若者
不意に、後ろから声がかかった。
「 大丈夫ですか?」
気付くと背後に人が立っていて、どこかで聞き覚えのある声がする。
「 あん?なんやお前、口出すなや 」
後ろに居る人は、男に掴まれている鈴の腕を自分の方に引き寄せる。必然的に、鈴と彼との距離も縮まり、それが一人の若者であることに気がついた。
「 でも嫌がってるでしょう?離して下さいよ 」
「 はあ?そないなことないわ! 」
「 …あのっ、離して…下さい! 」
ようやく勇気が出て、大きな声を出すと、後ろの若者が「 ね、離して下さい 」と言った。すると男は渋々と言った感じで鈴の腕を離し、舌打ちをして去っていった。
鈴は背後の若者に向き直り、頭を下げた。
「 あ、ありがとうございます! 」
「 いいや、当然の事をしたまでだよ 」
若者の顔を見ると、それが江戸で道案内をしてくれた者だと気付いた。
「 あの…江戸でもお会いしましたよね?」
「 え…あぁ、あの時の!あれから大丈夫だった?」
彼は鈴の顔を見ると思い出したようで、顔に笑みを浮かべた。
「 家はどこ?送ろう 」
「 そんな、悪いですよ 」
そもそも家なんて無いんだけど、と心の中で付け足す。心遣いはありがたいが、どう断ろうか。
いや、言えないところは隠して、もう正直に言ってしまった方がいい。
「 その…旅先で、宿を探しておりまして 」
「 なるほど…僕もここら辺は詳しくないけれど、宿くらいはわかるよ。案内しよう 」
「 あ、ありがとうございます! 」
二度もお世話になってしまったが、ここはご厚意に甘えよう。
そうして、宿まで他愛ない話をしていた時だった。
「 そう言えば、名前は?」
そう訊かれ、鈴は少し言葉を詰まらせた。
名字を言うのは少しまずいだろうか。だが偽りを言って、変に勘ぐるられては困る。
「 鈴と言います 」
名字が無い者、自称しない者もいると聞くので、名前のみ名乗った。すると、男も名を言った。
「 僕は沖田総司。江戸から来たんだ 」
「 総司殿、」と呼びかけると、沖田は不思議そうな顔をしたが、応じてくれた。
( 殿? )
「 どうしたの?」
「 貴方様はどうして江戸から? 」
「 あぁ、将軍様の上洛で浪士組を結成するって話でね。同じ道場の人達と、ここにやって来たばかりだよ 」
幕府が浪士組を募っているという話は聞いた事があったが、このような若い人もいるのか。少し感心していた鈴に、沖田はわざとらしく溜息を吐いた。
「 そーゆーお話だったんだけど…なんだか色々あって、本隊が江戸に帰ってしまったんだよね 」
何気なく呟く沖田に、鈴はぎょっと目を剥いた。
「 いや、それはまずくないですか 」
「 ああ、明日には幕府の人に掛け合うよ。全く、過激派には困ります 」
「 た、大変ですね… 」
「 そういえば、君はどうして江戸から旅を? 」
一呼吸置いて、沖田が問うてきた。その言葉に、思わず鈴は言葉を詰まらせる。どう答えるのが正解なのだろうか。
「 …故あって、故郷を追われまして。縁のあるここら辺を訪ねてきたのです 」
「 へえ 」
嘘は言っていない。ただ、ぼったくられた話をしては忍びないので、やんわり話す。幸い、沖田は納得してくれたようだった。
「 大変ですね…あぁ、ここです 」
そう言って、沖田は一つの通りの前で足を止めた。
「 ありがとうございます…あ、そうだ 」
鈴はひらめいた。早速懐から巾着を取り出すも、それを見た沖田に止められた。
「 お金は貰えないよ 」
「 いえ。幸い、多めに頂いたので 」
事実である。出奔する前、じじいに小判を二十枚程、銭をある程度渡された。「 大事に使って下され 」と。京に来るまでの駕籠で相当使ったが、まだ小判は十枚もある。
「 でも… 」
「 なれば、浪士組で困った事があれば使って下さいまし。それなら良いでしょう? 」
鈴は渋る沖田に小判一枚を押し付け、その手を握らせる。
「 今日はありがとうございました。またどこかで!」
「 あ、ちょっと…!」
後ろからかかる声を振り切って、宿屋に飛び込んだ。
「 はーー… 」
宿を取り部屋に入った途端、布団に飛び込んだ。それはそうだ、布団はしばらく振りなのだから。疲れて、もう目が開かない。
(明日ちゃんと起きれるかな…)
一応この辺りは近江に近いようだから、行けなくは無い。しかし、広い近江から一人の人間を探し出すのは容易では無いし、もう母は近江にはいないかもしれない。ここで生計を立てた方が、現実的ではないだろうか。
(考えるのはもうやめよう、明日にしよう明日に)
しばらくは食いっぱぐれる事は無いだろうし、明日仕事を探そう。
だが、家事を少し見よう見まねでやった事ぐらいしかない、こんな小娘に働ける場所など、あるのだろうか?
( あーもう駄目だ、やめよう )
きっと明日の私なら、どうにかできるだろう。