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第六話

 「つーかまーえたー!」

 「あー捕まっちゃった、テッリはかけっこ速いね」

 とある日の穏やかな昼下がり、教会の子供達と礼拝堂の中で鬼ごっこをして遊ぶソウタの姿がそこにあった。宿兼食堂の女将アルにお使いを頼まれ、教会のシスターモニカや親をなくし保護された子供達と初めて会った日から数日。ソウタは朝早く組合の開く前から組合前に待機し報酬の良い依頼を受けて午前中に手早く片付けた後教会へ足繁く通う、という日々を繰り返していた。地球への帰還方法を一刻も早く探さなければならない中何故そんな事をしているのか、ソウタ自身にも正直良くわかっていない。一言で言えば教会の子供達が気になるから、その程度のきっかけに過ぎなかったがソウタはその気がかりを放置できなかった。もやもやとしたものがずっと胸の奥に引っかかっている……そんな気がかり。それが一体何なのかを探る為ソウタは連日教会へ通う日々を過ごしていた。

 突然毎日のように訪ねて来るようになった珍客に当然最初は距離を取られたものであったがそこは感情の読めるソウタである、あっという間に子供達の懐に入り込みわずか数日でまるで本当の兄弟のように懐かれるまでになっていた。教会で保護されている子供達は全部で五人いる、わんぱく盛りのテッリと寡黙で控えめのアデル、最年長のジェントの三人が男の子。恥ずかしがり屋のフラと面倒見の良いフィアの二人が女の子である。

 現在礼拝堂にはソウタと鬼ごっこをするテッリとアデル、ウシオと一緒にシスターモニカの髪を結って遊ぶフラとフィアの四人の子供達の姿が見られた。最年長のジェントはというとまだソウタ達を警戒しており一人二階の寝室に立てこもっているのであった。

 お昼はソウタ達からの差し入れでお腹を満たし午後は元気に走り回る、陽気にも恵まれ子供達の体力が持つはずもなく一時間としないうちに四人揃ってお昼寝の時間を迎えた。子供達が静かになったのでここからは大人のトークタイムとなる。……十代は子供だなどと野暮な事を言ってはいけない。

 「すみません、お昼をご馳走になった上に子供達の面倒まで見て頂いて……昨日は教会のお掃除まで、何と感謝すればよいか……」

 子供達を起こさないよう声は抑えながら、シスターモニカはぺこぺこと何度も頭を下げてお礼を述べていた。

 「恩を売りたいわけではなく我々が好きで勝手にやっている事です、ご迷惑な時は遠慮なく仰って下さい」

 ソウタも声を抑えながら、静かに穏やかに、そして押し付けがましくならないよう丁寧に善意を伝える。

 「迷惑だなんてそんな、とんでもありません! でも……ソウタさん達は大事な旅の途中だと、どうしてここまでして頂けるのでしょう……?」

 モニカの問いにソウタはすぐ横で寝息を立てるテッリに目を向け優しく頭を撫でながらゆっくりと口を開いた。

 「自分でもよくわからないけど、何故か気になるんです。この子達を見ていると、何もせずにはいられない……そんな気持ちになります」

 そう語るソウタの表情は正直無表情と言えるものであったがその目は確かに子供達を慈しむ優しい心に満ちていた。そんな様子をウシオもモニカも一緒に穏やかな表情で見守っていた。

 「お二人には感謝してもしきれません、せめてお二人の為にお祈りをさせて下さい。ソウタさん達の旅に『天樹』様の御加護のありますよう……」

 首から下げたペンダントを両手で優しく包み込みモニカは目を閉じて祈りの言葉を囁いた、ソウタはその祈りの言葉にピクリと反応を示す。

 「『天樹』様……?」

 モニカの捧げた祈りの言葉にソウタとウシオは顔を見合わせた。この異世界に来て『樹』という言葉以上に気になるものはない、『ナニカ』に飛び込んだ先で見つけたあの巨大にもほどがある星空を湛えた大樹の事をソウタは思い出していた。

 「ご存知ありませんか? 『天樹』様というのは我々エステリア教徒の信奉する御神木の事です。とっても大きいんですよ」

 私は見た事ないんですけど……、とモニカは恥ずかしそうにしながら首から下げたペンダントを見せてくれた。そのペンダントは銀色のコインを首飾りのように加工したもので、そこには樹とその上部にサポーター徽章と同じ四芒星が五つ横に並んで描かれていた。

 「この樹が『天樹』様……その上に並んでいる五つの四芒星は?」

 ソウタがまじまじとペンダントに顔を近づけモニカに尋ねるが返事はなく、顔を上げると当のモニカは顔を真赤にしたまま固まってしまっていた。しばらく何事かとソウタも分かっていなかったがウシオから近いですよ、と釘を刺されてようやく理解しソウタは素早く身を引いた。

