られ……。で、その悪の組織っていうのは、古代に封印された邪竜を祀る集団で、悪の組織も邪竜を倒して世界を救う。そんなエシャの隣にはずっと以前から影ながら支える騎士が……あああああああああ!!


 再度、言う。俺はエシャが大好きだ。三度の飯よりエシャが好きだ。むしろエシャで三杯、いや五杯は飯を食える。

 そんな俺が婚約破棄を突き付けている理由。

 それは、俺が婚約破棄をしなければエシャは覚醒しないし、ランスロール公爵領どころか全国の病んだ国民は救われない。悪の組織は人身売買を永遠に続けるし、邪竜は暴れて世界を破壊する。俺は……俺は自分の恋心のために、人を見殺しにするのに耐えられないし、世界は続いていて欲しい。だから、エシャの物語を始めさせなくちゃいけない。

 そのための婚約破棄。

 再度言う。

 ああああああ!!

 チクショウ!!

 婚約破棄……したくねえなあああああ!!


 そんな中、ふいに誰かがつぶやいた。


「……もしかして、婚約破棄の原因はアリス嬢のドレスを破った件じゃないか?」

「は?」


 思わず王子らしからぬ声が出た。

 そんなわけねえだろう!

 すぐに反論しようとしたのに、小さな穴が開いた防波堤が決壊するのはすぐだ。全方向からエシャを非難する声が聞こえてきた。


「ランスロール公爵令嬢はアリス嬢にひどい嫌がらせをしていた」

「俺、ランスロール公爵令嬢とその取り巻きがアリス嬢を囲んでいるのを見たことがある。礼儀作法がなっていないとかなんとか……」

「アリス嬢は平民ながら成績優秀な方だ。確か、入学式の時はランスロール公爵令嬢を差し置いて、入学生代表をつとめていた。それに加え、卒業式の今日まで一回たりとも首席から落ちたことはない」

「……妬みか?」

「妬みといえば、アリス嬢はレオン王太子殿下と仲が良い。ランスロール公爵令嬢よりも……」

「黙れ!!」


 俺は叫んだ。


「エシャのせいではない! 私はそう言ったはずだ!!」


 皆、口をつぐんだ。

 けれどそのわずかな静けさを、ピンクブロンドの少女が俺の前にどさりと膝をついたことで、再び騒がしさが増す。


「レオン様、お願いです。どうか、エシャルロットさんを許してあげてください。エシャルロットさんが私に注意したのは、私に過失があったからです。それに、ドレスのことだって……多分、あれは事故なんです。それに、エシャルロットさんは未来の王太子妃としてのお勉強が大変なんです。学校の勉強なんてできなくても当然ではないですか。それなのに、婚約破棄だなんて……そんな……おかわいそうだわ」


 ほろりと涙を流すアリスを見て、大部分の人が優しく微笑み、その他一部の人が「まったく、アリス嬢は優しすぎるんだから」と困り笑いを浮かべる。

 俺はその光景を見て、ぞわりと鳥肌が立った。この女のどの言葉を聞けば「優しい」なんて言葉が出てくるんだ? 最初から最後までエシャをディスってるだけじゃねえか。


 私に過失? ああ、あったとも、あったともも。俺にしつこく迫り、外国から学園の視察に来ていた隣国の第三王子にもつきまとっていた。学園内のことだから、俺が注意しなきゃいけない。場合によっては処罰もしなきゃいけない。それがちょっと恐ろしくて二の足を踏んでいたヘタレな俺に先んじて、エシャと令嬢方がやんわりとたしなめてくれた。それをアリスが一方的にヒートアップして大騒ぎになったんだ。その騒ぎに乗じて逃げ出した第三王子は、冷や汗をかきながらも王子様スマイルで「女性ってこわいね」とつぶやいた。ちなみに、今ではその第三王子は国と国を超えての親友だ。

 ドレスを破った? あれだろ!?

 エシャとダンスパーティーに出席! 俺はウキウキワクワクしながらドレスとアクセサリーと花束を送った。けれど、エシャから感謝のメッセージが届くどころか、聞こえてきたのは不穏な噂。俺が「恋人」にドレスを送ったっていう。「婚約者」じゃなくて、「恋人」。嫌な想像をどっかに押しやりつつ、事の真偽を確かめてみれば……ドレス配達人の誤配送。ありえねえだろ!! いくらパーティーが集中する時期だったとしても。思い出しても頭が痛くなる。それでなんとかドレスを回収できた時にはアリスが試着済み。おまけに、ドレスが破れていたんだよ。主にウエストの部分が。エシャのウエストサイズに合わせて作らせたんだもの。そりゃ破れるよ。おかげでエシャのドレスはダンスパーティーに間に合わなかった。

