延々と続く一本の畦道に、女が一人、大変焦った様子で駆けている。
「 は、はぁっ、くるしいっ、… 」
この女___というより、少女という出で立ちの娘の名は鈴。故あって、ぼろぼろの服に身を包んで、その身分には見合わず、従者の一人も連れずに畦道を必死に下っている。
( こんなに走ったこと無いんだけど…! )
かれこれ半刻は走っているのではないだろうか。足が重く、動かない。
___なんで私がこんな目に。
鈴は、少々特殊な生い立ちであった。
鈴の父はとある藩の藩主で、それだけならば鈴は相当に良い人生を送っていただろう。しかし、母親は本来ならば、鈴の父親と目を合わせることすらも烏滸がましいほどの身分であり、鈴が生まれるとすぐに捨てられた。そんな事情もあり、鈴の存在は家の中でも限られた者しか知らない、極秘事項であった。
とはいえ、鈴の父はそーゆーところはあれど親の心はあるらしく、鈴は江戸藩邸の別館で隔離されながらも、数人の従者を側に、不自由の無い暮らしをしてもらっていたのだが。
そんな鈴が、何故このような状況に陥っているのだろうか。
それは、八割方鈴の父の所為である。
まずそもそも、鈴の父は、三年前の安政七(1860)年に殺されているのである。
鈴の父は生前、良い意味でも悪い意味でも有名人で、その恨みにより暗殺された。鈴の家は当主の不在により、一時は窮地に追い込まれるも、鈴の腹違いの兄が御家を継ぎ、なんとか存続している状況だ。
しかし、未だ恨みが晴れず、こちらを虎視眈々と狙っている志士達がいるのであった。それでも、だ。
そもそも鈴の存在は秘匿されているはずである。にも関わらず、鈴はその命を狙われ、一人徒跣で逃亡を余儀なくされている。
おそらく、売った者がいるのだろう。
探せばわかるだろうか。しかしそうしなくとも、鈴が命を狙われていると判明した途端、この十二、三年寝食を共にしてきた世話役の多くが逃げ出したのである。
( くっそ、にしても もう走れないぞ )
切実に、駕籠がほしい。心もそうだが、足が物理的限界を迎えている。
____やだ!!もう歩けない!!____
____そうは言っても…あぁ、駕籠を用意しましょうか____
____駄目じゃ!姫様を甘やかしてはならぬ!____
(なんだか、懐かしいことを思い出した)
駄々をこね街に連れ出してもらったものの、疲れて結局、世話役の男の背中で寝てしまったんだったか。
「 姫様、 鈴様、お逃げなされ 」
あの時、あっという間に庶民のような服に着替えさせられて、背中を押され江戸藩邸を出奔した。
皆は、無事だろうか。
立ち止まりそうになった。
いつも困り眉をしていた優しい世話役はいない。
礼儀作法に口うるさい爺だって、もういない。
鉛のように重い足に鞭を打って、再び走り出した。