 「ごめんなさい、不用意でした、申し訳ない、です」

 「いえ、私の方こそ、すみません、外せばよかった、です……」

 ソウタとモニカ、お互いがぎこちなく謝罪し合うと微妙な間をおいてモニカは軽い咳払いをして気を取り直し説明を続けた。

 「えっと、私も聞いただけですけど、これはそのまま星を意味しているそうです。何故五つなのかはちょっとわからないです、すみません……」

 未だほんのりと高揚した頬に手を添えながらモニカはぺこぺこと何度も頭を下げていた。ソウタは表情には出さず心の中で歓喜していた。

 「(大きな樹の上に星……無関係と考える方が無理がある……まさか本当に手がかりがあるとは)」

 これまで目立った収穫のなかったソウタはようやく見つけた手がかりに思わずはやる気持ちを抑えつつモニカへ質問を続ける。

 「先程ご自身は見た事がないと仰っていましたけど、天樹様というのはどこにあるんですか?」

 ソウタが興味を示した事にモニカの表情はパッと花開くような笑顔を見せ、とても嬉しそうに教えてくれた。

 「興味ありますか? 天樹様はエステリア教の御神木ですから、教会本部の建つ星都エステリアに立っておられるそうです」

 どうやらソウタ達の知る巨大樹では無いようであるが新しい都市の名前も出てきていよいよ次の目的地が見えてきた事にソウタは一人心を奮わせていた。

 「星都……都市の名前と宗教の名前が同じなんですね」

 ソウタの率直な意見もモニカは笑顔で受け止めコクリと頷きながら答える。

 「はい、先にエステリア教がありその後に国の名前とされたと伝わっています。より正しくは『交易と宗教の国センテエステリア』といいます」

 交易と聞いてソウタはふと依然頭の片隅に置いておいた情報と紐付け一つの仮説を立てた。

 「交易という事はもしかして……港町から出ている船の向かう先がその星都ですか?」

 「ええ、そうですね。エステリアへは陸伝いに行くか船に乗って海を渡る事になるはずです」

 これで本格的に次の目的地が確定した。星と大きな樹、これが揃っていて何の関係もないはずがない。あとは移動手段を考えるだけである。念の為モニカにも渡航許可証について尋ねてみたがやはり彼女も知らず、またぺこぺこと何度も頭を下げさせてしまった。


 その後目を覚ました子供達の遊び相手を夕方まで務めソウタ達は食堂の手伝いの為モニカ達に別れを告げ教会を後にした。薄暗くなった路地を歩きながらソウタとウシオは今後の事について言葉を交わしていた。

 「本当にありましたね、手がかり」

 「棚ぼたというのか僥倖というのか、思いがけない巡り合わせにはいつも驚かされる」

 そう言いながらソウタはウシオの帯紐にぶら下がるスイカを穏やかな顔でしみじみと見つめていた。

 「んー? なーにー?」

 「何でもないよ、ところでジェントはどうだった?」

 ソウタ達が礼拝堂で子供達と遊んでいる間スイカはソウタの頼みで二階にこもりきりだったジェントの事を見守っていた。

 「お昼食べた後ずーっと寝てたよ。あ、でもね、一回だけ何か布にくるまってごろごろしてた」

 「そう、特に大事ないならよかった。ありがとうスイカ、ご褒美は何がいい?」

 うーん……と唸りながらくるくると回るスイカとソウタのやり取りをウシオもまた穏やかにしみじみと見つめていた。

 「どうですか? もやもや、少しは晴れましたか?」

 ウシオの問いにソウタは少し上を向いて首を傾げ考えると笑顔のままこう答えた。

 「わからない。けど何ていうか、居心地の良さというか……安心感かな、不思議な感覚を覚える」

 そう語るソウタの表情はとても穏やかで優しく晴れやかなものだった。嬉しくなったのかウシオはそっとソウタの頭を撫で始め、それを見たスイカも便乗してソウタの頭を一緒になって撫で始めた。