 それがなんでエシャが破いた事になってるんだ? それも、なんでそれを知っているやつがいるんだ? ドレス工房も自らの誤配送を広めるはずはない。間違った噂を広めたやつがいるって事か……。

 えーっと、次は何だっけ?ああ、勉強の事か。

 確かに平民でありながら、学年首席のアリスはすごい。すごいさ。それで学費に加えて奨学金も大層な額をもらっていて、学校の勉強以外にしなくちゃいけないことはないからね。でもね、エシャは学校の勉強以外に、王妃教育を受け、外交に関する教育を受け、なまじっかそれを応用してすでに外国からの賓客をもてなしたりしている。その神々しいまでの有能っぷり。俺の親友たる隣国の第三王子も「こんな嫁欲しー」とつぶやいていたほどさ。えへん。つまりさ、何が言いたいかっていうと、勉強だけしていればいいアリスと、勉強をしながら他の重責を担っているエシャでは学業の成績だけを見て優劣をつけるなんてありえないってことさ。むしろ、万年次席なエシャは超賢い。さて、ここでもう一つだけ付け加えよう。俺も同じ学園の同じ学年だ。アリスが首席。エシャは次席。俺は……ちょうど真ん中だ。まごうことなき平均値。……うん。がんばろう。もう、卒業だけど。


 俺は怒った。怒りに燃えた。

 けれど、そうなればなるほど言葉がスムーズに出てこない。ふんが、ふんがと息を鳴らすばかりだ。俺って、くそバカ。

 突然、俺の視線を「赤」が遮った。ドレスの裾をバサリと翻したエシャが俺をかばうように背を向け、アリスと対峙しているのだ。


「アリス様。私を憐れむなど……一体どのようなお立場で仰っているのですか?」


 つええ!! エシャさん、エシャ姐さん! あんた、ホント強えよ!! しびれるくらいの悪役令嬢っぷりだよ!! かっこいい!!


「貴女に、私を憐れむ資格などございますの?」

「また、そんなに身分を嵩に着て私を虐げるのね!! エシャルロットさんはそんなに偉いの!? 貴族がそんなに偉いの!!」


 いや、アリス君よ。ここにいるのほぼ全員が貴族なんだが……。あ、けっこうな人数が頬を引きつらせている。君、そんなに敵を作って、進路は大丈夫かい?


「貴族だから偉いのではありませんわ。貴族であろうと何であろうと、人は賜った恩恵に応じた責任を負うのです。その義務を果たす者は尊重され、自らの義務を放棄する者は蔑まれる。平民の方々よりも貴族の方が負っている義務は重い。だからこそ身分制度を尊重していただきたいのですよ。尊重なさらない方がいらっしゃるからこそ、制度を厳格に運用する必要がある……それだけのことです」


 おお!! 貴族たちがうんうん頷いている。中には涙を拭っている人もいる。かっこいい、かっこいいよエシャ!!


「でも、あなたが私を蔑んでいるのは事実じゃない!!」

「貴女のことを身分で蔑んだことなど一度もございませんわ。『身分』においてはね。……ですが、『品性』においては別問題です」

「どういうこと!?」

「それすらお分かりにならないのですか?」


 ギリッと歯が鳴る音がアリスから聞こえた。うわ、めっちゃ怖い。

 けれどエシャは小さなため息をついた。


「本日の昼間に学園の卒業式が執り行われましたでしょう? 本日を過ぎれば学生時代は終わりを告げます。貴女の仰る身分差も、明日になれば学園の比ではないほど明確になるのです。もう学生時代のように身勝手にお振る舞いになることは許されません。優秀でいらっしゃるのは結構ですが、平民であることを弁えませんと、遠からず厳しい現実に直面なさいますわ」

「……私を、脅しているの!?」

「いいえ。忠告を差し上げているだけです」


 エシャはコツコツとヒールを鳴らして、アリスに近付き腕組みをした。

「それよりも、先ほど私が申し上げた言葉を覚えていらっしゃいますか? 『人はその恩恵によって多くの義務を負う』という言葉です」

「何よ!?私は貴族じゃなくて、平民よ。義務なんてないわ!!」

「浅はかですね。平民だからといって義務を免除されるわけがないでしょう。それ以前に、貴女はご自身が受けてきた恩恵にどのような責務が伴うのか、ご理解なさっていないのですか?」

「話を誤魔化さないで!!」

「誤魔化してなどおりませんわ。貴女は奨学生でしょう? その恩恵を返さなくてよいのかとお尋ねしているのです」

「奨学生だからって何!? 私は必死で首席を維持してきたわ。だから私の義務は返したでしょ!」


 エシャは深々とため息をついた。


「まさか、奨学生の義務がただ成績を維持することだけだとでも?」

「え……?」

「構いませんわ。すぐに理解なさるでしょうから」


 エシャがチラリと目を走らせた先に俺も目をやると壁掛け時計だった。時間は夜の十一時三十分だ。

 時間? 何かあるのか?