 「……明日からは渡航許可証の事を聞いて回るよ、ミルドも王都へ向けて動き出したし」

 「はい、まだまだ頑張っていきましょう」

 子供扱いは不本意だ、と表情で語りながらソウタは食堂に着くまでの間ずっとウシオとスイカの二人から撫で回され続けるのだった。


 翌日ソウタはいつものように朝早くから組合前に待機し依頼を受けるとすぐに依頼人の元へ……は行かず、サポーター組合所長リデルの元を訪ねていた。要件はもちろん――

 「渡航許可証? 君達もう王都を離れるのかい?」

 早朝から許可証の件を尋ねに訪れたソウタ達へリデルはとても残念そうに肩を落として尋ね返してきた。

 「いえ、今すぐというわけではないですが……次はエステリアという国を目指してみようと思いまして」

 ソウタは肩を落とすリデルへ誤解を解きながら諸々の経緯を丁寧に説明した。また、帝国への道についても詳しく尋ねる。

 「エステリアへの道は陸路と海路があると聞きました。ですが現在帝国への道は通行できなくなっているとも聞いています」

 何があったのか、ソウタが説明を求めるとリデルは大きくため息を吐きとても困った様子でゆっくりと口を開いた。

 「帝国との国境に掛かっていた橋が崩落してしまったみたいでね、おまけに再建の見通しもしばらく立ちそうにないときてる」

 言い終わると再び大きなため息を吐いたリデルの眉間には深々とシワが寄っていた。

 「崩落と言うと……何か揉め事でしょうか?」

 ここに来て国同士の揉め事に巻き込まれるなど冗談でも勘弁してもらいたい、ソウタはとても真剣な眼差しでリデルの返答を待つ。

 「いや、どうやら原因は行商の積み荷にあったらしい。雑に積まれていた大量のクズ片が爆発したとかなんとか、迷惑な事だよ」

 リデルは机の上の書類を手に取りぺらぺらと眺めながら唸り頭を悩ませていた。

 「精霊結晶が砕けると橋を崩落させるほどの威力があるんですね、衝撃がすごいとは伺った事がありますが」

 ソウタはサポーターとして初めて請け負った依頼の際に見せてもらった魔獣の本から得た精霊結晶の情報を思い出していた。

 「クズ片であれば一つ一つは全然大した事はないんだ。ただ正規の保管方法を取っていなかったらしいのと、積んでいた量がね……」

 一つの衝撃が周りを砕きその衝撃がまた周りへ、と連鎖的に砕けた結果橋を崩落させるほどの爆発となったらしい。

 「交易や流通に必要不可欠な橋であるならば、一日でも早く再建に着手するものではないんですか?」

 ソウタが素朴な疑問を投げかけるとリデルは力なく首を振り手に持っていた書類を机の上へ放り投げた。

 「もちろん、王宮としてもそうしたいのは山々なはずだよ。ただ帝国に送った橋再建の協議要請の返事が全く帰ってこないらしい」

 国境ゆえ勝手に再建を進めるわけにも行かず帝国からの返事を待つしかない状況、という事であった。ソウタは口元に手を当てやや考え込むとゆっくりとその口を開いた。

 「であればやっぱり、エステリアへは海路しかありませんよね」

 「そうなるね。渡航許可証は王宮発行だから申請書を出すんだ、うちからも出せるから一応出しておくよ。ただ……」

 リデルは何か心苦しそうに言葉尻を濁すとしばしの沈黙の後ソウタを見据え重苦しくその口を開いた。

 「知っているかもしれないけど、その船というのは商船で人を運ぶ為の客船ではないんだ。だから基本的に商会を通じて申請を出される行商人が優先される」

 つまり? とソウタが相槌を挟むとリデルはソウタの相槌を復唱して苦しそうに告げた。

 「つまり、サポーター組合からの申請はほぼ間違いなく後回しにされる。帝国との国境の橋が落ちた事で海路を望む商会への申請が増えているはずだから、こちらの申請が受理されるのは一体何ヶ月先になるか……」

 なるほど、とリデルの話を受けソウタは視線を下に落とすと口元を袖で隠し深く深く思考の海へ沈んでいく。

 「(……本当にままならないな。馬車で港町まで二週間、地図の距離を見るにエステリアへは王都から一ヶ月近くかかる……やっぱり飛ぶか……でも……)」

 ソウタがこの時懸念していたのは自分達の知名度であった。ソウタ達が王都で活動を始めて半月程度が経過しミルドも護衛の仕事でその知名度を上げている最中である。自分達を知る行商人が増えた事で高速での移動が難しくなっていた。もし港町やエステリアに自分達を知る商人がいた場合、移動時間を逆算しソウタ達がそこにいる事がありえないと気づく者が現れかねない。不信感を持たれれば情報収集の活動にも支障が出る、不自然になりすぎないよう気を付けなければならなかった。

 いっその事人形を堂々と使って更に知名度を強引に引き上げるという手も考えられる。ご都合的にうまく行けば王宮との繋がりができ渡航許可証を貰えたりそのまま人形で飛んでの移動が可能になったりするかもしれない。だが逆に悪い方へ転がれば王都には居られなくなり場合によっては国際指名手配、他国での活動にも支障が出るなんて可能性もある。ソウタ達の目的が情報収集である以上人との関わりが難しくなるような状況は避けなければならない。

 とりあえず、としばし考え込んでいたソウタが顔を上げ前置きを置いてリデルへと現在の意思を伝える。

 「一応申請は出してみて下さい。許可証の発行を待つか、他の手段を探すかどうかはもう少し良く考えてみます」

 快く了承の返事を返すリデルへお願いします、とソウタは深々と頭を下げゆっくりとソファから立ち上がる。

 「朝早くからお忙しい中お時間を頂いてありがとうございました、これで失礼いたします」

 もう一度頭を下げソウタ達は組合を後にした、依頼人の元へ向かいながら尚もソウタはどうすべきか深く頭を悩ませていた。

 「(陸路は通行止め、海路は渡航許可証で足止め、飛んでいくのもリスクが高い……どうしたものか……)」

 久しぶりに大きなため息を吐き頭を掻きむしったソウタは依頼人の元へ辿り着くまでの間ずっとううん……と唸り声を上げていた。


 その後いつものように手早く依頼を済ませるとすぐ教会には向かわず書庫へと赴き他にエステリアへのルートがないかを探るソウタであったが、考えうるどのルートも並外れた身体能力や人形を人前に晒さなければならず完全にリスクを排除する事が出来ないものばかりであった。生活基盤も確立し情報収集も波に乗ってきた今、百六十日以上の期限を残してリスクをおかすのは勇気のいる判断である。ソウタは中々決断できないまま書庫を後にし大きな悩みを抱えたまま教会へと足を向けた。


 教会のある路地に差し掛かったソウタ達は教会の前に停まる一台の黒い馬車をその視界に捉えた。行商人が使っているような天幕の貼られた荷車ではなく人を乗せて運ぶ為のものである。立派な馬と整った服装の御者、その傍らには教会の扉前に立つシスターモニカともう一人。仰々しく飾り付けられた派手な服に身を包んだダルマのような体型の中年男性が話しをしている様子が見えた。歩み寄るソウタとウシオに気が付いたモニカは嬉しそうに手を振り中年男性にソウタ達の事を紹介してくれた。

 「こ、侯爵様、このお二人が先程お話したソウタさんとウシオさんです。旅のサポーターさんでいつもお世話になりっぱなしで、いくら感謝してもしきれません」

 侯爵、つまりはこのオルレオン王国の貴族である。ソウタとウシオは背筋を伸ばし失礼の無い様丁寧に深く頭を下げて挨拶をした。侯爵はソウタ達を上から下までまじまじと眺めると楽にして良いと偉そうに告げ、自らの紹介を返した。