 アリスは荒くなった息を深呼吸で整えた。そして作り笑い……そう、誰が見ても思い切り作り笑いを顔に浮かべる。


「ランスロールさん。私、こんな風に仲違いしたまま卒業だなんて、やっぱり気になるわ」

「私は一切気になりませんけれど」

「そんなこと言わないで。ねえ、仲直りの握手をしましょう」

「お断りいたします」

「そんなこと言わないで」


 と、何を思ったのか突然アリスはエシャの手を取ろうとした。が、その手が触れる前にエシャは自分の手をパッと遠くにやった。と、いうのに……アリスは後ろにふっ飛んだ。


「きゃあ!」


 何人かの男子生徒がドサリと倒れたアリスに駆け寄った。


 そのうちの一人。男子学生A。確か宰相の三男だったか……。

「大丈夫ですか?」


 二人目。男子学生B。う~ん、将軍の甥だったか、親戚だったか……?

「お怪我は?」


 アリスは男子学生Bの問いには直接答えず、視線を少しだけ赤くなった自らの手首に落とす。


「これはひどい……」

 男子学生Cはその手首をそっと……まるで精巧なガラス細工を取り扱うかのようにもそっと手に取った。

 男子学生C。これは知ってる! 王宮侍医の長男だ! 名前は……あれえ??


 彼らは、もともと俺の「ご学友候補」だったはず。でも、そんな仲良くなることはなかったなあ……。なんでだっけ? ああ、俺はエシャの後を付いて回っていたし、こいつらアリスとばかり一緒にいたから、交友を深める時間なんてなかったんだ。だから名前も覚えていないのは仕方がない。うん、決して俺がバカなせいではない……と、思いたい。


「大丈夫よ。それよりも、ランスロールさんを責めないであげて。これは偶然の事故だったの。ランスロールさんのせいじゃないわ……」


 アリスは切なげな表情で彼らを見やった。すると、男子学生ABCその他大勢がエシャを睨み、口々に叫ぶ。


「ランスロール公爵令嬢!! あなたには慈悲の心というものがないのですか!? あなたを許そうとした心優しく清らかなアリス嬢に危害を加えるなど!」

「これで王太子婚約者だと!? こんな心根の腐った女がいずれ国母になるだなんて、この国を滅ぼす気か!?」

「そうだ。その婚約者の座はさっさとアリス嬢に譲ってしまえ! それでこそお前の罪の雪ぎができるというものだ!!」

「そうだ、そうだ。婚約破棄しろ!!」


 そのとき、男子学生たちに支えられ立ち上がっていたアリスの口がかすかに動いた。一瞬の微笑み。それに続く


『早く退場しろ。悪・役・令・嬢』の小さな声。


 ここまで言われて、俺はやっと何が起こったのか気がついた。むしろ、ここまで気が付かなかったのかだって? そりゃ、俺の頭の動きが多少よろしくないのは認める。多少どころではないのも……まあ、認める。だけど考えてみてくれ。俺の場所からはエシャはアリスに触ってもいないのがよく見えた。アリスが自分から後ろに吹っ飛んだのもよく見えた。これだけでも、アリスが何をやらかしたのか分からずに、俺はポカンだ。頭の処理が追いつかなかったんだよ!! その後、何かの芝居が始まったのかって思ったら、訳も分からずにエシャ断罪の流れになっていた。それでやっとアリスが自ら吹っ飛んだのが、エシャを陥れるためだってことが分かったんだ。


「だ、黙れ!! エシャは悪くない!! 婚約破棄だなんて誰が言い出したんだ!?」


 あれだけ騒がしかった会場が急にシーンとする。あれ?