 「お初にお目にかかる、私はアヴァール。ヴァール商会の代表をしている。その若さで旅人とは恐れ入る……君達の噂は私の耳にも届いているよ、ミルドという凄腕の事もね」

 アヴァール侯爵、彼が代表を務めるヴァール商会はこの王都の商い、特に行商を総括している超巨大組織で近年の行商環境の改善なども全て彼が推し進めたものらしい。いわば王都の経済を牛耳る超の付く大物貴族である。ソウタは大げさにリアクションを取って見せ、下手に目を付けられないよう庶民らしさを演出していた。

 「おぉ……そんなすごい方とお知り合いだったんですね、シスター」

 「いえいえいえっ、そんなっ、お知り合いだなんてそんな、恐れ多いです……っ」

 ぶんぶんと首を振り全力で否定するシスター曰く、侯爵は教会と保護されている子供達を個人的に気にかけてくれていて度々食材や衣類などの物資を教会へ寄付する為こうしてわざわざ自ら足を運んでくれるのだという。気を良くした侯爵は鼻を鳴らしふんぞり返って講釈をたれ始めた。

 「私に出来る事などたかが知れていますが、未来ある国の宝である子供達を見守る事も我々貴族の大切な務めですからな。さてシスターモニカ、まだ仕事がありますので私はこの辺で……また伺います」

 謙虚さと立派な志を語って見せ侯爵はのそっと馬車に乗り込むと窓越しに手を振りながら優雅に去っていった。走り去る馬車にモニカはその姿が見えなくなるまで深く頭を下げていた。やがて馬車が見えなくなるとモニカは瞳を潤ませ侯爵の人柄を語りだした。

 「御謙遜されていましたが侯爵様は本当に立派なお方です、その崇高なお志に子供達がどれ程お救い頂いている事でしょう」

 心底感動したような様子でモニカはしばらく馬車の去った先を見つめていた。傍らには侯爵の持ってきたものであろう物資の詰まった木箱が積まれたままであった。ウシオが気を利かせて運び入れるのを手伝うと申し出るとモニカはハッと我に返りウシオと二人でバタバタと教会の中へと入っていった。ソウタも木箱を一つ渡され両の手に抱えていたがすぐには教会の中に入らず扉の前で馬車の去った道の先を一人じいっと見つめていた。その眼光は鋭く、決して穏やかなものではない。

 「(アヴァール侯爵……あの男、出てくる言葉と感情がまるで正反対だった……それに反吐の出るあの視線……)」

 侯爵を間近で見たソウタの目が捉えていたのは立派な言葉とは裏腹のどす黒く濁った醜悪なオーラだった。オーラだけではない、ふんぞり返った彼の視線は常にシスターの胸や腰に注がれ、ソウタとウシオが現れてからは二人に対してもその気持ちの悪い視線を何の躊躇いもなく浴びせてきた。彼の慈善活動は間違いなく善意などではない、ほんの数分のやり取りだがそう断言できるだけの悪意があの男には満ち溢れていた。

 「ソータ入らないの?」

 「ん……入るよ、ていうかスイカボクの頭の上に乗り過ぎじゃない?」

 微動だにしないソウタの頭の上に居たスイカから唐突に声をかけられようやくソウタは木箱を抱え直しゆっくりと教会の中へと入っていった。何も知らず無邪気に駆け寄ってくる子供達に穏やかな笑顔を向けながら、ソウタは微かに揺らぐモニカのオーラを見つめ新たに増えた悩みの種に強く胸を締め付けられるのであった。


 それからというものソウタ達は連日依頼の傍らエステリアへの道を模索しアヴァール侯爵の魔の手から子供達を守るべく教会へも通い夜は食堂を手伝う、という多忙極まる日々を送っていた。……しかしいくら探せど港町からの海路以外の選択肢を見つける事は叶わず、侯爵にもこれと言って目立った動きは見られずただただ収穫のない日々だけが無為に過ぎ去っていくばかりであった。

 やがてミルドも王都への帰還を果たし異世界に来てから一ヶ月が経過したタイミングでソウタは一度情報と現状を整理する会を開く事にした。食堂の手伝いも終わり夕食を済ませた夜、宿の部屋に久しぶりに揃った五人の姿があった。音頭を取るのはもちろんソウタである。

 「まずは初心に返って目的の整理から」

 ソウタ達の目的、その最優先事項はもちろん地球への帰還である。しかしどうすれば帰れるのかは依然分かっていない、そこで手がかりとなるのが『神吏者』と呼ばれる存在である。巨大樹の聖域を守る森番の長曰く『この世の全てを意のままに操ったとされる神の代理人』、おとぎ話に出てくるような存在らしいが彼らならば帰還方法を知っているかもしれない。という事でまず『神吏者』を探す事を目指したソウタ達であったが……。

 「歴史、伝記、伝承、おとぎ話に言い伝え、あれこれ虱潰しに探してますが……『神吏者』に繋がりそうな情報は依然見つかっていません」

 秘書が申し訳無さそうにソウタへ報告した。続けて秘書はすっと挙手の姿勢を取りずっと抱えていた素朴な疑問をソウタ達へ提示する。

 「そもそもなんですけど、『ナニカ』に飛び込んでこっちへ来たわけですからもう一度あの葉っぱみたいな所へ飛び込んだら帰れたりしません?」

 「無理だ、それはもう試した」

 ソウタは秘書の疑問を短く切り捨てると詳しく説明を始める。

 「あちらから送った人形がこちらでも機能していたと判明した後、こっそりと鳥を上空目掛けて飛ばしてみたが……届かなかった」

 「届かない……というのは?」

 まだ理解の追いついていない秘書が尋ねるとソウタはじろりと鋭い視線を秘書に向けため息混じりに説明を続けた。

 「でかすぎて感覚がバグるが、あの巨大樹の葉っぱは当然のように大気圏外にあるんだ。だから鳥では届かなかった」

 「あ……で、では木の表面を這っていくとか?」

 秘書の提案をソウタはゆっくりと首を振って否定した。

 「ガルド達との関係がまだ定まっていない時だったから彼らとの関係を荒立てないように試さなかった。長が何か知っていそうだったし、下手な事はできない」

 そう……あの長はソウタ達の帰還方法について何かを知っている、何かを隠している事だけはソウタがオーラを見て分かっていた。しかし無理に聞き出しそれがもし彼らの協力なくして成し得ない事であればその時点で詰みである。友好的な関係を築きその上で聞き出さなければならない……その為に彼らの目的に協力する旨をソウタは申し出た、それが『神吏者』の捜索である。森番の彼らは『神吏者』の訪れを待っている。

 「あの巨大樹に対して今ボク等にできる事はない、あっちはベッキー達に任せよう……今ボク等にできるのは一日でも早く『神吏者』の手がかりを見つける事だけだ」

 一ヶ月経っても自分達の目的は変わらない、改めてそれを確認し合いソウタは次の話へと移る。

 「その『神吏者』の手がかりとなる可能性として、ボク等はこれから交易と宗教の国センテエステリアを目指す事になる」

 教会で出会ったシスターモニカ曰く、エステリアには御神木として崇められている大きな樹があるという。エステリア教教徒の証であるペンダントにはその樹と樹上に五つの星が描かれていた。大きな樹と星、『神吏者』に直接繋がるものかは定かではないもののようやく見つけた大きな手がかりである、これをスルーする事はできない。しかしここで大きな壁がソウタ達の前に立ち塞がる事になる。

 「問題はどうやって行くかだ」

 エステリアへのルートは大きく分けて二つ。王都の東北東に位置する隣国の帝国領内を経由する陸路、そして王都から東南東に位置する港町から船で海を渡る海路である。ところが帝国を経由する陸路は国境に掛かっていた橋の崩落によって現在通行する事ができず、また海路の方も船に乗る為の渡航許可証を今すぐ手に入れる手段がなく、如何にしてエステリアへ辿り着くか……ソウタが連日頭を悩ませている始末である。

 「やはり人形で飛んでいくとか……あるいは小舟を借りて自分達で漕いで海を渡るとか……?」

 秘書が再び積極的に提案をするとソウタはしばしの沈黙の後俯き視線を下に向けたまま答えた。

 「色々考えたがやはり飛んでいくのは無しだ、リスクが高い。期限の半分がすぎれば前向きに検討するが、五ヶ月を残す今そのリスクはまだ取れない」

 広げた知名度の弊害、想定されるリスクを淡々と話して聞かせ一つ目の提案は却下される。

 「小舟も恐らく無理だろう、勝手な渡航が許されるなら商人は自分の船を持つはず……許可証の申請を出す理由がない。渡航許可証がビザ……入国許可証の役割も持っていると考えられる」

 淡々と論理的に二つ目の提案も却下された、やはり目下の課題は移動手段という事に落ち着きそうである。するとここで今まで静観していたウシオがゆっくりと手を上げ挙手の姿勢を取ると、ソウタに真剣な眼差しを向けもう一つの課題について尋ねた。

 「仮に海を渡る手立てが見つかったとして、すぐに王都を発てますか? 他にも気にしている事があるのでしょう?」

 いつも穏やかに微笑みを湛えるウシオが真剣な表情でソウタを見つめている、ソウタはその目で捉えた侯爵の本性をウシオにも伝えていなかったのだがどうやらバレバレのようである。ソウタは一言謝罪を述べると包み隠さず侯爵の本性を話して聞かせた。

 「あの男は子供達の事など全く気にかけていない、慈善活動の目的はモニカか子供達か……あるいは別の何かだ」

 侯爵が醜い欲望をモニカに向けている事は一目瞭然である、ただしモニカだけが目的かどうかは断定できない。この世界にあるのか定かではないが子供達の人身売買を企んでいるという可能性もある。しかし相手は王都経済を牛耳る超大物貴族……迂闊な事はできない。仮に渡航許可証を手に入れる事ができたとしてもウシオの言う通り、子供達やモニカを放って王都を発つ事はソウタの性格を思えば難しい事であった。