「婚約破棄を最初に言い出されたのは、殿下でございますが」


 そうだった。俺だった……。だけど、そうじゃないんだよ。俺が婚約破棄をするのはエシャの未来のためであって、こうして弾劾されるためじゃないんだってば。


『バカ王子』


 再びアリスの声が聞こえる。

 その声は周りに聞こえても問題がない。なぜなら、その言葉は日本語だったから。俺以外は誰も理解できない言語だったから。

 はい。どういうことかというと、アリスさん、彼女も転生者でした。パチパチパチ。

 それはかなり早い時点で分かっていた。だって、俺の前で急に膝から崩れ落ちたかと思うと、「エシャルロットさんは悪くないの。私が悪いの……」と涙ながらに訴えるんだけど、俺が反応しないでいると日本語で『ちっ、アホ王子め、察しろよ! 悪役令嬢が何かしたんに決まってんだろ?』とつぶやくんだもの。アリスの顔は、本当に清純無垢そのものの顔なんだぜ。日本語が分からなければ、だまされるところだ。本当にビビるよ。女性不信になりそうだったよ。もちろん、エシャ以外の……。

 ま、そんなわけですぐにアリスが転生者だって分かったんだけれど、俺は自分が転生者だってことはアリスに打ち明けなかった。仲間意識をもたれるのが怖かった。でもそのおかげで分かった事もあった。俺は妹のWEB小説を最初から最後まで読んだ。書籍も読んだ。だから俺は自分が婚約破棄してざまぁされる王子だって知っている。けれど、アリスは小説を読んでいない。妹よ。この世界の原作は、売れない小説だったかもしれないが、俺は好きだぞ。

 それでもアリスは自分がヒロインで、周りの男が攻略対象というようにこの世界を認識している。だから、攻略対象として王道の同級生王太子の俺、それに隣国の第三王子にちょっかいをかけてきたのだ。それに、他にも見目麗しい男どもにまとわりついていた。中には仲良くなれた男もいて……それがさっきからの男子学生ABC+その他大勢だ。やつらはエシャを目の敵にしていた。


 そいつらは卒業後、それぞれの進路先で一番厳しい部署に配属されることが決定済みである。こんな時に王子の権力を使わずにどう使う。


 そして、アリスはってえと……進路が決まっていないんだなあ。これが。成績は首席なんだから、研究室でも国務でも領地経営専門家でも、働こうと思えばどこでも働けるのになぜ進路先が決まっていないんだ? なぜなんだ? ……ま、まさか王太子妃狙いとかって……いや、まさかまさか。まさかだよね?

 俺はしきりにアリスに今後どうするつもりなのかを聞いてみたくなった。けれど、どう考えてもそれは悪手だ。

 うん。気にしない、気にしない。


 男子学生Cがコホンと咳払いをする。


「婚約破棄は殿下自身のお考えでございます。忠臣としてそのお考えを支持いたします。ですが、王太子妃は誰かが立たなくてはなりません。ランスロール公爵令嬢ではないのだとしたら、アリス嬢と婚約するのはよき事かと思われますが、殿下はどうお思いになられますか?」

「え? 無理」


 ポロリと出た言葉に、アリスも男子学生ABCもポカンとする。

 あ、しまった。王子様言葉を使うのを忘れていた。


「で、殿下……。ど、どうして……?」

「だって、性格悪いじゃん」


 それに、誰がエシャの代わりをできるっつーねん!! 無理やろが!! あ、ってことは俺、一生独身か……。

 と、プッと吹き出す音が聞こえた。まさか、エシャ?


「ア、アリス様は心清く、優しい人物! 性格が悪いなんて、殿下の誤解でございます!」


 男子学生Bが、めっちゃわめく。


「まさか、ランスロール公爵令嬢が殿下に誤解をさせたのではないか!?」


 男子学生Aが叫べば、男子学生BCその他が「そうだ、そうだ」と拳を上げる。


「おかしなことを仰いますのね」


 エシャがおっとりと言う。


「皆様はアリス様のお取り巻きでいらっしゃったのではございませんの? てっきり皆様のどなたかがアリス様と懇意になられるのかと思いきや、なぜ殿下に押し付けようとなさるのです?」

「私達だって、そうしたかったさ。けれど、アリスが好きなのは殿下なんだ。私たちはアリスの幸せのために身を引く覚覚悟をだな……」

「余計なお世話です」


 言い切ったエシャはアリスでも、男子学生ABCでもなく、俺を見てきっぱりと言った。……何か、バレてる?