 「余計な事に気を回している場合ではないと頭では理解してる……けれどどうしても、見て見ぬ振りは出来ない」

 二律背反の心苦しさを素直に吐露するソウタを攻めるものなどいるはずもなかった、その場の全員がソウタの思いに賛同の意を示す。

 「私も、あの子達に良くない事が迫っているなら何とかしてあげたい。ソウタの優しさを、私は嬉しく思いますよ」

 「僕はその子達の事は知りませんし何のお役にも立てないですが……僕は情報収集に全力を尽くします、こっちは任せて下さい!」

 「ソータがんばえぇ……(すやぁ)」

 下級の頭の上で穏やかに寝言を放つスイカに空気は緩み三人は和やかに口元をほころばせた。ソウタは今一度気を引き締めこれからの話しを切り出す。

 「とは言え相手が相手だ、こちらからは手出しできない。向こうの出方を待つ事になる……すぐ動いてくれるとこっちとしても助かるんだけど」

 「手を出してきたとして、どう対処するつもりですか? 通報したとして逮捕してもらえるんでしょうか?」

 ウシオの疑問に数秒考え込んだソウタは袖から依代を取り出し小さな手乗り下級人形を出して答えた。

 「ボク等とばれないように人形を使ってうまい事脅しをかけるとか……この世界おばけとか妖怪っているのかな」

 手のひらに乗せた人形の形をあれこれ変えながらソウタは秘書に問いかけた。

 「不思議な事は大体精霊や妖精の仕業と思われると考えられます、妖精の恵みとかがいい例ですね。あとは悪い子は鳥型の魔獣に攫われるぞ、とか」

 「魔獣に見せかけてもシスターを諦めさせる脅しにはならないな……なるべく穏便に済ませたいところだけど」

 どれだけ気にかけていたとしてもソウタ達がずっと子供達の側で守ってあげるわけにもいかない、ソウタ達が王都を離れた途端に再び侯爵の魔の手が伸びては意味がない。ソウタ達の手を離れても子供達が穏やかに暮らしていられるようにしなければならない、その方策をソウタは必死に考える。

 「……説得したら大人しく手を引いてくれないかな……無理か」

 ふうと一息吐きソウタは一旦ここまでにしよう、と状況確認の会終了を告げた。明日も書庫の仕事がある為秘書は早々に就寝し、時計のゼンマイを巻いてソウタとウシオも明日に備え明かりを消し揃って床についた。横になってすぐ、ウシオが小さな声でソウタへ声をかける。

 「明日以降のミルドの仕事も考えないといけませんね」

 「……そう言えばそうだ、いつでも出られるよう王都で待機させておかないといけないのか」

 ソウタは閉じていた目を薄っすらと開いて部屋の片隅に座るミルドへと目を向ける。

 「護衛以外の仕事があればいいけど、なかったら掃除の仕事でもさせようか」

 「ミルドは護衛のお仕事でいくら稼いできたんですか?」

 ウシオが尋ねるとソウタは小さく首を振りわからない、と小さく呟いた。

 「行きで受けた依頼の報酬は角銀貨二十枚くらいだったはずだけど、初めて見る穴の空いた六角形の小さい金貨を十枚持ってきた」

 明日アルさんか組合で聞いてみる、と付け足すとソウタは再び目を閉じウシオの腕の中ですやすやと眠りについてしまった。心身共に苦労の絶えないソウタを思い、ウシオはそっとソウタを抱き寄せ耳元で小さく囁く。

 「おやすみなさい」

 ソウタの穏やかな寝顔を優しく一撫でし、ウシオもまた穏やかに眠りについた。


 「十枚ッ!?」

 翌朝の食堂に女将アルの絶叫が響き渡る。ミルドの稼いできた通貨が初めて見る金貨であった為その価値をアルへ尋ねた所この反応が返ってきた。

 「……はい、十枚。王都を出る際受けていた依頼では報酬は角銀貨二十枚程度だったと記憶しているんですが……」

 「そいつは小金貨っていうんだよ、それ一枚で角銀貨十枚分さね……こんな朝っぱらから思わず叫んじまったよ」

 銀銭十枚で角銀貨一枚、そして角銀貨十枚でこの小金貨一枚らしい……つまり本来小金貨二枚×往復で四枚程度の稼ぎである所をミルドは十枚稼いできた事になる。

 一体何があったのか……ミルドに確認した所、どうやら行きで活躍しすぎて帰りに誰がミルドを雇うか商人間でオークションが始まったらしい。行きでもボーナスが付き小金貨四枚、オークションで釣り上がった結果帰りで小金貨六枚、とこういった流れのようである。想定外ではあるがたくさん稼いできてくれたのは喜ばしい事である、自身の人形ではあるがソウタはミルドに感謝と労いを送った。

 「それだけ稼いできたんならそのボロボロの装備も買い替えたらどうだい? サイズも合ってないようだしさ」

 アルに言われ改めてミルドの格好に目を向けると当初の見すぼらしさに更に磨きをかけて薄汚くなっていた……浮浪者と言われても違和感はない。拾ったゴミを繋ぎ合わせて作ったものだったので薄汚いのは当然ではあるが経済的にも多少の余裕が出来た為今後を考えると新調する良い機会である。

 「それじゃあ今日はミルドへのお礼も兼ねて装備の新調に行こうか」

 簡単な武器やら防具のお店は組合のある円形商店街の中にもある、ソウタ達は早朝の組合前待機を取りやめ朝をゆっくりと過ごしミルドの装備を整えてから依頼を受けに行く事にした。

 ソウタ達がゆったりと朝食を済ませていると珍しく朝の食堂に来客が訪ねてきた。壮年の男性である。

 「御免下さい、早朝から失礼いたします」

 「あぁ、すまないけどうちは夜だけの営業なんだよ。悪いんだけど食事なら他を探して貰えないかい?」

 アルが来客をやんわりと断るとその男性はいえいえ、と首を振り用があるのは食堂の方ではないと物腰柔らかに答えた。

 「失敬、お訪ねしたのはこちらの方でして……あなたがミルドさんでお間違いありませんかな?」

 男性は丁寧な所作で挨拶をしミルドを個人的に雇いたいのだと申し入れてきた。このひと月でミルドは随分と名を上げたようで行商人であるという男性の提示する条件は再びアルを絶叫させるほどの金額であった。しかし金額はともかく人形であるミルドを専属契約などさせるわけにもいかない為、ソウタから……ではなくミルド自身の口で断りを伝えてもらう。