 その時、ボーンボーンボーンと時計が鳴った。きっちり十二回。

 エシャの真っ赤な唇がニッと笑った。


「さあ、楽しいお遊びの時間は終わりですわ」

「お遊びの時間って……」


 エシャは持っていた扇子で、不安そうなアリスを指した。


「学生時代は昨日で終わりを迎えました。これからは、貴女の嫌う厳格な身分制度が存在する現実の始まりですわ」


 その言葉に会場がシーンとなる。


「な……!! やっぱりあなたは身分を嵩にきて、私を見下し」

「それ以上一言でも口にされれば、不敬罪に問いますわよ」

「ふ、不敬罪って……!!」

「待て、アリス!!」


 くってかかろうとしたアリスを男子学生……いや、元男子学生ABCがバッと止めた。


「まずい、アリス。ランスロール公爵令嬢の言うことはもっともだ」

「何ですって!?」

「ともかく、態度には気をつけて」

「……分かったわ」


 アリスと元男子学生たちの会話を聞いていたエシャがフッと笑った。


「ところで、恩恵と義務の話が途中でしたわね」

「……首席をキープしていたのだから義務は果たしたと思います」

「それは誤解というものですわ。奨学生の義務とは、単に成績を維持することではありませんのよ」

「え?」

「アリス様。貴女は昨日で王立アカデミーを卒業なさったのですよ。それでは、本日からは何をなさるおつもりですか? よもや、王室に嫁ぐおつもりで何の準備もなさっていない、などということはございませんわね? 進学ですか? それとも就職?」


 アリスは気まずげにキョロキョロと周りに視線を飛ばす。


「ご自身で決めていらっしゃらないのですか? 貴女は存外、勇敢でいらっしゃるのですね」

「勇敢?」

「ええ。奨学生の義務とは卒業後、国のために尽力することですわ。入学説明書をお読みにならなかったのですか?」

「それは……私には必要ないと思っていたから……」

「本気で王室に嫁げると思い込んでいらっしゃったと?」


 エシャがクスリと笑えば、アリスは真っ赤になる。


「それは結構ですわ。進路のことです。国に尽くすとは言いましても、優秀な才能を無為に潰すことのないよう配慮し、卒業までは自主的に進路を選択できるよう定められております。ですが、もし決まっていなかった場合は……」

「決まっていなかったらなんだって言うの?」

「国家が配置を決定いたしますの」

「な~んだ。そんなこと?」


 軽く笑うアリスの肩を男子学生Bがガシリとつかむ。


「アリス。進路を決めていなかったのか?」

「え? それがどうしたの? たかが進路でしょ?」

「国が配置を決めるっていうのは、やばいんだ。北部の氷の砦、南部の戦地、東部の伝染病をばらまく密林捜索、どこも生存率が低い。ともかく誰も行きたがらない場所に送り込まれるんだ」

「い、いやよ。そんなところ!! そうだわ! あなた、将軍の息子でしょ? 私を雇ってよ。そうすれば、そんなところに行かなくてすむわ!!」

「もう遅い!!学園での事務処理は昨日までに終わらせておかなければならなかったんだ」

「なんで教えてくれなかったの!?」

「教えたさ。けれど、いつも君は聞かずに『私の進路は決まっているから心配しないで』って言っていた。だから、僕たちは君の進路はしっかりと決まっているんだとばかり……」


 顔を背けようとした男子学生の襟首をアリスは必死そうな様子でつかんだ。


「け、結婚!! あなたたちのうちの一人と結婚するわ! そうしたら、結納金で奨学金を払って! そしたら私、奨学生としての義務がなくなるでしょ!?」

「ぼ……僕たちは……」


 男子学生たちは顔を見合わせる。


「彼らは貴族家の子息とはいえ、それぞれ後継者ではなかったり、一代貴族の嫡男だったりいたしますのよ。それほどの結納金を都合できる方などいらっしゃいませんわ」


 エシャの説明にアリスは膝から崩れる。


「そ、それじゃあ……」

「お励み遊ばせ。北部の氷の砦、南部の戦地、東部の伝染病漂う密林捜索……お勧めは北部ですわ。少なくとも人間らしい生活は望めますから。ですが、お一人ではお寂しいでしょう?」


 そう言ってエシャは男子学生ABCを見やる。


「皆様もその任地へ同行なさるとよろしいわ」

「え!? な、なんで俺らが?」

「家門に見限られたのでしょう。王太子殿下の婚約者であり、この国の貴族の中で最高の権威を持つランスロール公爵家を冒涜し続けたのですもの。当然の報いですわ。任地での支援も一切断たれるとのことです」


 エシャがパンパンと手を高く打ち鳴らした。


「任地へはただちに出発していただきます。旅立ちのお手伝いをさせて差し上げますわ」


 何人かの兵が現れると、エシャの手の合図でアリスと男子学生ABCを引きずって行った。


「待ちなさい」


 と、アリスを連行していく兵士たちの足をエシャが止める。

 エシャの扇子がアリスの頬を打った。どれだけ強い力で打ったのか、アリスが吹っ飛んだ。


「先ほどはご自身で引き下がられたのでしょう? それにもかかわらず私が糾弾されるなど不条理というもの。……ええ、これこそが『公平』という審判ですわ」


 にこりと笑って、エシャは兵士に再び行くように指示した。


「殿下。婚約破棄のお話も含め、この後の件は後日改めてお時間を取りましょう」

「う、うん。分かった」


 こうして、俺の長い長い一日が閉じられたのだった。




 ――後日。



「それで、婚約破棄はまだされたいのですか?」

「ああ」


 花に包まれた東屋でのお茶会。人払いはすんでいて、見回す限り誰もいない。エシャ以外は。


「理由は……本当にアリスさんではありませんのね?」

「ああ」



 俺は「ああ」と言えなかった。

 だってさ、婚約破棄なんかしたくねえよ!!俺はエシャが大好きだ。心の底から愛している。魂を賭けてもいい。だけど……、いや、だから俺は身を引かなきゃいけないんだ。エシャのために。婚約破棄をしないとエシャの物語は始まらない。だから……。


「殿下?」


 何かを問うようにエシャはじっと俺を見つめる。


「レオン様?」


 不思議そうにエシャは首をコテンと横に倒す。


「……レオン?」


 その瞬間、ぶわっと何かがあふれた。だって……だって、反則だろう。何度も何度もお願いしても「殿下」から「レオン様」って呼び方にしてもらって……。もうめちゃくちゃ嬉しくてヒャッホーで……あまりに俺が猿になっちまうからすぐに「殿下」呼びに戻っちゃって……。なのに、頼んでもいないのに「レオン」って呼び捨てにしてくれるなんて……。

 後から分かったのは、ぶわっとあふれた何かは俺の涙だったり鼻水だったり汗だったり。本当に、人払いしていてよかった。


 そんな顔中のいろんな穴から出た液体で濡れた汚い手が、エシャの汚れ一つない柔らかな手で包まれる。

 思わず引き抜こうとする。エシャが汚れる!!

 が、想像以上の強さでしっかりと手をつかまれて動けなかった。


「レオン。もう一度尋ねますわ」

「うん」

「婚約破棄の理由は何ですの?」

「それは個人的な……」


 個人的な理由っていうのは、本当の理由をどう説明していいのか分からないからだ。だって、だってだよ。君は僕と婚約破棄してからの輝きはダイヤモンド並なんだ。いや、夜空に輝く星、いや太陽並!! 君の人生は何万人もの人々を魅了し、君の言葉は何万人もの人々の胸に刺さったんだ。輝かしい人生。それは、俺と一緒にいては訪れない未来。俺と婚約破棄をしてからたくさんの善行を積み、たくさんの人々を救い、尊敬され、最後には……エシャを見守ってきた騎士と結ばれる。そんなの、どうしても言えなくて


「それはあなたの知っている『未来』のせい?」

「え?」


 ……『未来』???

 ごめん。本気でエシャが何を言っているか分からない。

 ポカンとしている間に、エシャは唇を噛む。


「ランスロール公爵領の中でも最も貧しく、最も治安の悪い領地に送られ、支援のないまま領主代理という重責だけを背負わされ、改革に失敗すれば処刑というギリギリの精神状態で自分勝手な兵士や領民たちをなだめすかして成果を上げれば成果はそのまま父に横取りされ、自ら望んで不潔な生活をし続けたあげくに病気が蔓延して、その責任を取らされる形で奴隷として売られ、古竜の復活の犠牲にされそうになったり……」


 それは血を吐くかのような告白。まるで、本当に体験してきたかのような……。

 これは、まさか……。


「やり直し……?もしかして、時間が巻き戻ったのか?」


 俺が、そしてアリスが小説の世界に転生したのなら、エシャが人生をやり直していても不思議じゃない。


「ええ、その通りですわ。私は一度死し……そして、この時をやり直しておりますの」


 視線の強さ、目の際の赤さ。とても適当な事を言っているとは思えない。って、待て!! エシャが言ったことが本当ならば、妹の書いた小説のほとんどが嘘って事じゃねえか!! それとも、小説と現実は酷似した別世界? ああああ、頭がこんがらがる――!!


「もう一度お尋ねします。私をあの『未来』に送り込むことがあなたの……レオンの意思なのですか?」


 それは『私を不幸にしたいのか?』と聞こえた。それはもちろん「NO」なわけで……。

 ブルンブルンと首を振った。


「ならばお聞かせください。婚約破棄の理由は何ですの?」

「それは、個人的な……。あれ???」


 いや、待て。

 俺が婚約破棄をしようと思っていた理由って、エシャが輝く未来のためだったはず。だけど、エシャの話では輝く未来どころか、裏切りと苦しみの日々ってこと? だったら、俺が婚約破棄する意味って?