 「そうですか、お金ではなく恩の為と言われては引き下がるしかありませんね」

 朝早くから失礼しました、と商人の男性は交渉や食い下がる事もなく大人しくあっさりと帰っていった。落ち着いた朝に戻ったかと思いきや……男性が帰るやいなや二人目の商人を名乗る男性が顔を出しこの人もまたミルドに声をかけに来たのだと告げた。気づくといつの間にやら食堂の前には順番を待つ商人が大挙として押し寄せ長蛇の列を成していた。商人の列は組合のある広場の方にまで延々と続いている、そんな中慌ててこちらへと駆けてくる男性の姿があった……組合の所長リデルである。

 「ソウタ君! すまない、彼らが組合の受付に詰めかけて来て、所属個人との個別の対応は出来ないと言ったらこんな事になってしまって……」

 申し訳ないと何度も頭を下げるリデルをなだめ、ソウタはこのままでは食堂に迷惑がかかる、とミルドも一緒に商人達を引き連れ組合のある広場へと場所を移した。一箇所に集めた商人に先程同様ミルド本人の口から事情を説明させ、一旦その場は治める事ができた。ぞろぞろと帰っていく商人達を見送りながら尚もリデルは落ち込んだ顔をしていた。

 「本当に申し訳ない、こちらできちんと対応できていれば……」

 「大丈夫です、本当に気にしないで下さい。彼が少々目立ちすぎただけの事です」

 謝罪を繰り替えすリデルを今一度なだめソウタが一度食堂へ帰ろうと踵を返すとリデルはそれを静止した。

 「あぁソウタ君待ってくれ、実はもう一つ……ソウタ君達にも用があるんだ。後でで構わないから所長室へ来てもらえるかな」

 速やかに了承しミルドの装備を新調する為少し遅くなる事をリデルへ伝え、ソウタ達は改めて食堂へと一時帰還した。一息ついてようやく穏やかな朝を取り戻し、ソウタはミルドを見つめながら少し困ったような微笑みを見せるのだった。


 「よくもまぁ……こんなひどい装備で旅なんかしてきたもんだな……」

 一騒動あったもののゆったりとした朝を過ごしたソウタ達はミルドの装備を新調する為、円形商店街の一角にある装備品のお店に来ていた。お店の店主にミルドの装備を見てもらった所ドン引きした様子で散々な評価を頂いた……元は廃材なので当然ではある。

 「小金貨三枚ほどの予算で全身を新調したいのですが……足りますか?」

 「足りるどころか余っちまうよ、うちにそんな上等なもんは置いてねえからな」

 相場観がないとこういう時困りものである、ソウタは店内の展示品を見渡しながらしばし考えると近くにあった武器に目を留め店主へ追加の注文をつける事にした。

 「それでしたら、適当に右手で使える小剣を付けて頂けますか? 大剣だけだと少々取り回しが悪いので」

 「……小剣か……旦那のデカさじゃ柄が短すぎて使いづらいだろう、ちょいと調整せにゃならんが……急ぎか?」

 店主は木箱に雑に突っ込まれている刀剣類をゴソゴソと漁りながらちらりと視線をソウタへ向け確認を取る。

 「いえ、早いに越した事はありませんが急ぎはしません」

 「ふむ……なら数日貰うぞ、それと寸法だのを測らにゃならんから旦那は残ってくれ」

 そう言うと店主はやや刃幅の広い片手剣を携えミルドを手招きしながら店の奥へと引っ込んでいった。取り残されたソウタとウシオは顔を見合わせ組合へと赴くべくお店の奥に引っ込んだ店主へ大きな声で呼びかけた。