「ちなみに、前世のあれこれはもう対処済みよ」


 そう言って、エシャは静かにカップに口をつけた。

 んんん?

 何かとんでもない事を聞いた気がするぞ。領地の問題も、悪の組織の問題も古竜の問題も対処済みってことか? あ、そうか。身分も後ろ盾もないエシャが解決できた問題なら、身分もコネもあり、さらには一度解決したっていう知識もあるエシャならもっと簡単に……。ってことは、あれ? 婚約破棄って、意味あるのか?|いや……ない……かも……。


「婚約破棄はしないわね?」


 本当は、ちゃんと整理する時間が欲しい。欲しいけれど、逃がさないというエシャの気迫を感じる。


「う……うん」


 なんだか、やられた感があるけれど、胸のつかえが下りたのも事実だ。

 エシャはもう一度紅茶をゆっくりと一口飲み込んだ。そしてティーカップの縁を人差し指で軽くなぞった。


「それで、聞いてもいいかしら? 私の『未来』を知っている誰かさん。本当のあなたは誰?」

「???」

「私が『未来』から帰ってきたのは、レオンと初めて顔合わせをしたあの日。七歳の時。前世のレオンなら私に泥団子をぶつけて、『このブス! 俺に跪け!!』って罵ったのよ。もう一度そう言われたら、すぐさまぶちのめして婚約話は白紙にするところだったわ。ところが、あなたときたら……」


 確か、その時の顔合わせで初めて会ったエシャはあまりにも俺の理想すぎて、すぐにその場で父上と母上に「絶対にこの子と結婚したい!! この子じゃなきゃ嫌だ」って床ドンしてギャン泣きした。思えば、その時のエシャもエシャのお父さんのランスロール公爵もドン引きしていた気がする。

 言い訳をさせてもらえば、俺も前世の記憶を取り戻したばかりで、目の前のエシャがマンガかゲームのヒロインみたいにかわいくて、それで現実とは思っていなくて駄々をこねただけなんだ。正気じゃなかったんだってば!! 本気だったけど。

 その後もエシャに会うたびにテンションが上がりまくり、小猿と化していた俺。飼い主、エシャ。ふう、あの頃は幸せだったなあ……。

 このままじゃいけないと一念発起した十二歳の俺。俺は、なんとかエシャの理想の男性像を聞き出した。王子様? よーし、俺はエシャの王子様になるんだ!! あ、本当に王子様だった。この場合どうすれば……? と、散々悩んだ末に、母上の書棚にこっそり隠されていたロマンス小説を元に、俺なりの王子様像を作り上げていった。ともかく優等生、皆に優しく、優雅で華やか。それとこれ大切。社交界ではモテモテ男子。きっとエシャも俺のことを……と、振り返る先のエシャはいつも戸惑ったような顔をしていた。その表情に俺の胸は痛いくらいキュンキュンし……一時期、心臓病の噂が立った。


「だから、前世であった『殿下』とは違うって分かったの。もう一度聞くわよ。あなたは誰?」


 と、ザッと強い風が吹いた!!

 かと思うと、次の瞬間ジャギーンと鉄と鉄がぶつかる轟音がする。


「へ?」

「テーブルの下に隠れて!!」

「は、はいっ!」


 反射的に従う。

 何度かの鉄と鉄がぶつかる音。それが剣の鍔迫り合いの音だって気付いたのは、音が止んだ時だった。


「もう出てきていいわよ」

「あ、ああ……うん」


 おどおどとテーブルの下から這いずり出れば、東屋の外では男が倒れ、その男を踏みつけたエシャが剣を男の首に突き付けていた。


「え?」


 俺が驚いたのは、男の隣のエシャが剣を握っていたからではない。その剣を握ったエシャが妹の小説の挿絵通りの勇ましさだったからだ。いろいろと妹の小説は現実とは違っていたけれど、少なくともエシャの凛々しさ描写だけは合っていた。


「大丈夫だった?」


 やだ。本当にかっこいい。


「どうしたの? 怪我でもした?」

「う、ううん!! エシャこそ、大丈夫?」

「ええ、大丈夫よ。ごめんなさいね、近く襲撃があるだろうとは思っていたけれど、まさか王宮であなたと一緒の時に狙われるだなんて思わなかったものだから……」


 とは言ってもエシャさん。ひっそりと剣を持ち込んでいましたよね!? いや、助かったけれどさ!!