 「代金は後でよろしいんでしょうかー?」

 「ああ、引き渡しの時でいい! 他に注文がなけりゃ今日の所は帰んな!」

 店主の返事を確認しよろしくお願いします! と元気よく伝えソウタ達は店を後にするとすぐ目の前の組合へと足を向けた。


 いつものように受付嬢と挨拶を交わし事情を伝えてそのまま階段を上り所長室へ、ノックをするとどうぞ、と落ち着きを取り戻したリデルの声が返ってきた。

 「すいません、お待たせしました」

 「いや、謝罪ならこちらこそだよ。朝早くからすまなかった」

 二人は軽く挨拶を交わし腰を落ち着けるとリデルは神妙な面持ちですぐに本題へ入った。

 「早速で悪いんだが君達、アヴァール侯爵と面識はあるかい?」

 ここ半月ほど警戒をしていた人物の名前が思いがけないタイミングで飛び出しソウタはウシオと顔を見合わせた。

 「はい、一度だけですが……教会に寄付を持ってこられた侯爵と顔を合わせる機会がありました。その方が何か?」

 リデルはとても深刻そうに一つため息を吐くとすっと立ち上がり机に置かれていた一通の手紙をソウタ達へ差し出してきた。

 「公爵閣下から君達へ……名指しの依頼をしたいという申し出が届いた」

 侯爵から送られてきたという手紙の内容はとても簡素で、依頼の内容などは書かれておらず侯爵の邸宅を訪ねるようにとだけ綴られていた。

 「……侯爵からのこういった名指しの依頼というのはよくある事なんでしょうか?」

 ソウタの問いにリデルは静かに首を振りこれを否定した。

 「私の知る限り初めての事だよ、だから私も心配でね……君達何か、公爵閣下に呼び出されるような事に心当たりは?」

 「いえ、これと言って特には……」

 無いと言えば無いが有ると言えば有る……失礼を働いた覚えはないがあの男の欲に塗れた視線を思えば呼び出したいのは恐らくソウタというよりウシオであろう。

 「アヴァール侯爵といえば業界最大手、ヴァール商会のトップだ……王都のお金は全て彼が握っていると言っても過言ではない、それ程の大物だ」

 足元では貧乏ゆすり、下唇を噛み眉間にしわまで寄せてリデルは深刻さを伝えようとしていた。

 「侯爵には何か悪い噂でも立っているのですか? 孤児を気にかけるような善良な人物と伺っていますが」

 ソウタは何も知らないすっとぼけた様子で侯爵について探りを入れてみる事にした。しかしリデルはすぐには答えず、しきりに窓の外や隣の部屋を気にかけ落ち着かない様子を見せていた。

 「とても大きな声では言えないが……女性関係の噂が絶えない人なんだ。現在も二人か三人の妻がいてもう何人目かわからない」

 ソウタの方へずいっと顔を寄せとても小さな声でリデルは侯爵の情報を教えてくれた、とは言え侯爵のオーラを見たソウタにとってはそれ程意外なものではない。

 「それだけなら気の多い方、程度の事だと思いますけど……大物貴族ならそういう事もあるのでは」

 尚もすっとぼけた演技を続けるソウタの言葉をリデルはぶんぶんと全力で首を振り否定の姿勢を見せる。

 「多妻がどうとかではないんだ、気に入れば妻にし飽きたら捨てて次を探す……捨てられた元妻の中には貧民街まで行き着いた人もいる。逆らえる人もいないからやりたい放題なんだよ」

 貧民街……王都西門の外にある粗末な建物の立ち並ぶ地域の事である。王都西側は王国軍の演習地でもあり比較的安全らしいが城壁の外という事で当然安全は保証されていない、街中のスラム街にすら居場所を得られなかった人々の行き着く先である。

 「それが事実なら確かにひどい話ですね」

 ソウタは手紙に目を落としながらモニカや子供達の事を考えていた。モニカを妻に迎えるつもりなら子供達も引き取るのだろうか、ひと目見ただけのウシオに気が逸れたならモニカの事は諦めたのだろうか、いやそもそもモニカにも子供達にも関わらせるべきではない、いずれにせよもっと深く懐に入る必要がある……悩めるソウタの意識は段々と鋭く研ぎ澄まされていく。

 「……リデルさん、依然渡航許可証の話をした際……商会への申請が優先されると仰っていましたよね」

 「え? あ、ああ……確かそんな話をしたね……いや、え? ソウタ君?」

 言葉の真意を飲み込みきれず狼狽えるリデルへソウタはゆっくりと手紙に落としていた視線を上げ、この名指しの依頼を受けると告げた。開いた口が塞がらない……文字通りの反応を示すリデルはソウタの正気を問いただした。

 「ソウタ君、悪い事は言わない、これは断るべきだ。渡航許可証の件なら私が直接王宮に掛け合って何とか……」

 「お話していませんでしたが実は余り時間がありません。大丈夫です、自分の身は自分で守ります」

 あっけらかんといつもの穏やかな表情を見せるソウタにリデルはそれ以上何も言えなくなった。リデルの悔しさを滲ませるオーラを見ながらソウタは謝罪と感謝を伝えそのまま他の依頼を受ける事なく組合を後にした。


 「お昼にはまだ大分早いけど……何か買って今日はもう教会へ向かおうか、ミルドのおかげで予想外に余裕ができたし」

 組合の入り口前でソウタは大通りの方を指差し隣のウシオと今日の予定を相談する。一足先に歩き出したソウタの隣へ並び静かに見守っていたウシオはその真意を問い詰める。

 「ソウタ……何か悪い事を考えていませんか?」

 問われたソウタはぴたっと足を止め視線や表情はそのままウシオを見る事なくゆっくりと答えを返した。

 「悪いかどうかはわからないけど、正攻法だけじゃ前に進めないようだし……とは言えどう転ぶかはボクにもまだわからない」

 そこまで言うとソウタはようやくウシオの方へ目を向け微笑んでこう続けた。

 「だから……間違えないように見ていて、近くで」

 言い終わるとソウタは再び大通りへ向け一人歩き出した。その背中を見つめ、ウシオも改めて自身の務めを再認識する。ウシオは急いでソウタの後を追い隣へ並ぶといつもの穏やかな表情でそっとソウタの頭を優しく撫でた。

 「もちろん見ていますよ、ずっと――」

 街を行き交う人混みの中、撫で回され気恥ずかしそうにソウタとウシオは笑顔を交わしていた。

 その後二人は一日中教会の子供達と楽しく過ごし、翌日に控える侯爵との攻防戦に向けてしっかりと英気を養うのであった。

第六話、お読み頂きありがとうございます。橘月りんごです。

二話続けて大きな動きはありませんでした、申し訳ありません。

ただこういった何気ない日常の中にある些細な描写が世界観を形作ってくれるのだと考え大切にしたいなと思っています。

様々な障害や問題にどう活路を切り開くのか、ソウタの活躍を今後ともよろしくお願い申し上げます。

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