 俺は改めて、エシャが倒した男を見た。


「あれ? これ、君の護衛騎士?」


 そう。彼は、妹の小説でエシャと最後に結ばれる護衛騎士だった。


「このゲス野郎のこと?」


 俺はつかの間、エシャらしからぬ言葉に固まった。


「何? 驚いたの?」

「う、うん……」

「『未来』を知っているなら分かるでしょ? 私がお嬢様ではいられなかったことを。私の知っている言葉は『ゲス野郎』どころじゃないわ」


 そう言って、エシャは凄みのある笑みを浮かべる。お嬢様……悪役令嬢というよりは、暗黒街の女王様だ。


「そうよ。このゲス野郎は前世での護衛騎士。私を奴隷商人に売り飛ばし、古竜の復活の儀式から命からがら逃げたのに、引き戻して私の心臓をえぐり出した悪党……。私が生き直してすぐにしたことは、この男が騎士になる推薦を取り消したことだけだわ。心が正しければ私の推薦がなくても騎士になることはできたはず。裏切られて当然よ。でも、結局騎士にはなれずに私を恨んでこんなことを……」


 確かに俺はアカデミーでこの護衛騎士がいないな~とは思っていた。もともと目に触れたくもない男だったから自分からどうしたとは聞かなかった。まさか、七歳の時にけりを付けていたなんて……。さすがだ。


「この男を知っているって事は、やっぱり『未来』の記憶があるのね」

「いや……だから……その……」

「もう一度聞くわよ。あなたは誰?」


 重ねてエシャが聞く。

 ゴクリとつばを飲み込んだ。

 誤魔化すことはできない。


「えっと……信じてもらえないかもしれないんだけれど……」

「私は同じ生を二回生きている女よ。何を言われても信じるわ」

「そ、そうだよね……」


 俺は長くつまらない話をボソボソとし始めた。前世でのこと、今世でエシャと出会ってからのこと、アリスは多分俺と同じ世界からやってきたということを。

 全てを聞き終えたエシャは、深く深くため息をついて「そう……」とつぶやいた.


「じゃあ、やっぱりあなたは前世の『殿下』とは別の人間ということね」


 エシャの前世が原作の王太子だとしたら、俺はその人ではないのは確かだ。


「……よかった」


 心の底からというようにエシャはつぶやいた。


「え?」

「違う人だろうとは思っていたの。けれど、もしかしたらあなたも私と同じく『未来』から帰ってきたせいで、行動をわざと変えているのかもって疑いは捨てられなかった。そしたら……そしたら、私は私を不幸に突き落とした人を愛したことになる……。それだけは耐えられなかったの」

「えっと……?」


 エシャは困ったようにため息をついた。

 だって、本当に分からないんだもん!!


「私のこと……好き?」


 赤みを帯びた瞳で上目遣いに俺をのぞき込むエシャ。

 ゴクリと喉が鳴る。

 エシャを好きなその気持ちは、深まりこそすれ、熱くなることこそあれ、真摯になることこそあれ、廃れることはほんのわずかにもない。全く、完全に、永遠にない。

 けれど、それを口に出したことがあったかと言うとまた別の話。俺はエシャを好きだと言ったことがあるだろうか?

 そこに思い至ると、感電したようにつま先から頭の先までビーンとなってしまった。


「わ、私……いや、お、俺は……エシャのことが……」


 いけ、俺!! ここで男を見せるんだ!!


「三度の飯よりエシャが好きだ!!」


 あれ? エシャの顔がポカンとしている? 俺、なんか間違えた? あ、ここは米食文化じゃなかった――!!


「えっと、飯っていうのは米のことで……米っていうのは、白くて柔らかくて、おいしくて。俺の好きな品種はゆめ○りかっていう品種で、冷めてもおいしくて。あ、もちろん一番おいしいのは炊きたてだけど。味は淡泊だけれど、何度も噛んでいるうちにでんぷんが甘く……」


 頭がぐるぐるして何を言っているのか分からない。

 つっとエシャの指が俺の唇に押し当てられた。


「さっきの後半部分だけもう一度言って」


 エシャのかぐわしい息が届くほど近くにいる。

 俺の胸はドキドキ、呼吸はハアハア。ゴクンと喉を鳴らし……気を失った。

 チクショウ!! 俺ってば、どこぞの姫だ――!?

 目をさました俺は、エシャに膝枕されている事に、当然のごとく夢の中だと思った。だから、自然に言えた。


「好きだ。エシャ」

「うん」


 それはそれは艷やな笑み。だけど原作では一度もなかったような幸せな笑みだった。


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